二十三の段 名君への第一歩(中編)

「土方義苗さまと他の大名4人が白書院しろしょいんに呼ばれました」


 茶坊主の報告ほうこくを受けた定信さまは「来たか」とつぶやき、将軍さまがいる白書院という部屋に向かうべく立ち上がりました。


 将軍さまも大名と一人ずつ会っていたら面倒めんどうなので、格式かくしきひくい大名たちはまとめて5人呼ばれちゃうのです。


「うっ……。な、何だ? 急に眠気ねむけが……」


 おやおや? 部屋にあやしげなけむりが入ってきましたぞ? これは……雄年かつながさまを眠らせたミヤの忍術ですな!


 どこかに隠れているミヤが眠たくなる煙を定信さまがいる部屋に送りこんでいるのでしょう。


「ああ……こんな地味じみな忍術はいやです。続編ぞくへんがあるのなら、次回は爆弾ばくだん派手はでにやりたいです」


 ミヤが愚痴ぐちを言っている間に、定信さまはガクリとひざをつきました。


「く……。こ、この程度で私はたおれないぞ。き……キビキビと白書院へ行かねば!」


 おお、すごい根性こんじょうです! 定信さまは睡魔すいまと戦いながら、廊下をって行きました。


 しかし、歩いて行くのよりもずっと遅い。この遅れが定信さまの命取りになりました。


 白書院に到着とうちゃくした時には、すでに義苗さまと他の大名たちが将軍しょうぐん家斉いえなりさまと和気あいあいおしゃべりしていたのです。しかも、なぜか尾張藩おわりはんの殿さま・チカじいまでいました。


「へぇ~。おまえの藩、借金が9千8百両もあるのかぁ~。あははは! だっせぇー!」


「最初、そのことを知った時は頭がおかしくなって、きゅっ、きゅっ、きゅう~♪ と歌いながら盆踊ぼんおどりをしてしまいました」


「ぶはははは! マジ受けるぅ~! 義苗、おまえ面白いな。気に入ったぞ。みかど(天皇)にお願いして、大和守やまとのかみという官位かんいをもらえるようにしてやろう」


「ははー! ありがたき幸せです!」


 この光景を見た定信さまは、


(そんな馬鹿な。あの気難きむずかしい将軍とわずかな時間で仲良くなっているだと⁉)


 と、おどろきました。


 いや、特におどろくことじゃないと思いますよ?


 家斉さまは18歳の高校生将軍です。大人に反抗はんこうしたいお年頃。ガミガミとうるさい大人の定信さまには反抗的になっちゃうに決まっています。


 たいして、義苗さまは家斉さまと年が近い13歳ですからね。思春期ししゅんきっただ中の少年同士、ちょっと会話をしたら意気投合いきとうごうすることはよくあります。


「う……上様! 官位をあたえる必要はありません! その者から今すぐ領地を取り上げてください! 菰野藩を取りつぶしに……」


「うるさいなぁ~。急にあらわれてぎゃあぎゃあ言うなよ」


 楽しいおしゃべりを中断ちゅうだんされてカチンときた家斉さまが、定信さまをにらみました。


「こ、この者は、上様の許可もなく江戸をぬけ出し、つい最近まで自分の領地にいたのです。おそらく、菰野の大相撲を見物するためでしょう。これは重罪じゅうざいにあたります。どうか、土方義苗に厳罰げんばつをあたえてくださ……」


 将軍さまのご機嫌きげんなんて気にしている余裕よゆうがない定信さまはさらに言いつのろうとしました。そんな定信さまを止めたのは、チカじいの一言でござる。


「義苗どのが菰野にいたじゃと? まっさかぁ~! ワシ、菰野の大相撲を見物してきたけど、こんな美少年と会わなかったぞい?」


「ええ⁉ 宗睦むねちかさまも菰野にいたのですか⁉」


 定信さま、ビックリ仰天ぎょうてん

 どうやら、あのアホな隠密たちはチカじいが菰野にいたことにまったく気づいていなかったようです。


 さすがの定信さまも、将軍の次にえらいチカじいが勝手に江戸をぬけ出していたことを責めることはできません。弱々しい声で「本当です。私の隠密が義苗を見たのです。信じてください、上様」と言いました。


 一方、義苗さまはいっさいの反論はんろんをせずにしずかにすわっています。ここであわてたら怪しまれますからね。こういう時こそポーカーフェイス! まあ、本当は心臓がめっちゃバクバクしていますが。


「宗睦のじいさんの言葉を信じる。オレはじいさんが大好きだから」


「上様。ワシのことは、これからはチカじいと呼んでくだされ。ある美少女からもらったあだ名なのじゃ」


「いいなぁ~。オレもその美少女と仲良くなりた~い」


 家斉さまは、すっかり親戚しんせきのおじいさんのチカじいの言葉を信用しているようです。さすがは御三家ごさんけの尾張徳川家、将軍さまへの発言力は半端はんぱないですな!


