第1章6話
起きて、学校へ行き、家に帰り、多少の勉強を済ませ、ネットを漁る。僕は、ほとんど作業と化した一日を、早くあの夢の世界で目を覚ましたい、という思いだけで過ごした。夜になり夕食を済ませれば、もう布団の中へ直行である。
夢の世界で二度目の目覚めを迎えるまで、三日を要した。三度目の目覚めを迎えるには、六日も待たなければならなかった。であれば、もう一度あの夢の世界で目覚めるにはどれだけの時間が必要なのか。
期待と不安を胸に目を瞑り、僕は眠りにつく。
目を覚ますと、そこは自室ではなかった。城の広い部屋でもなかった。僕が目を覚ました場所は、こぢんまりとした、ウェスペルの一室である。
まさかの二日連続での夢の世界。この夢を見る条件がいまいち分からないが、考えたところで条件は不明なままだろう。僕は体を起こし、背伸びをし、ベッドから降り、着替えを済ませ、部屋の外に出た。
小窓から射し込む朝日に眠気を溶かされ、一階から昇ってくる良い香りに僕の腹が鳴る。朝食の準備はもうできているのか。
階段を下り二階へ、そして一階へと到着。食堂の扉はすでに開いており、ここが良い香りの発生源であることが確定。食堂では他の宿泊客数人が、ゆったりと朝食を楽しんでいた。
「タカトくん、おはよう」
「おはよう」
エプロンをつけ、四枚の皿を手にしたリィーラとの朝の挨拶。寝癖のついた髪を無理やり結んだような彼女は、皿を片付け終えるとすぐに、僕を席に案内してくれた。
「ちょっと待っててね」
食堂の一角にある小さなテーブル。それを囲む椅子の一つに座り、僕はリィーラが食事を運んできてくれるのを大人しく待つ。食事を待つ間、隣の席に座る商人風の老人が、暇を潰すように僕に話しかけてきた。
「おはようさん」
「おはようございます」
「あなたは、旅の方かの? それとも魔法師団かの?」
「旅する魔法師団……ってところでしょうか」
「つまり傭兵か何かかの。わしは行商人をしておってな、装飾品から戦闘用のアクセサリーまで、なんでも売っているんじゃ」
「戦闘用アクセサリー?」
「なんじゃ、傭兵のくせして知らんのか? 希少な魔法石ニネミアを加工することで、魔力の強化が可能な代物じゃ。魔物を相手に戦うには、必須のアイテムじゃぞ」
「へ~」
「どうじゃ、何か一つ買っていかないか? もしニネミアを持っているのなら、加工してやっても良いぞ。装飾品に加工しても良い。こう見えてもわし、若い頃はアクセサリー作りで大儲けしたこともあったからの」
「う~ん、ありがたい話ですけど、今はお金も魔法石も持ってないですし……」
「そうかそうか。ならば、わしはしばらくこの宿にいる。何かあったら訪ねてきてくれ。話し相手になってくれるだけでも良いんじゃぞ」
のんきに笑って、老人は優雅に紅茶を飲む。戦闘用のアクセサリーというのは興味深い話だ。後でケーンやヘリヤに聞いてみよう。
「おまたせ。今日の朝食は、卵料理と採れたてのフルーツ、それに紅茶だよ」
老人との話が終わった直後、リィーラが朝食を運んで来てくれた。もしこの世界にスマートフォンとSNSが存在していたら、この朝食の写真を撮ってSNSにアップする人は少なくないだろう。
色鮮やかな朝食は、その味もまた鮮やか。絶妙な味加減の卵料理をペロリとたいらげ、フルーツで気分をスッキリさせ、紅茶で心を落ち着かせる。最高の朝食だ。
あっという間に朝食の時間を終えると、僕は魔法師団駐屯地に向かうため席を立った。見送ってくれたのは、もちろんリィーラである。
「今日もヘリヤさんやケーンさんたちと、魔物退治?」
「たぶんな。まあ、勇者だから」
「気をつけてね。いってらっしゃい」
「ああ」
にっこりと笑い手を振るリィーラ。もしかしたら彼女は、紅茶や朝日なんかよりもずっと、僕の心を温かくしてくれたような気がした。
*
メディントンの街を歩き、魔法師団駐屯地へ。時計の少ないこの世界では、今が何時であるかを知る機会が少ない。だから、途中で道に迷い到着が遅れたことは黙っていればバレないはず。
