第444話 学校でのセクハラ

 まず、この職業訓練校で最初の授業で行われたのが、コミュニケーション論。

 髪の毛から爪の先、ファッションに靴下、ネクタイの色、カバンの形まで好感触にしあげ、まずは人に清潔感と好感をもってもらいましょう、という。

 そして、協調性をもち人とのつながりを大切にしましょうってならったんだ。


 だけどわたくしは障害者。

 初めて顔を合わせた人になんて言ったらいいのかわからない。

 だからお菓子を配って回った。

 音楽関係の仕事に就きたいと言っていた女性には音楽雑誌を差し入れた。

 女性は「ノジマに行って音楽関係の仕事がしたいと言ったら、まずは雑誌で知識を身に着けてそれから就活したほうがいいってアドバイスされたの。でも、雑誌をどこで手に入れればいいのかわからなくて」

 というから、あげてよかったと思ったし「有隣堂の片すみにあった」という情報を渡すことができた。


 しかし、その雑誌を女性にあげる現場を見ていたY下PCシニアインストラクターが、わたくしが一人になったところで、なにかぶつくさ言い始めた。

 わたくしになにか用かな? と思い「お話が遠いようです」と言って進みで、1Mくらいの距離まで近づいて話を聞いた。

 ふざけるな! 個人のプライベートなつきあいにネチネチ文句をつけてきて。

 なにが「あなたは人との距離が近い」「ものをあげたら負担になる」「誤解される」「損」なの?

 人間関係を良くしようとして距離を詰めようとしてるの。

 わたくし最初から距離が近いのは相手に警戒されるって、ネットで見たから知ってる。

 でも、真心を伝え続ければ、きっとわかってくれると思ったんだ。

 そんな風に考えるのも、

「私は障害者ですから」

 と言ったのに、「あなたは普通だし、普通だと思ってるから」

 と譲らない。

 障害者の施設で働いてる人の言うこととも思えない。

 絶望した。

 あげたものが負担になるかは、相手の気持ち次第だし、感謝してくれてるんだから横から口をはさむことはないでしょう。

 だいたい誤解されるというのは、なんなんですか? だれが、何の誤解をするっていうのです? お菓子や雑誌をもらって、何を誤解する余地がありますか? 

「理解できません」

 と言うと「そうだろうね」と。

「私だって何の打算もなく贈り物をしているわけではありません。いつか助けてもらわなければいけないかもしれないから、先にご挨拶しているだけです」

 きっぱり言って、知らんぷりしてたけど、気持ちはいっぱいいっぱいだった。

 そのうち女性が戻ってきて、Y下先生と話し始めたから、わたくしは後から登校してきなさったYさんとワードの宿題について話をして盛り上がった。

 Yさんが、これ見本かと思ったよと褒めてくれるのでうれしくなって、「こういう話がしたかった」と言ったら、Y下先生と女性も振り向いてやいのやいの。

 Y下先生に「何点くらいですか」とポスターちらしの宿題を見せると「90点」。

 ち、辛いな。

 と言ったら、館長たちもやってきて「100点ほしかった?」と言うので「98点は欲しかった」とくやしがる。

 そして、自分の印刷用紙が真っ白なことに気づいて、学校の用紙について聞いた。

 再生紙だそうだ。

 高いのだって。

「へええ、再生紙って高級品なんですね」

 そんな話をした。


 だけどわたくしは、心の中で出来事を反芻する癖がある。

 授業前にY下先生が、ふたりっきりでプライベートの人間関係についてネチネチ言ってきたのはなんらかのハラスメントに思えたし、自分の努力が否定されたのがくやしかったし、かなしかったし、無力感にさいなまれた。

 授業中、何度も何度も反芻し、おかげで授業に集中できない。

「がんばれ、雄々しくあれ、集中しろ!」

 と自分を叱咤するほど泣けてきて、休憩時間に入ったときにはウーロン茶を飲んでくる振りをして事務室に向かった。

 館長のK藤さんに相談にのってもらいたかったのだ。

 しかし、K藤さんはわたくしが元気よく宿題の話をしていたので、仮病かなんかだと思ったらしい。

 不快なおもいをしたし、Y下さんの顔も見たくない、心の穢れだと言っているのに、腕時計をこちらにさりげなく見せながら「私の方が大変だったのよ」「昔は女はいらないって言われて」「愛犬の去勢手術がたいへんで」「母の介護で大変で、看取ったけれどまだ隣の部屋にいる気がする」と逆に身の上話をされた。