「し、しかし……!」


「いい加減かげんにしろよ、定信。初登城したばかりの義苗をイジメたらかわいそうじゃないか」


 家斉さまがすっかり仲良くなった義苗さまをかばうと、他の大名4人も、


「新入りの少年大名をいびるなんて、老中さまマジ恐いわぁ~」


田沼たぬま意次おきつぐさまの時代は、城内でイジメなんてなかったよなぁ~」


 などとひそひそ話を始めました。


 定信さま、出遅でおくれたせいで完全にアウェイですな。


(しまった……。私の攻撃こうげき材料ざいりょうがなくなってしまった。ここで義苗が私の秘密をみんなの前で暴露したら、オレはおしまいだ)


 ワイロ政治をしていた田沼意次は悪いヤツ! と常日頃つねひごろから言っていた定信さまが、実は田沼さまにワイロをおくっていたことがある……。そんなことを暴露されちゃったら、ずかしくて老中を辞職じしょくしたくなるレベルです。


 義苗さま、今です! 定信さまの黒歴史くろれきしBAKUROばくろ☆しちゃいましょう!


「世の中には、自分のそっくりさんが一人か二人はいると聞いたことがあります。たぶん、定信さまの隠密が見たのは、私のそっくりさんでしょう」


 義苗さまは微笑ほほえみながらそう言っただけで、それ以上いじょうは何も言いませんでした。


 ありゃりゃ? せっかく定信さまをやっつけるチャンスなのに、暴露しないんですか?


 結局けっきょく、義苗さまの反撃はんげきがないまま、将軍さまとの面会時間は終わりました。







「……土方義苗。おまえは隠居の雄年から私の秘密を聞いているのだろう。なぜ、上様の前で暴露しようとしなかった」


 定信さまも不思議ふしぎに思っていたのでしょう。白書院から退出たいしゅつして廊下を歩いていた義苗さまを呼び止め、そうたずねました。


 り返った義苗さまは、敵である定信さまに憎悪ぞうお眼差まなざしを向けることもなく、おだやかにこう言ったのでござる。


「私の学問がくもん南川みなみかわ文蔵ぶんぞうからこんな言葉を教わりました。『おのれほっせざるところは人にほどこすなかれ』」


「……自分がしてほしくないと思うことは、他人もいやがるはずだから、他人にもしてはならない。孔子の言葉だな」


「はい。そういう思いやりを持たないと、立派な人間とはいえません。それに、他人をおとしいれるような卑怯ひきょうなマネをしたら、菰野の民たちに胸を張って『オレはみんなの殿さまだ!』と言えないと思ったのです」


「た、たしかにそうだ。武士は卑怯なことをしてはいけない」


 もともとマジメな性格の定信さまは、自分はさっきまで卑怯なことをしていたのだと気づき、顔を赤らめました。


「私は早く出世をして、この国の全ての民が安心して暮らせるような清く美しい政治をやる老中になりたかったのだ。まだ若くてあせっていた私は、自分の夢を実現させるために当時の老中・田沼意次にワイロを贈ってしまった。

 ……その後ろめたい過去を知っている菰野藩をお取り潰しにしてやろうとたくらんでいたが、冷静れいせいに考えたら武士にあるまじき卑怯な行為こういだった。許してくれ、義苗どの。私は……私は……」


「そんなにご自分を追いつめないでください。誰にだって失敗は……」


「私は責任を取って、この場で切腹せっぷくをする‼」


「ええーーーっ⁉」


 定信さまは正座せいざをすると、脇差わきざしをぬいて自分の腹に突き立てようとしました。


 ちょ、おま……! 何やってんの!


「ちょっと待って! ちょっと待って! 落ち着きましょう、定信さま! だ、誰かぁー! 誰か助けてくださーい!」


 義苗さまは江戸城の中心でヘルプをさけび、けつけた大名や旗本たちによって定信さまは取り押さえられて切腹は未遂みすいに終わるのでした……。


 武士ははじをかいたらすぐに切腹しちゃう生き物なので、読者のみなさんも友達に武士がいたら気をつけましょうね!(え? いるわけがないって?)

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