第1章2話

 魔法の使い方を教えてくれる、と言いながらも、ケーンは僕にこれといった説明はしてくれない。彼はラジオのように永遠と喋り続けているのに、魔法に関する話は一言もしてくれない。僕も彼のペースに乗せられ、気づけばタメ口で話す関係に。


 僕と雑談製造機ケーンは、そんな調子でとある部屋にやってきた。はじめて僕がこの夢の世界に来た時のような、広大な部屋。部屋の中心には、淡く輝く複雑な模様をした魔法陣が、僕たちを待っている。


「よし、魔法陣の上に乗れ。動くなよ」


「この魔法陣は一体?」


「転移魔法陣だ。これと同じ模様の魔法陣がある場所に、魔力を使うだけで移動できる優れもんだな」


「転移先は?」


「俺たち人間と魔物が戦う前線、そこに最も近い街メディントンだ」


「前線……前線!? いきなり、前線に!?」


「当たり前だろ。本物の魔物と戦えば、魔法なんて一瞬で覚えられるからな」


「新兵の扱いが厳しすぎる気が……」


「心配するなって。神話によると、勇者様は『創造魔法』とかいう最強の魔法使いなんだ。ちょっとした魔物、相手じゃねえよ」


 ニタリと笑ったケーンは余裕の表情。対して僕は、きっと引きつった表情をしているんだろう。僕の顔を見て、ケーンのニタニタは増すばかりだ。


「さて、行くぞ」


 合図とともに杖を魔法陣に触れさせ、目を閉じたケーン。直後、杖に備え付けられた水晶が青く輝き、同時に魔法陣の光も強くなる。僕たちは徐々に光に包まれ、あまりの眩しさに目を開けていることもできない。


 数秒して、瞼の向こうの光が収まった。おそるおそる目を開けると、僕の目の前に広がる景色は一変。僕は城の広大な部屋ではなく、レンガ造りの建物に囲われた広場に立っていた。


「すごい……本当に転移した!」


「お、タカトがはじめて笑顔になったぜ。ケーン先生は嬉しいぞ」


 なぜか自分の手柄のように胸を張るケーンだが、僕にとってはどうでもいいこと。魔法らしい魔法を体験したのは、これがはじめてだ。夢の中とはいえ、素直に感動してしまう。現実でもこの感動を味わえれば、最高なのだが。


 転移魔法の感動に心を躍らせる僕と、相変わらずニタニタと笑うケーン。二人でしばらくそうしていると、とある女性が背後から僕たちに話しかけてくる。


「ようこそメディントンへ、勇者殿」


 鋭く尖りながらも、美しさを含んだ氷柱のような声に、僕は振り返った。するとそこには、白銀の鎧に身を包む、端正な顔立ちにブロンドヘアーを風に揺らした、一人の女騎士が跪いている。まるで西洋人形のような雰囲気だ。


「紹介しよう。こいつは魔法師団重装騎士大隊隊長のヘリヤ=グレンダー。さっき言った美人さんだ。約束通りの巨乳だぜ」


 頭を垂れる女騎士の代わりに、彼女がヘリヤという名前であることをケーンが教えてくれる。対してヘリヤは、ケーンの言葉に眉をひそめ、冷たい視線で彼を睨みつけ、腰に据えた剣に手をかけていた。

 魔法を教えてくれる前にケーンが殺されてしまっては困る。


「よろしくお願いします、ヘリヤさん。なんか、ケーンさんが失礼なこと言ってすみませんでした」


「問題ない、慣れている」


 少し意外な返答だった。慣れている、ということは、ケーンとヘリヤは長い付き合いということか。しかし考えてみれば、二人は同じ魔法師団の一員。同僚なのだから、ヘリヤの答えはある意味で当然の回答なのかもしれない。


「ところでヘリヤ、なんか騒がしいじゃねえか。なんかあったのか?」


 辺りを見渡してみると、確かにヘリヤと同じような鎧を着た人々が、広場を忙しく動き回っていた。騎士団はいつもこうなのかと思っていたが、どうやら違うらしい。


「実は、メディントン近郊の森で魔物の偵察部隊が発見された。安全地帯での魔物の発見だ。住民保護を急いでいる」


「なるほど。そりゃ騒がしくて当然か」


 ここは夢の世界。だけど夢の世界とは思えぬほどに、僕は緊張感に包まれる。民間人が多くいる街の近くに魔物が現れ、魔法師団が避難誘導を開始しているのだ。死の危険性が、すぐ近くで蠢いているのだ。


