第2章3話

 北壁を駆け下り、城壁の下にいた馬に跨り、メディントンの街を駆ける。まだ拙い乗馬技術をなんとか駆使して、何度も落馬しそうになりながら、リィーラを救うという思いを胸に馬にしがみつき、僕は南へと向かった。


 戦場は甘くない。魔物たちはいざとなれば民間人すらも襲うのだ。そもそも、魔物たちはすでに民間人を襲っていたじゃないかと、今さらになって僕は思い出す。魔物が可哀想だ、などという僕の考えは甘かったのだ。


 スキアー部隊はどこにいるのだろうか。もう避難場所を襲撃しているのだろうか。僕は果たして間に合うのだろうか。心は焦るばかり。


 南へ向かう道すがら、駐屯地に到着。駐屯地にあった幾つかのテントは炎に焼かれ、見張り台は地面に倒され木片と化していた。兵士たちはぐったりと地面に座り込み、あるいは消火作業に追われる。これらすべてがスキアーの仕業であるのは明白だ。


「クソ……!」


 兵士たちを救いたいという気持ちは確かにあった。けれど、駐屯地にスキアーはいない。スキアーは避難場所に向かって進撃を続けているのだ。僕はスキアーを倒すため、駐屯地を後にする他ないのである。


 灰色の空から落ちてきた水滴が、馬を駆る僕の顔に当たった。水滴は徐々に増え、勝利を祝う人々が繰り出すメディントンの街は、土砂降りに打たれる。


――待ってろリィーラ。


 間に合うか間に合わないかではない。間に合わせてみせるんだ。必ずリィーラを救い、避難場所にいるメディントンの住人たちを守り通す。それが勇者としての義務。

 何より、僕はリィーラに言ったじゃないか。いつでもリィーラと一緒にいると。あの旅人に言われたじゃないか。リィーラを大切にしてくれと。今こそリィーラの側で、リィーラを守る時なんだ。


――見えてきた!


 メディントン南街区の広場。普段は出店が並び、人々が憩いの場として利用するその広場は、現在は避難場所として多くの人々が寄り集まっていた。人々は雨に濡れ、肌寒い空気に体を縮ませている。

 人々が体を縮ませるのは、決して雨のせいだけではない。彼らは魔物に囲まれていたのだ。人間のような形をしながら、人間のようにローブに身を包みながら、赤く鈍く光る三つの目と、裂けた口をローブからのぞかせる、不気味な魔物――スキアーたちに。


 スキアーの手には、人々を焦がし尽さんと燃え盛る炎魔法が、雨を蒸発させながら揺れていた。安全な場所に避難していたはずの人々は、たった今、スキアーたちの敵意に殺されようとしている。


 そうはさせない。勇者である僕は、人々を傷つけさせるわけにはいかない。


「全員、伏せて!」


 そう叫ぶと同時、人間の言葉である僕の叫びを聞いた人々は、できる限りその場で伏せてくれた。これならば、スキアーたちへの攻撃は可能だ。


 僕は馬の上で杖を振り、大量の対物ライフルを召喚した。間髪入れずにスキアーたちをマークし攻撃を開始。ずらりと並んだ銃口から一二・七ミリ弾が飛び出し、スキアーたちの頭を狙う。


 地上に落ちる雨を切り裂き、地面に伏せた人々の頭上を飛び越え、標的に直進する銃弾。だが、どれだけ弱い魔法障壁といえども、物理では魔法障壁を破ることはできない。銃弾はスキアーの魔法障壁に阻まれ、石畳の上に落ちるだけだった。

 薬莢や潰れた弾丸が落ちるたび、甲高い金属音が響く。対物ライフルが撃たれるたび、重く乾いた発砲音が広場に轟く。それでも、スキアーは無傷なのだ。


 無傷だからなんだというのか。スキアーたちは人々に向けた敵意を僕に集中させた。スキアーの動きをけん制することには成功した。今はそれで十分。


 この避難所で人々の命を守れるのは、勇者である僕だけ。対物ライフルだけでなく、機関銃をも召喚しスキアーの動きを止める。魔法師団が到着するまで、人々を守り続ける。誰一人の命も奪わせない。


 それでも、さすがは『魔王の影』との異名を持つスキアーだ。ヤツらは僕の放つ銃弾が魔法障壁で完全に防げるものであると理解した途端、殺到する銃弾から興味を失い、再び炎魔法を発動させた。

 上からは土砂降りの雨、横からは大量の銃弾を浴びながら、スキアーたちは街の人々を見下ろし、ゆっくりと動きだす。彼らの目的は、ただ人を殺すこと。他には何もない。感情すらも持ち合わせてはいない。


 僕は唇を噛みながら、馬を降り、対物ライフルや機関銃の数を増やした。大砲を使えぬ現状、最大限の努力を尽くし魔物を攻撃した。しかし、スキアーの腕は街の人たちの命を奪おうと振り上げられる。


 はじめて、無力感というものを感じた。何かを失おうとする時はこういう感覚なのかと、頭も心も諦めようとしていた。体だけが必死になって、スキアーを止めようと足掻いていた。


