第14召喚 幸福強奪者

「それでは、新郎新婦の入場です!」


 自分はアホだと思う。ときどき、なぜ拉致される可能性があると分かっていながらここまで関係を進めてしまったのか疑問に思うことがある。親しい人が自分の傍から離れてしまうのが恐くて、いつの間にか俺は他人と距離を取るようにしていたはずなのに。


「いよいよだね」

「うん……そうだね」


 それでも俺は海棠かいどうなつめとの交際を続けた。同じ映画を鑑賞したり、居酒屋で食事したり、互いの趣味を披露したり、彼女との思い出は数え切れない。喧嘩もあったが、その度に俺たちは互いの価値観を理解し合って仲を深めてきた。心も体も拘束しない彼女の性格に、俺は安らぎを覚えていった。やがて俺は心の底から棗を求めるようになる。その情熱の高さはこれまで好きになった美波みなみ優子ゆうこへの気持ちにも負けていない。近い将来、棗と結婚するという選択肢以外はなかったと思う。

 隣には純白のウエディングドレスを纏った彼女が立ち、俺の手を握っている。


「それじゃ、一緒に行こう?」

「ああ」


 二人で決めた入場曲が流れ、俺と棗は赤いカーペットの上を歩調を揃えて進んでいく。互いの家族や友人から視線が集まり、盛大な拍手を送られていた。

 チラリと横を見ると、棗も俺の方を見ていた。決して高くはないドレスだが、彼女によく似合っている。スラッとした長身が活かされ、まるで女優のように美しい。

 こんなに綺麗な女性が俺の妻になるのか。そんな高揚感に、俺の胸が奮えた。


なつめ?」

「どうしたの?」

「あのさ……すごく、綺麗だよ」

「ふふっ、ありがと」


 俺と棗は白い花束に飾られたテーブルへ向かい、用意された席に腰掛けた。そこへ料理やらシャンパンやらが運ばれてくる。オプションの中では一番グレードの低かった安い料理コースではあるが、今の俺たちには十分すぎるほど豪華に思えた。


「それでは、乾杯!」

「かんぱーい!」


 おそらく、今が俺の人生の中で一番幸せな瞬間だと思う。自分の一番愛する女性が隣にいて、それを多くの人が祝ってくれる。

 やはり結婚は人生の醍醐味だ。『人生の墓場』なんて表現をする人もいるが、彼らは最愛の人をどういう風に思っているのだろう。俺の考える結婚とは人生の新章の始まりであり、これまでの自分を捨てて生まれ変わる最高の機会なのだ。パートナーと喜びも悲しみも共有し、自分と違う世界に触れていく。見知らぬ感情と出会い、価値観を深める。


「ずっと子どもの頃から夢だったんだよね、こういうの」

「ふぅん」

「でも、どんな人が夫になるのかまでは想像できなかったけどね。まさか、あなたがタキシードを着て隣にいるとは思わなかったけどさ。会社の新人研修で出会った人が、運命の人になるなんて意外なのもいいとこだよね」


 何気なく入社したあの日、俺は彼女と初めて会った。会社内だけの付き合いになるはずだったが、まさか一生の伴侶になるなんて当時の俺には予想できまい。

 そもそも、俺が結婚すること自体が予想外なのだ。異世界拉致を解決するまではそういう人生における重要なイベントは回避していくつもりだったのに、「好き」という感情には勝てなかった。


「どうしたの拓斗君、暗い顔しちゃってさ」

「こんなに幸せなことが起きると、次はとんでもなく不幸なことが起こるんじゃないかって不安に襲われるんだ。将来がどうしようもなく恐くなる」

「そんなの人生つまらなくさせるから、考えちゃダメだって。今は今、未来は未来で人生は謳歌しないと。もし辛いことが起こっても、後で笑えればいい思い出になるんだからさ」

「『思い出』……ね」


 棗は俺の膝の上に手を置き、微笑んで見せた。


「ほら、この料理、美味しいよ? 拓斗君も早く食べなよ」

「ああ」


 思い出。

 随分と嫌なイメージのある言葉だ。

 それもこれもパルナタードのせいである。ヤツが俺に重労働を押し付けまくって、その報酬が『思い出』だけ。「いい思い出になった」と言えば何でも片付いてしまう。そんな思い出の使い方に、心底うんざりしていた。

