第360話 能力と人品

 今のところ、心の中で思っていることだけ書こうと思う。

 世の中は広いから、すごい能力を持った人はゴロゴロいる。

 なかでも優れた人格の人は、すぐれた行動をとる。


 だけど、能力はあるが人格が悪い、人品が低いとそのせっかくの能力も一時的な隆盛の後に淘汰されると思う。

 だって、同じくらいの能力者ならば、人格のいい人を応援したくなるし、優れた人格者であるならば多少能力的に劣ろうとも、まわりが放っておかない。

 人格者は応援される。

 さて、わたくしはかつて人品の優れた人と思った人に「ストレス解消になってくれ」と言われ、承知したところ、意思の疎通もままならないというのに、ストレスだと言ってつらく当たられた。

 これはどういうことかというと、他にいい顔をしているがために溜まるストレス解消のために、わたくしにサンドバッグになれということだった。

 こういう人は人品が優れているとは言い難い。

 次回は一切お断りする。

 対人的に問題ありとみる。

 応援する価値はない。

 こういった人に借りをつくるのも、しがらみになっていけない。

 うさんくさいからよけておくべきだと思う。

 なにを要求されるかわかったものではない。

 人の知恵とは、他人を、だれかを幸福にするためにあるものであり、誰か一人を犠牲にして成り立つようなものでもない。

 そんなことがまかり通るのならば、その人は鼻もちならぬ偽善者だ。

 選民思想にでもかぶれているのではあるまいか。


 折角の贈り物を台無しにしていると思う。

 また、そういう社会の歪みのようなものを、きれいさっぱり心の内から洗い落とすべきなのに、他人に押しつけるという行為は、たとえ先に合意があったとしても慎むべきだと思う。

 だって、ストレスを押しつけられた人は、かわりに全てを抱え込んで破滅するか、新たな犠牲者を生み出すかの選択に迫られるだろう。

 そのときに、それは間違っているよと言ってあげられる人がいたならばまだしも。

 わたくしは孤立状態にあり、押しつけられたストレスをさらっと受け流すこともできなかった。

 己の未熟を恥じるけれども、そんな無力な相手をサンドバッグになど選ばなくてもよさそうなものだ。

 これは形を変えたいじめの構図である。

 わたくしはいじめは犯罪だと思っているので、断固反対する。

 ストレスならば、親しい友人どうしでパーッと明るく発散すればいいではないか。

 ストレスの押し付け合いは、個人としても傍観者としても醜く思えるし、勘弁してほしいと思う。

 人格者で能力が劣る場合は、専一に磨き続ければいずれ頭角を現すものだ。

 そこに大も小も、遅きも早きもない。






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