第4章 目覚めの時間が訪れようと

第4章1話

 エッセで目を覚ますことはなく、僕は防衛省庁舎で目を覚ます。昨晩まで笑顔で語り合っていたリィーラは、今は心地よさそうに布団にくるまり、静かに眠っている。今頃、彼女はウェスペルでの日常を過ごしているのだろう。


 僕は、眠ったままのリィーラの側にいる。どんなに短い期間であろうと、僕はリィーラと一緒にいると言ったのだ。たとえリィーラが眠りから目を覚まさずとも、そこにリィーラがいる限り、僕は彼女の側から離れる気はなかった。


 政府は魔物の存在を公表し、世間は半ば混乱状態、学校も休校となっている。とはいえ、ここ数ヶ月間の日常は魔物との戦いと並行してあったもの。実際のところ、今日は少しコピー元が変わっただけの一日でしかないのだ。


 防衛省内部の自衛隊員たちは大忙し。彼らは世間の騒乱に対応しながらも、魔王討伐の準備を着々と進めているのだ。民間人であり高校生でしかない僕にできることは、何もない。

 望月の質問に答え、箕輪にからまれる以外、僕はスマートフォンをいじるだけだ。リィーラの側で、変わらぬ毎日を過ごすだけだ。


 何事もなく一日が過ぎ去り、翌日も全く変わらぬ一日が過ぎ去っていく。この間、リィーラが目覚めることはなかった。僕がエッセで目覚めることもなかった。


「籠坂くん、荒川河口付近に魔王が出現したみたいよ」


 そんな報告が望月の口から飛び出したのは、眠ったままのリィーラの側で、三日目の昼食を済ませた頃。ついに訪れたその報告を聞いて、僕はリィーラに視線を向ける。彼女はまだ、眠ったままだ。

 このままリィーラが目を覚まさなければ、僕はいつまでも彼女と一緒にいられるのだろう。しかしそれは、魔王を野放しにするのと同義。僕もリィーラも、そんなことは望んでいない。


「分かりました。リィーラが目を覚ましたら、すぐに伝えます」


「お願いね。救世主と勇者の到着、待ってるわ」


 魔王が出現しようと、望月たちにはリィーラという希望がある。だからだろうか、彼女の言葉は緊張感を含みながらも、どこか余裕に満ちていた。魔王への恐怖心など、ありはしなかった。


 リィーラの目覚めを待つ間、自衛隊と米軍は魔王を包囲、荒川河口付近は厳戒態勢が敷かれる。対する魔王は、沈黙を貫き通しているらしい。箕輪によると、魔王は何かを待ち構えているかのように、微動だにしないそうだ。


 おそらく魔王は、リィーラが目覚めるのを待っている。だとして、救世主であるリィーラが目覚めていない今こそが攻撃の良い機会であるはずだが、なぜ魔王はリィーラの目覚めを待っているのか。魔王は何を考えているのだろうか。


 魔王が何を考えていようと、僕のやるべきことは、リィーラの側で彼女の目覚めを待つこと。一睡もすることなく、僕はひたすらリィーラの目覚めを待ち続けた。


 待ち続けて五日、魔王が現れてからは二日目の朝。何十時間も閉ざすことのなかった僕の目に、体を起こしたリィーラの笑顔が映る。


「タカトくん、おはよう」


「ああ、おはよう」


 久方ぶりの朝の挨拶は、部屋に差し込む太陽の光にぴったりの、温かく穏やかなものであった。こんな時間が少しでも長く続けば良いと、今のこの時間をコピーした毎日を過ごしたいと、僕は思う。

 けれども、リィーラの目覚めは救世主の目覚めでもあるのだ。僕は現状をリィーラに説明する。


「起きたばかりで悪いけど、魔王が現れた」


「そっか。いよいよ、なんだね」


「うん? やけに冷静だな」


「実はね、エッセにも魔王が現れたんだ。現れただけで、何もしてこないんだけど」


「同じだ。こっちも魔王は何もしてこない」


「不思議だね。魔王は何を望んでるんだろう?」


 首をかしげるリィーラ、考えに耽る僕。そもそも、地球とエッセの両方に魔王が出現した、とはどういうことなのか。地球の魔王もエッセの魔王も、同一の存在なのか。魔物は同じ種族なのだから、魔王は双子なのだろうか。