 唾を飲み込み、僕は思う。僕は勇者だ。魔物を倒すのが、僕の使命だ。


「僕が魔物を退治します。魔物はどこに?」


「ほお、ヘッヘッヘ、無口なくせして、タカトは頼もしいなあ」


 可笑しそうに笑うケーンは、僕の言葉を受け入れてくれた。彼はすぐに言う。


「実戦で魔法訓練が一番手っ取り早い。ヘリヤ、タカトを魔物のところまで案内してやってくれ」


「お前に言われずともそうするつもりだ」


 冷たい表情で冷たく言い放つヘリヤも、その言葉の内容はケーンと同じもの。早速、僕たちは魔物退治へと出発した。


 魔法師団たちが駆け回り、民間人たちは家の中に避難するメディントンの街。ケーンの馬に乗せてもらいながら、僕たちは街を抜け、城壁を通過し、森へと向かう。

 森に入ると、そこはおとぎ話そのままの世界。老齢な樹木たちは今にも喋り出しそうで、草葉の陰に時折走る光の粒は、もしかしたら妖精が飛んだ痕跡? 妄想が過ぎるかもしれないが、夢の中なのだから何でもありだ。


 夢の中の世界だからこそ、魔物も存在する。ケーンやヘリヤ、数人の魔法師団とともに森を進むと、ついにヤツらを発見した。


「いやがったぜ」


「あれが、魔物?」


「正真正銘、魔物だ。俺たちの敵」


 森の奥、樹木の陰で、十個以上の大きな岩が蠢いている。ケーンはそれを、魔物と言った。

 よく見ると確かに、あれは岩ではない。蠢いている時点で岩ではないのだが、凶悪なまでに太い腕を振り、脚を動かし、赤黒い目が埋もれる頭を持った岩など存在しない。ましてや棍棒を持つ岩など、あってたまるか。


 僕はついに、魔物をこの目にしたのだ。僕が倒すべき存在が、彼らの荒い鼻息を感じ取れるほどの距離まで、近くにいるのだ。


 同時に、僕はある一人の少女を見つけた。結ばれた黒い髪を揺らし、細く色白な手足を慌ただしく動かし、機能重視の服装を泥に汚し、魔物の追っ手から一目散に逃げようとする、森に降り注いだ太陽の光のような少女。


「見てください! あんなところに女の子が!」


「民間人か? ヘッヘ、ありゃマズイな」


 苦笑いを浮かべるケーンと、剣を構え馬を駆るヘリヤ。僕も馬を降り、少女を助けようと駆け出す。しかし、僕たちと少女の距離に比べ、魔物たちと少女の距離は数倍も近い。こちらの攻撃が間に合うかどうか。


 魔物は少女に追いつき、岩から生えた腕を動かし、少女を叩き潰そうと棍棒を振り上げる。思わず目を瞑る僕。

 対して少女は、腰にぶら下げていた短い杖を手に取った。そして魔物に向かって杖を大きく振り、風を切る。瞬間、まばゆい閃光が魔物を包み込み、彼らの視界を奪った。


 少女のせめてもの抵抗で魔物が怯んだのは、わずかな時間のみ。ところがこのわずかな時間が、少女の命を救う。ヘリヤたち魔法師団は魔物と少女の間に立ち、剣先を魔物たちに向けたのだ。


「あの娘、やるじゃねえか。よしタカト、魔法の使い方授業のはじまりだぜ」


 いつの間に僕の隣にやってきて、ケーンは不敵に笑っている。ヘリヤたちは青く輝く剣を握り魔物と戦っているというのに、随分と余裕そうだ。


「まずは魔物の倒し方だ。魔物は全員、その身を魔法障壁に包み守ってやがる。この魔法障壁を消さねえと、魔物の本体に攻撃はできねえ」


 聴覚で説明を聞き、視覚で説明の正しさを確認する。ヘリヤたちがいくら魔物を斬り付けようと、彼女たちの剣は魔物に届いていなかった。彼女たちの剣は、魔物を包み込む紫色のバリアーにはじき返されてしまっているのだ。


