第15召喚 王女落下中

「お願いします勇者様! また活動を始めた魔眼族を倒してください!」

「……」

「またしても、今回も魔王の居場所は分かりません。広大な領土のどこかに姿を消し、四天王を差し向けて本格的に我が国へ侵略活動を――」


 俺の前に跪く金髪の悪魔、パルナタード・ランス・ルミエーラ。

 思い返すと、こいつとの付き合いも長くなったものだ。最初に出会ったのは、俺が高校2年生のときだった。当時の彼女は幼さを残す少女だったが、今はさらに胸も突き出して大人の色気を漂わせている。

 今も昔も変わらないのは、クスリでもキメたようなヤバい目つきだ。瞳孔が開き、その黒々とした奥に狂気が滲み出ている。マリナイバ鉱石の毒を浴びた人間に現れる症状なのだろう。


 おそらく、パルナタードに殴る・蹴るなどの暴力は通用しない。

 マリナイバ鉱石には人間の神経に異常を引き起こす作用がある。パルナタードに拷問して鉱石発掘中止や魔眼族への投降を促しても、彼女は血を流しながら死ぬまで俺に魔王討伐を迫るはずだ。


 俺の力を以ってすれば、一撃で彼女を葬ることなど容易くできる。しかし、それは現代日本へ戻る手段と加護を失うリスクの高い行為であり、実行するのは好ましくない。

 そもそも、今の俺にはなつめがいる。帰りを待っているかもしれない彼女のためにも、希望は最後まで残しておきたいところだ。


 だから、俺のやるべきなのは、パルナタードを正気に戻すこと。

 そして、この戦争を終わらせること。戦争を終結させねば、パルナタードを正気に戻しても再び召喚される可能性は消えない。


「俺と一緒に来てもらうぞ、パルナタード」


 俺は彼女の細い腕を掴んだ。毒の影響なのか、ずっと城に閉じこもっているせいなのか、彼女の肌は異様に白く見える。


「どうされたのですか、勇者様。私の腕なんか掴んで……」

「お前を治療するんだよ!」

「『治療』と仰いました? 私は何も悪い場所などございませんが……」


 魔眼族はマリナイバ鉱石の毒に対する浄化薬を持っている。俺の記憶では、前回の召喚で訪れた村の住人たちに配布していたはずだ。それをパルナタードに使えば、精神状態を通常に戻せるかもしれない。

 しかし、そのためには彼女を魔眼族領まで連れ出さなければ。四天王ゼルディンの話によると、王国周辺はマリナイバ鉱石の粒子が漂っているらしい。この環境を改善しない限り、王国に浄化薬を持ち込んで治療したところですぐ毒に侵されてしまう。


「勇者様、そちらは壁ですよ?」

「こっちの方が早い」


 手段は選んでいられない。

 とにかく迅速に、とにかく短距離で移動を済ませなければ。

 パルナタードの部下である騎士や魔法使いも無視して、王国から連行する。


 俺は彼女の手を掴んだまま石壁の前に立ち、力加減をして殴った。壁はボロボロと崩れ、召喚を行った広間に大きな穴が開く。強い風が穴から抜けていき、パルナタードの金髪がなびいた。

 穴のすぐ向こう側には、城下町の広大な景色が見える。召喚が行われる広間は、地表から何十メートルも高い位置にある。普通の人間なら、ここから落ちれば高確率で死ぬが……。


「まあ。城の外壁に穴が……」

「ほら、行くぞ!」


 俺はパルナタードを抱え上げて飛び降りた。空中では自分の足から着地するように体勢を調節し、衝撃に備える。


「あははははは! 私たち、飛んでます!」

「喋ると舌を噛むぞ!」


 これで高い位置から飛び降りるのは何度目になるだろう。ゴーレムに追われたり、滝へ流されたり、そんな経験も積み重なって空中での姿勢維持に慣れてきたのは確かだ。

 ただ、股間が縮み上がるような感覚になるのだけはどうしようもない。空中では時間の流れがスローになり、俺に長く恐怖を与えようとする。


「あっ……ぐうっ……!」


 着地。

 俺は腕をふんわりと動かし、パルナタードに衝撃を与えぬよう配慮する。彼女は生身の人間で、俺よりも格段に脆い。運搬中に死なれたら困る。彼女はキョトンとした表情で俺のことを眺めていた。どうやら衝撃は伝わってないらしい。

 一方、俺の足は大惨事だ。脚の骨が皮膚の外に突き出すような骨折をしていた。加護ですぐに元へ戻るのだが、一瞬感じる痛みは凄まじい。パルナタードを抱えていたので自分の足へ余計に体重がかかり、足元のレンガタイルにかかとが突き刺さるかと思った。