「ようタカト、今日は寝坊しなかったみてえだな。にしては到着が遅かった気がするが。道にでも迷ったか?」
早速バレてしまった。ケーンは軽い調子でいて、どうしてこう真実を見抜く力に秀でているのだろうか。迷惑である。
「邪魔だ」
いつものようにニタニタと笑うケーンに、ヘリヤの冷たく尖った言葉が突き刺さった。ケーンは苦笑いを浮かべ、背後に立っていたヘリヤのため道を開ける。ヘリヤは僕の前に立つと、無表情のまま口を開いた。
「勇者殿、到着したばかりですまないが、魔物の情報だ。シェルド川付近に強敵が出現したらしい。数は少ないようだが、かなり体格の大きな敵だそうだ。我々魔法師団では、いつ倒せるか分からない相手。勇者殿には、この魔物討伐を手伝って欲しい」
ヘリヤは相変わらずの人使いの荒さだ。醤油買ってきて、と同じようなノリで魔物退治の手伝いを依頼してくる。
ただしそれは、僕が勇者であるからこその依頼。醤油を買う程度の労力で魔物退治ができる、と僕を信頼してくれている証でもあるのだ。勇者である僕は、二つ返事で依頼を引き受けた。
「分かりました。いつでも出発できます」
「うむ。では、昨日と同じくグリューン要塞に向かう」
準備ができていたのは魔法師団も同じ。僕たちは早速、転移魔法陣を利用しグリューン要塞へと移動した。
魔物がいるシェルド川とやらは、グリューン要塞から少し離れた場所にあり、人間の領域と魔物の軍勢が占領する領域との境、ベーイール前線と呼ばれている場所らしい。シェルド川までは、馬に乗っての移動となった。
馬に乗ることだけはできても、馬を操れない僕は、魔法師団たちの手伝いがなければ移動もままならない。馬の乗り方ぐらい覚えろとケーンに言われてしまったが、まったくその通りだ。勇者として、いつか一人で馬に乗れるようになりたい。
移動の最中、暇を持て余した僕は、朝の行商人の老人との会話を思い出す。というのも、魔法石が埋められた腕輪をケーンやヘリヤが付けていたからだ。どうせなら、気になっていたことも聞いてしまおう。
「あの、僕の分の戦闘用アクセサリーは?」
「おお? タカトは贅沢品をご所望か? まさか、リィーラお嬢ちゃんの気を惹くためのオシャレとかか?」
「ち、違う! なんか、魔力を強化する良いアイテムだって聞いただけで、別に――」
「ヘッヘ、そう焦るな。戦闘用アクセサリーは、お前には必要ねえ装備だぜ。どうして必要ねえか、当ててみろ」
「……勇者の魔力は十分強いから、強化しても意味がないとか、そういうの?」
「ご名答」
「当たっちゃったよ」
薄々ではあるが、そんな気はしていた。魔法師団の兵士たちは皆、戦闘用アクセサリーを装備している。にもかかわらず、その存在をケーンは僕に教えなかった。つまり、僕に戦闘用アクセサリーは必要ないということだ。
せっかくのRPG要素も、勇者の無敵の力の前には意味をなさない。それだけの強さを得ているのだから満足しなきゃいけないんだろうけど、やっぱり残念である。
さて、街道を行き、草原や林、丘を越え、数台の馬車とすれ違い、約三時間程度。馬に揺られてお尻が限界を迎えそうになった時、ようやく大きな川が僕たちの前に現れた。
僕の想像の中にあったシェルド川は、多摩川や利根川のようなもの。しかし、実際のシェルド川は、向こう岸すらも霞むほどに広い川。そのあまりの広さに、シェルド海峡の間違いじゃないかと思ってしまう。
「見ろ、敵がいる。慎重に進むぞ」
想定外のシェルド川の姿に驚く僕の傍で敵を発見したヘリヤは、泰然自若としながら部下に命令を下していた。ヘリヤの方がよっぽど勇者らしい気がする。
シェルド川の川辺、ヘリヤが指差した先には、五匹の魔物がいた。まだ距離があるため詳しい見た目は確認できないが、以前に戦った魔物たちよりも大きな体の魔物であるのは確かだ。
馬を降り、草むらに身を隠し、慎重に魔物に近づいていく僕たち。物音に気をつけながら、川のせせらぎに紛れ、魔物との距離を一歩一歩詰めていった。
