第3章4話

 再会することをあれだけ拒否しておいて、どんな顔でリィーラと話をすれば良いのか。リィーラは僕と話をすることを望んでいるのだろうか。リィーラがいるであろう部屋の扉の前で、僕は再び自問自答に陥り、扉をノックすることさえできない。


「どうしたの?」


 扉をノックする勇気もない僕の背後から、屈託のないリィーラの声が聞こえてきた。地球の服装に身を包み、紅茶のペットボトルを持った今の彼女は、それでも僕の知っている、明るいリィーラであった。


「リィーラ、あの……話がしたいんだ!」


 ここまで来て逃げるわけにはいかない。僕はリィーラと、現実と向き合わなければならないと決めた。だからだろうか、つい言葉に力が入ってしまった。それでもリィーラは、優しく頷き僕を部屋の中に案内してくれる。


 ウェスペルとは違い、必要最低限の家具が置かれただけの味気ない部屋。窓の外は、夜景に染まった東京の街が広がっている。リィーラはベッドの上に腰を落ち着け、僕は椅子に座った。


 しばらく、僕は何も言い出せなかった。リィーラも何度か口を開きかけるが、すぐに言葉を引っ込め黙り込んでしまう。部屋を支配するのは、重苦しい静寂のみ。


「えっと……こんなところで会えるなんて、思ってもなかった」


 ようやく出てきた言葉は、たったそれだけ。しかし、たったそれだけの言葉で十分だったらしい。


「私もびっくりしたよ。街を歩いてたら、タカトくんがいたんだもん」


「びっくりしたにしては、リィーラはいつも通りみたいだな」


「タカトくんこそ、いつも通りみたいだね。いつも通り、タカトくんと一緒にいると魔物と出会えたし」


「うっ……僕はいつもリィーラを危険な目に……」


「ま、魔物は退治できたんだから、大丈夫! うん、大丈夫! それに、タカトくんと久しぶりに会えて、嬉しかったし」


 にこやかに笑うリィーラを見て、僕の心は罪悪感に飲み込まれた。リィーラが浮かべた笑みは、悲しみから解放されたような、そんな笑みだったからだ。彼女にそんな表情をさせたのは、紛れもなく僕なのだ。

 罪悪感が僕を突き動かす。今の僕がリィーラに伝えるべきことが何かは分かっている。あとは、それを言葉にするだけだ。


「ごめん、リィーラ。エッセは、僕にとって夢の世界でしかなかった。夢はいつか覚める。その時、僕はリィーラとは一緒にいられなくなる。だから、リィーラには僕のことを忘れて欲しかった。それで、僕はリィーラと二度と会わないって……勝手、だよな」


 もっと早く、これを伝えるべきだったのだろう。僕はリィーラのためと言いながら、リィーラのことを考えていなかったのだ。結局は、現実から目を背けるため、僕はリィーラから逃げていただけなのだ。


 ところがリィーラは、僕に対して怒りをぶつけることもなく、むしろ納得した様子。それどころか、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「私も、謝らないとね。自分が地球の救世主だってこと、ずっと隠してたんだから」


「リィーラは謝る必要ない。ただ、僕が自分勝手だっただけだ」


「それなら、タカトくんも謝る必要ないよ。私も、タカトくんと同じ、自分勝手な人だもん」


 おそらく、リィーラも僕と同じく全てを打ち明けようと決めていたのだろう。彼女はベッドの上で膝を抱え、笑みは絶やさずとも、伏し目がちに言葉を続ける。


「はじめてタカトくんと出会った時は、もう私は夢の中で地球の救世主になってたんだ。だから、いつかそのことをタカトくんに伝えなきゃって、ずっと思ってた」


 夢の中――エッセで僕が出会った少女は、地球の救世主であったのだ。地球の救世主の、普段の姿であったのだ。


「タカトくんの話は、私に知らない世界を見せてくれるみたいで、すごく面白かった。でも、気づいちゃったんだ。タカトくんの名前とタカトくんの話の中に出てくる単語が、地球のものだったんだって」


 そこまで言って、リィーラは窓の外に視線を向けた。遥か彼方、星空の向こうを眺めるように。


「タカトくんが地球の人だとしたら、タカトくんは遠い世界の人になっちゃう。それが、どうしても受け入れられなかったんだ。タカトくんが遠くに行っちゃうのが、嫌だったんだよ。結局、私が夢の中で地球に来てること、タカトくんに伝えられなかった」


 リィーラは小さく笑い、床に脱ぎ捨てられた自分の靴を見る。


「もしかしたら地球で会えるかもって、地球でタカトくんを探そうともしたんだけど、やっぱりタカトくんが地球の人だって知るのが怖くて、それもできなかった」


 同じだ。僕もリィーラも、目の前の事実を知りながら、そこから逃げようとしていた。


「タカトくんが私の前から消えちゃった理由、なんとなく想像はついてたんだよ。タカトくんは地球の人だから、私の前から消えたんだろうって。それでもまだ、私はタカトくんが地球の人じゃないって、信じようとしてた」


 真実は必ずしも、自分たちにとって都合の良いものではない。ゆえに人は、夢の中から抜け出したくないと思うのだ。


「だから、街でタカトくんと再会した時、タカトくんが地球の人だって認めなきゃいけなくて、ちょっと残念だった」


 これがリィーラの正直な想いなのだろう。だが、彼女の想いはそれだけではない。彼女は僕の手を握り、美しく輝く碧い瞳を僕に向け、全てを打ち明けた。


「でもね、またタカトくんと会えて、嬉しかった! タカトくんが遠くに行っちゃうのが怖くて、タカトくんのことを忘れようとしても忘れられなくて、寂しくて、どうしようもなくて……そんな時に、またタカトくんと会えて、私すごく嬉しかった!」


 リィーラの目からは涙が溢れ、僕とリィーラの硬く握られた手を濡らす。


「あくびするタカトくんに『おはよう』って言って、一緒に美味しい朝食を食べて、出かけるタカトくんを見送って、いつタカトくんが帰ってくるんだろうって、何度も窓の外を見てた毎日が、楽しかったんだよ!」


 夢の中にいる僕と会うのが、リィーラにとっては夢のような時間だった。


「帰ってきたタカトくんに『おかえりなさい』って言って、『おやすみなさい』のあと、またタカトくんと会える時を待つのが、すごく楽しかった!」


 何気ない毎日が、僕たちの宝物のようだった。エッセの勇者、地球の救世主など関係ない。ただ、この何気ない毎日がいつまでも続けば良いと、僕もリィーラも願っていた。


「タカトくん、私――」


 あの時と同じように、リィーラは僕に抱きつく。


「やっぱり、タカトくんと一緒にいたいよ」


 涙を浮かべながらも、悲しみから遠く離れた明るい表情で、リィーラは全ての想いを打ち明けてくれた。だから僕も、自分の想いに素直に従い、リィーラを抱きしめ、彼女の想いに応える。


「僕たちは魔王を倒さなきゃいけない」


「うん」


「魔王を倒したら、僕たちは夢から覚める。その時、僕たちは二度と会えなくなるかもしれない」


「…………」


「だけど、魔王を倒すまでの時間がどれだけ短くても、まだ一緒にいられる時間はある。だから僕は、残りの時間の全部、リィーラと一緒にいるよ」


「タカトくん……!」


 ここが夢であろうと現実であろうと、エッセであろうと地球であろうと、今の僕たちにとって、今この瞬間こそが、夢のような時間であり、確かな現実であった。

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