第2話


「ガハッ、ごほ! ゲハ!」


 滝壺に呑まれながらも死に物狂いで岸へと這い上がった俺は、本気で死にそうなくらいに息を荒げていた。

 もう無理だ。一歩も動くことも出来ない。

 そう思えるくらいに身体が疲弊してしまっている。

 酸欠の症状でも出ているのか、心臓がバクバクとなって頭の奥がグルグルと回っている。昔、湯あたりで倒れた時もこんな感じだったな―――と、不意に思い返し苦笑を浮かべてしまう。

 そんな状況でもないだろうに、な。

 それでもゼーハーゼーハーと、大きな息を吸って吐いてを繰り返して少しづつ調子を整えていった。

 明日は確実に筋肉痛だなっと考え俺は、小さく笑みを浮かべて今の状況について考えることにしたのだった。


 もっとも、だからと言って答えは解らない。家を出て直ぐに視界は草原に変わっていたのだ。

 本来の自分の記憶にある閑静な住宅街は全く見えず、在ったのは草原と森。剣や槍や棍棒などで命の遣り取りをする危険な場所だった。

 こんな事、常識で考えれば何を言っているんだ?といった内容だが、この状況で常識を語ることに何の意味があるのだろうか?


 暫くそうして体力の回復を待ち、俺は腕に力を込めるとグルンと身体を回転させ仰向けに寝転がる。

 そうして初めて、此処が洞窟の中だったということを思い出した。


「……そうか。そういえば、変な洞窟に流されたんだっけ」


 呟きながら天井を眺めると、洞窟の中である筈なのに明るいことに気がついた。

 どうしてそうなっているのか理由は解らなかったが、元々明かりに成るようなものなんて持ち合わせていなかったのだから好都合ではある。


「けど……何なんだよ、この状況」


 思わず零した泣き言に、一緒になって涙腺が緩みそうになってしまう。


「――――俺は村雲むらくもかなで。都内の専門学校に通う学生。年齢は19歳。趣味は特になく、強いてあげるならカラオケで歌うことで……」


 誰に聞かせるでもない言葉を口にして、俺は目頭を抑えて水滴を拭った。こんな状況でも、恥ずかしいと言った感情が浮かんだからだ。

 なんだかんだで、強がりが出来るってことはまだ大丈夫なのかもしれない。


「訳が解らないし、どうして良いのかも解らないけど……出口を探そう」


 幸いにして、この洞窟は光る何かが壁の至る所に張り付いている。

 これまた未来的青狸の道具のような便利さを感じさせるが、もしかして似たような物なのだろうか?

 フラフラとした足取りで歩き出した俺は、取り敢えずという気持ちで水の流れに沿って歩き出した。

 来た道を戻れるのならソレが一番良いのだろうが、俺が来た道は地下水脈へと流れ込むと滝である。

 普通に川の流れに逆らうことさえ不可能なのに、滝を登ることなんてのは更に無理な話だ。


 その為、必然的に俺の行路は川の流れに沿ってになる。

 それに水が流れているということは、この川自体は外に繋がっている筈だからだ。

 とは言え、その考えも即座に頓挫する事になった。


「まじ、かよ……」


 川の流れにそって歩いていると、程なく一際大きい空間へと繋がった。

 今まで歩いていた道が路地裏へと繋がるビルとビルの間といった広さであるのなら、今のこの空間は一般的な学校の体育館ほどの広さは有る。

 閉塞された場所から抜け出して気持ちを切り替えられた瞬間ではあったが、同時にグルリと周囲を囲む岩肌に出口が存在しないことを教えられてしまった。

 流れて居る川はそのまま岩壁の先まで流れているが、水の流れの少し上、せいぜいが30~40cm程の隙間しか無い。背泳ぎの要領で流されて行けば通れるだろうがこの先もその高さで幅が有るとは限らないだろう。


 つまりは


「出口が、無いってのか……」


 で、ある。

 一応、遥か上空に有る天井には洞窟の壁とは違う光―――陽の光が漏れ込んでいる場所がある。


 人一人くらいなら通れそうな穴が地上に向かって伸びているのだが、俺の体力で壁登りなんて出来るわけもない。積んだ。積んでしまった。

 そう考えると一気に疲れが襲ってくる。

 『はぁ……』っと溜め息を吐いて、俺はその場に腰を落とした。

 訳の解らん状況に放り出され、死に物狂いで逃げ出したら行き着いた先は行き止まり、とか。


「――――ク、クククク、クハハハハハ、ハハハハハハ!

 ふっざけんなーーーーーっ!!! 何なんだよ、この罰ゲームみたいな状況はっ!! 俺にどうしろって云うんだよ糞ったれっ!! 糞ったれぇ!!」


 手元にあった石を拾い、闇雲に地面に向かってガツンガツンと振り下ろす。

 それでどうにか成るなんて思っては居ない。ただ、何かに感情をブツケたくて仕方がない!


