第12召喚 生活感忘却

 三回目の異世界召喚を受けてから、すでに二年が経過していた。魔王探しに時間をかけすぎただろうか。

 いや。そもそも召喚された当時は魔王探しなんてするつもりなかった。向こうの世界で一生過ごす予定でいたのに、それがパルナタードの「対抗する十分な準備が整った」という理由で帰されたのだ。魔王を倒さずに「帰らせたい」なんて思ってしまうのは完全に予想外だ。あの女なら俺が行方不明になったところでいつまでも魔王を倒すことを妄信して帰還命令など下すはずがないと思っていたのに……。彼女の行動パターンを妄信していたのは俺の方だったのかもしれない。


 パルナタードが俺を帰す直前に言っていた話が本当だとすると、俺が異世界に存在し続けるためには彼女からの魔力供給が必要らしい。となると、パルナタードが消えた場合、俺はどうなるのだろうか。彼女が「帰らせたい」と考える以外にも、彼女が魔力供給できなくなれば帰れるという隠された条件があったのだろうか。彼女をさっさと殺していれば、俺はすぐに戻ることができたのだろうか。

 もしかすると「勇者を召喚し続ける」という言葉は、「加護を与え続ける」という意味合いなのかもしれない。俺は『力』を持っているから『勇者』と呼ばれるのであり、加護がなければただの凡人だ。パルナタードが死ねば、魔力の供給が途絶えて加護も消える。俺は異世界に取り残されたまま、凡人として生活しなければならない。俺が現代日本にいる間は加護が引き継がれないことを考えると、その線が濃厚になってくる。

 どっちにしても、彼女を倒さぬ限り確かめる術はないだろうが……。


 しかしこうなると、何度も異世界召喚されることなく平穏に過ごせる手段は限られてくる。戦争を終わらせるか、パルナタードの息の根を止めるか、そのどちらかだ。

 戦争が完全に終結すれば、強大な戦力である勇者が呼ばれる必要は消える。俺は現代日本へ戻り、何事もなく日本社会で暮らしていく。しかしこの問題を解決するにはマリナイバ鉱石の採掘を止めさせる必要があり、加工施設の破壊や、汚染された人間の浄化など、プロセスに手間隙てまひまがかかるのは確かだ。

 手っ取り早いのはパルナタードを殺害することだが、彼女の言葉の真相を掴めぬ限り、これを実行するのはリスクが大きいような気もする。あんな危険だらけの異世界で、加護なしで放り出されて生きていける自信がない。それに彼女一人が消えたところで戦争は終結しないだろう。あの頭の狂った人間族のことだから、きっと欲望のままに戦争を仕掛けて事態を悪化させそうだ。戦況が悪化すれば、のんびり異世界ライフは遠のく。


「ったく、どうしたらいいんだよ……」


 俺は頭をボリボリと掻きながら、帰された地点から自宅へ向かって歩き出した。

 高校生の頃から使っている通学路だが、今は随分と景色が変わった気がする。草むらだった空き地には三階建てのマンションが建ち、家族連れをよく見かけるようになった。近所の望月さんの家では門の前を通る度に外飼いの柴犬に吠えられていたのだが、それも静かになった。すっかり老犬になり、吠える体力もなくなったのだろう。


「ああ、あの土地。コンビニになったんだ……」


 異世界拉致されてから長い年月が経っていることを、変化した街並みは示していた。

 もう三度も異世界へ行ったが、何も事態は変わっていない。依然、向こうの世界は戦争が続いているし、俺も異世界拉致される危険性を孕んだまま生活する。三度目の正直で終了するはずが、結局何も為せなかった。魔眼族の長と対話できたのは進歩かもしれないが、条件を実行する前に帰還させられては意味がない。

 果たして次も召喚される機会があるのだろうか。次こそパルナタードに異世界拉致を止めさせられるだろうか。


 そんなことを考えながら足を進めていたら、いつの間にか自宅へ辿り着いていた。駐輪場に置かれた母の自転車が新品になっている。家庭菜園の作物は別の品種に代わっていた。


「ただいま」

「今度はどこに行ってたのよ、アンタ」


 俺がまた行方不明になっていたことに、もう両親は驚いていなかった。呆れた顔のままリビングで茶をすすり、ぼんやりと俺のリクルートスーツ姿を眺めている。両親の反応もかなり変化したと思う。最初に拉致された当時は泣き叫んでいたのに、今ではすっかり慣れているようだ。二年ぶりに俺の姿を見ても、ソファに寛いだまま動こうとしない。