魔物まであと一〇〇メートル程度、というところで僕たちは足を止める。草むらの隙間から見える魔物は、郊外に建つ一軒家ほどに大きな体で、岩の体をゆっくりと動かしながら、辺りを警戒していたのだ。おそらく、これ以上の接近は無理だろう。
「間違いない。あれはゲデトスだ」
「まさかとは思ってたが、やれやれだぜ。おいタカト、気をつけろよ。ゲデトスの特徴は図体だけじゃねえ。強力な魔力も持ち合わせやがった、面倒なヤツだ。まあ、タカトならなんとかなるだろうがよ」
「油断はしない方が良いと」
「そういうこった」
「私たちは魔法障壁を破壊する。勇者殿、私たちは勇者殿の力を信じている。ゲデトスの撃破、任せたぞ」
「了解です」
自信に満ち溢れたヘリヤたち魔法師団は、僕の返答に満足し剣を手にすると、馬に跨った。彼女たちは、ゲデトスと呼ばれる巨人が相手だろうと、魔法師団の誇りを胸に、勇敢に魔物へと立ち向かっていく。
「行くぞ魔法師団! 重装騎士の力を魔物に見せつけてやれ!」
鋭く冷たい、それでいて熱気のこもったヘリヤの雄叫びと同時に、草むらを飛び出した魔法師団。ゲデトスが魔法師団の存在に気づいた時、魔法師団はゲデトスのすぐ目の前にまで突撃していた。
体の大きなゲデトスは、スローモーション映像を再生しているかのような動きで魔法師団に襲いかかる。だが、馬の機動力を生かしたヘリヤたちを捉えきれていない。
ゲデトスは魔法を使い、灼熱の炎を引いた腕を薙ぎ払う。凄まじい威力の殴打は風を起こし、魔法による炎が地面を焦がした。炎と土煙は風に吹かれ、ゆらりと辺りに舞う。
土煙と炎の中で、魔法師団は剣を掲げ光魔法――きらめく光の矢を放った。光の矢は土煙と炎を突き抜け、次の攻撃へ移ろうとしていたゲデトスに迫る。そしてゲデトスたちを覆う魔法障壁に深く食い込んだ。
ガラスの割れたような音が鳴り響き、ゲデトスたちを覆っていた魔法障壁は紫の光を散らせ完全に砕けた。魔法障壁の破壊を確認したヘリヤたちは、全速力でゲデトスから距離を取り、僕に向かって叫ぶ。
「勇者殿! 今だ!」
緊張した僕の体に、ヘリヤの声は容赦なく突き刺さってきた。僕も覚悟を決め、ニタニタと笑うケーンを背後に、背丈ほどの杖を握り、草むらから一歩を踏み出す。
相手はトーチカみたいなもの。ただし、こちらは一方的な攻撃が可能。であれば、召喚すべき兵器は主力戦車や大砲だ。
目を瞑り想像力を働かせ、杖を振る。すると、僕の左右にずらりと、主力戦車一〇輌、榴弾砲六門が出現した。砲口はゲデトスたちに向けられ、静かに僕の命令を待ち構えている。
魔法師団は十分に距離を取ったようだ。動きの遅いゲデトスたちは一箇所に固まっている。このチャンスを逃すわけにはいかない。僕は杖を構え、五匹のゲデトス全てをマーク、一瞬の遅れもなく、戦車や榴弾砲は僕がマークしたゲデトスに砲弾を浴びせかける。
すべての砲弾は寸分の狂いもなく、ゲデトスに向かって直進していった。ゲデトスの手前までは。
あと数メートル、というところであった。突如として砲弾はゲデトスを避けるように進行方向を変えた。砲弾は地面に突き刺さり、あるいは空の彼方に消え、あるいはシェルド川に沈んでいく。
「なんだ!? 何が起きたんだ!?」
まったく予想だにしなかった事態。訳が分からない。どうして砲弾は進行方向を変えたのか。マークする場所を間違えたのか。いや、それはない。砲弾はまっすぐとゲデトスに向かっていたのだ。砲弾が途中で進行方向を変えるなんておかしい。
「おい、落ち着けタカト」
僕の胸中を見透かしたかのようなケーンの言葉。きっと今の僕は、あからさまに焦っていたのだろう。とはいえ、ケーンのように落ち着き払うことはできない。
「どういうことだ!? ケーンさん、何が起きたんだ!?」
「さあな、知るかよ」
「知らないって……じゃあどうすれば――」
「とりあえず攻撃を続けろ。考える暇を作れ。ヤツらをじっくり観察しろ」
そう言うケーンの瞳は、僕ではなくゲデトスを睨みつけていた。焦ったところで何も解決はしない。ケーンはそう僕に伝えているのだ。
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