第3章2話

 何もかもがおかしい。目の前で起きていることのすべてが、夢の世界での出来事としか思えない。僕はもう、夢と現実の違いすらも分からなくなってしまったのだろうか。


「君! 危ないから避難を!」


 民間人を避難させる、と言った女性が僕にそう呼びかける。僕は勇者ではないのだ。創造魔法など使えないのだ。僕は魔物を相手に無力なのだ。今は避難するしかない。


 この場を避難しようと足に力を入れた途端、一体の魔物が僕を睨みつけた。魔物に対してはじめて抱いた恐怖心に、思わず足がすくみ、そのまま体が硬直する。


 きっと僕を殺しやすい相手だと判断したのだろう。僕を睨みつけていた魔物は、赤く光った目を見開き飛びかかってきた。


「タカトくん!」


「危ない!」


 リィーラと拳銃を持った女性の声が聞こえた瞬間、僕の視界は真っ白に。同時に全身を強い衝撃が走り、僕は確実に死んだのだと思った。ところが、その後も音は聞こえるし、人肌を感じることもできる。


 正気を取り戻し今の自分の状態を確かめると、僕は地面に転げていた。僕の上には拳銃を持った女性が乗っかり、しかしすぐに立ち上がって魔物を注視している。どうやら僕は、拳銃を持った女性に助けられたらしい。


 僕を助けてくれたのは女性だけではなかった。リィーラもまた、僕を襲ってきた魔物に光魔法を直撃させ、魔物の魔法障壁を破壊していたのだ。


 ただし、これで命が救われたと安心することはできない。光魔法の直撃に体勢を崩した魔物は、砕け散った紫色の光を纏いながら、激しい怒りを僕たちに向けている。

 今度こそは殺す、と言わんばかりに、魔物は再び僕に向かって突撃。リィーラは氷魔法で魔物を攻撃するも、魔物の動きを止めることはできなかった。最後の砦は、拳銃を持った女性だけ。


「あたしの背中に隠れてて!」


 そんじょそこらの男、少なくとも僕よりは男らしくそう言った女性は、銃を構え銃口を魔物に向ける。そんな女性に、僕はせめて何か手助けができないかと思い、叫んだ。


「魔物の右脇の下! そこが弱点です!」


「え!? なんであんた――」


 野獣のような目つきを一瞬だけキョトンとさせながら、女性は慣れた手つきで拳銃の引き金を引いた。撃ち出された銃弾は寸分の狂いもなく魔物の右脇の下に食い込み、魔物をわずかによろけさせる。

 よろけた魔物は、リィーラの氷魔法により放たれた氷柱に背中を叩かれ、豪快に地面に倒れた。魔物の重みにひしゃげる無人の車、ひび割れるアスファルト。


 地面に伝わる振動と、砕け散るガラスの悲鳴、舞い上がる土煙の匂いを、僕は現実での出来事と認識できないでいる。リィーラの存在が、余計に僕をそうさせていた。


「おーい! ボーっとすんな!」


 拳銃を持った女性は僕の肩を叩き、活を入れる。僕は肩に残る鈍痛に顔を歪めながら、混乱を払い除けようと首を振り、一目散に駆け出した女性の後を追いかけた。


 僕たちを逃すまいと炎魔法を放つ魔物たちだが、その炎は僕たちに届かない。リィーラが杖を振り、魔法障壁を生み出すことで僕たちを救ってくれたのだ。そんなリィーラも、女性の後を追って僕の側にやってくる。


 聞きたいことはいくらでもあった。ありすぎて、何から聞けば良いのか分からなかった。だから僕は、素直な感情に従い、脳を動かすことなくリィーラに聞く。


「なんだこの状況!?」


「えっと……話せば長くなるんだけど、話してる余裕がなさそうだね……」


 こんな状況にもかかわらず苦笑いを浮かべ、明るくそう言うリィーラは、やはりリィーラだ。魔物と出会っても怖気付くことなく戦う彼女は、紛れもなく僕の知っているリィーラだ。


