第10召喚 偽装本拠地
集落の出口に差し掛かったところで、俺はスピルネを脇に抱えて森林の中へ走り出した。全裸で美人をさらう変態。こんな姿であちこち走り回りたくないが、いずれスピルネの部下も追ってくるだろう。俺に追いつくのは時間の問題だ。十分に集落と距離を取ったところで、俺はスピルネを地面へ投げ下ろした。
「まず、お前に聞きたいことがある」
「な、何?」
「村の連中としていた会話の内容についてだ」
俺は地面にスピルネをうつ伏せに倒すと、彼女の背中に膝を乗せて逃げられぬよう体重をかける。彼女は苦しそうに呻き声を上げたが、それでも構わず質問をぶつけた。
「『浄化薬』とは何のことだ?」
「え、そんなこと……?」
「いいから答えろ!」
「か、隔離地区に蔓延する毒に侵された者を治療するための薬……」
「隔離地区?」
また謎の単語が出てきた。どうやら人間族と魔眼族の戦争には俺の知らない事情がまだあるらしい。
「『隔離地区』とは何だ? どこのことを指している?」
「わ、私たちが封鎖を行っている地域のこと……」
封鎖? よくゾンビパニック映画で見るような、検問所を建てて人の出入りを規制することが行われているのだろうか。
「もしかして王国の国境近くに配置されている前線基地は、その封鎖をするための場所か?」
「そ、そうだけど」
「じゃあ、その毒ってヤツを封じ込めるために、お前らは王国へ侵攻しているんだな?」
先日、魔眼族の領地内に侵入するときに通過した前線基地。あれは軍事的封鎖のために張られたものらしい。俺はその封鎖網を内側から突破してしまった。つまり、俺が召喚された王国は、彼らの封鎖地区の中に存在することになる。
異世界ハーレムライフという夢物語も楽しみたかったが、どうもこの戦争には裏がありそうだ。その事情をハッキリさせ、魔眼族へ自分が王国に協力的でないことを伝えなければ、俺はどこへ逃げても今回のように追われるような気がする。
「お前たちのボスと話がしたい。ルインベルグの居場所へ案内しろ」
「そ、それはできない! 今はこんな情けない姿をあなたに晒しているけどね、私だって戦士よ! 仲間を危険な目に遭わせる真似はできないわ! ましてや、作戦全体を指揮するあのお方に会わせるなんて、そんなことするわけないでしょう! 例え拷問されたとしても、絶対に言うつもりはないわ!」
先代魔王を殺すようなヤツを簡単に許してくれるはずがない。予想はしていたが、魔眼族から信頼を勝ち取るのは難しそうだ。拷問して無理矢理案内させると、彼らの俺に対する恐怖心を煽ることになってしまう。ただでさえ恐がられているのに、これ以上ヘイトを上げたら余計に対話が困難になる。今この場でスピルネを説得するのは諦めた方がいいだろう。
「……分かった。今はあんたの意見を尊重してやる」
「わ、私を殺すの?」
「いいや。それはしない。ただ、最後に一つ聞いておきたいことがある」
俺は彼女を地面へ押し付ける力を緩め、腕を引いてその場に立たせた。
「王国に蔓延する毒っていうのは、何が原因で――」
その瞬間、俺の背後に突如巨大な影が現れ、何か硬いもので背中を殴られた。その威力は凄まじく、俺を天高く吹き飛ばし、体が木葉とともに樹上へ舞い上がる。
「またお前かああああああっ!」
吹き飛ばされながら空中で見たのは、昨日俺を執拗に殴ってきたあのゴーレムだった。スピルネを救助するために現れたのだろうか。今回、ヤツは俺に目もくれず、スピルネを手の平に乗せて回収すると踵を返して森の奥へ消えていった。
「誰だ……アイツは」