 納得できそうな答えを導き出そうと、様々な考えが頭を巡る。その時であった。鎖で締め付けられるような痛みが、僕とリィーラの頭を襲った。痛みは一瞬であったが、禍々しい痛みに続き、地鳴りにも似た低い声が頭の中に響く。


《勇者ドレイトンに選ばれし者たちよ。我が名はヴォルゴ、魔王ヴォルゴである》


 重苦しい闇に包み込まれたかのような恐怖が、全身を這い上がってくる。非現実的な事柄も、その恐怖によって、現実の事柄であることを残酷なまでに突きつけてくる。どうやら僕もリィーラも、魔王との会話に無理やり引きずり込まれたようだ。


「頭の中に魔王が直接語りかけてきた? 気分悪いな」


「魔王……私とタカトくんの頭の中から、早く出て行ってよ」


《貴様らの声は聞こえている。まあ、そう嫌な顔をするな。我は貴様らに、良い話を聞かせてやろうと思っているのだからな》


 薄ら笑いを含んだ魔王の言葉は、僕たちの嫌悪など想定済みと言わんばかり。僕たちに拒否権などなく、魔王は話を続けた。


《貴様らが疑問に思っていることは、手に取るように分かる。なぜ我が地球とエッセに同時に現れたのか。なぜ貴様ら二人が勇者、救世主に選ばれたのか。地球とエッセはどのような関係なのか。その答えを、我が与えてやろう》


 悔しいが、魔王の言う通りだ。僕もリィーラも、魔王の答えを求めてしまっている。


《地球は別名『第三六二世界』と呼ばれ、エッセは別名『第三六四世界』と呼ばれる世界。三六二世界も三六四世界も、平行して存在する世界だ。そして我は、三六二世界と三六四世界の間に存在する『第三六三世界』、通称メディウムの住人である》


 それらは平行世界、ということか。地球もエッセも、夢の世界ではなく、れっきとした現実世界であるということか。そして、僕たちの知らない世界がまだ存在するということか。


 魔王がいる三六三世界――メディウムの両脇に、三六二世界――地球と三六四世界――エッセが平行して存在している、という認識で間違いはないのだろう。では、なぜメディウムの魔王が地球とエッセに出現したのか?


《メディウムは魔法と科学が発達した世界、魔物と人間が長らく戦争を続けている世界だ。我は魔物たちの長として、人間と戦っている。我が好敵手である勇者ドレイトンは、人間どものリーダーとして、我らと戦っている》


 僕らが知らない世界の出来事は、僕らが知っているおとぎ話のよう。


《我はドレイトンに勝利するため、長い眠りにつき、夢を見ることで、ドレイトンの世界に届かぬ場所に我が魂を分けた。そう、我は地球とエッセの夢を見ることで、我が魂をそこに送り込んだのだ。これで、ドレイトンが我を倒すことはできまい》


 地球とエッセに現れた魔王、僕たちが打ち倒そうとしている魔王は、メディウムで眠る魔王が見ている夢。エッセにおける僕、地球におけるリィーラと同じような存在。


《だが、我が地球とエッセの夢を見ることで、我が魔力により地球とエッセがわずかに繋がったようだ。魔王城まで攻め寄せ、玉座で眠る我を見たドレイトンは、これに気づいたらしい》


 どこか楽しそうに、どこか恨めしそうに、魔王は吐き捨てるように言った。


《ドレイトンは我の魔力に干渉、地球とエッセを繋ぐ魔力を通し、我を倒すための新たな勇者を、地球からエッセへ、エッセから地球へと送り込んだ。そうだ、貴様らはドレイトンに偶然選ばれたがゆえ、夢の中でのみ勇者となったのだ》


 見知らぬ英雄ドレイトンが魔王城に攻め寄せ、魔王が夢を見ていることを知ったがゆえ、僕とリィーラは出会えたのだ。いや、それ以前に――


《もう気づいているのだろう。異なった世界を生きる貴様らが、世界を飛び越え出会ったのは、我の魔力が、地球とエッセを繋げていたからに他ならぬことを。そして、我を倒し我が目覚めれば、繋がりは消え、貴様らは二度と顔を合わせられなくなることを》


