第1章 夢の中の僕は
第1章1話
液晶の強い光に痛めつけられた目をようやく閉じ、僕は眠りについたはずだった。次に目を開く時は、退屈な毎日への気だるさと高校生活への絶望感を胸に、地平線を脱したばかりの太陽をカーテンの向こうに見る。そのはずだった。
「おお! まさしく神の御言葉、聖書の記述通りだ!」
「勇者様が現れたぞ! これで我らは安泰だ!」
「神よ……救世主よ……感謝いたします!」
僕は今、白いローブに身を包んだお化けのような人々に囲まれ、何やら崇め奉られている。こんな目覚めは、当然だが人生初だ。
そもそも、ここはどこなのか。見渡せば太陽の光が差し込む吹き抜けと、その吹き抜けを支える巨大な柱が八つ。壁も柱も床も、ほとんどが大理石でできていた。
退屈な毎日から遠く離れたこの展開。一般的なライトノベルやアニメに一通り目を通している僕には、まさかという思いが浮かんでくる。
「勇者殿、我が国ヤーウッドへようこそ。わしの名はジェジル=エイストフォード。ヤーウッド王国の国王である。わしらは、この『エッセ』の救世主としてあなたが現れるのを、大変心待ちにしていた」
小太りな体を豪華絢爛な服装で飾り付けた国王ジェジルは、安堵したような表情を浮かべていた。だんだんと、僕のまさかという思いが確信に変わってくる。
「今、エッセは魔王が率いる魔物の軍勢に襲われているのだ。我らの力では、この魔物を倒すことができない。しかし、聖書の記述にある勇者殿ならば、エッセを救い出すことができるだろう。勇者殿、どうか魔物の軍勢を退け、魔王を打ち倒してほしいのだ」
間違いない。異世界を魔王の魔の手から救い出す勇者に、僕は選ばれたのだ。あのラノベの主人公のような、あのゲームの主人公のような勇者に、僕は選ばれたのだ。
日常は吹き飛び、夢に溢れた毎日が僕を待ち構えている。このせっかくの奇跡を、僕は楽しみたい。変わらぬ退屈な毎日など置き去りにして、僕は勇者になってみたい。だから、僕は王様に言った。
「分かりました。僕がこの世界を守ります。だから、早速ですけど魔法の使い方を教えてください」
異世界に来てまず楽しみたいことは、やはり魔法を使うことだ。だからこその僕の言葉だったが、ジェジルはにこやかに笑うだけ。
「熱心な勇者殿だ。しかし、それほど焦る必要もなかろう」
「……え? いや、世界の危機なら、焦った方が正解なような気がしますが?」
「危機だからこそ、焦ってはならん。明日明後日にこの世界が滅ぶわけでもないのだ」
「はあ……」
随分とのんきな王様だ。妙に腹が据わっているというか、危機を重大事として認識していないというか。
「魔法の使い方は明日、魔法師団の者が教えてくれるだろう。今日はゆっくりと休みたまえ」
「まだ何もしてないのに、休んじゃって良いんですか?」
「ふむ、それもそうだな。よし、せっかくだ、わしらの城を案内してやろう」
一国の王様の言葉と、孫を可愛がるような笑顔を前に、僕はジェジルの誘いを断ることはできなかった。周りを囲むローブを着た人たちも城の案内に乗り気なようで、彼らの期待を裏切るわけにもいかない。
どうせ魔法は明日にならなければ教えてくれないのだ。城の案内なんかされるぐらいなら死んだ方がマシ、というわけでもないのだから、僕はジェジルたちについていく。
「ところで、勇者殿の名前を聞いておらんかったな」
「あ、すみません、言い忘れてました。僕の名前は
「カゴサカ=タカトか。変わった名前であるな」
「この世界だと、そうかもしれないですね。僕の元いた世界では、特別に変わった名前というわけではありませんでした」
「元いた世界? ふむ、興味深い話だ」
そう呟くジェジルに、彼を囲むローブを着た人たちは、深く何度も頷く。彼らは僕の元いた世界について興味があるらしい。少し、元いた世界の話をしてみようか。
話の内容を頭の中で組み上げ、息を吸い、口を開こうとした瞬間である。僕たちを案内してくれていた使用人の一人が、城の壁に描かれた絵画を指差し、僕よりも先に口を開いた。
「タカト様、この部屋の壁に描かれているのは、我らが住む世界『エッセ』の神話でございます」
「神話?」
「はい。今から千年も昔、エッセに神が降臨されました。そして神は、幾つかの予言を残していったのです。魔王と魔物と呼ばれる悪しき存在がエッセに闇をもたらそうとした時、一人の勇者が現れ、救世主となると」
「その救世主が、僕だったと」
「まさしく。先日、神の御神託がありまして、タカト様の出現が予言されました。実際に今日、タカト様が現れた」
