第9召喚 極悪非道人

「準備はできた?」

「はい、全員完了しております」

「それじゃ、合図で一斉に突入しましょう」


 巨大な注射器とカッターを手にした兵士が納屋へと接近する。注射器の麻酔で俺を眠らせ、カッターで手足切断。このまま何も策を講じなければ、俺にはそんな未来が待ち受けている。


 そうだ! 納屋の裏の壁を破壊して逃げよう!

 と、考えてみたものの、兵士は納屋を囲むように配置されており、彼らに死角はない。しかも、前回の魔王戦で使用された狙撃用魔導兵器を構えている。眩いビームが俺の視界を潰し、逃げる速度を奪ってくることだろう。そうなれば注射器の餌食になるのは時間の問題だ。


 どうする俺! 考えろ……考えろ……!


 表に出て、説得する?

 いやいや、ダメだ。説得の前に注射器を刺されて切断されてしまう気がする。「話は後で聞いてやる」と言われてしまえば終わりだ。話を聞くだけなら手足は必要ない。

 そんな無駄な思考を巡らせている間に、敵はすぐそこまで迫っていた。


 そして――


「突入!」


 スピルネの指示で重装備の兵士が納屋へ雪崩れ込んだ。


 しかし――


「勇者は……どこだ?」


 彼らの視界に俺は映っていない。

 俺は納屋の梁に隠れるように、天井へ張り付いていた。衣服を地面の泥と埃で汚し、それを迷彩色として天井の朽ちた薄板に溶け込む。息を殺し、1ミリも体を動かさぬよう細心の注意を払った。兵士たちは藁の束や農具の物陰に潜んでいないかと探すが、俺の位置には気づいていない。納屋の天井が高かったことが、窮地を救ったのである。


「スピルネ様、勇者がいません!」

「……どういうこと?」


 スピルネも納屋へ入り、俺が寝ていた周辺を凝視する。


「スピルネ様、床にこれが落ちてました」

「王国の紋章エンブレム……勇者の剣ね。勇者がここにいたのは確かみたい」


 自分の姿こそ隠せたものの、焦って自分がそこにいた証拠を残してしまったのは悪手だったのかもしれない。スピルネたちの表情は曇り、警戒心を高めてしまった。


「誰も納屋から出て行ったところを見てないのよね?」

「はい。ここに駆けつけたときからずっと監視していましたが、誰も出入りしていません」

「だとすると、それよりも前にここを出て行ったのかしら? でも、剣を置いたままなんて……」


 スピルネは木箱の上に座り込み、顎に手を置いた。床に放置された剣を見つめ、じっと考え込む。

 頼む! いいから早く出てってくれ!

 天井のボロボロ板はいつまでも俺の体を支えられるほど頑丈ではない。今この瞬間にも天井が崩れてスピルネの目の前に落ちてもおかしくないのだ。


「どこなの、勇者……」

「我々が到着する前に、森林へ逃げ込んだのではないでしょうか?」

「うーん……何人か森林に入って形跡がないか探ってくれないかしら?」

「承知しました」


 おお、出て行ってくれそうだ!

 兵士全員の注意が集落外へ向いてくれれば、納屋から脱出するチャンスが生まれる。そこにいる全員が出て行ってくれることを期待し、彼らの動きに目を見張った。


「それでは、行って参ります」

「気をつけるのよ。何か発見したら、すぐに納屋ここへ戻って来なさい。単独で戦闘を始めることは許しません。何も発見できなくても、正午になったら調査は終了よ。いいわね?」

「拝承いたしました」


 兵士たちは一斉に納屋を飛び出して行った。

 しかし、スピルネだけは木箱に座ったまま動こうとしない。白く華奢な脚を組み、俺の剣を見つめながら考え事をしている。

 お前も出て行けよ! 俺が降りられないだろ!

 いや。まさか、こいつ……俺がまだ納屋にいることに気付いているのではないだろうか。油断させて俺を目の前に誘き出す作戦なのかもしれない。相手は魔眼族の幹部クラスの存在だ。俺を倒せるほど強くなくとも、足止めするくらいの能力はあってもおかしくない。発見されれば手足切断のリスクが高まる。彼女がそこに居続ける限り、この膠着状態はいつまでも続くことだろう。


 まだか?

 まだなのか!?

 まだ出て行ってくれないのか!?


 スピルネは行動よりも考えが先に出る性格なのだろう。いつまでも納屋から出ようとはしない。俺が剣を置いたまま納屋から消えた意味を解明しようと脳を回転させている。

 一方、こっちは隠れる限界時間が近づいていた。俺の体重を支える板が先程よりもグラグラと揺れ始め、あと少し力を加えるだけで外れそうになっている。緊張で指先の感覚が消え、尋常ではない量の手汗が溢れてきた。俺がスピルネの前に落下するのは時間の問題である。


 あとちょっとで落ちる……!


 そのとき、スピルネの前に来客が現れ、納屋の静寂を断ち切った。


「あのぉ……スピルネ様?」

「はい?」

「勇者はどうなりましたか?」


 来客の正体は、俺を村へ誘導した女と、俺を密告したオヤジだった。彼らは不安そうな表情でスピルネへと詰め寄り、彼女の顔を覗き込む。


「申し訳ありません。現在、剣を残したまま行方不明です」

「そんな……この村の者は皆怯えているんです。あの勇者が災いを持ち込むのではないかと!」


 俺が災いを持ち込む?