 分かってはいた。魔王を倒せば、僕とリィーラは二度と会えないのだろうと、覚悟はしていた。しかし、それが確定してしまうと、たまらなく胸が痛むのも事実だ。


《貴様らが異なった世界に足を踏み入れられるのは、眠っている間のみ。それほどまでに、地球とエッセの繋がりはわずか。貴様らの出会いは、まさに奇跡であり、そしてあまりに残酷だ。貴様らが使命を果たした時、それは貴様らの永遠の別れを意味するのだからな》


 僕たちの心をえぐろうと、現実を突きつける魔王。そして彼は、僕たちに手を差し伸べるのであった。


《しかし、我は約束しよう。我は貴様らの邪魔をする気はない。貴様らが我を打ち倒そうとしない限りは、我は貴様らの命を保障しよう。どうだ? 悪い話ではなかろう。貴様らは、死ぬまで共にいられるのだぞ》


 僕とリィーラの想いを見通し、そう提案してくる魔王。対してリィーラは何も答えない。僕は魔王に質問する。


「お前はどうして、魔物を使って地球とエッセの人たちを傷つけるんだ?」


《知れたことよ。我は破壊の先にある創造を目指すのみ。ゆえに、我は夢の中であろうと、魔物たちを召還し世界を焼き尽くす》


「何かを創造するために、今あるものは全て破壊する気か?」


《全てとは言わん。今しがた言ったであろう、貴様ら二人の命は保証すると》


「僕たち以外の命は?」


《保証はできんな。だが、貴様ら二人は死ぬまで共にいられるのだ。死に行く者たちを気にする必要はない》


 冷たく素っ気ない魔王の答え。彼にとって、他人の命は道端に落ちる石ころと変わりないのだろう。


 魔王の答えを聞いたリィーラは、凛とした瞳を僕に向ける。そして彼女は、僕の手を取り魔王に言い放った。


「世界がどんな形をしていても、知ったことじゃないよ。私は、タカトくんのいつも通りを守りたい。タカトくんのいつも通りを守るために、地球を守りたい」


「……僕も、同じことを思ってた。エッセで笑うリィーラを、僕は守りたい。なら、エッセのみんなも守らないとな」


《ほう、つまりは我の話を拒否するということか。我を打ち倒し、お互いが離れ離れになる未来を選ぶか》


「ううん、私たちは離れ離れになんかならないよ」


「ああ。平行世界だとかなんだとか、今さら関係ない。僕たちはいつも一緒だ」


 魔王を倒したって、僕とリィーラはずっと一緒にいられる。たとえ側にいられなくても、隣で笑う君を見られなくても、僕たちはずっと一緒にいられる。僕もリィーラもはっきりと、そう思えた。


 僕たちの答えを聞いて、魔王は大きなため息をつく。


《なんと愚かなことを。もう二度と、奇跡など起きぬのだぞ》


「どうだろうな。二度目の奇跡だって、あるかもしれないだろ」


 楽観的過ぎるかもしれないが、悲観的になる必要はない。奇跡はいつだって、期せずして起きるものなのだから。


《悲しみを欺瞞で覆い隠し、訪れるはずもない奇跡を待ち続けると? 良いだろう。貴様らの惨めなその人生を、夢の時間を、次の戦場で終わらせてやる》


「それはこっちのセリフだよ」


「夢から覚めるのはお前だ、魔王」


 明確な敵対宣言を終え、魔王は僕たちの頭から去っていく。リィーラは髪を結び、早くも魔王討伐の準備を終わらせようとしていた。僕もやる気だけは十分。


「さて、見栄を切っちゃったからには、確実に魔王を倒すぞ」


「そうだね。私たちなら絶対に魔王を倒せるよ。だって、魔王はわざわざ戦わない選択肢を用意してくれたんだもん。それはつまり、魔王が私たちに勝つ自信がないってことだよ、きっと」


「なるほどな。じゃ、楽勝か」


「うん! エッセの勇者と地球の救世主が合わされば、魔王なんて相手じゃないよ!」


 魔物どころか魔王にすら怖気付くことなく快活に笑うリィーラは、本当に強い人だ。そんな彼女の笑顔を守るためなら、僕はなんでもしよう。

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