 異世界での問題を片付けたとき、俺は笑っていられるのだろうか。棗はまだ傍にいるのだろうか。嫌な思い出へ変化してないだろうか。

 式の計画が浮上してから、そんなことを考えていた。


「私もさ、バンドで全然売れなくて嫌な時期もあったけどさ、そのおかげで拓斗君に会えた。趣味とか価値観を縛らない旦那さんと今こうやって一緒になれたし、ひっそりとバンドも続けられているし、『好きな人と結婚式を挙げる』っていう別の夢も叶った。バンドで売れなかった時期が『まあいっか』って吹き飛ぶくらいには幸せだよ」


 俺も、こんな風に最後には笑いたい。

 思い出とは、次々と良いものへ塗り返していくものなのかもしれない。








 

     * * *


 結婚式のプログラムが一通り終了し、俺と棗は待合室で式を終える準備をしていた。これから出席者との二次会が始まる。

 棗はウエディングドレスを脱ぎ、別の青いドレスに着替えていた。俺もタキシードから別のスーツに衣装を代えて、棗の荷物が整うのを待つ。


「終わっちゃったね、結婚式」

「ああ。楽しかったな」

「ま、私は式を準備してるときが一番楽しかったけどね。拓斗君と式の様子を色々想像できて、妄想が膨らんでいたというか……」


 俺たちの結婚式は大成功と言っても過言ではない。笑いあり、涙ありの、激しいイベントだった。ケーキ入刀も上手くできたし、料理も美味しかった。今日は間違いなく俺にとって一番重要な記念日になることだろう。


「今日の思い出を忘れないようにしないとな。明日の辛いことに立ち向かう活力になる」

「そうね。日常に戻りたくないなぁ」

「ハハハッ!」


 そのときだ。

 例の災厄が降ってきたのは――。


「お願いです、勇者樣! 魔王を――」


 あの女の声が頭に響く。


 ああ。

 分かってる。


 今回はあまり驚かなかった。アイツはいつも俺の人生が順風満帆なときに限って呼び出してくる。幸せな時間を壊されるのに免疫が着いてきたせいなのか、これから来そうだと予想していたせいなのか、特に感情を大きく取り乱すこともなく平静を装った。


「あのさ、なつめ

「どうしたの、拓斗君?」

「俺、今からどうしても行かなきゃいけない場所があるんだ」

「え、これから二次会なのに?」

「うん、本当にごめん!」


 俺は棗の手を握った。彼女と離れてしまう寂しさに、俺の手は震えていたと思う。


「それで、いつ帰ってくるの?」

「分からない。半年かもしれないし、一年かかるかもしれない」

「そんなに?」


 棗はキョトンとしている。

 俺の言葉の意味を理解できていないせいなのか、俺が突然涙目になって手を握ってきたせいなのかは分からない。

 それでも彼女は俺の瞳を真っ直ぐに捉え、俺の口から出る言葉へ真剣に耳を傾け続けていた。


「もし待つのが苦痛になったら、別の男のところへ行っても構わない。でも、これだけは覚えていてほしい」

「何?」

「俺はいつも棗のことを想っている、って」


 俺は彼女を抱き寄せ、離れられぬよう両手を背中に回す。

 そのまま彼女の唇に、自分の唇を押し付けた。

 棗と会えるのはこれが最後になるかもしれない。そんなことを考えながら、窒息しそうになるまでキスを続けた。


「それじゃあ、行ってくる」

「とりあえず、私はあなたの帰りを待っていればいいのね?」

「うん……『絶対に』とは言わないけど」

「まあ、気が変わるまでは待っていてあげる」

「それくらいの気持ちで大丈夫だよ」


 彼女を『夫婦』という手錠で拘束したくなかった。いつまでも孤独で俺を待たせるのは可哀想だ。彼女を縛り付けるくらいなら、彼女自身の心がときめく方向に進ませ、人生を豊かな時間で満たしてほしい。異世界拉致で人生の時間を無駄にしてしまう犠牲者は俺だけで十分だ。


 そうして、俺は光の粒子となって彼女の前から姿を消した。


 目の前には、もちろん金髪の女が跪いている。

 今回で決着をつけなければ。

 俺は拳を強く握り締め、彼女へと向かっていった。

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