「こんな……こんなのが俺の最後かよ……っ!?」


 ガクッと項垂れ、啜るように息をする。そして手に持っていた石を無造作に放り投げた。

 と―――

 カンッ! と投げた石が地面に落ちた瞬間、其処から光の波紋が広がった。地面を波打つように広がる光の波紋が周囲一体へと広がったのだ。

 俺はその光景に「えっ?」と声を漏らし、バッと立ち上がって距離を取る。

 そして次の瞬間には体育館ほどの広さ一杯に、奇妙な幾何学模様が浮かび上がったのだ。

 パッと見て解ったのは五芒星、六芒星、それ以外は見たことも無い様な文字の羅列と円陣だ。 


「なん、だ、いったい」


 何が起きてるのか解らない。解らないが、目を離すことも出来ない。

 光を放って描かれた地面一杯の図形――魔法陣は尚も光を増していく。

 すると


『――ヴァ……ウ……く来た。ひ…の子よ』


 酷く雑音混じりの聞き取りにくい、声? が聞こえてきたのだ。


「なんだ? 声? な、何を言ってるんだ?」 


 雑音混じりの声は頭の奥に響くように成り不快感を先行させてくる。


『……がこ…を…………たくば…ぃのれ、いのぅ……のだ』


 相変わらず聞き難い。だが、なんだ? もしかして『祈れ』と言っているんだろうか? こんな場所に声が響いている現状は不思議な塊だが、ソレはもう今更だろう。

 しかし、苦しい時の神頼みをしろって?

 いいさ、やってやろうじゃないか。そんな事でこの状況が改善するなら安いもんだ。

 俺はその場に膝をつき、手を組んで祈りの姿勢を取ってみせる。

 そして


「どうか御願いです。この、哀れな子羊を救ってください」


 と、投げやり気味に言ったのである。

 初詣で賽銭箱の前で祈る時の、だいたい三分の一程度の真剣さだろう。

 だと言うのに


『――ぉお、おお、おおおおおおおおおおおおおッ!!!』

「なっ!? え、なぁッ!?」


 突然に強く響いてくる大音量。

 ソレに驚いて身を竦ませると、足下の魔法陣が眩しいほどにピカピカと明滅を繰り返した。眩しく目を細めると、強い光が出たのもほんの数秒ほど。光は徐々に落ち着いていき、その後に少しだけ静寂が戻る。


『―――ぉぉぉお、素晴らしい。やったぞ。僅かとは言え活力が戻ったか。礼を言おうぞ、人の子よ』


 何のギャグなのか? 頭に響いていた声が今度はクリアに変化したのであった。

 思わず口を半開きにして呆けてしまった俺は、決して悪くはないだろう。


『我が旧き神となり星が幾度回ったかも知れぬが、こうして消え去る前に信徒がやって来たことは嬉しい限りよ。―――さて、こうして我の元へやって来た人の子よ。他の信徒たちは何処に居るのか?』


 ……何を言ってるんだコイツ?

 信徒? 宗教的な話だよな、ソレは。

 この声は、もしかして神か何かだとでも言うつもりか?


「他の信徒も何も、此処には俺しか居ない」

『……すると、少し離れた場所で待機している、ということか? ……いや、ソレらしい反応もない。―――いったいどういう事なのだ人の子よっ!!』

「なんで俺が怒られなくちゃならないんだよ……」


 勝手に怒られるなんてのは意味がわからない。

 一体何なんだよ。こちとら、次から次へと訳の分からないことが起きててお腹いっぱいだって言うのに。

 いい加減に泣き出したって知らないぞ。


『一先ず聞くが、貴様。まさかこの天空神ボルヴァーグの信徒ではない――――等ということは?』

「信徒じゃないよ。天空神ボルヴァーグなんて知らないし、そもそも此処にはゴブリンから逃げる途中で川に落ちて、流されるままに辿り着いた場所なんだから」

『ご、ゴブリンから逃げたぁ?』


 俺がこの場所にいる理由を説明しただけなのに、呆れたような言い方で返されるのは酷く心外である。

 誰だっていきなり、命のやり取りを強制されれば似たような行動を取ると思う。


『―――……ハァ。なんということだ。最早、我が存在も風前の灯ということか』

「風前の灯火って、仮にも天空神とか言っちゃうような奴が、随分と弱気な」

『仮にではない。我は真実、天空神ボルヴァーグであるっ! だが――』


 怒ったように声を荒げた天空神(?)は、とつとつと身の上話を始めていった。

 なんだって神様の神生じんせい相談をしなくちゃならんのか?

 とは言え、そう思っていても話を聞いてしまう俺は小市民なのか、それとも単に人が良いのか。俺としては後者だと思いたい。

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