アリシアVSアルテ(2)

  ○  ○  ○





 アリーナは、広い海原の中をただ一隻、進む巨大なタンカー上である。





 空と海は果てしなく青く広く、船があまりにも大きいためか揺れも全く感じない。そのためまるで鉄の孤島にでもいるような感覚がするが、遥か前方で流線型に絞られている足元と、そのほうから吹きつけてくる生臭い風、そして左右の縁に立てられた鉄柵と、背後でこちらを見下ろすブリッジから、ここが船上であることはすぐに解った。





 甲板上は、中央の線に沿うようにして多少の配管は巡らされているがコンテナなどは一切置かれておらず、エクスマキナのアリーナなのだから当然、戦うためだけに作られたような広々とした構造である。





 その縁、タラップがあるらしい場所には不自然にガラスドアが立っていて、少女はそこから姿を現した。





 空と海の色を集めたように澄んだ青の、毛先だけが黄緑色を帯びた髪を風になびかせながら、少女――アルテはアリシアの正面に立つ。と、やがてこちらとアルテとの間に、





『Ready Fight!』





戦い(オークシヨン)開始の宣告がなされるが、アリシアは動かず、またアルテも動こうとしなかった。





 向こうもまた相手の動きを探っているのだろうか、それとも自ら仕掛けるまでもないと高をくくっているのだろうか、解らないが、それよりもまずアリシアには確かめておかねばならないことがあった。





「あなた、どうしてここへいらっしゃいましたの?」


「解りません」





 機械的な即答。





「わたくしたちが何を争って戦おうとしているのかは、ご存じですわよね?」


「はい、ユーマです」


「それがお解りなら、ここへいらっしゃった理由もお解りではなくって? 要は、あなたはユーマを自分のものにしたいと思っているのでしょう?」


「理解不能。私は戦闘用プログラムです。したがって、そのような感情を覚えることはありません」


「そう……。ならば、やはり勝つのはわたくしですわ。わたくしのエクスマキナにおける記念すべき二百勝目……それを、あなたからもぎ取ってさしあげますわっ!」





 自分は勝つ。改めてそう確信しながら、アリシアはいま自分たちを見つめている湧磨へのメッセージとして積極的に仕掛けた。





 スキル、『オクルス』により、視点移動と瞬きのみでメニューウィンドウを操作し、『アイスアロー』を発動。アルテに向かって八本の氷の矢を打ち放つ。が、アリシアはしなやかな動きでいとも簡単にその全てを躱し、空中で両手に握っていたサブマシンガンをこちらへ放つ。





 『アクセラレーション』、『アクセラレーション』、『アクセラレーション』。





 同種の支援魔法は三度まで重ねがけすることができる。





 『アイスアロー』を放った直後に、反撃を予想して加速魔法を自らにかけていたアリシアは、それに加えて対遠隔攻撃用の防御スキル、『スロウ・シールド』を発動。自らの速度は維持しつつ、五メートル圏内に入った遠隔攻撃の速度のみを七十パーセント低下させる。





 アルテに負けじと弾丸を全て躱したアリシアは、右手をアリシアに向けた姿勢を取りながら尋ねる。





「ねえ、アルテ。あなたにとって彼は一体なんなのかしら?」


「彼は理解不能な、そして興味深い存在です」





 両手からサブマシンガンを消しながらアルテは言う。





「興味深い? 彼の何が興味深いのかしら?」


「彼は私の知らない格闘技を知っています」


「それだけ?」


「はい」


「じゃあ、そんなことを知るためだけに、こんな所までいらっしゃったのね。それはとても勉強熱心で感心ですけれど、ご愁傷様でしたわね。その程度では、絶対にわたくしには勝てませんわ」


「それはありえません。私は既に、あなたの弱点を知っています。あなたの弱点は、武器の使用が苦手なこと、また近接戦闘もあまり得意としていないことです。


 また、あなたは多種多様な魔法で相手を圧倒するスタイルを採っていますが、相手が自分と同年代以下の女性、あるいは明らかに年下の子供のアバターを使用していた場合、おそらく無意識的に手加減をして戦う傾向があります。したがって――」


「やはり解っていませんのね。今回の戦い(オークシヨン)は、これまでのものとは何もかもが違いますの。わたくしは彼がほしい。彼の全てがほしい。もし彼を手に入れられるのであればなんでもする。明日死ぬとしても構わない。たった一日でもいいから、その全てを自分のものとしたい……。


