第3召喚 大無能王国

 足元に広がるのは見覚えのある巨大な魔方陣。石壁にかけられた赤いタペストリ。凝った装飾のシャンデリア。

 二年ほど前、俺があの災厄と出会った場所である。


「またここか……」

「お願いです勇者様、この世界の人間族を脅かす魔王を倒してください!」


 嗚呼、懐かしい台詞だ。できることならもう一生聞きたくなかったのだが……。


 目の前にいる人物は、人間の悪しき心を培養して凝縮させた超濃厚な危険物質の塊こと、パルナタード・ランス・ルミエーラ。外見はアメリカの大物女優のような金髪碧眼という男なら誰でも油断してしまう顔をしているが、それは醜悪な本性を隠すための擬態であり、獲物を待ち受ける捕食者としての生物学的隠蔽色なのだ。

 異世界から人間を拉致して敵の暗殺を強制させるサイコパス王女。宗教で崇められる寛大な神様でも彼女の所業を許せるかは怪しいところである。


「っていうかだな、俺が前に魔王を倒しただろ! どうしてまた倒さなきゃいけないんだよ!」

「残っていた四天王の一人が魔王の座に就いて急速に戦力を拡大させているのです! 彼らは再び勢力を取り戻し、人間族へ迫って来ました!」


 前回、俺が帰還を急ぐあまり四天王を無視して魔王だけを倒したことが仇になったのだろうか。人間族を追い詰めるほどの強大な組織が、トップを一人失った程度で簡単に崩壊するわけがないのだ。

 だがそれでもヤツらの戦力は大きく削いだはずだ。これは仕留め切れなかった人間族のミスなのではないか。


「っていうか、思い出したぞ! 前の別れ際に『あとは私たちにお任せください』とか言ってたよな! あの話はどうなったんだよ!」

「申し訳ありません勇者様。先代魔王の討伐成功に国民が歓喜していた隙を狙われました。気付いたときには手遅れで、私たちの手には負えない状態になっていたのです!」


 慢心しすぎだろ!

 ちゃんと脅威は徹底的に潰しておけよ!

 この王国には無能しかいないのかよ!


「ハァァァァ……」


 口から長い溜め息が出る。この女には前々から幻滅してきたが、今回に関しても酷い。


「それでは勇者様、今回の魔王討伐作戦について説明させていただきます。勇者様は直ちに新設された魔王城に出向き、魔眼族の指導者を排除してください」

「あのさぁ……」

「現在、新生魔王はここから遥か西に位置するスターク城にいると思われます」


 パルナタードがそう言うと、彼女の背後にいた部下たちは俺の目の前に巨大な地図を広げ始めた。地図の中心には今いる王城が記されており、その少し西には前回魔王を倒した魔王城、そして地図の端には今回の討伐目標である新生魔王が住んでいる領地が赤いインクでマークされていた。


「勇者様には、ここに出向いてほしいのです!」


 俺はその地図を凝視しながら思った。

 前回に出向いた魔王城よりも遠くなってるじゃねえか! と。

 北アメリカ大陸を横断できる距離を往復したことは今も忘れていない。脚が毎晩パンパンになり、ストレスに理性と胃が圧迫される。常に抜けない疲労を抱えながら、まるで生きる屍のようにフラフラと歩き続けていたものだ。

 だが今回の目的地は魔王城よりも遥か彼方、この王国から地球赤道の半周くらい離れている。つまり、俺は歩いて日本からブラジルまで行くのと同等以上の苦しみを味わうことになるだろう。

 すでに目の前が真っ暗になりそうだった。


「前よりも目的地が遠くなってるんだが……」

「魔眼族は先代魔王を暗殺された失敗を教訓に、自分たちの本拠地をさらに領地の奥へ遷都させたのです! それに加え、侵入者を必ず発見できるよう各地に検問所や砦を設置し、兵士の育成や新兵器の開発にも力を注いでいるのです!」


 向こうの種族の方が圧倒的に有能じゃねぇか!

 人間族も少しはヤツらを見習えよ!

 俺に頼らないで解決する方法を少しは模索しとけよ!