 ますます今の状況が分からなくなってきた僕。そんな僕を、拳銃を持った女性は怪訝な目つきで睨みつけ、リィーラに聞く。


「リィーラちゃん、そいつ誰なの?」


「それも、話すと長くなるんですけど……」


「さっきタカトとか呼んでたけど、そいつが例の勇者様?」


「そ、そうです!」


「ウソ!? リィーラちゃんの話だと、勇者様はこんなお子様じゃなくて、もっと――」


 どうにも失礼なことを言われた気がしたが、今はこれに不満を述べている場合ではないようである。魔物たちはどうしても僕たちを亡き者にしたいようで、魔法だけでなく物理攻撃までも仕掛けてきたのだ。


 歩く大岩のような魔物たちは、同時に怪力の持ち主。彼らは街道に放置された車をダンベルの如く持ち上げ、そして空高く放り投げた。放物線を描き空を舞う車は、凶器と化して僕たちに降りかかる。


 対してリィーラは、微塵の焦りも見せずに杖を振り、水魔法を発動した。どこからともなく出現した水の柱は、暴れ狂った大蛇のようにうねり、宙を舞う車に体当たり。


 車は樹木を折りガードレールを潰しながら地面に叩きつけられ、水をかぶり、シャーシを露わにしながら静止する。攻撃が不発に終わったことに腹を立てたか、魔物たちは鼻息を荒くし、次々と車を投げてきた。

 同じ攻撃が通用するほど、リィーラは弱くない。玉入れよろしく飛んでくる車たちを、リィーラは魔法を駆使して全て叩き落とした。おかげで僕たちは無傷。


 僕が魔物たちから守ろうとしたリィーラは、僕の目の前で魔物たち相手に圧倒的な力を見せつけている。僕がリィーラに、魔物たちから守られている。僕にできることは何もなかった。


 リィーラに守られ、魔物たちから逃れようと必死に走る僕たち。すると、拳銃を持った女性が取り出した無線から、淡々とした声が語りかけてくる。


《セイバー小隊、聞こえるか。東京中心部に複数の魔物が――》


「知ってる! もう襲われてる! 送れ!」


《では話が早い。対戦車ヘリコプター隊がすでに攻撃位置についている。標的の魔法障壁を破壊せよ》


「……了解!」


 これから何が起きようとしているのか、僕には分からない。ただ、女性がニタリと笑みを浮かべた時点で、魔物たちの命運が尽きたことだけは理解できた。


「リィーラちゃん! コブラがもう来てる!」


「分かりました!」


 力強く答え、足を止めると、回れ右をして魔物たちの前に仁王立ちしたリィーラ。僕は拳銃を持った女性に引っ張られ、近くの建物に押し込められる。女性はさらに、無理やり僕の頭を押さえつけ、僕は床にうつ伏せに。


 リィーラは無事だろうかと目だけでも動かしリィーラを見ると、彼女は自らを魔法障壁で守りながら、目と鼻の先にまで近づいた魔物たちに光魔法を放っていた。まばゆい白の光が魔物たちを包み込み、ヤツらの魔法障壁は粉々に砕ける。


 直後だ。獣の呻き声にも似た音が街中に響き渡り、リィーラと魔物たちは猛烈な土煙の中に消えていく。アスファルトは小石となって吹き飛び、地面には複数の穴が空けられていった。


 何が起こったのかを理解するまで時間がかかったが、先ほどの女性の言葉から推測するに、これは対戦車ヘリのガトリングによる攻撃だろう。弾丸――そう呼ぶにはいささか大きすぎる――の豪雨が、魔法障壁を失った魔物たちに襲いかかっているのだ。


 ただし、夢の世界で同じような攻撃を行った僕は知っている。巨大な魔物は、簡単には倒せないことを。


 どこか遠くの空を飛んでいる対戦車ヘリのパイロットも、僕と同じ知識を持っていたのだろうか。ガトリングによる攻撃が止んだと思うと、すぐさまワイヤーを引いた対戦車ミサイルが魔物たちに直撃する。

 爆発の衝撃に、周りの建物のガラスは残らず割られ、鈍い衝撃が僕の全身を震わせた。数発の対戦車ミサイルが破裂すると、魔物たちは岩の体を崩し、ゆっくりと倒れていく。


 魔物が倒れると、一転して静けさが街に訪れた。聞こえてくるのは、ガラスやコンクリートの破片が落ちる音だけ。鼻を刺激するのは、ホコリ臭さと硝煙の匂い。見えるのは、太陽の光に浮かぶ土煙。


