第8召喚 魔眼族幹部

「もう追ってくるなああああ!」

「クオオオオオン……!」


 魔眼族の領地に侵入して数時間が経過した。俺は未だゴーレムに追われ続けている。ヤツの視点は高く、遠くからでも俺の姿を捉えることができるらしい。しつこく俺を追い回し、地面へ叩き潰そうと拳を振り上げる。その巨躯は軽々と木々を薙ぎ倒し、一歩踏み出す度に地響きを生み出す。

 こいつとの戦闘によって護衛の騎士と魔法使いは基地周辺へ置き去りにすることは成功したが、新たな追っ手が加わっては何の意味もない。しかも護衛と違って常に殴りかかってくるので余計に性質が悪い。何度もペチャンコにされ、俺はその度に起き上がる。こちらが殴って反撃しても、一瞬にして修復される。俺は食事も排泄もできず、焦燥感が募っていった。


 俺はしばらく走り続けた。


 そうして辿り着いた場所は、崖の上。

 下の河川まで高さ数十メートルはありそうだ。その河川も激流で、岩場に当たった水飛沫が高く舞っている。


「嘘だろ……!」


 他にゴーレムから逃げる道はない。多少躊躇したが、俺は意を決して崖上から飛び降りた。『勇者の力』さえあれば、生身の人間なら致命傷になるような衝撃も耐えられるだろう。


「あああああああああっ!」


 死ぬ確率が低いとは言え、こんな高さから落ちるのは心臓に悪い。落下中、手足から血の気が引き、俺の顔は恐怖に凍り付いていたと思う。











     * * *


 目が覚めたとき、俺の体は川辺に打ち上げられていた。随分と激しく川面に叩き付けられたらしい。まだ痛みが体全体に残っていた。


「ゲホッ、ゲホッ……クソが!」


 陸へ歩きながら、肺に溜まっていた水を吐き出す。

 辺りを見回しても敵の気配は感じられない。さすがにあのゴーレムでも、崖や激流を下ることはできなかったのだろう。


「はははっ……ついに俺も自由か」


 現在、俺の傍には敵も護衛もいない。求めていた自由にようやく辿り着けたのだ。不意に笑みが零れる。敵に追われて散々な目には遭ったが、これでしばらくは俺の思い描いたとおりに事態が進むはずだ。俺が消えたことで魔眼族は勢いを増し、王国はピンチに陥る。俺はこのままどこかに身を隠し、情勢が変化する様子を見守ればいい。


「ざまあみろ! パルナタードおおおおお!」


 俺は空に向かって吠えた。

 しかし、とりあえず目的は達成できたものの、今度はどこで王国が滅びるまで時間を潰すか、という問題が発生する。王国と魔眼族、その両方から逃げ続けなければいけない。王国に戻るのもまずいし、魔眼族の領地に居続けるのも発見されるリスクが高い。魔眼族を味方にできればベストなのだが、先代魔王を殺したり、基地を幾つも破壊したり、交渉に入るには敷居が高すぎる。なるべく戦争に中立的な立場を取っている地域に潜り込みたいが、自分はこの世界の情勢にあまり詳しくはない。と言うのも、騎士や魔法使いに訪ねる機会はあったのだが「私にも分かりません」と返すだけで情報を得られなかったからだ。本当に知らないのか、それともわざと隠しているのかは不明だが……。


 とにかく、今の俺にはやらなければいけないことが沢山ある。まずは食料と水の確保。それから安心して眠れる場所もほしい。もう俺には未知の世界をガイドしてくれる護衛はいない。自分の道は自分で切り開かなければ。












     * * *


 歩き続けて数時間、周辺の景色を観察していると、空に昇る白煙が見えた。


「あれは……集落か」


 さらに近寄ると、森林の開けた場所に民家らしき建造物が立ち並んでいるのが確認できた。どれもレンガ造りの質素な住宅だ。住民もちらほら外を出歩いており、薪を割ったり、農具を手入れしたり、各々が自由に生活しているようだ。

