十六の段 尾張のお殿さま

 義苗よしたねさまたちは、助けたお侍さんたちと一緒いっしょ温泉街おんせんがい橘屋たちばなやもどりました。


「いやぁ~、山道を迷子まいごになって、ようやく涙橋なみだばしまでもどれたと安心しかけていた矢先に熊と遭遇そうぐうして、本当にビックリしたわい。助けてくれて、感謝かんしゃするぞ」


 お侍さんご一行をひきいていた60歳近いおじいさんが扇子せんすをあおぎながら、義苗さまたちにお礼を言いました。


 この普通にしていても上から目線になってしまう話しかたは、まちがいありません。このおじいさん、お殿さまですな!


「ワシは、尾張おわり藩主はんしゅ徳川とくがわ宗睦むねちかじゃ」


 やっぱり! 義苗さまたちも、その殿さま口調くちょうでたぶんそうだろうと思い、ここまでお連れしたのでござる。


「わが主君しゅくんの命を助けていただき、ありがとうございます」


 尾張藩のお侍たちも、義苗さまに頭を下げました。みなさん、熊から逃げ回って転んだり、木にぶつかったりしたせいで、あちこちきずだらけですな。


「尾張藩士のみなさん。あとでゆっくり温泉につかり、傷を治してください。湯の山温泉には、傷ついた鹿が温泉に入って傷をいやしたという伝説がありますので、みなさんの傷もきっとよくなることでしょう」


 馬公子まこうしさまがそうすすめると、尾張藩士たちは口々に「かたじけない」と言いました。


「ワシもたくさん汗をかいたから入るぞ。ミヤちゃんも一緒いっしょに入らんか?」


遠慮えんりょしておきますです。湯の山温泉では、ほら貝がったら女性客だけがお湯を使えるらしいので、わたしはその時間帯じかんたいに入りますです」


「ええ~、そんなぁ~」


 ミヤにあっさりとことわられ、徳川宗睦さまはがっくりと肩を落としました。今年で58歳(今の56~57歳)なのに、とんだスケベじじいでござるな!


「じゃあ、そのかわりにワシにも可愛いあだ名をつけてはくれんか? そこのピョンピョン左衛門とやらは、ミヤちゃんがあだ名をつけたんじゃろ? ワシも美少女に可愛いあだ名をつけてもらいたいんじゃ」


「むふぅ~。私、そんなに可愛いですか? 仕方しかたありませんね、あだ名をつけてあげますです。尾張のお殿さまは名前がムネチカだから……『チカじい』でどうですか?」


「ぐふふ。美少女にあだ名をつけてもらったぞい! おい、おまえたち。今日からワシはチカじいじゃ。おまえたちもそう呼べよ」


 徳川宗睦さまあらためチカじいがそう命令すると、尾張藩士たちは「ははっ! チカじいさま!」と言いました。一人だけ「チカじじいさま!」と言いまちがえて、チカじいに扇子で頭をたたかれていましたが……。


「ところで、今回の熊騒動そうどう原因げんいんを作ったのは、やはり松平まつだいら定信さだのぶさまの隠密だったのですか」


 なかなかマジメな話にならないため、南川みなみかわ先生がさりげなくそう言い、話を本題ほんだいに持って行こうとしました。


「ああ。邪眼じゃがん二郎じろうとこの間やっつけた隠密が、子熊こぐま誘拐ゆうかいしたんだ」


「それで、親熊おやぐまが怒ってあばれた……というわけですか。おそらく、子熊を温泉街にはなって、子供を探しに来た親熊が温泉街であばれることをねらっていたのでしょうね」


 南川先生が言うと、チカじいが話に入ってきました。


「何じゃ、松平定信が菰野藩にいやがらせをしようとしたせいで、ワシは巻きぞえをくらって死にかけたのか。あの男、田沼たぬま意次おきつぐとその関係者たちをまだ目のかたきにしておるのか。しつこいヤツじゃなぁ~」


