第1章9話

 太陽の居場所は低くなり、衣替えをしなければ肌寒くなるような季節。目を覚ました僕は、エッセでのいつもの格好に着替え、軽めの上着を羽織り、魔法の杖を手に取る。


 部屋を出ると、階段を降り、良い匂いを辿って食堂へ。朝の淡い陽射しに照らされた食堂では、数人の客に朝食を用意するリィーラが、僕を見つけるなり朝の挨拶。


「タカトくん、おはよう」


「おはよう」


「今日もいつもと同じ席?」


「もちろん。朝食は、いつもと同じメニューか?」


「うん」


 いつもと同じ朝の挨拶を交わし、僕はいつもの席へ。リィーラはいつもと同じ朝食を用意し、僕はいつもと同じような順番で卵料理、肉料理、スープを口にし、いつもと同じく紅茶で朝食を締めた。


 いつもと同じなのはここまで。いつもは、席を立ち駐屯地に向かう僕にリィーラが「いってらっしゃい」と言う場面であるが、僕は席を立つことなく食堂に留まった。理由は簡単。リィーラに待っていろと言われたからである。


 影の位置が少し動いた頃。ようやく朝の仕事を終えたリィーラは、エプロンを上着に着替え、寝癖の残った髪を結び直し、カゴを片手に僕の前にやってきた。


「終わったよ。待たせてごめんね」


「大丈夫。どうせやることないから。で、僕は何を手伝えば?」


 魔物退治の功績により、王国から休暇を許された僕は、リィーラの仕事を手伝うと彼女に約束していたのだ。しかも、連日エッセで目覚めるという幸運にも恵まれた。今の僕は、リィーラのためならどんな仕事でも引き受けるつもりである。


「今日はね、森に食材探しをしに行こうと思うんだ」


「じゃあ僕は、食材探しの護衛をすれば良いってことで」


「その通り」


「分かった。準備は?」


「もうできてるよ。ほら、行こう」


 言葉を口にした時、リィーラはすでに脚を動かし、僕の腕を掴みながらウェスペルの出入り口をくぐっていた。きっと緊急時の魔法師団よりも行動が早いリィーラに、僕はただ引っ張られるだけ。


 リィーラと二人きりでメディントンの街を歩くのは久しぶりだ。こうして二人きりで歩いていると、不思議なことに、見慣れたメディントンの街が違う表情をしているように感じられた。僕が守ろうとしていた街に、今は守られているような、そんな感じ。

 カメラなど存在しないこの世界で、勇者の顔を知る者は少ない。街を歩く僕が勇者であると気づく人は、どこにもいない。唯一、僕が勇者であるのを知っているのがリィーラだ。そんなリィーラは、


「タカトくんって、嫌いな食べ物はあるの?」


「嫌いな食べ物……すっぱい食べ物は苦手だな」


「え? でもタカトくん、すっぱい果物はたくさん食べてたよね?」


「確かに。じゃあ、ピクルスみたいなのが苦手って言った方が良いかもしれない。ハンバーガーとかでも、必ず残すし」


「ピクルス? ハンバーガー? それって――」


「ええっと、酢漬けがダメってこと」


「ふ~ん。タカトくんは酢漬けの料理が苦手、っと」


 勇者の話は一切せず、僕自身に話しかけてくるリィーラ。彼女は僕を勇者ではなく、タカトとして扱ってくれている。最初は戸惑ったそれも、今の僕にとっては心地が良い。


 空を漂う雲のような会話をしているうち、僕たちはメディントンを囲む城壁を通り過ぎ、メディントンのすぐ側を流れる川に架かった橋を渡り、森の入り口にやってきた。

 森の入り口には、二人の女の子を連れた商人風の格好の男が立ち尽くしていた。女の子二人は男を「パパ」と呼んでいるため、あの三人が親子であるのは一目瞭然。どうやら、森に用があるのは僕たちだけではないらしい。


「こんにちは。どうかしたんですか?」


 三人の親子に話しかけるリィーラ。こんな場所で話しかけられたことに少しだけ驚いた様子の男は、しかしすぐに微笑を浮かべ答えた。


「いえ、大したことでは。森に住む動物を見たいと娘たちがうるさいので、娘たちを森まで連れてきたものの、魔物がいないか心配になってしまって」


「ふむふむ。確かに、この森で魔物を見た、っていう話はよく聞きますね」


「そうでしょう。まだ娘たちは小さいし、私では魔物に勝てるわけがない。勇者様でもいなければ、娘たちを森に連れ込むことはできない。だからと言って、娘たちをがっかりさせるわけにも……」


 森の入り口で無邪気にはしゃぐ娘たちを眺め、男は頭を抱えてしまった。一方でリィーラは、白い歯をのぞかせ小さな声で僕に言う。


「勇者様がいれば、娘たちを森に連れて行ける、だって」


 すぐ隣にいる勇者――僕を小突きながら、リィーラは可笑しそうにしている。僕はリィーラに小突かれ、思わず頬を緩めてしまったものの、だからと言って軽いことは口にできない。