そのとき、俺の瞳はゴーレムの左肩に座っている何者かを捉えていた。ボサボサの白髪に、丸縁眼鏡をかけた男。甲殻のような戦闘服の上に、薄汚れたエプロンを着用していた。顔つきや肌の色からして、スピルネと同じく魔眼族だろう。
「た、助かったわ、ゼルディン」
「いいや。これは勇者に封鎖網を突破された僕の責任だ。君が気に病むことはない」
スピルネに「ゼルディン」と呼ばれたあの男がゴーレムを操縦しているのだろうか。他の兵士とは違う、特別なオーラを放っている。昨日も彼が近くでゴーレムを操っていたのかもしれない。
スピルネ、そしてゼルディン。どちらも魔眼族の「四天王」と呼ばれる上級兵士の一人だろう。かつて先代魔王に仕え、現在は魔眼族を統制している連中だ。そして、元四天王の魔王ルインベルグの位置を知る重要人物である。
俺は彼らを遠くに見ながら、森の中を流れる河川へと落ちていった。
* * *
俺が流れ着いたのは、全く知らない景色の場所だ。出口の見えない樹海。奇妙なモンスターがウヨウヨしている。滝を幾つも流れ落ちた気がする。俺は尖った岩だらけの川辺に立ち、暗くなり始めている空を見上げた。
「ったく、仕方ねぇ……」
二日連続で川に流されるなんて、今回の召喚旅はかなり幸先が悪い。前回も前々回も散々だったが、初っ端からここまでハードな展開になったのは今回だけだ。
だが、新しい情報の収穫はあった。やはりパルナタードは何かを隠している。スピルネが言っていた「毒」とやらが、あの王国に渦巻く狂気の原因なのだろうか。
「少し探してみるか……!」
俺は領内のどこかにあるとされる魔眼族の本拠地を探してみることにした。その目的は魔王を倒すことではなく、俺が王国から離反したいことを分かってもらうためだ。だが、先程スピルネが口を硬く閉ざしていたように、下っ端に尋ねたところで俺を誘導してはくれないだろう。仲間内にも情報統制されて本拠地の場所を知らされていないかもしれない。直接自分で魔王を探すか、魔王とコンタクトを取れる上級兵士を見つけて交渉してもらう必要がある。
こうして魔王を求めて異世界をさまよう旅が再スタートした。きっと、今回は一味も二味も違う旅になるだろう。
* * *
それから、俺は何日も樹海を歩きまくった。
その間の食料は、その辺の果実や茸。毒性を持っていても、加護があれば短時間で解毒できるので本当に便利だ。こんな危険な食料の確保方法は原始人もビックリだろう。
「うん……これは、食える」
だが、どんな能力にも欠点はあるものだ。この解毒能力におけるその一例が、どんな食材にも恐れを感じなくなることだ。新しい味や食感を体験できることは面白いのだが、俺の体は稀に遭遇するクソ不味い食材にも慣れていった。確かに何でも食えることは異世界を生き抜くうえで重要なスキルではあるが、徐々に現代日本に生活していた頃の味覚が消えていく気がする。恐怖を感じなくなることが恐怖だった。果たして、この旅が終わったとき、俺は人間のままなのだろうか。
襲ってくる巨大モンスターは拳で狩猟する。何度か丸飲みされて消化されそうになったが、胃の内側から攻撃すれば腹を突き破って脱出できる。ただし、胃液の悪臭だけはどうしようもない。俺の肌には吐き気を催す臭いがこびりつき、前回と同じく嗅覚が消滅しそうになった。
就寝時も全裸なので、どこからか飛んで来た昆虫型モンスターが俺の血を吸いにくることがある。痛みはほとんどないのだが、羽音が鬱陶しい。それに多少痒みも感じる。中にはラップの芯みたいな特大サイズの吻を突き刺してくる巨大蚊もいるので、落ち着いて眠れない。火を焚いて虫除けもするのだが、湿った樹海ではすぐに消えてしまう。
「何なんだよ、お前らは! あっちに行きやがれ!」
