第16召喚 最前線突破
「あれが最前線か……」
パルナタードを拉致してから数日。
国境線付近の小さな町。そこは戦闘が繰り広げられている危険地帯だった。
俺はその場所を小高い丘の上から見下ろし、溜息を吐く。
あそこを抜けなければ、魔眼族の領地に辿り着けない。
パルナタードの治療を行うためには、その激戦区を潜り抜けなければ。
これまであちこち歩いて安全に通過できそうな場所を調べてみたが、ここが一番戦闘が穏やかな気がする。時折遠くから大砲の発射音などは聞こえるが、他と比べると兵士の数も少ない。
魔眼族側の兵士にもこちらの事情が伝わっていればスムーズにパルナタードを運べるのだが、それも難しいだろう。伝書鳩みたいに何かを介して向こうへ情報を届けられればいいのだが、現状、直接兵士に訴えるしか今の俺に手段はない。
ただ、あの封鎖ラインを超えた先に知り合いであるスピルネやゼルディンが待っていれば、すぐにでも治療に移れる。あいつらがそこにいることを祈るばかりだ。
「もしかして、すぐそこは戦場なのですか、勇者様?」
「ああ、そうだな」
「勇者様もそこに飛び入って、敵兵を薙ぎ倒すのですよね?」
滅茶苦茶な要求をする王女である。
これだけの逃亡劇を繰り広げておきながら、彼女は未だに魔眼族にその身を預けようとしていることに気付いていない。毒に侵されているおかげで頭の回転が悪くなっているのだろうか。アホでよかった。
「敵をたくさん倒してやるからな」
「まあ。嬉しいわ」
「それじゃ……行くぞ!」
俺はパルナタードを抱え、また走り出す。
もう少しで、この女との逃亡劇も終わる。パルナタードにずっと目隠しをしたまま、ここまで担いできた。その苦労が、どうか報われてほしい。
街の中には人間族も魔眼族もほとんどいない。あちこち罠は張られているが、そんなものは俺自身が斥候となって敢えて罠に嵌り、発動させて解除していけばいい。体に鉄棘が刺さったり、足元が爆発したりしたが、どうにか王女を連れながら進んでいく。
もう少しで封鎖ラインを越える!
そのとき――
「クオオオオオオオオン……」
「え……」
嫌な音がした。
聞き覚えのある、あの音だ。
この音を聞いたのは何年も前の話だが、あのとき感じた恐怖は体にたっぷりと染み付いている。俺を何度も殴り、何度もペチャンコにしてきたヤツだ。無敵の肉体を持っている俺でも苦戦する天敵。史上最強の無人兵器だ。
「またお前かよおおおおお!」
「クオオオオン……!」
ゴーレム。
廃墟街のあちこちに隠されるように置かれていた岩が次々に集合し、巨大な人間の形を作っていく。頭部の赤い宝石がギラリと輝き、俺の前に立ち塞がった。
道理で配置されている兵士が少ないわけだ。ゴーレムがこの周辺を守っているからである。人間族もそれを知っていて、この辺を侵攻するのは避けているのだろう。
「何が起こっているのですか勇者様。変な音が聞こえましたけど?」
「とにかく逃げるぞ!」
その瞬間、俺の真上から岩石の拳が落ちてきた。
震える足で、間一髪でそれを回避する。地面が揺れ、着地点に巨大な跡が残った。
「ひぃっ!」
「勇者様、反撃なさらないのですか?」
「アイツは何度でも復活するんだよ!」
俺はゴーレムの股の下を一瞬の隙を突いてするりと抜け、封鎖ラインに向かって全力疾走した。ゴーレムの宝石のような目玉はしっかりと俺を捉え、地響きを生みながら追ってくる。その重量は歩くだけで街の建造物を粉砕し、俺に瓦礫の雨まで降らせてきた。
「おおおい! 誰かこいつを止めろぉ!」
俺は封鎖ラインに立つ魔眼族の兵士に大きく手を振り、自分の存在をアピールした。
丸腰なら向こうも攻撃を止めてくれるだろう。
そう思っていたのに……。
「誰かこっちに来るぞ!」
「あの顔は……勇者じゃないのか?」
「勇者が攻めて来たぞ!」
未だに勇者は魔眼族の脅威として認識されているらしい。俺は生身で砦を一撃で破壊できるような存在なのだから、当然と言えばそうなのだが。
そもそも前回に行われた魔眼族との交渉は中途半端なところで帰還させられ、うやむやになっていた。交渉は『途中放棄』として事実を抹消され、一般の兵士にまでその情報が知らされてなくてもおかしくはない。
「撃ち方始めっ!」
「ちょっ、止めろおおおおお!」
敵兵は興奮状態だ。
弩や弓で矢を放ってくるので、パルナタードに当たらぬよう自分の肉体を盾にする。次々と俺の背中に突き刺さり、痛みに堪えた。
「クオオオオオン……」
「お前も来るなああああああ!」
前方には敵兵。
後方からはゴーレム。
俺に逃げる場所はない。
ゴーレムは高く拳を振り上げ、俺たちを叩き潰そうとする。
もうダメだ。
お仕舞いだ。
パルナタードは死に、俺の加護やら命やらもどうにかなってしまう。
「畜生がああああっ!」
それから、長い静寂が続いた。
「……うん?」