 何のことを言ってるんだ、あのオヤジは……?


「安全が確保できたら、村の全員に浄化薬を配布するつもりです。今は自宅に留まるようお願いします……」

「皆、王国にいる連中のようになりたくないんだ。保護してもらってる身でこんなこと言いたくないんだけどね、アンタたちには早くこの問題を解決してほしいんだよ」

「我々も早急な解決に向けて尽力しています。ですから、今はお引き取りください」


 また気になるワードが出てきた。


 浄化薬?

 保護?


 一体、彼らは何について会話しているのだろう。早く出て行ってくれと願いつつも、その内容に興味が湧いてしまう。


「今回は、勇者を刺激しないよう納屋へ誘導してくれたことに感謝します」

「アタシたちがすがれるのは、もうアンタたちだけなんだ。何か協力できることがあれば、遠慮なく言ってほしい」

「分かりました。また協力をお願いするかもしれません」

「それじゃ、頑張ってくれよ」


 スピルネが頭を深く下げると、オヤジたちは踵を返して自宅へ帰っていった。その様子を見届けると、スピルネは再び木箱に座り込む。


「どうして上手くいかないのよ……!」


 彼女は苛立ったように頭を掻いた。赤髪がぼさぼさと乱れ、瞳孔が細くなる。今回、俺の消失はかなり頭に来ているらしい。これは絶対に見つかってはならないだろう。何かと苦労の多い敵幹部だ。


「はあああ……もう……!」


 スピルネは長く溜め息を吐き、天井を見上げた。


「あっ」

「あっ」


 その瞬間、彼女と目が合った。


「ああああああああああああああああああっ!」

「ああああああああああああああああああっ!」


 俺は彼女に見つかって叫び、彼女は俺を見つけて叫んだ。

 俺の脳内は修正液を大量にぶち撒けたかのように真っ白になり、恐怖で考えていたことが全て吹き飛ぶ。

 一方、スピルネも顔が恐怖に歪んでいた。魔王を一撃で絶命させる敵がこんな至近距離に突然現れたのだ。そうなるのも当然だろう。


「ああああああああああああああ!」

「きゃああああああああああああ!」


 俺は焦って腕に力を込めてしまい、天井の板を破壊してしまった。バキリと音を立てて、俺の体重を支えるものが消失する。

 そのままスピルネの元へダイブし、俺は彼女の上に倒れ込んだ。落ちた勢いで彼女を地面に押し倒し、体と体が強く密着する。


「うわあああああああああああああああ!」

「いやあああああああああああああああ!」


 このときの彼女が感じていた恐怖は相当なものだったと思う。一撃で体をグチャグチャにされると考えていたに違いない。

 スピルネは咄嗟に渾身の蹴りを繰り出し、俺の股間へヒットさせた。その衝撃で俺は納屋の壁を突き破り、屋外まで吹き飛ばされる。


「ああああああ!」


 地面に伏す俺に向けて、スピルネは何発もの炎魔術を撃ち込んだ。彼女の両手に巨大な火球が形成され、俺に当たると同時に天高く火柱が聳え立つ。生身の人間なら、これをまともに食らった時点で灰と化しているだろう。


「はあっ、はあっ……!」


 それでも俺は生きている。炎で服が燃え、全裸状態で俺は彼女の前に立ち上がる。


 どうする?

 俺はここからどうすればいい?


「お、お前に聞きたいことがある!」

「いやああああああああああ!」


 強敵が目と鼻の先にいるし、炎魔術も効かないし、全裸で恥部が丸出しだし、スピルネは極度の混乱状態に陥っていた。先程の会話の内容について尋ねてみようかとも思ったが、あんな状態では正常に尋問できそうにない。


「いたぞ、勇者だ!」

「どうして全裸なんだ!」


 騒ぎを聞きつけて、森へ探索に出ていた兵士も戻ってくる。現場はもう滅茶苦茶だ。村の住人たちも自宅の窓から俺の全裸を覗き込み、困惑した表情を浮かべる。


「こ、こっちに来るな!」

「ひぇっ!」


 俺は怯えているスピルネに向かって走り、彼女の腕を掴んだ。そのまま彼女の背後に回り込むと、彼女の首に腕を回してチョークスリーパーをかける。


「そ、それ以上近づくと、こいつの首をもぎ取るぞ!」

「い、嫌ぁ……!」


 人質作戦である。


「全員、武器を捨てて、そこに集まれ! うつ伏せになって手を頭の後ろで組め!」


 どうして俺はこんな非道な悪人みたいなことをやっているんだ。刑事ドラマで切羽詰った逃亡犯が使う姑息な手段である。

 兵士たちは苦虫を踏み潰したような顔で武器を置き、俺が指示した場所に集まって伏せ始める。


「しばらくそのまま動くなよ……少しでも動いたら、こいつの命はないからな!」


 まさか人生でこんな台詞を使う場面が来るとは思うまい。周囲から見れば今の自分は全裸の変態であり、人質を取る極悪非道人だ。

 俺はスピルネの首を腕の中に捉えたまま、集落の出口に向かって移動する。スピルネは首をもぎ取られるかもしれない恐怖に固まり、顔を真っ青にしながら黙り込んでいた。


 どうなるんだ、俺の異世界ライフ。

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