「リィーラを守るだけでも一苦労なのに、さすがに僕一人で四人の護衛は無理がある。あの子たちには悪いけど、森に入るのは諦めてもらうしかないだろうな」


「へ~、そっか」


「なんだ? その反応は?」


「ううん、別に」


 心の中で何かに納得したかのような、そんな様子を纏いながら、リィーラは首を横に振り、そして男の方に顔を向けた。


「娘さんのことを考えると、森に入るのは止めた方が良いと思います」


「……やはり君もそう思うか。うむ、そうだな。娘たちには悪いが、森での動物観察は諦めてもらおう。森の外側にいる動物で満足してもらうか」


 おそらく男は、リィーラの言葉によって決心がついたのだろう。彼はリィーラの言葉に大きく頷いていた。

 僕たちは男に別れを告げ、女の子二人の不満げな叫びを背後に、森の中に足を踏み入れる。ここからは、鬱蒼とした草木をかき分けながらの食材探しだ。


 青い空は、緑に溢れた木々の隙間からわずかにのぞくだけ。太陽の光も完璧には届かず、森は暗い。加えて森の中は、草原とは違って、まるで冷房でも使っているのかというほどに肌寒く、上着を着てきて正解だったとつくづく思う。

 一応は道らしきものに沿って歩いているが、ほとんど獣道。食材を探すのも大事だが、帰り道を忘れないようにするのも大事だろう。魔物に注意する以前に、遭難に注意する必要がありそうだ。


「これと……これと……これもかな」


「おーい、リィーラ。これはどうなんだ?」


「どれどれ……おお! これも美味しそうだね! 収穫っと」


 食材探しは驚くほど順調であった。どうにもこの森、天然の畑のように野菜がそこら中で育っている。食材を探すというより、有り余る食材の中から美味しそうな野菜を選ぶ、といった作業が今回の食材探しの中心だ。

 ちょっと歩けば野菜が見つかるというこの状況。こうなると、当然の疑問が僕の頭に浮かぶ。


「どうしてこの森、野菜がこんなに育ってんだ? 誰かが育ててるのか?」


「この辺りはね、魔法石がたくさん埋まってる土地なんだ。だから魔力が強くて、植物が育ちやすいんだよ」


「にしても、なんで野菜が?」


「お父さんが教えてくれたんだけどね、昔ここで、野菜の種をたくさん積んだ馬車が事故を起こしたんだって。その時に野菜の種が撒かれちゃって、こんな風になったみたい」


「なるほど。事故を起こした人に感謝だな」


 冗談のような話だが、おかげで僕たちは美味しい野菜をタダで手に入れることができるのだ。僕は肥沃な森と過去の偶然に感謝しながら、食材探しを続ける。


 一体どれだけの時間、その森で野菜を吟味したことだろうか。気づけばリィーラの持つカゴは野菜でいっぱい。僕たちの手は土で真っ黒。ここまでやれば、食材探しはもう十分だろう。


「豊作だね」


「豊作だな。リィーラ、重くないか?」


「このくらいなら重くないよ。ただ、タカトくんが持ってくれるなら、持ってほしいかな」


「つまり重いんだな」


「重くはないもん。疲れやすくなるだけ」


「はいはい、分かった分かった」


 なんやかんやとリィーラは僕にカゴを差し出し、僕は野菜が詰まったカゴを持つ。さすがにカゴいっぱいの野菜は重い。リィーラがカゴを差し出してきたのも納得だ。


「さて、早く帰ろうよ。帰り道は――」


「こっち」


 帰り道とは逆の方向に歩き出そうとしたリィーラを止め、僕は彼女を正しいルートに案内する。リィーラは苦笑いを浮かべながら、ほっとため息をつくのであった。

 念のため目印をつけておいた木を目指して歩くと、獣道に到着。一度獣道に到着してしまえば、あとは森の出入り口まで道順に従えば良い。木々の隙間からのぞく太陽は、すでに西へと傾いている。


「今日は大収穫だよ。これで数日は、お母さんも献立に悩まずに済みそう」


「リィーラのお母さんの美味しい料理が、今からでも楽しみだな」


「うん。それと……今週は私も料理をしようかなって思ってるんだ」


「お、リィーラの作った料理か。期待しちゃうぞ」


「うう……なんだか緊張して――」


 帰り道での雑談の最中、もう森の出入り口が見えてきた頃だ。雑談を遮るような悲鳴が近くから聞こえてくる。その悲鳴は、体感したことのない恐怖に震え引きつった、少女の悲鳴。

 僕もリィーラも、ほとんど反射的に駆け出していた。悲鳴をあげた少女が誰なのかについては、きっとリィーラも、僕と同じ少女を思い浮かべていることだろう。

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