いつまで経ってもゴーレムの拳は振り下ろされず、ヤツはじっとそこに佇んでいた。兵士からの攻撃も止んでいる。背中からの痛みは感じない。
俺は不審に思って封鎖ラインの方を見上げた。
「騒々しいから駆け付けてみれば、君は一体何をやっているんだい?」
そこにいたのは、丸眼鏡をかけた白髪の男。
四天王の一人、ゼルディンだ。
彼が兵士の射撃とゴーレムの動きを止めさせてくれたのだろう。封鎖ラインの壁の上にしゃがみ込み、俺たちをじっと見つめていた。彼が指を鳴らすと、ゴーレムは踵を返して元の位置へ歩き始め、先程と同じようにただの岩石に戻っていく。
「あぁぁぁ……助かった」
「久し振りだね、勇者君。僕も君の顔を見れて嬉しいよ」
「それは皮肉か?」
「そんなところさ」
ゼルディンは壁の上から降りてくると、堅固な扉を開けて俺たちを魔眼族領へ案内してくれた。彼の部下らしき兵が俺たちを囲み、キャンプ地へと連行していく。
「気になっていたんだけど、まさか、そちらのお嬢さんは……」
「パルナタード・ランス・ルミエーラ。ルミエーラ王国の王女だ」
ゼルディンは一瞬だけ目を丸くして驚いていたが、すぐに鋭い目つきへ戻った。
俺はあまりゼルディンと関わりがないだけに、彼がパルナタードをどう扱おうとするのか不安が残る。それでも、この場で頼れるのは彼しかいない。
「あなたは、もしかして勇者様の知り合いですか? それなら安心ですわ。私、パルナタードと申しますの。今度、ご一緒にお茶会でもいかが?」
「パルナタード、少し黙っててくれないか」
「まあ、勇者様。私の楽しみを奪わないでくださる? 城に篭りっぱなしだと、新しい人間関係をなかなか構築できないの。こうやって色々なお方とお喋りするのは、私の数少ない楽しみなんですから――」
パルナタードは目隠しをしており、ゼルディンの姿は見えていない。相手は俺と知り合いである人間族の兵士だと思っているのだろう。
相変わらず呑気なものである。勇者と一緒にいるためか、全く物怖じしない。ベラベラと饒舌に喋り続ける王女に、ゼルディンはやれやれと手を振った。
「是非、お茶会にご一緒させていただきますよ。王女様」
「本当? 予定はいつ頃がいいかしら?」
「戦争が落ち着いてからですね。それまでは眠ってお待ちください」
ゼルディンは彼女に手を
今のはゼルディンの睡眠魔法だろうか。ゼルディンは色々と気の利く男だ。喧しかった王女は急に静かになり、ようやく落ち着いて彼と会話できる環境が生まれる。
「いきなり眠らせてしまったけど、大丈夫だったかな?」
「ああ。問題ない。こいつが起きていると、話を折られるだけだ」
「君は王女を誘拐し、ここまで走って来たのかい?」
「そういうことだ」
「前々から思っていたけど、勇者君はとんでもないことをやるよね」
ゼルディンは「クククッ」と笑い、俺の目を覗き込む。
まるで彼はこの状況を楽しんでいるようだった。彼はスピルネと違い、難解な出来事を楽しもうとする性格らしい。
「どうやら、王国から離反したい意志は本当だったようだね」
「俺はお前たちの側に就く。前回に出された条件の、採掘場の破壊は実行してきた」
「それで、君の要求する見返りは何だい?」
「こいつを治療してほしい。マリナイバ鉱石の毒に侵されているんだ」
ゼルディンは俺の言葉を聞くと、部下に手で何か合図を送った。すると、キャンプの奥から馬車が現れ、俺たちの前に停止する。
馬車の動力源になっているのは、馬ではなく、馬型のゴーレムだ。兵士が魔力で操作しているのだろう。ゼルディンは荷車の扉を開けると、俺たちに乗るよう促した。
「僕の一存では君を受け入れるかは決められないが、そっちの王女様も僕らにとって大事な切り札になる。彼女の健康状態を整えることには賛成だ」
「治してくれるのか!」
「ああ。今すぐに設備の充実した治療施設へ運ぼう」
俺たちが荷車に乗り込むと、馬型ゴーレムたちは走り出した。ガタゴトと揺れ、封鎖ラインから遠ざかっていく。
俺はパルナタードを床に横たわらせ、目隠しを解いた。その寝顔はとても穏やかで、さっきまでの騒々しさが嘘のようだ。
「黙っていれば可愛いんだがな」
そっと彼女の髪を撫でる俺を、一緒に乗り込んだゼルディンは真剣な目つきで眺めていた。
彼はパルナタードの傍に座り込むと、離れていく封鎖ラインの方角へ顔を向ける。何か心配事でもあるかのように……。
「ところで、勇者君」
「何だ?」
「王国内で巨大な魔導兵器を見なかったかい?」
ゼルディンは何のことを言っているのだろうか。
俺は王都から採掘場を経由して、ほぼ一直線にここへ来た。王国内を隈なく探索したわけではないが、そんなものは見た記憶がない。
「見てないけど、それがどうしたんだよ?」
「いや……知らないならいいんだ。ただの噂話だと思って忘れてくれ」
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