第2章2話

 十日間、魔法師団は魔物に敗北を続けていただけなのか。そんなことはない。彼らは反撃のチャンスを窺い、その時が来ればいつでも動けるよう準備を整えていた。そして、その時は来た。


 街に布陣していた魔導師たちは北壁に並び、メディントン近郊に布陣していた魔導師たちも続々と北壁に集まってきている。誰もが杖を構え、魔物を恐れることなく、魔物の黒い海を前に、メディントンを、エッセを守ろうと立ち塞がる。


 僕が北壁を上った頃には、約一万の兵士たちが、メディントンを囲む城壁よりも硬く頑丈にメディントンを取り囲んでいた。魔法師団という盾は、そう容易く打ち壊せるものではない。


 北壁正門の上から、メディントンまで一キロ程度の距離まで迫る魔物の大部隊を眺めた僕。ケーンとヘリヤも僕の側にやってきて、大胆不敵に笑っていた。


「ヘッヘッヘ、壮観じゃねえか。こりゃ負ける気がしないぜ」


「我ら魔法師団が、あの程度の魔物に負けはしないさ」


「とは言っても、一万対一〇万ですよ?」


「まったく問題ない。一人で一〇体の魔物の相手をすれば良いだけだ」


「それに、俺たちにはタカトがいる。お前がどんな武器兵器で一〇万の魔物を退治してくれるのか、こっちは楽しみにしてんだぞ」


 数の上では圧倒的に不利な戦いを前にして、まるで遊園地へと遊びにいく子供のように笑うケーンとヘリヤ。もはや二人は、アドレナリンを全開にし戦闘モードに入り込んでいるらしい。

 戦闘モードなのは魔法師団の兵士たちも同じ。十日間の借りを返してやるとばかりに、彼らは攻撃開始の指示を待っていた。


「勇者殿、指示を」


 分厚い雲に隠され太陽の当たらぬ悪天候の中で、何よりも冷たい口調のヘリヤが、僕に催促する。魔法師団は十日もの間、この時を待っていたのだ。僕が、次の言葉を口にするこの時を。


「僕が魔物を殲滅します! 魔法師団の皆さんは、魔法障壁の破壊を!」


「了解した! 魔法師団全部隊に伝達! 攻撃を開始せよ! 光魔法準備!」


「命令を確認した! 全部隊、光魔法準備!」


「光魔法準備!」


「ヘッヘ、来たぜ来たぜ」


 僕の指示とヘリヤの命令により、北壁正門から昇った赤い狼煙。一万人の魔法師団魔導師たちは、杖の先端にある水晶を強く輝かせ、魔物の大部隊を狙った。

 メディントンの北壁を飾りつける魔導師たちの杖の輝きは、恐怖を打ち払う希望そのものである。勇者であり救世主である僕だけが、この世界を救うわけではないのだ。エッセに暮らす人々は、己が力で、エッセを守ろうとしているのだ。


「放てぇぇぇぇ!!!」


 腹の底から、心の奥底から湧き出す闘志を、ヘリヤはその指示に詰め込み、言い放った。直後、ヘリヤに近い部隊から順々に、魔法師団は光魔法を打ち放つ。


 白く輝いた光は、何千もの白糸となって空を駆けた。流星群のように曇天を駆け巡った光魔法は、魔物の黒い海を照らし出す。雨模様の今日、魔物たちに降り注ぐのは雨ではなく、人々の強い意志を乗せた光魔法であった。


 一〇万もの魔物が密集した大部隊。彼らはその場から逃げることも叶わず、これといった反撃すらも行わず、黙って光魔法が降り注ぐのを見つめている。


 魔物の大部隊を覆い尽くす魔法障壁に、ついに光魔法が衝突した。白の光が突き刺さり、紫の光が飛び散り、ひび割れる魔物の魔法障壁。さすがに大部隊の魔法障壁ともなると、一度の攻撃で破壊することはできない。


「容赦するな! 第二射、用意! 放て!」


 ヘリヤの指示が止むことはない。光魔法が放たれるたび、ヘリヤの命令が魔導師たちの鼓膜を震わし、魔導師たちは杖を振る。光魔法は断続的に放たれ、辺りは白い光に包まれた。


 数度目の光魔法攻撃が、ついに魔法障壁に致命傷を与える。魔法障壁を光魔法が突き抜け、ひび割れていた紫色の光が一箇所だけ砕けたのだ。一箇所が砕けると、水面に波紋が広がるかの如く、魔法障壁は崩れ去っていく。

 魔法障壁を失った魔物たちに、光魔法が勢いよく降りつけた。ただし、魔法師団の魔法が有効な相手は、あくまで魔法障壁のみ。


 もし魔物にも感情があるとすれば、今の彼らが抱く感情は優越感だろうか。魔法障壁が破壊されたところで、魔物が足を止めることはない。なぜなら、魔物にとって人間は、決して魔物の体を傷つけることのできない弱い生物なのだから。