「大学は休学にしておいたから、退学するか復帰するか考えておきなさい」

「う、うん……」


 両親は素っ気なく言葉を投げると、視線をテレビのバラエティー番組へと戻した。画面の中では番組の企画で芸人が痛い目に遭っており、両親はそれを見てゲラゲラ笑っていた。










     * * *


「やあ、久し振り。拓斗君」

「どうも」


 戻ってから数日経ったとき、自宅へ刑事が訪ねてきた。灰色のスーツに、無精髭。見覚えのある顔だ。以前にも俺の行方不明事件を担当していた男だろう。


「どう? 最近も連絡がつかなかったけど、また異世界に出掛けていたのかい?」

「出掛けた、と言うよりは、拉致された、と表現する方が正しいですね」

「そうかい? 大変だったね」


 俺は彼を自宅の客間に招き入れ、テーブル越しに向かい合うように腰かける。

 日本への帰還後、彼を見るのが恒例行事になってしまった。こんな事件の担当になってしまうなんて、彼もご苦労なことだ。日本にいる間は第三者の介入可能なポイントが一切ないのに……。


「あのさ、君が今回行方不明になった瞬間の話なんだけどさ」

「はい」

「内定式のこと、覚えているかい?」


 ああ、そう言えば、拉致されたのは内定式のスピーチ中だったな。

 今思い返すと、周りの人間に随分と迷惑をかけた気がする。冷静さを失い、滅茶苦茶なことを叫んだのを覚えている。しかもその末に光となって消えたのだから、実際に見ていた連中には底知れぬ恐怖を与えただろう。


「会社の採用担当者が式の様子をカメラに記録していて、君が消えた瞬間も録れていたんだけど、見るかい?」

「いや、いいです……思い出したくないんで」

「ま、そうだよねぇ……」


 彼はスーツの裏ポケットから取り出しかけていた携帯端末を再び奥へしまい込んだ。


「今回は消えた瞬間の目撃者も多くてね。僕の同僚も真剣に映像を見ていたよ。残念ながら捜査までは行われなかったけどね」

「別にいいですよ。あなた方が捜査してどうにかなる問題ではありませんから」

「ふふっ……君もかなり顔つきが変わったね。ある種の悟りを開いたような、そんな顔になってるよ」











     * * *


 樹海を彷徨い、数々の罠を突破し、敵に発見されぬよう身を潜める。そんな生活を二年近く続けている間に、すっかり日本での過ごし方を忘れてしまった。俺は普段、どんな風に暮らしていただろうか。


 植え込みの根元に茸が生えているのを見たとき、樹海で暮らしていた経験からかそれを反射的に口へ運びそうになった。舌に触れそうな瞬間我に返り、持っていた茸を悲鳴を上げながら遠くに投げ捨てた。

 俺はどうしてあんな毒があるかも分からない茸を食べようとしていたんだ!

 そして「違う、野蛮人みたいな生活は忘れるんだ!」という言葉を何度も復唱する。

 スーパーマーケットに出掛けたときも、代金を払わずして陳列されていた果物を味見しそうになった。丸かじりする直前に気づき、急いで品を買い物篭に入れる。それ以来、食品売り場へ行くのが恐くなった。

 異世界拉致を受けてから、俺の行動範囲が徐々に狭くなっている気がする。今度はどこに行くことが恐くなるだろうか。この事態が収束したとき、俺はまともな人間のままだろうか。









     * * *


 大学に復帰し、また卒業研究をやり直す。就職活動で使うための『新卒』の肩書きも欲しかったし、拉致前に過ごした三年半を無駄にしたくなかったからだ。いつ再び召喚されるか分からない恐怖から、論文は迅速に書き上げた。あとは担当教授が論文を評価し、俺に単位を与えてくれれば勝手に卒業となる。


 論文を提出したゼミの帰り道、ふと何か寂しさが俺の心に突き刺さった。


「そうだ……アイツ、何やってんだろ」


 召喚される前、俺はいつも野間優子と一緒に大学からの帰り道を歩いていた。大学のエントランスを抜け、桜並木の歩道を隣に肩を並べながら。近くの安い中華飯店で夕食を取ったり、雑談したり、誕生日プレゼントを送ったり、それなりに充実していた大学生活。

 ゼミに入ってから出会った研究仲間の野間。当時、俺には彼女以上に仲のいい女性はいなかったと思う。彼女のあどけない笑顔を見るのが毎日の当たり前だと思っていたのに……。

 そんな青春を、突然思い出したのだ。


「まだ連絡繋がるかな……?」


 俺は鞄から携帯電話を取り出し、ゼミの連絡に使っていた通信アプリを開いた。友だちリストに野間の名前はまだ残っており、俺は通話ボタンを押し込んだ。

 しかし彼女が応答したところで、俺は何を話せばいいものか。行方不明になった経緯、俺は今どうしてるか、とか。ボタンを押してからの数秒間、そんなことを考えた。


「あ、もしもし、猿渡だけど……」

「お客様がお掛けになった電話番号は、現在使われて――」


 応答したのは、無機質な自動音声だった。

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