 ここは魔眼族の領地内なので、そこにいる住民も魔眼族だと思っていた。しかし、どうも様子がおかしい。


「どうしてこんなところに人間がいるんだ?」


 魔眼族は基本的に人間族とそっくりな姿をしている。人間族と違う箇所を挙げるならば、肌の色が人間族よりも白く透明感があることと、瞳孔がネコのように縦に細く、気分によって形が変化することだろうか。

 集落にいる住民は肌の色が魔眼族よりも濃く、瞳も綺麗な円形をしていた。彼らは確実に人間族である。つまり、ここは魔眼族の領地内なのに人間族も生活しているのだ。種族同士で争いをしているはずなのに、なぜこんなことが起きているのだろう。魔眼族が領地内に存在する人間族の集落を見逃すだろうか。それとも、まだここは王国内なのか。俺は状況を理解できぬまま、呆然と集落の生活風景を眺め続けていた。


「おい、そこのアンタ!」

「ひっ!」

「そんなとこで何してるんだい?」


 突然、背後から話しかけられた。振り向くと農家らしき服装の女性が立っているではないか。彼女は木の実が入った篭を抱え、こちらを怪訝な表情で睨んでいる。


「いや、あの、これは……!」

「アンタ、この辺じゃ見ない顔だね。何者だい?」

「実は俺、一人で旅をしてまして……」

「こんな辺境に旅なんて、何だか胡散臭いね」

「へ、辺境が好きなんです!」


 何のひねりもない薄っぺらな嘘だが、彼女は信じてくれるだろうか。

 丸い瞳孔に、日焼けした黒い肌。この女性は確かに人間族だ。しかし、その雰囲気は王都にいたヤツらと随分違う気がする。目つきが正常で、狂気を感じさせない。


「ふぅん、なら隠れてないで村の連中に挨拶でもしたら?」

「え?」

「別に襲って食べたりしないよ。そんなとこに居座られると気味が悪いんだよね」

「あ、はい。すいません……」


 彼女は俺を一瞥すると、集落の奥へ去っていった。

 俺はこの世界に来て初めて勇者に執着しない人間を見たかもしれない。王都にいたヤツは皆が「勇者様よ!」と黄色い声を上げていたが、今の彼女にはそれがなかった。俺の腰には王都から派遣された勇者であることを示す、王国の紋章の刻まれた剣が付けられたままになっている。彼女にもそれはしっかりと見えていたはずなのに、それにも反応していない。

 もしかして、早速これは中立的な集落を発見してしまったのではないか?

 俺は隠れていた茂みから恐る恐る体を出し、集落の中へ足を踏み入れる。切り株に座って一服中の中年男性に近寄ってみた。


「あ、あの……こんにちは」

「ああ、こんにちは。見かけない人だね。外から来たの?」

「実は俺、旅をしてまして……」

「そうなのか。こんな田舎に来るなんて物好きだね」

「ははは……」


 会話中、さりげなく鞘や篭手をちらつかせて自分が勇者であることをアピールしてみたのだが、彼はそんなこと気にも留めず集落を案内してくれた。やはり、この村は王国の狂気から隔離された場所にあるのだ。


「俺、お金はほとんど持ってないんですけど、泊まれる場所なんてありますかね?」

「ああ、あそこの納屋を使うといいよ。誰も手入れしてないからボロボロだけど、雨風くらいは凌げるはずさ」

「ありがとうございます!」

「そういや、あんた夕飯はどうするつもりなんだ?」

「実は、食料も持っていなくて……」

「なら、少しだけウチの料理を分けてやろうか?」

「本当ですか! 嬉しいです!」


 早速、食料も寝床もゲットしてしまった。順調すぎるぞ、俺の異世界ライフ。俺はこの村を拠点にハーレムを築いていくことになるのだろうか。まるでテンプレに沿ってばかりで何の面白みもない異世界無双作品の冒頭のようだ。


 俺は納屋に入り、装備を全て床へ下ろした。ゴーレムからの逃走中、武器以外の重い装備は捨てて走っていたため、大したものは残っていない。高価な装備は異世界ライフの資金を集めるために必要な換金用アイテムとして保存しておきたかったが、あんな予想外の敵に出会ってしまっては捨てるのも仕方なかった。

 荷物の整理が一段落すると、今度は先程の男からもらったパンのような発酵食品を口に運ぶ。戦闘やら逃走やらが続いていたせいで何も口にできなかったので、食料を分けてもらえるのは有り難い。

