第2召喚 魔王討伐刑

 俺は異世界から帰還した。

 戻された場所は、かつて俺が拉致された通学路。


「はぁ……帰るか」


 パルナタードへの行き場のない憤怒を抱えながら、俺は自宅に向かってトボトボと歩き出した。このストレスをさっさと発散したいところだが、長旅のせいでそんな体力は使い果たしている。

 そして、しばらく歩き続けて辿り着いた我が家。


「あれ、ウチってあんな色だっけ?」


 どうも自宅の様子がおかしい。外壁の塗装の色が白色から薄いベージュへと変化している。塗装業者が入ってくる話は聞いてないが、俺の留守中に工事でもされたのだろうか。それに、駐車場に停められている車種も変わっていた。

 俺はそんな風景を横目に玄関の扉を開ける。出迎えてくれたのは俺の母親だった。俺が異世界に拉致される前と比べて顔が随分とやつれているが、何かあったのだろうか。


「ただいま」

「拓斗……あなた本当に拓斗なの?」

「そうだけど?」

「あああああああああっ! 拓斗おおおおおおっ!」


 母はいきなり号泣し、俺に抱き付いてきた。

 何だ? 何がどうなっている?


「あのさ、母さん。何かあったの?」

「ふざけないで! 半年以上も行方不明になっていたくせに、何なのよその態度は! 私たちに変な心配をかけさせないでよ!」

「え、半年以上も行方不明?」


 俺は玄関の壁にかけられている日めくりカレンダーに視線を向けた。確か召喚された時期は新しい学年に上がったばかりの春だったはず。しかし、今のカレンダーが示しているのは同じ年の秋だ。


「う、嘘だ……」


 どうやら異世界でも現実世界でも同様に時間が経過していくらしい。

 俺は異世界での魔王討伐に時間をかけすぎた。もちろん、討伐を早く終わらせようと努力はしてきたつもりだ。それでも徒歩と馬車による長距離の旅では限界がある。日本と異世界とでは、同じ距離を進むのに必要な時間と体力の桁が違うのだ。向こうの世界は一歩踏み出す度に茂みからモンスターやら山賊が飛び出てくるし、巨大な崖や河川にも突き当たる。隣町へ行くのも命懸け。何度も何度も足を止められ、気付いたら半年以上経過していた。






     * * *


 それからしばらく、マスコミから追われる日々が続いた。『行方不明男子高校生、帰宅』というタイトルでテレビやら雑誌やらに大きな見出しで記載される。家の呼び鈴がじゃんじゃん鳴り、俺も両親も対応に追われた。


「半年以上もどこで過ごしてたんですか?」

「多分、説明しても信じてくれないと思います」

「久し振りに自宅へ戻ってきた感想は?」

「ふかふかの布団で眠れるって幸せなんだな、と思いましたね」


 ついでに警察からも事情聴取を受けた。


「あのさぁ、どこで何をしてたか説明してくれないかな」

「事実を言っても『ふざけるな』という返ししか来ないと思うんですよね」

「犯罪に巻き込まれたとか、そういうことじゃないよね?」

「うーん……」


 パルナタードによる異世界召喚という行為を日本の法律に当て嵌めてみると、やっぱりこれは犯罪だと思う。強引に拉致され、承諾なしに危険行為を強いられ、しかも労働の対価が永久に支払われない。そういう視点で考えると「俺は犯罪に巻き込まれてました」と答えるのが正解なのかもしれない。

 でも結局は信じてくれそうにないので「家出して山奥に住んでました。犯罪にも巻き込まれてません」と答えておいた。悔しいが、ここは我慢するしかない。


 誰か俺の苦しみを分かってくれるような人物は現れないだろうか。

 異世界召喚されている小説主人公は俺と違い、のん気に美少女に囲まれながら異世界ライフを充実させている。俺にはそんな展開はなかったぞ、従順女たらしサイコスケベクソ野郎。

 パルナタードとの一件で、俺は愛読していたハーレム系無双異世界転移小説が大嫌いになった。いや、『嫌い』と言うよりは僻みや嫉妬に近いかもしれない。書店の異世界系ラノベコーナーに近寄るのが怖くなった。ああいうハーレム無双小説はネットのレビューでボロクソに叩かれればいいと思った。







     * * *


 通っていた高校は休学措置からの単位不足で留年になっていた。一回り年齢の違う仲間と学校生活の再スタートである。

 当然、新しいクラスメイトたちからの俺を見る目はどこか他所他所しかった。なぜ半年以上も消えていたのか、皆それが気になって仕方なかったのだと思う。『山奥で暮らしていた』という偽装経験から、学校内で俺は『突然奇行を繰り出す変人』として扱われていた。クラスには自ら進んで話しかけてくるような連中もいなかったし、ここで寂しい青春時代を過ごすことが確定してしまう。


