第10話病根は断ち切るべし

 男性性がアメリカで見直しをはかられている。

 それまでの男性は「感情をあらわにしない。強くあれ」と育てられてきた。

 ゆえに、男性は悲しみや、嬉しいこと、悔しさや、楽しいことがあっても、感情を抑え込み、怒りと暴力だけ発散することを許されてきた。それは男性らしい感情表現だったからだ。


 しかしどこかの番組では「思春期の男児は、女子は感情を表せていいなア」と感じているとのアンケートをとってきた。


 どうでもいいけれど、そういう育てられ方をした男児は病的だと思うし、女子に暴力振るう姿は感心できない。


 火の国といわれた熊本では、男は女を殴るものだと長い事されてきた。殴らない男は男じゃない。情けない、と。


 そういう文化背景が、DVの基盤を作ってきたとすれば、平和と安定を好ましいとする現代日本では、まったく見当違いな教育法だと言わざるを得ない。


 ところでわたくしは、男女平等の時代に育ったので、男と同様に育てられた。

 見かけはスレンダーで美少年顔だったため、赤いランドセルを担いでいると、石を投げられた。

 父はわたくしが喧嘩をしかけられたと報告すると、やり返すまで家に帰ってくるな。としつけた。

 結果、その辺の女子とは全く違う人生を送ってきた。

 父はフェミニストだと自称していたが、単に女児を育てるスキルがなかっただけだと思う。

 母も、教育者であるのに、父の体罰を止めなかった。つまり間接的に加担していたことになる。母は父の言いなりだった。

 わたくしは、上級生に突っかかられればそれと戦い、勝利せねばならなかった。石を投げられれば、ブロックをなげかえしたし、クラスで一番腕力のある男子に喧嘩を挑んだ。

 だから、虚弱児なのにもかかわらず、ずっと「喧嘩が強い」と思われていた。おかげで、中学にあがってからは喧嘩を売られることは一切なかった。

 小学校の頃は、毎日ケンカに勝つことを常に考えていたので、ちょっとしたことで大事な妹を傷つけてしまったことがある。わたしは悔やみ、それっきり喧嘩のシミュレーションをやめた。ケンカをやめたら、成績が上がったので、父は文句を言わなくなった。

 しかし、高校へ行って選択授業をやたらととったために、手が回らなくなり、成績ダウン。

 父の暴力とパワハラが始まった。


 しばらく前では、「国政どうなってるの?」なにげなく言ったら、父は

「おまえが国防を語るな!」

 と怒鳴り、わけのわからない罵倒を受けたわたしは、それは病的な顔をしている、と感じた。

 他にも話しかけると「おまえは考えるな!」「うるさい!」などと唾を飛ばす。


 ははあ。とわたしは思い至った。


 父は会社でそういう扱いを受けてきたのだ。

「おまえが国防を語るな!」も「おまえは考えるな!」も「うるさい!」も、全部父が会社で言われ続けてきたかなしいトラウマなのだ。

 かなしいことだと思う。

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