 いわゆる『恋の魔力』のせいで、今のわたくしはそんなふうに完全におかしくなってしまっていますの」





 既に準備は整っている。





 アリシアは、LPのほぼ全てを使い切るほどの威力を持つ魔法、『アクアレイ・キャノン』――平均的なプールおよそ三つ分である百リットルもの水を半径十一センチの魔方陣から約二秒間のうちに射出する、まともに喰らえば肉体が跡形もなく砕け散る魔法を、発動する一歩手前でホールドしていた。





 このような容赦ないことをして、湧磨に嫌われはしないだろうか。不安が胸を掠めるが、もうこの気持ちを――欲望を抑えることはできなかった。





「思い知りなさい、アルテ! これがわたくしにあって、あなたにはない『ラブ』ですわ!」





叫び、アリシアは『アクアレイ・キャノン』を放った。





 瞬間、高圧力により零度以下となった水がレーザーのごとくアルテを襲う。それは、ぼんやりしているように棒立ちしていたアルテに真正面から直撃した。





 そのはずだった。





「くっ……!」





確かに、アルテは微動だにできないまま攻撃を受けたはずである。しかし、アルテがいた場所よりやや後方で、『アクアレイ・キャノン』の軌道が上へとずらされ、そこで水が激しく周囲へ散っていた。つまり、そこで『アクアレイ・キャノン』が堰き止められているのである。





信じられない。アリシアは目を疑いながらも、押し切るしかないと出力を集中して保つ。





 ほどなく、空を穿つような勢いで噴出されたその水は海へと消え去り、甲板上には大量の水滴が視界を覆うように降り注ぐ。





 そうして、やがて水滴のカーテンが取り払われると、やはりチートプログラムというだけはある、やはり瞬時に防御魔法を発動させていたらしいアルテは、後方へと押し流されていながらも、まだその肉体を保持しながら甲板上に立っていた。





 だが当然、無傷では済まなかったらしい。全身に鋭い切り傷を作り、赤い血を流していたアルテは、出現させていた防御系魔法の魔方陣を消しながらその場に膝をついた。





 とどめを刺す。アリシアが『アイスソード』を右手に生じさせながらアルテの傍へ歩み寄ると、アルテは下を向きながら何かブツブツと呟いていた。





「全てがほしい、明日死ぬとしても……彼がほしい……。それが、恋……」


「ええ、そうですわよ」





 アリシアの前に立ち、『アイスソード』を頭上へ振り上げながらアリシアは頷く。





「彼が得られるのなら他に何もいらない。何を代償にしても惜しくはない。そんな感情が、欲望が、あなたにはあるかしら?」


「他に何もいらない、何を代償にしても惜しくはない……そんな、感情……」


「っ……!?」





 自分でもなぜだか解らない。だが不意に寒気を感じ、アリシアはバッとアルテから跳び退いて距離を取った。





「感情……欲望……? これが……私の欲望……。彼が……私は、彼が……?」





胸の前に広げた自らの両手を見下ろしながら、アルテは譫言のように呟く。





 と、唐突、風に靡いて輝いていたその青い髪が、墨で染められていくように黒くなりながら、生き物のようにうねりだした。





 うねりながらその黒い何かは先端に赤い裂け目を広げ、黄色い目でこちらを睨む。それは黒々とした蛇であった。その無数の蛇は共食いをしながら伸び続け、やがてアルテの全身を呑み込み、液体のように周囲へ広がり出す。





 だがそれでも湧き出す黒蛇の勢いは止まらず、互いに喰らい合い、または液体のように溶け合いながら積み重なっていき、やがてそこにタンカーのブリッジと同じくらいに巨大な、無数の蛇が融合した一匹の大蛇を作り上げたのだった……。





  ○  ○  ○





「アリシア……! アルテ……!」





 アリーナが映し出されているモニタを愕然と見つめながら、湧磨は固く手を握り締め、





「おい、ゆりりん! 中止にはできないのか! こんなの、もう戦い(オークシヨン)でもなんでもないだろ!」


「できるならもうやってるみゅん!」





 ゆりりんは怒鳴り返し、チーター――通話を維持していたトウテツに、





「ちょっと! そっちはどうにかならないの!?」


『無理だ! 俺のコントロールを一切、受けつけない! クソッ、どうしてこんな……! で、でも、俺は悪くねえ!  お前らがウィルスであいつをバグらせやがったんだ! 俺のせいじゃねえ! 俺のせいじゃねえからな!』





 プツンと通話が切られる。





 まさか、逃げたのか? あまりの無責任さに怒りが込み上げるが、その言葉には一理あると言えなくもない。行き場のない怒りと焦りを抱えてモヤモヤしながら、湧磨はウィンドウを開いてアリシアにコールする。しかし、やはり戦い(オークシヨン)の設定によってそれは拒絶される。





何もできない。呆然とするしかないほどに、湧磨は単なる傍観者であった。





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