第25話大便を!?

『翔ぶが如く』をちらちらッと読み始めた。

 司馬遼太郎先生のユーモアは「今、歴史ものを読んでいるんだぞ」という気概をくじいてくれる。

 林真理子先生の『西郷どん』に手を付ける前段階として、一回は目を通さねばと思ったのだ。

 まえがきから妙であった。

 おかしさを感じる。ユーモアなのだろうと思う。

「パリ」を読んだら、汽車内で便意を催した川路さんという人が、床に新聞紙を敷いて発してしまう。(こう書いてあった)ふかしたての饅頭のように包んで窓から放ったというのである。すべてはおわった。と。

 しかし、保線夫(だれ?)にぶつかって警察に届け出られてしまう。それが日本語の新聞だったので、犯人は日本人だろうとフランスの新聞で報じられてしまうのだ。

「国辱だと思わないかね」

 沼間さんの言う通りだが、読んでいておかしさと、哀しさの混じる一ページであったので、ぐったりくるほど笑った。

「どうして人は汚物を排泄するのか」

 という、逃れられないけれど、たいていは子供の頃に解決してしまう問題をここへもってくるのがおかしくて。

 たしかに、馬鹿にはできないが、しょうもない事件であった。

 おなか苦しいな。

 2020年になったら、東京オリンピックが開催され、世界中から人が集まる。そのときに彼と同じようなことをする人が出ないように、町中にトイレを設置することが望ましいと思う。

 ちょうど、よくできた集合商業施設のあちこちにエレベーターとエスカレーターとトイレ、そしてソファが設置されているように。


 本は、もうちょっと読むと、沼間さんが「勝海舟を斬ろうとしたことがある」という話があって、彼は人の心をえぐるような雄弁家なのに、先の川路さんに「男子が好悪の話を喋々とするなよ。そんなことだから」(意訳)とあっさり言い返されてしまう。ちなみに二人とも異常なほど目つきが鋭いが、川路さんは無口な方なのだという。

 彼は無口なまま大便を窓から捨てたのだ。おかしいったらない。

 もう、この人なんなの?

 くたびれて集中できない。

 パイプオルガンの曲を流したけれど、癒されない。

「ちゃらり~~ちゃらりらり~ら~♪」

 と宗教音楽が鳴る。

 永眠しそうだ。


 そんなことはおいておいて。

 本はちょうど江藤さんがどうのというところにさしかかった。

 明治の司法をつかさどるお仕事で、フランスの法律を翻訳してそのまま使おうとしていたところだったので、彼は渡欧できなかった。もし彼が渡欧していたら、運命は変わっていたであろうにと。

 なんだか、明治六年に職離れして、七年になんかの変を起こし、刑死した人らしい。

 川路さんのような目にあわなくて済んだのに。どこかしらで帳尻をあわせるのが運命なのだな、と思う。

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