第1章10話
森の出入り口を抜け、辺りを見渡す。すると、草原と森の境目で一人の少女が地面に尻もちをつき、大粒の涙を流しながら、先ほどと同じ悲鳴をあげていた。少し離れた場所には、血相を変えて走る男の姿も。
何があったのかは知らない。少なくとも、森と草原の境目で泣き叫ぶ少女と、こちらに向かって走る男が、食材探しの前に森の出入り口で出会った親子であるのは確かだ。そして、赤い目を光らせた一匹の魔物が、森の中から少女を狙っているのも確かだ。
草木を揺らし、森の中でうごめく巨大なイノシシのような魔物に命を狙われた少女。そんなものを目前にして、僕たちがやるべきことはひとつしかない。
「助けるぞ!」
「もちろんだよ!」
他に選択肢はなかった。だからと言って、少女をどう助けるのかといった考えもなかった。森の中にいた魔物が少女に飛びつこうとした時、僕は何をすれば良いのか分からず、本能に従い行動する。
何十回と魔物と戦えば、どうすれば彼らが動きを止めるかくらい、僕の本能は理解していた。僕はカゴを地面に置き、少女に向かって走りながら杖を振り、少女と魔物の間に戦車を出現させたのだ。
坂を転げ落ちる大岩の如く少女に突撃していた魔物は、突如現れた戦車に衝突し動きを止める。何が起きたのか分からぬ様子の魔物は、その場でしばらく呆けていた。
この隙に少女を抱き上げたリィーラ。リィーラも小さな杖を手にし、不測の事態に備えている。
さて、問題はここからだ。僕の使える魔法は『創造魔法』のみであり、創造魔法で召喚した武器兵器ができるのは物理攻撃のみ。魔物の魔法障壁を破壊することはできない。リィーラの魔法も、魔物の魔法障壁を破壊する力はない。
ではどうやって魔物を倒すか、ということを考えている暇はないようだ。正気を取り戻した魔物は、戦車を避けて僕たちをロックオン。死が刻一刻と近づいてくる。
「これの陰に隠れて!」
僕はもう一台の戦車を用意し、その陰にリィーラと少女を隠れさせた。そして、さらに数輌の戦車や装甲車を用意、魔物をマーク。
けたたましい発砲音と共に、大量の砲弾が魔物を襲う。魔法障壁に守られた魔物を倒すことは無理でも、その動きを抑制し、逃げるチャンスぐらいは作れるだろう。それが僕の狙いだ。
とはいえ、魔物はじりじりと距離を詰めてくる。まるで、ゆっくりと僕らを殺すように、魔物は歩を進める。そこに隙のようなものは見えなかった。
「クソ……どうすれば……」
思わず弱音が口から飛び出すほど、僕は追い詰められていた。よく考えれば、ケーンたち魔法師団がいない状況での戦いは、これがはじめてなのだ。余裕はなく、緊張感がまるで違う。
そんな時である。戦車の陰に隠れていたリィーラが、魔物の足元を指差し、凛とした声を響かせた。
「見て! あそこにニネミアがあるよ!」
ニネミア、といえば魔法石の一種だが、それがどうしたのか。リィーラの言葉の意味を理解できないでいると、リィーラは構わず言葉を続ける。
「タカトくん! 援護お願い!」
言葉よりも行動が早いのがリィーラだ。頭の上にクエスチョンマークを飾った僕を横目に、リィーラは戦車の陰から飛び出し、魔物に向かって走り出した。
砲撃によって巻き上げられた土煙の中に飛び込むリィーラ。彼女の姿はすぐに見えなくなってしまう。突然のことにどうすることもできなかった僕は、とっさに砲撃を緩めながら、唖然とするだけ。
直後だ。土煙の中から白くまばゆい光が放射状に飛び散った。光の爆発、といったところか。光は魔物の魔法障壁に突き刺さり、魔法障壁はもろくも砕け散る。
「今だよ!」
僕の鼓膜を震わすリィーラの言葉。その言葉に従い、僕は魔物の弱点である右脇の下をマーク、戦車砲を容赦なく食らわせた。
弱点に砲撃を受けた魔物は、少女の悲鳴以上の断末魔の叫びをあげ、地面に倒れこんだ。それでも魔物にはまだ息がある。魔物を確実に仕留めるため、僕は砲撃を継続。数輌の戦車は三〇発ほどの砲弾を撃ち尽くし、静かに消えていく。
魔物の叫びと発砲音は溶けてなくなり、再び少女の泣きわめく声が辺りに響き渡った。ようやく少女のもとにやってきた男は、少女を強く抱きしめ、喜びと怒りに溢れた言葉を少女にぶつける。
「一人で家を抜け出して森に行くなんて、何を考えてるんだ! 言っただろ! 森は危険なんだ!」
「パパ~! 怖かったよ~!」
「次からはきちんと、パパの言うことを聞くんだぞ!」
「うん! パパ、ごめんなさい!」
「まったく……無事で良かった……」
緊張から解放され、その場に座り込む男。僕も少女が無事で良かったと安心しながら、同時にリィーラの身を案じた。彼女は、無事なのだろうか。
僕の心配とは裏腹に、リィーラはひょっこりと僕の隣にやってくる。服を叩き土埃を舞わせながら、乱れた髪を結び直すリィーラは、まるで歴戦の勇士みたいな雰囲気すら纏っていた。
そんなリィーラは、にっこりと笑い、片手に持った魔法石を僕に見せつけ、誇らしそうに口を開く。