「すぐに魔法障壁を壊します」


「待て待て焦るな。魔法障壁の破壊なんざ、俺たち魔法師団で十分。タカトにやってもらいてえのは、本体の攻撃だ」


 そう言って、白い水晶が備え付けられた、僕の背丈ほどもある杖を、ケーンは僕に投げつけてくる。僕はそれを受け取った。


「いいか、俺たちは魔法障壁を破壊することはできる。だが俺たちの持つ武器や魔法じゃ、魔物の本体を叩くことはできねえ。それほど、ヤツらは硬い。ともかく硬い」


「僕なら、魔物の硬い体を破壊することができる……」


「その通りだ。さっきも言ったが、勇者は『創造魔法』とかいうのが使えるらしい。これは一種の召喚魔法みてえなもので、勇者が頭に浮かべた武器を攻撃時だけ召喚、魔物を叩く、っつう代物だ」


「つまり、魔法で武器を召喚して、物理で叩けと」


「簡単に言えばそうだな」


 魔法では魔物に勝てても、物理では魔物に勝てない。それがこの夢の世界のルール。そしてそのルールを飛び越えるための、勇者という存在。話は理解した。


 ヘリヤたちの剣は、魔物を包み込む紫色のバリアーを引き裂く。まさしくケーンの説明通り、魔法を宿した剣は魔物たちの魔法障壁を打ち破ったのだ。であれば、次は僕の番である。


「杖を構えろ。難しく考えるな。想像しろ。あの硬い魔物たちを突き破れるような武器を、想像し創造しろ」


 鼓膜を震わすケーンの言葉に従い、魔物に向かって杖を構え、目を瞑り、想像する。剣や槍では魔物を倒すことはできない。火薬が発見されているのかも怪しいこの世界の武器では、意味がない。ならば、想像する武器は――


「ヘリヤたち! そこをどけ! タカトの攻撃がはじまる!」


「了解した。しかしなんだ? その細長いものが、武器なのか?」


「俺にも分からねえよ。今は勇者様を信じるしかねえ」


 僕が想像した通り、左右それぞれに一〇丁ずつの機関銃が現れ、宙に浮きながら銃口を魔物たちに向けている。あとは発射するのみ。


「次だ。杖で標的を決め、頭の中で『マーク』と呟け。そうすりゃ、武器が壊れるか機能停止するまで、勝手に攻撃してくれる」


 僕は言われたことをただ実行するだけだ。とりあえず数体の魔物を選び出し、頭の中で『マーク』と呟く。

 呟いたのと同時だった。僕の左右に浮かぶ合計二〇丁の機関銃が、一切の容赦もなく連射をはじめた。数多の弾丸は魔物たちに突き刺さり、その皮膚を噛み砕く。魔物たちは痛みに悶え、低く轟く悲鳴をあげた。


 十数秒間の一斉射撃が終わると、機関銃は全て姿を消す。どうやら弾切れとなった時点で、創造魔法により出現した武器は消えてしまうらしい。


――ちょっと威力不足か?


 未だに魔物たちは両足を地面についている。思った以上に硬い魔物たちを倒すには、さらなる強力な武器が必要だろう。

 機関銃がダメなら対戦車ロケット弾だ。僕が想像し、杖を振ると、先ほどと同じように、宙に浮いた対戦車ロケット弾がずらりと並ぶ。ここまでの準備ができれば、次はマークするだけ。

 標的を定めると、全てのロケット弾が魔物たちに殺到。戦車の装甲にすら穴を開ける威力を前に、魔物たちは爆炎に包まれ、地面に倒れた。対戦車ロケット弾は一発で消えてしまうが、もう一度想像すれば、連続攻撃も可能。再びロケット弾が魔物を襲う。