 この女、よくも恥ずかしげもなく再び俺を呼び出せたものだ。人間族はかつて魔眼族に追い詰められていた経験を何も活かせていない。

 勝って兜の緒を締めるどころか、勝った途端に兜を投げ捨てるような連中には俺から何を説教しても彼らの心には響くまい。防御放ったらかしで成功を喜んでしまうのは、この世界に暮らす人間の価値観なのだろうか。

 俺は頭を抱えて唸った。


 それにしても、このままでは魔王討伐に前回以上の日数がかかってしまう。今度は下手したら一年近く現実世界に戻れないかもしれない。

 現実世界では大学の入学金やら入居予定の下宿家賃やら様々な方面に沢山の金を払っているのに、それらが全ての水の泡になってしまう。

 高校生活中にコツコツ貯めてきた金でせっかく自動車学校へ入ったのに、合宿の計画が狂って春休み期間中に卒業できないのは最早避けられない。

 苦労して得たバイト代が、欲しかったCDを我慢して貯めた小遣いが……全て無に消える。

 いや、もしかすると現実ではもっと酷いことになっているかもしれない。と言うのも、俺は高速道路で運転中に拉致されたため、車内に残された教官や生徒が事故に遭っている可能性があるからだ。最悪、戻った途端に逮捕されることもあり得る。

 進学予定の大学に関して言えば、入学直後はこれからのキャンパスライフを共に過ごす友人を作る大切な期間なのに、それをスルーしてしまうことになる。中途半端な時期に日本へ帰還すれば、無事に大学へ戻れても同期生から「誰こいつ?」みたいなことを思われるだろう。再び行方不明の噂も立つだろうから、高校生活時の『誰からも話しかけてもらえない地獄』が蘇るはずだ。


 一刻も早く帰りたい。

 こんな世界から抜け出して、日本人らしく生活したい。しかし逮捕される可能性も考えると戻りたくない、というジレンマに悩まされる。

 これから俺はどうすればいいんだよ。


「それでは、今回も魔王討伐を宜しくお願いします勇者様!」

「おい、俺はまだ承諾してな――」

「それでは行ってらっしゃいま――」


 このとき、俺は怒りのあまりパルナタードの顔面を一発殴ってしまった。部屋に鈍い音が響く。もちろん、勇者の力を発揮しないよう力加減はしたが。あの力なら彼女を一撃で絶命させてしまう。

 俺が日本へ帰れるか否かは彼女の思考次第で決まる。彼女に何か起きて、俺を「帰らせたい」と思えなくなってしまえば俺は永久にこの世界に留まり続けることになるだろう。本気でぶん殴りたい気分ではあるが、そこだけはまだ理性を保っていた。


 そんな理由で、うまく加減して殴ったのだが――


「え?」


 一瞬、彼女は衝撃で仰け反ったが、すぐに姿勢を戻した。拳を食らった箇所には痣ができ、鼻血がボタボタと垂れている。


「私に何かしましたか、勇者様?」

「え?」


 彼女は殴られた箇所を擦ることもなく、瞳孔の開いた眼でこちらを眺め続けていた。キョトンとした様子で首をかしげ、まるで今あった出来事を自覚していないかのように佇む。赤い雫が垂れ続け、白いドレスの胸元に染みを作った。


「い、いや……別に」

「それでは、今回も魔王討伐をお願いしますね!」


 彼女は同じ態度で振舞い続ける。血だらけで微笑む様子は、俺に底知れぬ狂気を感じさせた。

 それは彼女を取り囲む護衛も同じだった。自分たちの王女が殴られたというのに、誰も俺を止めに入らず、ずっと同じ位置に立って微笑んでいる。普通、護衛と揉み合いになりそうなものだが……。


 な、何でだよ?

 どうして誰も殴ったのを咎めないんだよ!


 明らかに異常だった。パルナタードには痛覚が存在しないのだろうか。城に渦巻く狂気に、俺の手足が震える。

 いざとなれば拷問でパルナタードを従わせて帰還しようかとも思ったが、こんな様子では逆に自分が恐怖を感じてしまう。この王国の人間は現実世界の人間と何かが決定的に違っていた。彼らの目は正気じゃない。例え拷問されても、痛みすら無視して俺を魔王討伐に向かわせそうな気がした。









     * * *


「勇者殿、今回も魔王討伐に同行させていただきます」

「私の魔術で精一杯サポートさせていただきます!」


 そして例に倣って騎士や魔法使いの監視も随行する。彼らはいつも通り、ニコニコしながら俺の元へ駆け寄ってきた。先程の皇女への暴行を彼らも見ていたはずだが、何も言及してこない。俺は悪い夢でも見ていたのだろうか。