 余裕綽々、勝利への道を歩んでいると言わんばかりの魔物たち。それがただの勘違いでしかないことを、僕が教えてやる。


 たった一人。一〇万の魔物たちに物理的ダメージを与えられるのは、一〇万の魔物たちを完全に退治することができるのは、『創造魔法』を持つ勇者ただ一人。つまり、僕一人だ。

 今こそ勇者としての務めを果たすべき時。魔物たちが侵攻を開始した九日前にやるべきだったことを、やり遂げる時。


 僕は杖を振り上げ、目を瞑った。あの魔物たちを残らず撃退するために必要な、強力な兵器を思い浮かべるために。この戦いに勝利し、メディントンを守りきるために。避難場所にいるであろう、リィーラを救うために。


 最強の兵器、というと核兵器だが、それではメディントンにまで重大なダメージを与えてしまう。それだけは避けなければならない。核兵器はなしだ。では何を召喚するべきなのか。

 一〇万の魔物たちを撃退する兵器を、僕は目を瞑ったまま想像する。テレビや雑誌、ドラマ、映画、博物館、基地祭で見た兵器たちを思い浮かべ、そして創造する。あとは杖を振るだけだ。


 杖を大きく振り、目を開けると、メディントンの北壁前に何百輌という戦車が並んでいた。それだけではない。80センチという途方もない口径のカノン砲を搭載した列車砲四両も、魔物たちを待ち受ける。


 加えて、本来は大海原を戦場とするはずの巨大な鉄の塊――戦艦が、真っ赤な船底で草原を踏み潰し、三つの三連装砲を魔物たちに向けているのだ。ひとまず、想像した通りの兵器たちが無事に出現したようである。


「マーク!」


 魔物は一〇万。どこをマークしたところで、こちらの攻撃は確実に当たる。僕が杖を突き出した先は、ほとんど無作為にも等しかった。


 メディントン北部に広がる草原に、火山が噴火したかのような爆音が鳴り響き、衝撃波が僕たちの体に重く叩きつけられる。これは発砲の衝撃だ。着弾の衝撃は、これとは比べものにならぬほど激烈なものになるだろう。

 発砲音が未だ空気を震わせる中、黒い海を複数の小さな太陽――爆炎が覆った。爆炎は一瞬にして凄まじい量の土煙を巻き上げ、曇天が地上にも出来上がる。


 数秒後、惑星が割れてしまったのかと思うほどの破裂音が僕たちの鼓膜を激しく震わせ、着弾の衝撃波が僕たちを転ばせようと駆け抜けた。一キロも離れたメディントンの北壁でこの威力だ。爆炎に包まれた魔物たちはひとたまりもないだろう。


 行ける。これならば一〇万の魔物たちを撃退できる。そう確信した僕は、なおも砲弾を撃ち続ける戦車と戦艦の周りに、一発の発射で消えてしまった列車砲を再度出現させた。

 続けてマーク。なるべく攻撃が一箇所に集中しないよう、マークする箇所は複数に散らせる。


 装填に異様なまでの時間がかかるとされる列車砲は、何度も召喚することで連射にも近い攻撃が行えた。戦車が砲弾を撃ち尽くせば、再び戦車を出現させれば良い。戦艦が砲弾を撃ち尽くせば、再び戦艦を出現させれば良い。難しいことは何もない。


 耳がおかしくなってしまうのではないかというほど、何千発もの砲弾が魔物に向けて発射されたのだ。メディントン北部一キロ地点は盛大に耕され、もはや元の地形は残っていないことだろう。それは魔物も同じこと。


「すげえ……すげえぞタカト! やっちまえ! どんどんやっちまえ!」


「勇者殿、勝てるぞ!」


 唖然としていたケーンとヘリヤは、ようやく目の前で起きたことを理解し、興奮に身を任せている。魔法師団の兵士たちも勝利を確信し、歓声を上げていた。魔法師団と魔物の立場は、完全に逆転したのだ。


 それでも僕は安心できない。土煙に覆われた魔物の大部隊は、まだどれだけ残っているのかの確認ができないのである。念には念を入れた方が良さそうだ。


 次なる兵器を想像し、杖を振り創造、そして敵をマーク。新たに召喚された兵器が、真っ直ぐと魔物たちに向かっていく。


 轟音を鳴らし敵地に向かうその兵器は、地上には見当たらなかった。その兵器は、おぞましい数の爆弾を積み込んだ、優雅に空を飛ぶ二〇機の爆撃機なのだから、地上にいるはずない。

 スラリとした近代的な形をする二〇機の爆撃機は、魔法師団からすれば頼もしい渡り鳥として、魔物たちからすれば正体不明の悪魔として、僕たちの頭上を通り過ぎて行く。ケーンとヘリヤは空を見上げ、ジェット音をかき鳴らす爆撃機に釘付け状態。


 爆撃機たちはおもむろに地上へのお届け物を開始した。ばら撒かれた砂のように落ちていく黒い物体は、そのすべてが爆弾である。今日の天気は光魔法、砲弾、爆弾が降り注ぐ凶悪なものだ。