「リィーラは!?」


 僕を押さえつけた女性の腕が離れると、僕は立ち上がりリィーラを探す。彼女は魔物とともに、対戦車ヘリの攻撃に巻き込まれていた。果たして彼女は無事なのか。


 落ち着かぬ心は僕の胸を締め付け、混乱した頭は僕の足取りを危うくする。建物の出入り口であった場所を抜け、戦場と化した街を歩けば、現実と夢の境界線は曖昧。いや、ここが現実であろうと夢であろうと、僕はリィーラの無事だけを祈っていた。


 煙は風に流され、徐々に戦場の風景が明かされていく。ガラスを失った建物たちは、フレームだけの痛々しい姿を晒し、乗り捨てられた車は原型も残さぬほど穴だらけに。砂利道と化した街道の上には、焼け焦げた魔物の残骸が転がっている。

 平和という言葉を拒否した風景。そんな場所に、リィーラはたった一人、しっかりと地に足をつけ立っていた。そして彼女は、僕の存在に気づくなり、風景に似合わぬ明るい笑みを浮かべるのだ。


「タカトくん! 無事で良かったよ!」


 リィーラはそう言って、僕のもとに駆け寄ってくる。先ほどまでの戦士の表情は、もうそこにはない。

 快活な声と振る舞いを見せるリィーラは、宿屋ウェスペルのリィーラであった。僕がもう一度見たいと何度も願い、その度に首を横に振り忘れようとした、あのリィーラであった。


 リィーラが無事であると分かると、空気を抜かれたバルーン人形のように、僕はその場に崩れ落ちる。よく考えれば、リィーラは魔法障壁に守られていたのだ。ガトリングや対戦車ミサイルの攻撃を受けようと、彼女が傷つくことはありえなかったのである。


「だ、大丈夫?」


「ああ、大丈夫。でも、どうしてリィーラが……」


「多分だけど、私もタカトくんと同じなんだと思う」


「同じ?」


「私ね、地球の救世主なんだ。エッセの勇者、タカトくんみたいに」


「もしかしてリィーラ、エッセでは今――」


 現実と夢の狭間で、僕はひとつの答えに辿り着いた。リィーラが僕の前に現れたのは、僕が夢を見ているからではなく、リィーラが夢を見ているからなのだと。現実と夢、という区別そのものが、間違っていたのだと。


 答えに辿り着いたところで、僕とリィーラの会話は断ち切られてしまう。拳銃を持っていた女性が僕の腕を掴み、警戒心をむき出しにして僕をリィーラから遠ざけたからだ。


「あんた、名前は?」


「か、篭坂です。篭坂隆人です」


「そう。詳しい話を聞きたいから、ちょっと来て」


 ドスの効いた女性の声は、明らかに僕を不審物として扱っている。だが、なぜ女性がそうするのかは、手に取るように分かった。女性はリィーラを守ろうとしているのだ。

 確かに、今の僕は怪しさ満点の民間人でしかない。女性の態度は正当なものであろう。一方でリィーラは、必死で僕を庇ってくれる。


「紗季さん、タカトくんは怪しい人じゃないです」


「そっちの世界ではね。こっちではどうだか、分からないでしょ」


「そっちとかこっちとか、関係ないです! タカトくんはタカトくんです!」


「こいつと出会った途端に、魔物に襲われた。これは偶然?」


「分からないです。でもそれは、タカトくんが私の知ってるタカトくんだ、ということの証拠にもなります!」


「はあ?」


 庇っているつもりなのだろうが、僕は複雑な気分だ。女性はリィーラの言っていることの意味が分からず、首をかしげている。


「ともかく、こいつはあたしが連れて行く。リィーラちゃんは望月さんと一緒に市ヶ谷に帰ってて」


「……はい。でも紗季さん、タカトくんに意地悪、しないでください」


「リィーラちゃんがそんな目するなんて、珍しいね。分かった、手加減する」


「ありがとうございます」


 リィーラと女性はどのような関係なのだろうか。女性は何者なのだろうか。今までの出来事を考えれば、ある程度は想像がつく。女性にはどことなく、ケーンと同じ雰囲気を感じたのだから。


 あとはされるがままだ。リィーラと仲が良く、魔物たちから僕を守ろうとした女性を、僕は信用する。それに、リィーラの置かれた状況を少しでも知るためには、女性の言葉に従うしかないだろう。

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