「タカト! 目を瞑りやがれ!」


 突如として僕の耳に飛び込んできた、聞き慣れた男――ケーンの声。僕は彼の言う通り目を瞑る。


「ホーリーフラッシュ!」


 次の瞬間、広場に強く白い光が輝いたのが、目を瞑った状態でも分かった。続けてケーンは言い放つ。


「魔法障壁は破った! やれ!」


 こればっかりは言われなくともそうするつもりだった。目を開けた僕は、白い光に包まれ紫色の光が拡散するスキアーたちを再度マーク。対物ライフルと機関銃たちは、変わらず冷徹に、スキアーたちに向かって銃弾を放つのだった。


 厄介な壁は砕け散り、無防備なスキアーたち。しかも彼らの興味は街の人々を殺すことに傾き、魔法障壁が消えたことへの対処が遅れていた。スキアーたちがやろうとしていたことは、失敗に終わったのだ。


 銃弾はスキアーの頭に、胸に、腕に、脚に突き刺さり、その肉体を貫く。悲鳴を上げさせる暇もなく、スキアーたちの生命活動を停止させる。

 一個小隊規模の精鋭部隊スキアーは、次々と銃弾に倒れていった。対物ライフルと機関銃が弾を撃ち尽くすまで銃弾に撃たれ続けたスキアーは、ボロ雑巾のような姿で地面に倒れていったのだ。


 召喚した武器が消えると、僕はホッとため息をつき、今度こそ勝負がついたと安心する。これが油断であることも知らずに。


 雨の音しか聞こえぬ静まり返った広場に、金切り声が響き渡った。何事かと思い、悲鳴の聞こえた方向を見てみると、そこには一体のスキアーが街の人々に襲いかかろうとしていた。どうやら、仲間の死体に隠れ生き延びたヤツがいたらしい。


 完全に油断していた。あのスキアーは、こちらが油断しているのを見抜いていた。生き残ったスキアーは炎を纏った手の平を広場にいる人々に向け、敵意をむき出しに。


 その時である。一人の少女が杖を握り、一体のスキアーに立ち向かった。結んだ髪を雨に濡らし、碧い瞳を凛と輝かせ、死に立ち向かう一人の少女――リィーラだ。

 リィーラが放った氷魔法は氷柱となりスキアーの腕を貫通、一時的にスキアーの動きを止める。だがそんなことをすれば、スキアーの敵意がリィーラに向けられるのは当然のことであった。


 ローブからのぞく裂けた口をニヤリと歪め、氷柱が貫通した痛みなど忘れ、炎を纏った手の平をリィーラに向けるスキアー。陰湿な敵意と死の恐怖の欠如が、リィーラの命を奪おうとしている。


 囮になろうとしているのか、リィーラは逃げようとしない。そう、彼女は僕の攻撃を待っているのだ。


「お前の相手は僕だ!」


 リィーラには指一本触れさせない。リィーラには傷ひとつ付けさせない。僕は杖を振り、対物ライフルを召喚、スキアーをマークした。

 撃鉄に雷管を叩かれ、火薬が炸裂し、音速を超えて銃口から飛び出す銃弾。数十メートルの距離を瞬時に飛び抜けた銃弾により、スキアーの肩が吹き飛ぶ。


 ところが、二発目の銃弾はスキアーに当たらない。スキアーは仲間の死体を盾に、銃弾から身を守っていたのだ。銃弾は死体をズタズタにしながら、標的には当たらず役目を終えてしまう。


 弾丸が底を尽き、対物ライフルが消えると、死体を捨て再びリィーラに襲いかかるスキアー。武器を召喚しマークをする時間は、もうなさそうだ。


 リィーラはなおも僕を信じ、囮となってスキアーの注意を引き続けていた。ならば、僕も諦めるわけにはいかない。リィーラが明るい笑顔でいられるよう、彼女を救わなければならない。


――リィーラは僕が必ず救う。


 杖を振り、僕の目の前に現れる対物ライフル。スキアーの炎魔法はリィーラに迫っていた。マークをしている時間など、ありはしなかった。そこで僕は、ほとんど反射的に対物ライフルを握り、引き金に指をかける。


「リィーラ!」


 ほんのわずかに人差し指を動かすだけ。それだけで対物ライフルの引き金は引かれ、発砲の衝撃が僕の体を駆け巡り、銃弾がスキアーに向かって放たれた。

 炎魔法がリィーラを焼こうとした寸前、歪んだ笑みを浮かべたスキアーの頭に銃弾が直撃、スキアーは力なく倒れる。魔法ではなく僕の力で撃ち出された銃弾は、リィーラを救うという僕の強い決意を、スキアーに教えたのだ。


 間一髪、リィーラは救われた。彼女は自分の命が無事であることにしばらく気づかず、その場に立ち尽くしていた。そんなリィーラのもとに、僕は駆け寄る。


「大丈夫か? 怪我はない?」


 雨に濡れた、小さな杖を片手に持つ碧い瞳の少女は、僕の言葉を聞くと、すぐに優しく微笑んだ。


「タカトくんがはじめて私に話しかけてくれた時も、そう言ってくれたね」


 言われてみればそうだったか、などと思っていると、リィーラは勢いよく僕に抱きつく。彼女は僕に抱きつき、背中に回した腕にぎゅっと力を入れた。雨に濡れた服から感じる冷たさと、リィーラの暖かい体温が、僕の緊張した心をほぐしてくれる。


