第3章 現実の僕は

第3章1話

 休日だというのに、僕は目覚まし時計に鼓膜を震わされ、強制的に目覚めさせられる。そして、休日だというのに、学校のクラスメイトたちと顔を合わせるため、着替えと朝食を済ませ家を離れた。


 電車を乗り継ぎ、東京の都心部へ。休日の東京の街は、お祭りやコンサートでもやっているのかと思うほど、郊外と比べて人が多い。


 街行く人々を避けながら、集合時間の五分前に、集合場所である駅前広場に到着。肌寒い空気から逃れるため、僕はなるべく日向に立ち、クラスメイトたちの到着を待つ。


 なぜ、仲が良いわけでもないクラスメイトたちと休日に顔を合わせることになったのか。どうして、何の繋がりもない僕が彼らに呼ばれたのか。なんてことはない。理由は、例のグループ学習だ。

 世論調査をしてみる、と決まった後、いつの間にアンケート対象が学校の生徒だけでなく、街の人々にまで拡大していたのだ。きっと仲の良いメンバー同士で勝手に決めたのだろう。


 僕が提案したものよりも遥かに面倒なことになっているではないか、という不満は心の奥底にしまっておいた。僕はただ、彼らの楽しみに付き合うだけである。


 集合時間を過ぎて約十分。ようやくクラスメイトたちがぞろぞろとやってきた。全員が揃ったのは、集合時間を約三十分も過ぎてからのこと。何だか、律儀に集合時間五分前にやってきた自分が馬鹿らしい。


「全員集まった?」


「集まった」


「じゃあこれ配るから、街の人たちにアンケート取ってきて」


「うわ、何これ。超やる気満々じゃん」


「でしょ。徹夜して作ったんだ」


「すごい!」


「ねえねえ、一緒にアンケート取りに行こう」


「オッケー」


「アンケート取り終わったら、またここに集合ね」


「はいはい」


 突っ立っているだけで勝手に話が進んでいく。僕が口を挟む暇もない。グループ学習と言っておきながら、結局は一部の人で勝手に盛り上がってるだけじゃないかと、僕は思っていた。


 別にそれで問題ない。僕はアンケート用の紙を受け取り、早速街の人々へのアンケートへ。仲の良い友達はいないので、もちろん一人でだ。


 クラスメイトが徹夜して作ったというアンケート用紙には、妙に凝ったイラストが描かれている。たぶん徹夜したのはこのイラストのためだろう、というのは穿った見方だろうか。

 肝心のアンケート内容については、特に言いたいことはない。政権を支持するかしないかというお決まりのものから、好きな食べ物は何かという、それを聞いてどうするのかが不明瞭なものまで、いろいろだった。


 ところで、いつの間にこんなアンケート内容が決定したのだろう。グループ学習とは何なのか、一度考え直した方が良いかもしれない。


 さて、アンケートのはじまりだ。どんな年齢層、どんな人たちに意見を求めれば良いのか、という指定はない――考えられていない――ため、とりあえず無作為に声をかけてみる。


「すみません、アンケートにご協力――」


「ごめんなさい、今忙しいので」


 休日に自分の時間を使いたい街の人々は、なかなかアンケートに答えてはくれない。逆の立場であったら、僕も彼らと同じ反応をするだろう。どこの誰とも分からぬ高校生のアンケートとやらに協力して、自分の貴重な休日を潰したくはないのだ。


「すみません、アンケートにご協力ください」


「どんなアンケートですか?」


「学校の授業で行っている、簡単なアンケートです」


「へ~。じゃあ、やります」


 稀に、こうしてアンケートに協力してくれる人もいた。アンケートの質問項目は二〇個程度。特に中身もない二〇もの質問を快く引き受けてくれた人は、嫌な顔ひとつせず、丁寧に質問に答えてくれる。


 そこでふと思うのだ。アンケートに答えてくれるような人たちは、その時点である程度は似た傾向の人たちばかりなのではないかと。似た傾向の人たちの答えを集めたところで、アンケートの意味があるのかと。アンケートに答えない人たちの意見は、どこに行くのだろうかと。


 難しく考える必要はないと思うが、どうしてもそれが気になってしまった。一度それを気にしてしまうと、アンケートを取る必要性すらも疑うようになってしまう。


――マイナス思考すぎるかな?


 日頃の不満に心を侵食され、頭に浮かぶのは諦観が根ざしたネガティブなものばかり。休日に行動するのが久しぶりなのもあって、僕は疲れているのだろう。アンケートは中断し、僕はどこかの店でしばらく休むことにした。


 曇りきった僕の中身とは裏腹に、今日の天気は晴れやかだ。小動物のような雲が青い空を漂い、超高層ビルのガラスカーテンウォールは太陽の光を反射、地上の近くに二つ目の太陽を作り出している。

 上着の一枚でも羽織らなければ肌寒い季節に、大空で燦々と輝く太陽は僕を温めてくれた。マイナス思考に侵されネガティブな鎖に縛り付けられた心も、わずかながら余裕を取り戻す。


 たまには外出も悪くない。やりたくもないグループ学習に付き合わされるのは苦痛だが、こうして太陽に当たれたことは、満足しても良いことのように思えた。


 天を貫かんばかりの超高層ビルに囲まれ、大小さまざま個性豊かな車たちが大通りを走り抜け、飛行機が空を駆け、電車が人々を乗せ走る街を、僕は歩き続ける。決して綺麗とは言えぬ空気を吸いながら、不安定に揺れ動く感情を抑え歩き続ける。


