アリシアVSアルテ(3)

 今のアルテに、以前の美しい少女の面影はない。それどころか、人の原型を留めてさえもいない。さながら悪夢に巣くう大蛇の化け物、それが今のアルテであった。





 ――いや、違う。





 頭に浮かんだ『化け物』という言葉を、アリシアは自ら否定する。これは、アルテが人間であるからこその姿なのではないだろうか。





 つまり、アルテは今、自分の『初めての感情』に戸惑っているのだ。生まれて初めて感じる欲望をコントロールすることができず、混乱してしまっているのだ。そう理解すると、アリシアの中に奇妙な感覚が芽生えた。





 ――アルテ……。





 あなたは自分と同じだ。自分の中にも、今あなたを呑み込んでいるものと同じものがいる。自分では歯止めが利かないような化け物が、自分の中にもきっといる。強欲という名の化け物が……。





『私はあなたを知っています。あなたは私よりも弱いです。あなたが私に勝つことができる確率は0,001パーセント以下。したがって私は、あなたがエクスマキナに存在する価値はないと判断します』





 以前、アルテに言われた言葉が忌々しい響きで耳に蘇る。





 やはり、自分はアルテが好きではない。万全の状態であれば確かに自分よりも強いのかもしれないし、美人だし、何より恋敵である以上、全てが憎らしくてしょうがない。





 だが、相手が誰であろうと、困っている者には施しを与えるのが自らの流儀である。自分よりも心の経験が乏しい、幼いアルテを見捨てることなど、できはしない。





「全く……とんでもないワガママお嬢様でしたのね、あなたって」





自らのLPを確認する。徐々に回復しつつあるとは言え、あれだけ強力な魔法を使い続けた後なのだから、当然、残量は既に二十パーセントを切っている。一方、アルテのLPは、これもまた当然ながらほぼ百パーセント。





 この状況、普通に考えて最早、勝ち目はない。





 だが、だからといって投げ出すことなど許されず、そもそもこのエクスマキナにおいてはそのような選択肢など存在しない。勝つか、負けるか。結果が出るまで戦い続けなければならないのが、この世界の仕組みである。





 だから、ある意味ではありがたい。迷うことなどできない。例え悪あがきだろうと戦うしかない。危うく恐怖に尻込みしそうになる甘えた心が、自ずと前を向いてくれる。





 やるしかない。アリシアはこちらを遥か頭上から睨み下ろすアルテの黄色い目――細長く縦に切れた黒い瞳へ両手を向け、自らを鼓舞するために悠然と微笑む。





「ええ、よろしいですわ。あなたがその気なのでしたら、どこまでもつき合ってさし上げますわ。けれど――あまりおイタが過ぎると火傷してしまいますわよっ!」





 手始めに、『ファイアボール』を連続で二発放つ。それらはアルテの顔付近に直撃するが、やはり決定打とはならない。大蛇の腹から飛び出してきた複数の太い蛇が、牙を剥いてこちらに襲いかかってくる。





 顔に噛みつこうとしてくる一匹を後方宙返りで躱しつつ蹴り上げ、着地した足を狙ってきた一匹を『アイスソード』で甲板上に釘刺し、最後の一匹をその口内にゼロ距離の『サンダーショック』を放って焼き殺す。





 最早残り少ないLP――つまり体力を、このまま小物にじわじわと削られるのはなんとしても避けたい。ならば、とアリシアはアルテを見上げ、





「え?」





 目を疑う。





 目の前でとぐろを巻いているはずのアルテが、いつの間にかいなくなっている。「え?」と立ち尽くすと、背後から現れた大きな影が周囲を呑み込む。驚いて頭上を見る。と、空を覆うように広げられた大蛇の口が、すぐそこにあった。





 前へと跳び退くと、直後、世界が震えるような轟音が周囲に轟き、空母のように巨大なタンカーがわずかながら明らかに横へ傾く。





 甲板を転がり、すぐさま体勢を立て直して自分のいたほうを見ると、黒く長い物体が甲板から真上へ突き出している。それは、甲板に頭から突っ込み、空へと向かって太い尾を突き立てているアルテであった。





 アルテはそのままズルズルと船体の中へと潜っていき、やがてその姿を消したと思うと、船内を食い破って外へと出たのだろう、船体脇から甲板上へぬっと顔を出した。





 ぬらぬらと黒光りする身体をうねらせながらこちらへ這い上ってきて、こちらを睨みつけながらブリッジの壁を再び這い上り、鎌首をもたげてじっとこちらを見下ろす。





 海水を滴らせながらこちらを睨むその鋭い目は、まさしく捕食者のそれだった。 





 早く倒さなければ、殺される。





エクスマキナ内だけの話ではない。本当の意味で、自分は殺されてしまう。魂まで食い尽くされてしまう――





理性では押さえることができない本能的な恐怖がゾッと身体を駆け抜け、アリシアは矢継ぎ早に魔法を放った。





 『アイスアロー』、『ギガボルト』、炎の矢を放つ『ファイア・アロー』、鋭い氷を含んだ旋風を相手の直下から巻き上げる『アイスウィンド』、空間ごと凍らせ相手を閉じ込める『アイスバインド』、直下から炎の柱を打ち上げる『ファイアバースト』、そして最後にもう一度『ギガボルト』。





 恐怖に駆られるまま、アリシアはLPを使い切るまで半ばデタラメに魔法を撃ちまくり、流石にこれならばと期待しつつ、アルテを包み込んでいる白い水蒸気を見つめる。





 が、ほどなく風に払われたその中から姿を現したアルテを見て、アリシアは目を剥いた。





 血で染めたような、真っ赤な六枚の翼――





アルテは、その背から生え出させた三対の真っ赤な翼の中に頭を隠し、身を守っていた。あの怒濤の魔法攻撃を、全くの無傷でやり過ごしていたのだった。





 アルテがその頭をもたげ、黒い瞳のような模様が入った六枚の赤い翼を空に広げる。そして、その真っ赤な口を開いて鳴き声を轟かせた。





 マイクのハウリングに似たその鳴き声はアリシアの肌を痺れさせただけでなく、空気をわななかせ、そして文字通り空間を『割った』。青い空がガラスのようにヒビ割れ、海は地割れのように低い音を立てて砕けた。





アリーナのプログラムにバグが発生しているのだろうか、それともアルテが発する膨大なデータ量にサーバーが耐えきれなくなっているのだろうか。





 砕け、崩れていこうとしている世界の中で、しかしアリシアが愕然としていたのはそれに対してではなかった。





「アルテ……。あなたは本当に、そんなにも湧磨のことが……」





理屈も常識もない。身の破滅さえも恐れずに、ただひたすらにその人を求め続ける。





 それはまさしく、剥き出しの恋という感情にほかならなかった。自分は今、アルテのそれに圧倒されている。押し潰されそうになっている。その言い逃れようもない事実こそが、アリシアから戦意を喪失させた。





アリシアは自らの敗北を認めた。





 LPの回復が完全に停止すると、アルテはそれを確認してか、六枚の羽で重くゆっくりと空へと舞い上がり、真上からこちらへ飛びかかってきた。





 アリシアはそれを、ただ見上げることしかできなかった。





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