第7話ボクッ娘は悪か!?

 結論から申し上げますと、ボクッ娘を責めることはできません。

 なぜなら、女の子が自分を呼称するにあたって、「ボク(僕)」を選択するのには重大なわけがあります。

 一例をあげます。


 少女は早くに母を亡くし、父親によって育てられました。

 このとき少女は、父親にとって初めての子供でした。

 父親は封建主義の男尊女卑の世界で生きていました。

 おそらく、この父親には娘を育てるスキルが足りていませんでした。

 それなので、娘を息子として育ててしまいます。

 とある側面では同じ愛する女性を失った仲間として見、とある側面では娘が女になることを許しません。

 結果、娘は自分の中の女性性に自信が持てず、自分のことをボク、と呼称することになりました。


 保育園の年中の頃のこと。少女に友達ができました。

 その友達は裕福な家庭でもなく、目立つ印象でもなく、独りでおとなしく絵本を読んでいるような娘でした。


 二人が出会ったとき、化学変化が起こりました。

 少女がボク、と自分をさすとき、その友達も「わたし」ということをやめ、「ボク」と呼称するようになったのです。

 二人は「独りぼっち」という闇をわかちあい、たくさんの文化を共有しました。

 スカートを履かず、ダークなかえうたを歌い、クールにふるまい、自分を「ボク」と呼ぶ。(母親のことを話題に出さない)

 ルールはそれだけでした。


 しかし、そんな二人を周囲はよく思いませんでした。

 少女たちが自分のことを「ボク」と呼称するたびに、保育園の先生は「わたし」と言いなさい、と言うのです。

 二人は無口に過ごすようになり、遠くから姿を確認し合うだけになりました。


 短い間に、いろいろありました。

 周囲は少女が友達に悪い影響を与えている、と親に報告したのです。

 友達の母親は教育関係者だったので、その報告を大きく厭いました。

 大人の動向は友達にはわかりませんでしたが、結局少女は保育園に来なくなりました。

 友達はどうしたでしょうか?


 絵本が友達の目立たない娘は、結局初めてできた友達の孤独を癒すことができませんでした。

 友達は今でも思い出します。

 少女の孤独な青い影をまとった、華奢な姿を。共に歌いながら帰った日の当たる道を。

 友達の中で凍り付いた思い出は、そのままなのです。

 だから、独りの時はこっそり自分を「ボク」と呼びました。


 友達は、大きくなっても、拙い詩文に自分のことを「ボク」と書きました。

 居なくなった友達を思って、病気になるほど書きました。

 友達は大人たちに奇異な目で見られ、なんども誤解や偏見、悪意にさらされました。

 そのたびに彼女は思うのです。

 ただ楽しい友人と、共に笑い合って生きた、あの奇跡のようだった瞬間を。


 これが二人のボクッ娘のお話です。

 大きくはしょりましたが、おおむね本当のところだろうと思っております。

 たとえ、彼女の物語がその後どう変わっていたとしても。

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