「定信さまはとてもマジメな人だとうわさで聞いています。人からワイロを取っていた田沼さまのことを汚職おしょく政治家せいじかだと嫌っているのでしょう。……しかし、『敵の味方は敵!』という理論りろんで嫌われるのは、ちょっと迷惑めいわくです」


 馬公子さまはフーッとため息をつきました。


 そして、義苗さまが江戸をぬけ出して菰野にやって来たのは、ぐーたら生活を送っているご隠居の雄年さまからはなれて、殿さまとしての勉強を菰野ですることが目的だったということ。けっして幕府にさからう気はないこと。でも、定信さまの隠密にこのことがバレてしまったことなどを深刻しんこくそうな表情で語りました。何度もため息をつきながら。


 どうやら、チカじいに同情どうじょうしてもらえるように、おおげさになげいているようですな。馬公子さま、なかなかの演技力えんぎりょくでござる。


「なるほど、そういう事情じじょうがあったのか。よし、ワシが力をしてやろう」


「え? 徳川将軍家のご親戚しんせきが、たった一万一千石の菰野藩に力を貸してくれるのですか⁉」


 義苗さまはビックリし、そう言いました。


「そんなにおどろくな、義苗どの。が尾張藩の者たちは、湯の山温泉が大好きじゃ。温泉は気持ちいいし、菰野の人々が心をこめておもてなしをしてくれるからな。

 だが、菰野藩が定信の陰謀いんぼうでお取りつぶしにでもなったら、別の大名家が菰野にやって来て、温泉街をちゃんと管理かんりしてくれないかも知れない。そうなると、温泉が大好きなワシたちもこまるのじゃ。だから、湯の山温泉を守るためにも協力させてくれ」


「チカじいさま……」


「それに…………菰野にはかわゆい女の子が多いからな! かわいこちゃんたちと混浴こんよくできなくなったら、さびしいじゃろ⁉」


 感動しかけていた義苗さまは、チカじいのエロ発言にズコーっ! とこけてしまいました。


「あと、ワシは定信の政策せいさくが気に入らん! あいつめ、近い内に男女混浴禁止令だんじょこんよくきんしれいを出すつもりらしいぞ⁉ 冗談じょうだんじゃない! なあ、おまえたち?」


 チカじいがプンプン怒りながら家来たちにそう言うと、尾張藩士たちも、


「混浴を禁止するなんて、あまりにもひどい!」


「人間のやることじゃない!」


絶対ぜったいに許せません! われらは菰野藩の味方です!」


 と、口々にさけんだのでござる。


 ミヤは、そんな尾張藩の人たちを「うわぁ……」とドン引きしながら見つめていました。


 義苗さまも何とも言えず、ただ一言ひとことだけ「あ、ありがとうございます……」と苦笑いしながら言いました。


「そうと決まれば、作戦会議さくせんかいぎじゃ。みんなで湯舟ゆぶねにつかりながら定信めをぎゃふんと言わせるための作戦会議をしようぞ。あと、ミヤちゃんもやっぱりワシたちと……」