 早く城の外へ出たい。さっきのことは忘れよう……。

 俺は気分を切り替え、彼らと一緒に城門を潜った。


「まあ、今回も『勇者の力』で楽に魔王を倒せるでしょう」

「あのさぁ……ずっと気になってたんだけどさ、『勇者の力』って何だよ?」


 俺には『勇者の力』だとかいう変な加護が付いていて、普通の人間よりも能力が強化されているらしい。だが肝心の『どう強化されているか』の部分は一切分からない。

 と言うのも、随行者である騎士や魔法使いに尋ねても小学生並の解説でしか教えてくれないからだ。


「勇者殿は普通の人間よりも強いのですよ」

「つまり、どういう風に強いの?」

「拙者にもそこまでは分かりませぬ」

「は?」


 お前らが俺を召喚したんだろ!

 そこはちゃんと特性を把握しておけよ!


 誰か俺へ加護について詳しい解説をしてほしい。








     * * *


 そうして俺は魔眼族の領地へ足を踏み入れる。

 前回の旅に比べ、今回の道中に現れる魔眼族の兵士は手強くなっていた。


「いたぞ、侵入者だ!」

「弓兵部隊、砲兵部隊、前へ!」


 先代魔王を倒した強力な一撃に警戒しているのだろうか、常に一定の距離を保ったまま槍や弓で攻撃してくる。大砲の精度も上がり、威力も命中率も前回とは格段に違う。加護によって俺は目立つ怪我こそしないが、迫る矢や砲弾がかなり恐怖だ。敵が離れていては俺が繰り出せる剣や拳を当てることができない。俺は敵に次々と攻撃を許してしまう。


「今だ、落石装置を起動させろ!」

「了解!」


 それに加え、道に仕掛けられている罠の数も倍以上に増加し、その殺傷能力も格段に向上していた。加護のない生身の状態だったら何度死んでいたか分からない。


「くそ! この砦ではもう勇者を抑え切れない!」

「総員、爆薬を起動させて退避しろ! 上手くいけばヤツを生き埋めにできる!」


 砦も多くなった気がする。俺は何度も砦を抜けようとして通路ごと爆弾で吹き飛ばされた。勇者の加護でどうにか俺は生きていたが……。


 やはり前回の失敗を教訓に、魔眼族は戦術や兵器技術を大きく練り直したのだろう。

 人間族もこれくらいの学習能力を持っていれば、俺は召喚されずに済んだだろうに……。敵の方がまともに思えてしまうのは、俺だけだろうか。これでは人間族が窮地に追い込まれるのも納得である。








     * * *


「起きてください勇者殿」

「ん? もう朝か?」

「いえ、敵に囲まれております」


 野宿中の夜襲も増加した。嫌がらせのように毎晩来る。敵は山狩りを積極的に実行しており、安心して眠れた夜はない。敵は報連相もよくできているのか、多方向からの同時射撃など連携した攻撃もしてくるので厄介極まりない。ヤツらは撤退するタイミングも弁えており、こちらが反撃の体勢をとると一目散に遠ざかった。加護によって強化された肉体を用いても、敵を一人も倒せない日もよくある。

 これでは前回の旅で倒した魔王の方がまだ弱かったと思えてくる。

 夜間に十分な睡眠を取れず、俺は慢性的な寝不足状態となった。


 早く、早く俺を日本へ帰してくれ!

 布団でぐっすり眠りたいッ!


 この旅は俺にとって最早拷問と化していた。俺は日本へ帰りたいだけなのに、なぜこんな苦行を強いられているんだ?

 酸性雨に溶かされる銅像の如く、俺の理性は徐々に崩壊していった。


 ハーレム系無双異世界小説に登場する魔族やモンスターというのは一直線に主人公へ襲い掛かるような脳味噌筋肉が多く、チート能力を使って楽に返り討ちできていた。

 だが実際の戦場というのは上手くいかないことだらけだ。ああいう中学生が好きそうなストーリーに登場する悪役は、缶切りも使わずに缶を開けようとするような明らかに頭の悪い連中だけで構成されている。こうした一般兵士の集団が魔王よりも強く感じるような作品は見たことがない。

 そのことを魔眼族との戦いで思い知らされた。これでまたひとつ、異世界無双ハーレム作品が嫌いになった。

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