 そのときは、この方も悲しい思いをなさってきたのだなあと涙をこぼしたが、ふと思ってみるとわたくしの話はこれっぽっちも伝わっていない様子だった。

「あなたが不快な思いをしたというのはわかりました。Y下さんには言っておきます。これからお昼休みに入るから……」

 という消化不良の面談になった。

 わたくしは「Y下先生の授業は休みます」と言ったら、わたくしは一か月間まじめに授業を受けていたので、Y下先生の授業に出なくても修了書をもらえるということだった。

 うーん。

 勉強はしたいのに、Y下先生がいやだ。


 週末の連休をはさみ、月曜日に登校したら、帰りにわたくしだけ応接室に呼び出された。

 内容は、Y下先生のこと。

「彼は、あなたを娘のように思って、つい強く言ってしまった、と言っていました」

 とくり返されたけれどぴんと来ない。

 その内容のどこがいいわけになり、どこが謝罪にあたるんだと疑問に思う。

 その上、「Y下先生の授業だからって、他の先生に質問すればいいのだし」「企業に行ったら同じことがあるんですよ」と脅され、「彼は優秀な先生なので今後も来てもらうことになりますがいいですか」と強要された。

 わたくしは「Y下先生を目にすると胸がざわざわして、無気力になって顔をあげられなくなります」と病気の悪化を訴えたが、

「彼は優秀な先生なので今後も来てもらうことになりますがいいですか」

 と何度も言われてしかたなく「はい」とうなずいた。

 副作用のふるえを止める薬を飲んでいたのに、重ねた手がぶるぶると震え、またY下先生に関する嫌な記憶を思い出す。

 Y下先生は、わたくしがアイテムを使って集中力を高めていることを知るや、「ごちゃごちゃ考えなくていいんだよ!」と乱暴に言ってわたくしのせっかくの心意気を否定した。

 すっかり気持ちが萎えて、自信がなくなり、授業に集中できなくなった。

 あんなに「授業が楽しいです!」と言って頑張ってきたわたくしは、Y下先生の存在ひとつでダメになってしまった。


 無気力な朝、学校に「Y下先生がいるので休みます」とI井代表に電話連絡を入れたら「あなたの判断にまかせます」と言って、今自分がどういう状況にあるのか、説明させてもらえなかった。

 そして、同じクラスからコロナ陽性者がでたと知った休み明け、濃厚接触者だと教えてもらえなかったわたくしは同じクラスの人に連絡して、自分はPCR検査を受けに行く旨伝えた。

 学校にPCR検査を受けに行き、無事陰性だったなら、月曜日に精神科へ行って薬を増やしてもらうなり、入院するなりしますと連絡を入れる。

 またもや適当に切り上げられそうだったので、こんどは勇気を出して病状が悪化した旨、ちゃんと告げる。

 精神科では、コロナの濃厚接触者だったため、院内に入れてもらえず外で診察を受ける。

 主治医は「学校のせいだね。学校辞めたらいい」と言うので、

「勉強は楽しいし、おもしろいんです。ですからもし学校へ行けなくなったなら、勉強が嫌でやめるんじゃないっていう証明が必要で」

 と告げたら、「そのときはハローワークにこちらから言ってあげます」と言ってくれた。

 薬を増量、他のよく知らない名前のものに変えた。


 そして2022/03/1(火)。

 学校へ行ったら、K藤さんが気さくに挨拶してくれる。

 I井さんが椅子に腰かけ、「大丈夫だったの?」と。

 すかさずわたくし「え、おかげさまで」

「よかった」

 と言われ、間髪入れず「お薬を増やしてもらいました」と言った。


 しかし、問題はY下先生だけではなかった。

 サブでついていたシニアインストラクターが、体に触ってこようとする。

 テキストのページを開いて、「ここの数値を導くのにはどう操作すればいいのですか」と言っているのに、テキストを手に取って、ばらばらとめくり、慌てたように「これじゃない、これじゃない」と言いながら、わたくしのバストに手の甲を押し付けてくるような仕草をした。

 わたくしは思わず猫背になって避けた。

 そうしたら、わたくしがさしだしたページを再びだしてきて、「ここは、エンターキーを押して右クリック」と端的に教えてくれた。

 助かったけれど、この人まえも、わたくしのよこにしゃがみこんで横目でバストを見てたんだよな。

 それにあの同じクラスの女性受講者もしきりとまとわりつかれている。

 本人が嫌がらないならいいけれども、ちょっとシニアの方って露骨。


 家に帰って祖母の介助をし、病院でのことを話していたら、一番下の妹が来て、母のスマホに仕事関係のLINEアプリをインストールしてくれた。

 その合間に、セクハラに遭ったことがあるか、どうやって防げばいいか聞いてみた。

 最初は知らんぷりしてた妹だけれど、わたくしが今日あったことを話したら、介護実習の時に60歳くらいの男性利用者が、脳梗塞で不随なのだけれど、思考もクリアでわがまま放題、家族に見放されてるような人だが、女性と見るとお触りしてくるので、他のスタッフさんに守ってもらったという話をしてくれた。

 母もまじって、今務めている職場で、手を握ってきて、ついでにお尻を触るおじいさんがいると言ってきた。

 周りの人も知っているので「そういう人には関わらなくていい」という結論に至った。

 でも、わたくし明日も同じ先生に授業受けるんだよ? 不可避だっつーの。

 妹は「学校をやめるしかないね」と言う。

「やめるよ」とさらっと口から出てきた。

 でも、学ぶのはやめない。

 勉強はわたくしのためだから。






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