俺は深夜の樹海でキレた。眠気を怒りに変え、泥の上を走り巨大蚊を追い回す。体力の無駄遣いで余計に腹が減り、壊れ始めている味覚でその辺の茸を食す。そして寝る。蚊が現れる。キレる。追いかける。腹が減る。茸を食す。味覚が壊れる。この負の連鎖を数え切れぬほど繰り返した。何度も前回の苦行が頭の中に蘇る。今回は睡眠中に小型モンスターを追い払ってくれる護衛もいないので、完全に無防備になることは避けられない。
今度はいつまでこんな生活が続くのだろうか。チート的能力を持っていてもこの様である。異世界のサバイバル生活は甘くないのだ。
* * *
そうして、俺は魔眼族の領地内を歩き回った。魔王が隠れていそうな場所を推測し、徹底的に調べ上げて候補から外していく。それと同時並行して四天王の連中も探したが、スピルネを尋問したことで俺が魔王を探していることを察知したからだろうか、なかなか巡り合うことはできなかった。
アジトのフェイクも多数存在した。遺跡や炭鉱に偽装された基地で、奥は俺を倒すために設計された巧妙なトラップとなっている。俺はそんな偽基地を発見する度に「おお、これが本拠地じゃないか?」とぬか喜びさせられたものだ。本物と信じて奥に進むと落とし穴になっていたり、天井から睡眠ガスが噴出してきたり、それでも俺の無力化に失敗すると基地ごと俺を爆弾で埋めようとしたり、満身創痍にさせられた。罠に込められた殺意が高すぎる。
ルインベルグは基地を定期的に移動して俺の追跡から逃れているという情報もあり、その警戒心の高さはスパイ映画の悪役にも劣らない。その辺を警備していた兵士に尋問しても「知らない」と言うだけで、大した情報は得られなかった。やはり、特定の上級兵士にしか魔王の居場所を教えられていないのだろう。
「じゃあ、お前らにも魔王の居場所を知っているのは、ヤツの側近と四天王だけなんだな?」
「ああ、そうだよ……聞きたいことは教えただろ! 早く俺を放してくれ!」
「次の質問に答えたら放してやろう」
「な、何だ?」
「王国に広まっている毒っていうのは、何が原因なんだ?」
「そ、それは――」
* * *
それでも俺は魔王を探し続けた。
王国を倒すため。自由な生活を手に入れるため。
そうして辿り着いた場所は、あの場所だった。
「まさか、こんな場所にも隠されていたなんてな……」
俺が始めて召喚されたときの目的地、かつて魔王を倒した古城。あちこち蔦で覆われ、今は放棄されているようにも見えるが、裏で活動中であることを隠すためのカモフラージュらしい。昔、最初に制圧した場所へわざわざ戻ってこないと予想したのだろうか。
古城は罠だらけだったが、ここまで何度もかかっていると事前に察知できるほど勘が冴えてくるものだ。睡眠毒が塗られた矢の吹き出し口を把握し、落とし穴の解除装置を発見する。驚異的な身体能力を持っているからこそ得られる技術である。
「久し振りだな、スピルネ」
古城の地下室へ潜り、そこで発見したのは四天王の面々。巨大なホールを囲むように立ち、全員で俺のことを睨んでいた。スピルネ以外にも、ゴーレムを操っていたゼルディンもいる。
奇妙な仮面と黒いマントで姿を隠しているのがルインベルグだろうか。ホールの奥で玉座らしき黒い椅子に腰かけ、仮面の穴から俺を見据えていた。
「わざわざここまで来るなんて、大した執念ね」
「どうしてもお前らと交渉したいことがあるからな」
ルインベルグらしき人物が玉座から立ち上がり、仮面の奥で口を開いた。
「それでは、お前の要望を聞こうか、勇者よ」
ついに、俺の待ち望んでいた瞬間が来た。
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