 衝撃波で木の葉は揺れ、木々は唸り、熱波が草木を焦がし、爆音が森中に轟いた。再びの静寂が訪れた時、森の中に魔物はもういない。


「一人でやりやがった……さすがは勇者様だぜ……」


「神話の力とは、これ程までに……」


 魔法の使い方はとても簡単。しかも映画やネット知識程度の想像力であっという間に魔物を倒してしまった僕にとって、ケーンやヘリヤたちの呆然とした表情は意外だった。一人で、一瞬で魔物を倒すという行為は、そんなにすごいものなのか。

 地面に転がる魔物の残骸をじっと見つめ、変な笑いが止まらぬケーンと、驚きに彩られたヘリヤ。今の二人に話しかける勇気が、僕にはない。


「あの……助けてくれて、ありがとうございます!」


 明るく快活で、それでいて心を落ち着かせる鈴のような声が、言葉を失っていた僕たちの静寂を打ち破った。声の主は、先ほどまで魔物に追われていた少女。彼女は服を汚した土を払いながら、にっこりと立っている。そうだ、僕は彼女を助けたんだ。


「大丈夫か? 怪我はない?」


「うん、大丈夫」


 生と死の境界線を歩いたばかりとは思えぬ表情をして、少女は健気に笑った。だけど、僕は気づいている。彼女の膝や腕は擦り傷だらけであることを。


「本当か? 傷だらけなように見えるけど」


「このぐらい大丈夫だって。それに、左膝の怪我は魔物とは関係ないもん」


「魔物に関係あろうが関係なかろうが、傷は傷だ。ヘリヤさん、彼女の治療をお願いします」


「任せろ」


「だ、大丈夫だってば! このくらいの傷は――」


「治療されて困ることはないだろ」


「……まあね」


 はにかみながら、少女は僕の言葉を受け入れてくれた。彼女はヘリヤたち魔法師団に囲まれ、擦り傷に薬を塗られる。薬を塗られるたび傷が痛むのか、少女の表情はちょっぴり不満げ。


 簡単な治療が終わると、少女は再び僕の前に立った。


「改めて、今日はありがとうございます。私の名前はリィーラ=ウィンダストン」


「隆人、籠坂隆人だ」


「タカトくん、か」


 リィーラの小さな口から発せられた僕の名前。ただ名前を復唱されただけなのに、僕は胸の高鳴りを抑えられなかった。女の子に名前を呼ばれたのは、何年ぶりだろう。

 僕が胸を高鳴らせていることを知ってか知らでか、ケーンは相変わらずのニタニタ顔で、リィーラに質問した。


「お嬢ちゃんは、どうして森の中に?」


「えっと……お父さんとお母さんの宿屋で出す料理の、食材探しです」


「ああ、そういうことか。普段は安全な森で、災難だったな。俺たち魔法師団が街まで送ってやる。またいつ魔物が出てくるか分からねえからな」


「はい、お願いします」


 今度は素直に従って、ヘリヤと一緒に馬に乗るリィーラ。僕はケーンと一緒に馬に乗り、森を後にしメディントンへと帰る。


 不思議だ。勇者としてリィーラに話しかけた時、僕は緊張など微塵もしていなかった。ところがリィーラにタカトと呼ばれて以降、僕は彼女に話しかけられなくなってしまう。結局、僕はメディントンの街に到着するまで、いつもの無口な僕であった。


 街に到着し、城門をくぐると、リィーラはヘリヤの馬から降りて一礼する。


「今日は、ありがとうございました」


「良いのか? 家まで連れて行かなくて」


「ヘリヤさんの言葉は嬉しいですけど、お父さんとお母さんを驚かせちゃうかな、って思うので」


「そうか。では、達者でな」


「はい!」


「じゃあな、お嬢ちゃん」


「さようなら! また何処かで!」


 別れの挨拶を済ませたリィーラは、大きく手を振った。そして彼女の透き通った碧い瞳は、いつまでも僕たちを見送り続けてくれた。雑踏の中に紛れ、その姿が見えなくなるまで、リィーラは僕たちを見送ってくれたのだ。


 思わずため息が出る。別れの挨拶すら、僕はロクに交わすことができなかった。もしリィーラの言う通り、また何処かで会えるというのなら、次は挨拶ぐらい、きちんと交わしたいものである。

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