 やがて日が沈み、納屋の中も暗くなってくる。ここには蝋燭もオイルランプもない。さっさと就寝して明日に備えた方がいいだろう。食事を終えると、すぐに眠気が襲ってきた。


「藁のベッドって、結構暖かいんだなぁ」


 これまで経験した野宿と比べ、この寝床は高級旅館に匹敵するほどの安心感がある。睡眠を妨害する敵もいない。俺を戦場へ差し向けようとする護衛もいない。静かで穏やかな夜だった。明日もこんな風に眠れることを祈りたい。










     * * *


 しかし翌日、事態は急展開を迎える。


「この中に勇者がいるのか?」

「はい、昨夜から閉じ込めてあります」


 早朝、納屋の外から聞こえた声で目が覚めた。


「身に着けていた剣や籠手の特徴からして、勇者に間違いないかと思います。睡眠薬を混ぜた食事を与えておいたのですが……」

「分かった。後は我々で対処する。危険だから、お前たちは下がっていなさい」


 壁に開いている隙間からこっそり外を覗くと、そこには納屋を貸してくれたオヤジ、そして魔眼族の兵士が立っているではないか。皆、納屋をジロジロと睨み、俺の動向を窺っているようだった。


 あのオヤジ、俺を売りやがったな!


 どうやらオヤジが魔眼族に俺の位置を密告したらしい。中立的な村かと思ったら、まさかの裏切りである。ここでハーレム生活の礎を築いていくはずが、俺の算段が一気に崩壊した。

 だが話は何となく読めた。なぜ魔眼族の領地に人間族が暮らしているのか。それは、ここの人間族が魔眼族に忠誠を誓っているからだ。おそらく王国に手を貸さない条件で、弾圧から集落を見逃してもらっているのだろう。


「我々では手に負えないかもしれん。スピルネ様に報告しろ」

「了解」


 魔眼族は例に倣って報連相がよくできている。彼らが発した言葉に出てきた「スピルネ様」というヤツは、彼らの隊長的な存在なのだろう。

 まだ通報を受けたばかりなのか、納屋を囲んでいる敵兵は二、三人と少ない。時間の経過とともに増援や親玉が来る可能性を考えると、今のうちに強行突破した方がいいだろうか。

 そこの兵士と村人を全滅させて無理矢理に口封じすることもできるが、なるべく魔眼族からのヘイトはこれ以上集めたくない。彼らは王国を潰してくれる貴重な存在である。王国を攻撃させるために、勇者である俺は派手な行動を控えた方がいい。


「こちらです、スピルネ様」

「ここに勇者がいるのね……」


 納屋を右往左往している間に、一人の女が兵士に連れられて姿を見せる。

 彼女には見覚えがある。前回の魔王討伐で魔眼族領を訪れた際、遠くから弓兵や砲兵団を指揮していた女だ。異臭作戦や騒音作戦のときもチラホラ姿を確認している。ここまで近くで見たのは初めてだが。

 昆虫の甲殻を連想させる黒いドレスに、目を惹く派手な赤髪。スラリとした長身の美女である。何度か俺の前に姿を現していることを考えると、対勇者作戦の指揮を担っている立場なのかもしれない。


「勇者はまだ中で眠っているの?」

「状況は不明です。スピルネ様、どう勇者を無力化しますか?」

「毒も短時間ながら効くことが分かっているわ。二人で麻酔を注入し続けて、残ったメンバーが魔導式削岩用カッターで勇者の手足を切断する。いいわね?」


 あの女、とんでもねえことを平然と言ってやがるぞ!


 敵も恐ろしいことを考え始めたものだ。

 俺の体はすぐに傷口が修復されるが、一気に切断されてしまったらどうなるのだろう。また腕や足が生えてくるとは考えにくい。下手したら、そのまま一生過ごすことになってしまう。身体の自由を奪われる恐怖に、俺の歯がガチガチと震える。


 王国が滅びる前にそんなことをされて堪るか!


 麻酔が大量に入った巨大注射器と、魔導機械の組み込まれた大剣を持った兵士が、納屋の入り口に近づいていた。

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