「見て見て、ニネミアだよ。ニネミアはね、光魔法が凝縮された貴重な魔法石なんだ。ニネミアの中にある魔法は、弱い魔力でもすぐに拡散させることができて、魔物の魔法障壁だって壊せちゃうんだよ」
少し興奮気味で語るリィーラに、僕は戸惑ってしまう。だからだろうか。つい本音が口から飛び出してしまった。
「なんでも良いけど、さっきのは無謀だ。あんなことしたら、死ぬかもしれないんだぞ」
「……でも、おかげで魔物は倒せたし、あの子も助けられたよ」
「運が良かっただけだ。リィーラが死んだら、元も子もないだろ」
つい強い口調でそう言ってしまう。対してリィーラは、少しだけ間を置いてから、申し訳なさそうに答える。
「そうだね。タカトくんの言う通り、無謀だったね。ごめん」
素直に謝るリィーラは、どうしてだろうか、まるで遠い世界を眺めるような視線を僕に向けていた。はじめて、リィーラに勇者として見られた気がした。それが、僕は少し怖かった。
「あ、謝る必要はない。リィーラは無事だったんだし、あの子も助かったんだ。本当は、僕がリィーラに感謝しないといけないぐらいだ」
「タカトくん、そんなに必死にならなくても、私は怒ってないよ。それに、実は私――」
「どうした?」
「ううん、なんでもない。ほら、もう日も沈むし、帰ろう」
可笑しそうに笑って、僕の腕を掴むリィーラ。いつも通りの表情を浮かべたリィーラの瞳に、僕は安心する。
何度も頭を下げ感謝の言葉を述べる親子に別れの挨拶を告げ、野菜の詰まったカゴを回収し、メディントンの街に戻る僕たち。魔物退治という大仕事を済ませておきながら、なんとも日常的な会話と共に、僕とリィーラは帰り道を歩いた。
しばらく歩き、メディントンの側を流れる川、そこに架かる橋の上で、僕たちはつい足を止めてしまう。
「綺麗……」
オレンジ色に彩られた西の空。果ての山に沈む真っ赤な太陽。暗い青に覆われていく東の空。どんな写真であろうと、どんな絵画であろうと表現することのできない、あまりに美しい夕空の景色に、僕もリィーラも、心を奪われてしまったのだ。
ふとニネミアを手に取ったリィーラ。白く透明な、水晶にも似たその魔法石を、彼女は空に掲げる。ニネミアは、まるで夕日を吸い込むかのように淡く光り輝いていた。
「ねえタカトくん」
「なんだ?」
「今日はありがとう」
「そりゃ、どういたしまして。ただ、リィーラの仕事を手伝うのは――」
「ううん、私が感謝してるのは、お仕事を手伝ってくれたことじゃないよ」
「仕事じゃない? じゃあ、何に対する感謝だ?」
「タカトくんが、私と一緒にいてくれたことへの感謝」
「ど、どういうことだ?」
「だってタカトくんと一緒だと、退屈しないんだよ。話し相手にもなってくれるし、魔物とも会えるし」
「魔物と会うのは迷惑なんじゃ……」
「迷惑だけど、勇者様が追い払ってくれるから大丈夫。それに――」
しばしの間を置き、睫毛を震わせ、リィーラは呟くようにその小さな口を開く。
「それに、タカトくんは私の知らない世界を見せてくれるから、一緒にいて楽しいんだ」
ニネミアを握りしめ、今にも沈もうとしている太陽を眺めながら、遥か遠くを見つめながら、リィーラはそう言った。直後、彼女は突如として僕の手を取り、ニネミアを僕に握らせる。
「このニネミア、あげるよ」
「え?」
「お手伝いのお礼。好きに使って良いよ」
美しく空を彩った夕空にも負けず劣らず、リィーラはにっこりと明るく笑う。僕の手に収まったニネミアは、今のこの瞬間を、思い出として記憶してくれているような、そんな感じがした。
良い加減、リィーラにお返しをしなければ。そう思った僕は、ふと思い出す。ウェスペルで出会った、アクセサリーを扱う行商人の老人の顔を思い出したのだ。リィーラへのお返しは、このニネミアを使ったアクセサリーで決まりである。
「ありがとう、リィーラ。お言葉に甘えて、このニネミアは好きに使わせてもらう」
「良かった。これでそのニネミアも喜ぶね」
「それから、もうひとつ」
「うん?」
「僕はいつでも、リィーラと一緒にいるよ。リィーラが楽しんでくれる限り」
なんだか自分で言っていて恥ずかしくなるようなセリフが口から飛び出してしまった。そんな僕のセリフに対し、リィーラは一瞬だけ目を丸めながら、すぐに悪戯な笑みを浮かべる。
「ということは、まだまだたくさんの魔物に会えるってことだね」
「おい、僕は魔物を呼び寄せるアイテムか何かか!?」
「それ、すっごく迷惑なアイテムだね!」
思わず吹き出し腹を抱えるリィーラ。僕もつられて笑ってしまう。いつの間にか僕たちは、いつも通りの中身のない会話を繰り広げているのだった。
僕たちは、太陽が西の果てに沈むまで、橋の上で夕空を眺めながら話し続けた。長く伸びた黒い影が暗闇に溶けるまで、僕とリィーラは二人きり、夕空を眺め一緒にいた。なぜかその時の僕は、不思議とこんな時間が永遠に続くと、そう思っていた。
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