「神様ってやっぱり万能なんだな。でも、なんで神様が世界を救ってくれないんだ?」
「それに関して、神話には以下のような記述がございます。『神は多忙なり、常にエッセを守ることはできぬ。人は己が力で危機を乗り越えよ。さすれば福音が与えられる』と」
「なんでも神頼みにするなってことか」
「自分の道は己が力で進め。神は我らにそう説いてくださっているのです」
不思議な神様だと思う。まるで、神様自身が神の存在を否定しているような、それでいて神様が人々の支えになっているような。
神話の話が一段落すると、城の案内はますます観光旅行のようになっていった。ここが誰の部屋だとか、ここにはどのような歴史があるだとか、あの汚れは過去の英雄がつけたものだとか、この傷は何時ぞやの戦のものだとか。
案内人の話は聞いていて飽きなかった。でも、僕が興味を持ったのは、城そのものではない。
大理石で作られた城に敷かれたカーペットは、上質な温かみのあるもの。カーペットを踏み込むたびに、一瞬だけ宙に浮くような感覚が足に伝わる。
廊下に飾られた壺は、一寸の狂いもない左右対称の取っ手が象の耳のように開き、細かな花柄は本物の花のよう。
部屋を仕切る重厚な扉は、木材の香りを仄かに放ちながら、人々の往来を待ち構えている。
そして何より、ガラスの向こう側に広がる城下町の景色に、僕の全好奇心は向けられていた。
城は小高い丘の上に建っているのだろう。ガラス窓から少し外を覗き込むだけで、僕は鳥になったような気分だった。眼下に広がるのは、軒を連ねる三角屋根とレンガ造りの家々、馬車が行き交う大通り、賑わう市場、城壁の向こうに無限に広がる草原。
中世ヨーロッパ風の町並み、と言ってしまえばそれだけで済んでしまう景色ではあるが、今の僕は、その月並みな中世ヨーロッパ風の町並みに心を躍らせているのである。
「楽しんでいただけているようですな」
子供の頃に戻ったような気分の僕を見て、ジェジルは笑っていた。彼の目はたぶん、僕を変わった勇者として扱っていたような気がする。
しばらく城見学が続き、日が傾いてきた頃、僕はある部屋に案内された。自宅のリビングは廊下だったのではないかと思えるほどに広い部屋。いかにも座り心地の良さそうなソファが並び、王侯貴族が眠るような白の天蓋に包まれたベッドが鎮座する、広い部屋。
「ここがタカト様のお部屋でございます」
使用人はそれだけ言って、部屋を去っていく。なんと、このスイートルームも顔負けの部屋が僕に用意された部屋だそう。最高だ。
僕は調子に乗って、ベッドの上に飛び込んでみる。すると、ベッドは想像していたよりもずっと柔らかいものであり、体はマットに沈んでいった。そのあまりの気持ち良さに、僕の瞼は少しずつ閉じていく。
*
目が覚めると、地平線を脱したばかりの太陽が、カーテン越しに僕の部屋を照らし出している。僕の部屋――見慣れた自室だ。全てを合計しても十数万円が良いところの家具が並ぶ、狭い自室だ。
勇者として転移し、城を案内されたあの一日は夢だった。いざ目を覚ますと、それ以外に考えられない。異世界転移など、そう簡単に、そう偶然に、僕に降りかかってくるようなものではないのだ。奇跡など、そう簡単に起きるものではないのだ。
ただ、夢にしてははっきりとした記憶が残っている。カーペットの踏み心地すら、思い出すことができる。なんとも不思議で、楽しい夢だった。
「このまま寝てたい……」
思わず本音が口から飛び出す。ベッドから出たところで、あるのは日常だけ。僕の心は、退屈な毎日への気だるさと高校生活への絶望感に満たされていた。
夢の中の僕は勇者で、現実の僕は単なる一高校生で。
できればもう一度、夢の中に戻りたい。
*
あの夢から覚めて三日。この三日間を振り返っても、僕の背後にあるのは同じ毎日。ある一日をコピー機に乗せて、永遠と印刷し続けているような、そんな毎日。
リビングで垂れ流しにされる夜のニュースでは、誰と誰が不倫しただの、自衛隊のヘリが墜落しただの、どこぞの業界で不祥事があっただの、僕とは関係のない話が繰り返されるばかり。僕はさっさと自室に向かい、ベッドに潜り込んだ。
ベッドに横たわってから二時間ほど。ようやく瞼は閉じられ、僕は眠りにつく。次に目を覚ました時は、新しく印刷されたコピーを過ごす。そのはずだった。
目を覚ますとそこは、天蓋に包まれたふかふかのベッドの上。体を起こせば、一人で過ごすには広すぎる部屋。
――これって、まさか夢の続き?