 他人に話しかけるような人間は、店の店員などでない限り、どこにもいない。一瞥しただけでも百人はいる人混みで、二度と会うことはないであろう人々がすれ違い、次々と入れ替わる。僕もその中の一人だ。


 多くの人が集まり、多くの人が関わり、多くの人が作り上げた街で、多くの人がすれ違い、多くの人がそれぞれの目的のために歩く。では、僕は何のために街を歩いているのか? とりあえず、一息つけそうな店を探すために歩いている。


 人が多く集まる街には、仕事の話や家族の話、恋愛の話、趣味の話など、僕には関係のない会話が其処彼処で飛び交っている。そして、耳を傾けなくたって、それらは僕の耳に入り込んでしまうのだ。


 二度と出会うことのない人たちの、僕とは関係のない会話を聞いたところで、それは何の意味も持たない。だが、もし二度と出会ってはいけないと思っていた人の声が聞こえたとしたら?


「久しぶりの休日! ねえ、どこ行く?」


「箕輪、休日だからって、あんまり気を抜きすぎないの」


「そんな堅いこと言わないでくださいよ、望月さん。それよりリィーラちゃん、どこ行こっか?」


「私は、紗季さんの行きたいところに行きたいです」


「お? 言ったな? それじゃあ――」


 僕の側をすれ違った三人の女性の会話。あり得ない。この世界でその名前を聞くことは、絶対にあり得ない。あり得ないはずなのに、その名前で呼ばれた少女の声は、優しくも快活な、あの聞き慣れた声だった。


 聞き慣れた少女の声に、僕の脳は混乱し、胸が引き締められ、足は動きを止める。ここで振り返らず再び歩き出すという選択肢もあったのだろう。だが僕は、無意識のうちに、すれ違った少女の姿を確認しようと振り返った。

 どうやらすれ違った少女も、足を止め振り返っていたらしい。そこには、結ばれた黒髪を揺らし、白い肌に碧い瞳を輝かせた、太陽のような少女が立っている。


 間違いない。間違えるはずがない。格好こそいつもとは違うが、弓袋のようなものを背負った少女の正体は、間違いなくリィーラであった。


「リィーラ……どうして……?」


「タカトくん……」


 おかしい。僕はまだ眠っている最中なのか? 実はここは、夢の世界なのか? いや、違う。メディントンに超高層ビルは建っていなかっただろう。電車も車もいなかっただろう。ここは東京であり、現実だ。ではなぜ、リィーラがここにいる?


 脳細胞のひとつひとつまでもが混乱し、その負荷に耐えられなかったのか、僕の脳は通常に機能していない。空白となった僕の思考能力を埋めたのは、激流のように暴れ狂う感情だ。


 当然、僕は嬉しかった。二度とリィーラとは会わないと決め、そのくせ彼女と二度と会えないことに苦しんだ僕は、リィーラとの再会を喜ばぬはずがなかった。だが同時に、罪悪感にも近い負の感情も吹き出してくる。


 リィーラが幸せに生きていけるように、僕はリィーラのもとを去ったのだ。二度と彼女の前に自分の姿を現してはいけないと、僕は自分の感情に蓋をし、彼女から逃げ続けたのだ。ところが、現実世界でリィーラと出会ってしまった。


 なぜリィーラが現実世界にいるのかという疑問は、今の僕には些細なこと。今の僕は、リィーラと再会してしまったことで、彼女を不幸の底に落としてしまったのではないかと、闇夜の霧のような不安に包まれている。


「久しぶり……だね」


 言葉を失っていた僕を見て、リィーラもまた複雑な表情をしていた。まるで、喜びと残念な気持ちの狭間で綱渡りをするような、そんな表情。いつもの明るさを維持しながらも、今のリィーラはどこか悲しそうだ。

 悲しげなリィーラを、僕は放っておけなかった。彼女をそうしたのは僕の責任だ。謝罪の言葉が、僕の喉にまで突き上げてくる。


 その時であった。


「上! 注意!」


 リィーラの隣にいた若い女性――と言っても僕なんかよりずっと年上の女性――が空を指さし、鋭く叫んだ。反射的に視線を空に向けると、いよいよ僕の脳は崩壊寸前。


 空にいたのは、岩のような体に赤い目を光らせる、巨大な複数の影である。その影たちは徐々にこちらに近づき、街道に着地した。着地の勢いでアスファルトはめくれ、車たちはブレーキランプを光らせると、前の車に衝突し動きを止める。


 東京の中心地に現れた影の正体は、勇者の敵であり、世界に災厄をもたらす存在――魔物たちだった。リィーラに続き、魔物たちまでもが現実世界に現れたのだ。


「箕輪! 私は民間人を安全なところに避難させる! 箕輪はリィーラちゃんを守ってあげて!」


「了解!」


 魔物たちの登場にパニックを起こし、本能的にこの場から逃れようとする人々の中で、リィーラと彼女の側にいた二人の女性だけは、慣れた様子で魔物たちに立ち向かっていった。女性のうちの一人が手に握っているのは、もしかして拳銃だろうか。


「リィーラちゃん! 魔法は任せた!」


「は、はい!」


 拳銃を持った女性の指示に従い、リィーラは背負っていた弓袋から背丈ほどもある杖を取り出す。そして、その杖の先端を魔物たちに向けるのだ。

 さながら勇者の如く、リィーラは魔物たちの前に立っている。夢の世界での僕のように、リィーラは魔物たちと戦おうとしている。

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