 かつて仲の良かった元クラスメイトたちは一足先に卒業し、大学進学や就職などそれぞれの進路に向かって高校から旅立った。俺も一緒に卒業したかったのに……。

 彼らと別れの挨拶をしたこともあったが――


「俺もお前らと卒業したかったなぁ」

「山奥で暮らしていたくせに、何を言ってんの?」


 冷たくあしらわれた。

 俺ともう少しで恋愛関係に発展しそうだったクラスのアイドルも、いつの間にか俺の親友と付き合っていた。卒業式終了後にヤツらは仲睦まじそうに記念撮影。二人とも同じ大学の同じ学部に入るらしい。


 もう散々だ。

 俺の人間関係も人生も滅茶苦茶だ。

 あれもこれも、災厄の化身パルナタードのせいなのだ。今思い返すと、やはり殴っておくべきだったのかもしれない。







     * * *


 それから約一年後。

 俺は高校を今度こそ無事に卒業できた。修学旅行も済ませたし、行きたかった大学にも合格している。もう高校で勉強する必要もない。

 異世界召喚でグチャグチャにされた人生の軌道が徐々に修正されつつある。俺は今ある何気ない日常を過ごせる幸せを心の中で噛み締めながら生活していた。

 ああ、ハプニングが起こらないって素晴らしい。「平凡な日常にも飽きてきたな」なんてキザな台詞を恥ずかしげもなく放つ中二病患者や漫画主人公にも言ってやりたい。「お前は今、幸せなんだぞ」と。


 さて、大学の合格発表から入学式までの間、俺は春休みを使い、自動車学校で普通自動車免許を取得することになった。今後の大学生活で自動車を運転できた方が便利な場面もあるだろう。遠方への買出しとか、彼女とのドライブデートとか、卒業旅行とか。

 俺はバイト代やら親からの小遣いやら貯めておいた金を自動車学校への入学金に全て充てた。18万という金額は高校生にとってなかなか高いが、今後のことを考えれば損はないはず。


「それじゃ、今日の講習は高速道路での運転実習になります」


 俺は教習車へ乗り込み、車を発進させた。

 学校の教官が助手席に乗り込み、運転の指導をしてくれる。後部座席には他の受講者。パーキングエリアで俺と交代して運転する順番を待っていた。


 そして学校近くのインターチェンジに到着し、俺は高速に入るためアクセルを強く踏み込んだ。時速は60、70、80……と上昇していく。方向指示器を右に点滅させ、ハンドルを傾けた。


 しかし、ここで予想外の事態が起きる。

 もう少しで本線に合流するとき――


「お願いです勇者様、魔王を倒してください!」


 突然、天から甲高い声が響く。

 その瞬間、俺の全身に悪寒が走り、鳥肌が立った。冷や汗が滝のように溢れ、歯がガチガチと震える。


「ひっ!」

「ど、どうしたんだい猿渡さん?」


 間違いない。

 今の声の主はパルナタードだ。

 生ける災厄。全ての元凶。混沌の化身。麗しき鬼畜。人の皮を被った悪魔。吐き気を催す邪悪。俺の中であらゆる負の称号を背負う無垢なる化け物。あの悲劇を忘れるはずがない。

 どうやら同乗者には悪魔の声が聞こえていないらしい。

 動揺してハンドル操作が狂い、走行車線がブレる。その異常さに教官や他の生徒が俺の顔を覗き込んできた。きっと彼らの目に映った俺は顔面蒼白だったに違いない。


 この感覚は……と同じだ。

 かつて俺がパルナタードに拉致され、異世界に無理矢理召喚されたときと。

 彼女は懲りずに、また惨劇を繰り返そうとしているのだ。あと数秒後に俺は再び異世界へ拉致され、何らかの重労働を強いられる。


 ここまで築き上げた日常が……。

 ようやく戻ってきた俺の人生が……。

 掴みかけていた未来の栄光が……。

 あの女の身勝手な振る舞いによって全てを積んだ船が転覆し、決して光の届かない海溝のどん底にまで沈もうとしている。


「こ、こんなときに勘弁してくれよ……ハ……ハハハッ」

「大丈夫ですか猿渡さん!」


 今の俺は時速100キロ近く出しながら走行している車の運転席にいるんだぞ? しかも助手席や後部座席には俺以外の人間もいる。この状態で拉致されれば、運転手が突然消えて大事故は免れない。どうあがいても逃れられない絶望に、乾いた笑いが車の走行音に消えていった。

 パルナタードの性格から考えると、こちらから「待ってくれ」と懇願したところで受け入れてはくれないだろう。

 分かっているのか、パルナタード。お前のせいで、こっちの世界で何人か死ぬかもしれないんだぞ?


「畜生がぁ! やりやがったなパルナタードおおおおおおおおおおお!」


 俺は怒り狂い、豪快にクラクションを鳴らした。

 完全に情緒不安定な精神異常者である。

 そして、新品のカンバスのように真っ白になった思考によって俺の口から出た言葉は、次のようなものだった。


「すいません、教官」

「な、何ですか?」

「俺、消えます……」

「え?」


 次の瞬間、俺は魔法陣の上に座っていた。

 もちろん、目の前には金髪豊乳の悪魔が跪いている。

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