「さすが勇者様! こんなこともできるのですね!」

「随分と嬉しそうだな、お前……」


 パルナタードの表情は歓喜に満ちていた。

 自分が組み立てたロボットが、思い通りに動いてくれるような感覚だろうか。自分の成果物である勇者がどんな動き方をするのか、パルナタード自身もその目で見たことがない。初めて見る俺の驚異的な身体能力に驚いているようだ。


「すごいです! 次はどんなことが起きるのですか!」

「お前を治療する、って言ってるだろうが」


 毒で神経に異常をきたしているせいか、こいつの思考・言動は滅茶苦茶だ。彼女を抱えたまま魔眼族領まで走り抜けるとなると、喋り相手兼見張り役になるのは苦労する。


 俺は着地の体勢から立ち上がると、パルナタードを脇に抱えて城門へ走り出した。蹴りで巨大な門を吹き飛ばし、城下町へ繋がる橋を駆け抜ける。俺たちを止めようとする兵士やバリケードも、軽く振り払って橋から落とした。橋の下に広がる池に大きな水飛沫が上がり、兵士たちは水面でパチャパチャと暴れていた。


「ここは城下町ですね! 私、久々にこの光景を見ました!」

「ここの住民も、いずれお前みたいに治療しろよ?」


 俺は人混みを避けるために、家や店の屋根を駆けた。街の景観を整えるためか屋根と屋根の間に高低差はほとんどなく、俺たちはスムーズに進んでいく。

 路上を行き交う多くの住民は俺たちに気付いていない。屋台料理や井戸端会議に夢中だ。


「勇者様! アレ、あの屋台で売ってる串焼き食べてみたいです!」

「帰ったら好きなだけ買ってもらえ!」

「ああっ、あっちの焼き菓子も美味しそう!」


 路上に並ぶ屋台を見て、パルナタードはまるで子どものように振舞う。目を輝かせて美味そうな料理に興味を示す様子は、かわいらしい少女のままだ。

 彼女が毒に精神を侵されていなかったら、きっと俺は惚れていただろう。異世界での生活も悪くないと思えたかもしれない。


 しかし、俺は現代日本で、決して代えることのできない大切なものを手に入れた。もうこんな世界から一刻も早く帰還しなければ。

 そのためにも、全ての元凶は取り除かないといけない。この女を治療したところで帰還できる道筋が立つ保証はないが、それでもやるしかない。


 美味そうな料理の匂いが漂う商業街をひたすら駆け、路地裏を飛び越え、城下町の出口へ一直線に進んでいく。


「もしかして、城下町の外へ私と出るつもりですか?」

「そうだよ!」

「まあ、大丈夫かしら。夕方までには戻ってくださる? 執事の方々が心配しますの」

「俺もなるべく早く用事を済ませたいよ!」


 屋根から地面へ着地すると、今度は城下町を囲む防壁を破壊する。俺の蹴りで広範囲に渡って壁が崩れ、瓦礫と砂埃が高く舞い上がった。俺はその煙の中を走り続け、どうにか城下町を脱出したのだ。


 何もかもが強引過ぎる逃亡劇だ。

 何十メートルも空中落下したり、屋根を駆けたり、王女を誘拐したり、スパイ映画に登場する工作員もびっくりな展開である。異世界無双小説に登場する主人公君も、こんな手段で自分を召喚した王女を城から連れ出したりはしないだろう。






     * * *


 これから魔眼族領に向かわなければならないのだが、一つ寄り道すべき場所がある。


 その日の夕方。

 俺はその場所へ訪れた。


「ここが、採掘現場か……」


 マリナイバ鉱石採掘・加工施設。

 城下町の近くにある巨大な鉱山だ。ここで発生する粉塵が王国全体に風で広まっているらしい。

 今日の稼働は終了しているのか、周辺に作業員の姿を確認できない。近くの宿舎に戻って夕食をとっているようだ。


「勇者様、これから何をしますの?」

「お前の王国に平穏を取り戻させてやるんだよ」

「まあ。それは嬉しいです!」


 パルナタードには布の目隠しを被せてある。景色に逐一反応して言葉を発するため、抱えているとうるさいのだ。


「それじゃあ、やるぞ……!」

「お願いいたします!」


 俺はマリナイバ鉱石加工施設の柱を、渾身の力を込めて殴った。バキバキと音を立てて屋根と外壁が崩れ落ち、加工場はペシャンコに潰れていく。中にあった加工設備も壊れただろう。

 次は、採掘用の大型機械だ。エンジン部分を殴ると、マリナイバ鉱石らしき青色の粒子を放出しながらゆっくりと倒れていった。この重量の機械を再び起こすには何日もかかるだろう。


 これで二つの設備による粉塵発生はしばらく止まるはずだ。こうすれば、魔眼族も王国内で活動しやすくなる。


「はぁ……また歩くか」


 そして王女を抱え上げると、俺は国境線に向かって歩き出した。

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