「タカトくん! 私、タカトくんのこと信じてた! タカトくんなら絶対に魔物を倒してくれるって、信じてた!」


「もう少し早く救えれば良かったんだけどな」


「早いとか遅いとか、関係ないよ。タカトくんは私を救ってくれたんだから。いつもみたいに」


「当たり前だろ。僕は勇者なんだから」


「そうだね。タカトくんは世界を守る救世主だもんね。一緒にいると魔物に出会える、迷惑な救世主」


「おい、ここでそれを言うか!?」


「魔物に出会っても必ず救ってくれるもん。そのくらいの迷惑なら、楽しいよ」


 そう言って明るく笑うリィーラは、僕に抱きついたまま離れようとしない。むしろ彼女は、強く僕を抱きしめている。正直、僕は両腕をどこに置けば良いのか分からなかった。分からないからこそ、普通に、リィーラの背中に腕を回すのだった。


 死の恐怖、というのは当然あったのだろう。恐怖から解放されたリィーラが、しばらくこうしている方が落ち着くというのなら、僕は彼女を抱きしめるだけだ。


「ねえ、タカトくん」


 頬を少し赤らめ、はにかんだリィーラは、しかしすぐに僕の目をじっと見つめ、ゆっくりと口を開く。


「私、魔物と何体でも出会ったって良い。どんな迷惑を被っても良い。それでも、私はタカトくんと、ずっと一緒にいたい。良い……かな?」


 心に秘めていた自分の想いを、リィーラは包み隠さず僕に伝えてくれた。僕も彼女の想いに気づいていないわけではなかった。そして、きっとリィーラも僕の想いに気づいているはず。だからこそ彼女は、僕に想いを伝えたのだ。


 僕の答えは決まっている。決まっているにもかかわらず、リィーラに対してその答えを口にすることができない。背後から聞こえてきた魔法師団の兵士の言葉が、僕の気持ちを揺れ動かしていたのである。


「勇者様の力さえあれば、魔王を倒せるぞ!」


 勇者である僕がエッセにやってきた理由は、魔王を倒すためだ。では魔王を倒したその後は? 僕にとってエッセは、夢の中での出来事でしかない。リィーラたちは確かに存在し、彼女らにとってエッセは現実なのだろう。でも、僕にとっては夢でしかない。

 夢はいつか覚める。魔王を倒せば、僕は完全に夢から覚め、二度とこの世界には戻れないかもしれない。つまり僕は、リィーラとずっと一緒にいることはできないかもしれないのだ。


 リィーラの言葉に頷けば、いつかリィーラを裏切る日が来るかもしれない。その時、リィーラはどれだけ悲しむことか。


 僕はどうするべきなのだろう。いつかリィーラを裏切ると知りながら、リィーラの言葉に頷くべきなのか。それとも、この場でリィーラを突き放し、彼女の記憶から消え去るべきなのか。


 魔王を倒さない、という選択肢もあるだろう。けれどもそれは、エッセの滅亡を意味する。エッセを滅亡させれば、リィーラの命を奪ったも同然だ。この選択肢は選べない。


――あなたが、リィーラちゃんを大切にしてあげて。


 蘇る旅人の言葉。リィーラの瞳は僕の答えを待ち続けている。良い加減に決断しないといけない。リィーラを大切にするための決断を。


「……リィーラ、悪い」


「タカト……くん?」


「僕は勇者だ。勇者の責務からは逃れられない」


 背中に回していた腕を解き、僕ははっきりとそう口にした。この判断が正しいのか、それとも間違っていたのかは分からない。ただ僕は、リィーラがこのエッセで幸せに暮らして欲しいと願い、彼女の前から去る決断を下したのだ。


 僕の答えを聞いて、リィーラは肩を落とし、僕の体から離れた。でも、どうしてだろう。彼女の表情は何かに納得したように落ち着き払い、彼女の瞳は、僕を遠い世界の存在として見ているような気がした。


「タカトくんは、勇者だもんね。うん、さっきのは忘れて」


 首を傾け、雨の中に浮かぶ太陽のようなリィーラの笑顔が、僕にはたまらなく悲しく見えてしまった。忘れて、と言われても、そんな顔をされてしまっては、忘れることなんてできない。


 メディントンの街では、魔物との戦いに勝利した喜びを爆発させ、あちこちで歓声が沸き起こっている。だが、僕には土砂降りの雨の音しか聞こえなかった。早くリィーラの前から消え去らなければと、それしか頭になかった。


 僕は逃げるように広場を後にし、馬に跨り駐屯地へと向かう。リィーラは本当に優しい人で、僕は酷い人で。


 駐屯地へ帰る途中、僕はポケットの中に首飾りがあるのを思い出した。ニネミアが、美しく、そして虚しく輝く首飾り。結局僕は、この首飾りも、本当の気持ちも、リィーラに渡すことができなかったのである。

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