「遠慮しておきますです。(キッパリ)」


「しょぼ~ん……」


 まだあきらめていなかったのですか、チカじいさま。


 さてさて、強力な味方ができた義苗さま。果たして、松平定信さまの陰謀にうちかつことができるのでしょうか。







 あっ、そういえば、隠密コンビのことを忘れていたでござる。


 山のふもとまで転がり落ちた二人は、同じく転がり落ちてきた親熊におそわれ、大変な目にあっていました。


「はひぃ、はひぃ……。何とか子熊を返して逃げ切ったが、体中ボロボロだ……。おまえのアホな作戦にしたがったせいで、ひどい目にあったぞ」


「まさか、オレさまたちが親熊におそわれてしまうとは……。やみの力を宿やどした邪眼じゃがんでも見ぬけなかった未来だ」


「日本語でしゃべれよ、おまえ……」


 傷だらけの二人が、ふらふらになりながら御在所岳ございしょだけのふもとを歩いていると、


「ククク。どうやら、また菰野藩のヤツらにやられたようだな」


 草むらから不敵ふてきな笑みを浮かべた小太りの男があらわれました。


「むむっ⁉ 何者なにものだ!」


 疾風しっぷう一郎いちろう邪眼じゃがん二郎じろうが同時にさけぶと、小太りの男は「わが名は紅蓮ぐれん三郎さぶろう。松平定信さまの隠密だ」と答えました。


「な、何だと? 定信さまの隠密はオレたちだぞ」


「私は、『疾風の一郎と邪眼の二郎がちゃんと仕事をしているか監視かんしし、もしも二人が任務にんむに失敗したら手助けするように』と定信さまから命令された隠密だ」


「ええー⁉ また監視役⁉」


 定信さま、どんだけうたがい深いんですか!


「おまえたちがあまりにもマヌケだから、手をしてやろうと思って姿をあらわしたのだ」


「ぐ、ぐぬぬぅ~。……うん? おまえ、しりに何かさっているぞ」


 邪眼の二郎は、紅蓮の三郎のお尻を指差ゆびさしました。たしかに、たくさんの手裏剣しゅりけんがお尻に刺さっています。


「……これは、菰野こもの陣屋じんや侵入しんにゅうしようとしたら、菰野藩に仕えているくノ一に手裏剣を投げられたのだ。深々と刺さっているから、自力ではぬけない。たのむからぬいてくれ」


「おまえも菰野藩にやられてるじゃん! めっちゃマヌケじゃん!」


 さすがは疾風の一郎。ツッコミを入れる時も疾風のごとき速さでござる。


「はははは。どいつもこいつも、アホな隠密ばかりだぜ」


「むむっ⁉ 何者だ!」


 またもや草むらから男が現れ、疾風の一郎と邪眼の二郎、紅蓮の三郎は同時に叫びました。


拙者せっしゃは、定信さまの隠密・閃光せんこう四郎しろう。『疾風の一郎と邪眼の二郎、紅蓮の三郎がちゃんと仕事をしているか監視し、もしも三人が任務に失敗したら手助けするように』と定信さまから命令されている者だ」


 隠密の監視の監視の監視! 登場キャラが増えすぎると物語の語り手である拙者がこまるからやめてくだされ!


「オレさまたち、どんだけ主君しゅくんに信用されていないんだ……。うん? おまえ、顔が真っ青だぞ? 具合ぐあいでも悪いのか?」


 邪眼の二郎がそうたずねると、閃光の四郎は「……実はマムシにかまれた」と答えました。


「疾風の一郎が土俵の屋根をこわすことに失敗した後、拙者も庄部しょうべ神社じんじゃ侵入しんにゅうした。

 ところが、鼻水をたらした子供に『おじさん。相撲をやる場所、変更へんこうになったんやに。おいらが教えたろか?』と言われて、草がたくさん生えた川原かわらまでついていったのだ。そこで、落とし穴に落ち、穴の中にいたマムシにかまれた。……ううう、体にどくが回って気持ち悪い」


 閃光の四郎はバターン! とたおれてしまいました。疾風の一郎たちは「馬鹿! 早く応急手当おうきゅうてあてをしないとダメだろ!」と言い、閃光の四郎の介抱かいほうを始めました。


 お馬鹿さんにもほどがあります。ずっと疾風の一郎を監視していた閃光の四郎は、疾風の一郎が嘘重うそしげくんのうそにだまされて落とし穴に落ちたところを見ていたはずなのに……。


「あははは。どいつもこいつもたよりない隠密ばかりですね」


「むむっ⁉ 何者だ!」


「それがしは、定信さまの隠密・漆黒しっこく五郎ごろう。疾風の一郎と邪眼の二郎、紅蓮の三郎、閃光の四郎がちゃんと仕事をしているか監視し、もしも四人が任務に失敗したら……」


 ……読者のみなさん、ごめんなさい。実はこのやり取り、まだ続くみたいなので省略しょうりゃくさせていただきます。


 もう、こいつらまとめて「定信さまの隠密たち」でいいでござる!

 名前をおぼえるのが面倒めんどうでござる!

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