 風を切り、地上に落ちた何百もの爆弾は、ひとつひとつが炸裂し魔物たちを激しい炎の中に包み込んでいく。一枚の真っ赤な絨毯を魔物たちに被せるような、文字通りの絨毯爆撃が、一〇万の魔物たちを吹き飛ばす。


 雨あられの如く襲いかかる砲弾と爆弾を相手に、魔物たちは無力。人間たちを絶望に叩き落とした魔物たちは、それ以上の絶望を今、味わっているのだろう。


 これ以上の攻撃は魔物が可哀想だ、という思いが僕の心に芽生えた。いくら魔物とはいえ、彼らにも意識はあるかもしれないし、感情だってあるかもしれない。彼らにも彼らの生き方があるのかもしれない、とすら思う。


 僕は勇者だ。魔物を倒し人々を救う義務がある。甘い考えは人々を危機に晒す可能性すらある。それでも、あまりに一方的すぎる攻撃に、あまりに強すぎる僕の力に、気づけば僕自身が恐怖心を抱いていた。


 本当は容赦をしてはいけない場面なのだろう。だけれど僕は、杖を振るのを止めていた。爆撃機が去り、列車砲が消え、戦艦が消え、戦車が消え、草原から僕の世界の兵器は消え失せた。僕は魔物たちへの攻撃を止めたのだ。


「見ろ! 魔物の大部隊が撤退を開始している! 勇者殿、私たちの勝利だ!」


「おうおう、やりやがったぞ。一人で一〇万を退けやがったぞ」


「勝利だ! 我らの勝利だ!」


「魔物たちめ、思い知ったか!」


「勝ち鬨を上げよ!」


 攻撃を止めたところで問題はなかった。魔物たちはとっくに戦意を失い、敗走をはじめていたのである。鉄の雨に打たれた魔物たちは、クレーターだらけの草原から蜘蛛の子を散らすように逃げ出していたのである。


 一〇万の魔物を退け勇者としての義務を果たした僕は、喜びと安心感に浸った。しかし、どこまでが曇天で、どこまでが攻撃により発生した土煙なのか、それすらも分からぬ戦場を眺め、口からは正直な感想が滑り出した。


「やりすぎたかな……」


 ボソッと呟いたその言葉を、ケーンは聞き逃さない。彼は相も変わらずヘッヘッヘと笑って、無責任に言い放つ。


「なあタカト、こういうのはやりすぎぐらいがちょうど良いんだぜ。甘い顔すれば、奴らは次こそ勝てるんじゃないかと、諦めず立ち向かってくる。だが、圧倒的な力を見せつけられれば、次はないと悟る。そうやって相手の戦意を削った奴が勝利を得るんだ」


 彼はつまり、まずは勝利を誇れと言っている。そう、僕は勝利したのだ。僕たちはメディントンを守ったのだ。

 今回もケーン先生の言う通りである。自分たちで作り上げた勝利を祝ったところで、バチは当たらない。身体中から湧き上がる喜びに素直になっても許される。勝利とはそういうものだ。


 魔導師たちは勝ち鬨を上げ、勝利を祝っていた。先ほどまで砲撃音が鳴り響いていたメディントンは、勝利を祝う人々の歓声に包まれているのだ。これなら十日間の寝坊がチャラになるかもしれない、などと僕は思っていた。

 敗走する魔物たちを見送り、勝利を祝う僕たち。勝ち鬨を聞きつけた街の人々も喜びを爆発させ、劇的な勝利を祝いはじめた。メディントンの至る所で、歓声が沸き起こっているのだ。ゆえに、僕たちは気づけなかった。


「緊急事態です!」


 歓喜の渦の中、真っ青な顔をしてヘリヤの背後に立った一人の兵士。息を切らした彼女は、震えた声で報告をした。


「魔物に占領されたグリューン要塞、その転移魔法陣から魔物が出現! 駐屯地が襲撃を受けました!」


「なんだと!?」


 勝利への喜びなど、電気のスイッチをオフにしたかのように、一瞬で消え去ってしまった。僕たちはまだ、勝利などしていなかったのだ。


「魔物の襲撃隊は一個小隊規模の小さなものではありますが、おそらくスキアーで構成された部隊だと思われます!」


「スキアー……魔王の影どもか……」


「マジかよ。面倒なヤツらがやってきたもんだぜ」


「スキアーって、何者?」


「通称『魔王の影』と呼ばれるヤツらで、魔物の一種族であり、精鋭部隊だ。魔法障壁も弱けりゃ剣で貫ける程度に体も柔らけえが、それでも簡単には倒せねえ化け物だな」


「そんなヤツらがメディントンに!? 早く倒さないと!」


「ヤツらは今どこにいる?」


「駐屯地襲撃後、南街区の避難所に向かったものと思われます!」


 体が凍りついた。僕の頭に真っ先に浮かんだのは、リィーラの顔である。リィーラがどの避難所にいるかは分からないが、彼女に危機が迫っていると、僕の直感が告げたのだ。その直感に従い、僕の体は勝手に動き出す。

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