僕の直感がそう告げた。半分は確信的に、半分は希望のように。この僕の直感が正しいかどうかに答えを与えてくれたのは、部屋の扉をノックし、僕に話しかけてきた使用人の言葉である。
「勇者殿! タカト様! 今日は目を覚ましましたか! 朝食の準備は整っております」
使用人は僕のことを『勇者殿』と呼んだ。そう、僕の直感は正しかったのである。僕はあの夢の続きを見ているのだ。僕は勇者として、この夢の世界に戻ってきたのだ。
夢の中で、ここが夢であると認識するのは不思議な感覚。だけど、願っていた通りに夢の続きが見られた僕の心は、不思議な感覚よりも興奮が優っている。
僕は勢いよくベッドを飛び出し、現実での普段着と同じ服装であるのに今さら気づきながら、特に気に留めることもなく、部屋をも飛び出す。そんな僕を、使用人は食堂まで案内してくれた。
ところで、三日ぶりの夢の世界。こちらの世界の僕は、この三日間ずっと眠り続けていたことになっているらしい。王様たちも随分と心配していたそうだ。こうして夢を見る日がランダム、となると、その辺りはあらかじめ伝えておいた方が良いのかもしれない。
さて、食堂で僕を待っていたのは、朝食とは思えぬほどにずらりと並べられた食べ物の数々。基本的には現実世界と同じで、パンや肉、豆を煮込んだスープ、フルーツなどが中心だ。僕は早速スープを口に運び、肉料理を噛み締める。
「美味しいですね」
ウソだ。正直、美味しいとか不味いとかいう以前に、評価すべき味がない。口の中は塩味に占領されているだけであり、お世辞にも美味しいとは言えない。客人という立場上、つい美味しいと言ってしまっただけだ。
スプーンを持つ手は動きを鈍らせるばかり。何か、朝食を早く終わらせる方法がないかと考えていると、
「タカト様、本日は魔法の使い方について、お教えいたしましょう」
使用人の言葉で、ただでさえ薄い朝食の味は消え失せた。そうだ、三日間も寝過ごしてしまったが、ついに魔法を教えてくれる日が来たんだ。
どんな人が魔法を教えてくれるのだろうか? ラノベやアニメを参考文献に考えると、期待は高まるばかり。一体どんな女の子が僕の前に現れて――
「よお! そこの無口な爆睡坊主が、勇者様のタカトだな?」
「ケーン様、勇者殿にそのような口の利き方は失礼ですぞ」
「分かってる分かってる。失礼なことをするつもりは、これっぽっちもないぜ」
「分かっているようには見えませんが……」
食堂に入ってくるなり使用人たちを困らせた、杖を片手にローブを軽く羽織る若い男。初対面の僕を、『無口な爆睡坊主』という否定できない言葉で表現した、短髪に無精髭を生やす軽い男。彼は白い歯をのぞかせながら、僕の前に立ち頭を下げる。
「はじめまして。俺は魔法師団のケーン=アンツォだ。タカトに魔法を教える教師役を仰せつかった、幸運な男だ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
「おお? なんだ残念そうな顔だな? 俺みたいなナイスガイより、巨乳の美人さんの方が良かったか?」
「え!? いや、あの、その……」
「ヘッヘ、図星かよ。まあ安心しろ。美人さんには訓練の時に会えるからよ」
「はあ……」
なんだろう、この人。油断していると、あっという間に彼のペースに乗せられてしまいそうだ。
「さてと、不味い飯は放っといて、さっさと魔法訓練開始と行こうぜ」
使用人がムッとしたのも気にせず、ケーンはそう言って食堂を出て行く。不味い朝食から逃れられ、念願の魔法を使えるのだから、僕も迷わず彼の背中を追った。
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