アルテは知りたい(1)

「ようこそ、我がホームへ」





 ホームへと帰ってきてリビングへと入り、ダイニングキッチンの中に入った直後、緑色の光と共にアルテが現れた。リビング中央に現れたアルテは、人形的な眼差しでこちらを見つめ、





「理解不能。通常、自らのホームに部外者を立ち入らせることはありません」


「でも、行こうと思えば、いつでも、どこにでも行けるんだろ?」


「はい、可能です」


「それなら、俺が君をここに招くか招かないかなんて大した問題じゃないはずだ。っていうか、君はなんでこんなことができるんだ?」





 と、湧磨はキッチンの引き出しを開け、そこに一通りの調理器具があることを確認しながら尋ねる。アルテはその場から動かないまま、





「私にはその権限が与えられているからです」


「それはそうなんだろうが、そもそもどうしてそんなものが――なんて、君に訊いてもしょうがないよな。それより、アルテ、何か食べたい物はあるか?」


「食べたい物……? いいえ、ありません」


「そう言うと思ったが、俺は君に何か料理を食べてもらいたいんだ」


「理解不能。私は食事を必要とはしません」


「だからこそだ」


「……?」





 アルテはその無表情に、わずかに戸惑いの色を浮かべる。この表情も、プログラムされた行動の一部なのだろうか? いや、違うはずだ。そう信じながら、





「俺は、君にもっと色んなことを知ってもらいたいんだ」


「理解不能。私は戦闘用プログラムです。したがって、戦闘に関連しないデータを取得する意味はありません」


「まあ、俺が勝手にそう思ってやってるだけだ。そうか、じゃあ、特に食べたい物がないなら……」





 と、レストランの厨房にあるような銀色の大きな冷蔵庫の前に立ち、そこに現れたモニタをスクロールして見ていく。『米』、『麺』、『パン』、『肉』、『野菜』、『飲み物』……などという基本の選択肢がまずあり、それを選択するとさらに細かな選択肢が現れる。





 『ニンジン』、千円。『フランスパン』、三千円。『卵』、千九百八十円。どれもゼロが一つ多い気がするが、しょうがない。湧磨は必要な食材を次々に購入して、それから冷蔵庫の扉を開くと、中にはゆりりんの物らしき大量の缶ジュースを押し分けるようにして、いま購入した食材が入っている。





「アルテはそこの席に座っててくれ」





と、野菜を抱えながらキッチンカウンタの席を目で指して、早速、調理に取りかかる。





 現実となんら変わりない。食材の感触も、焼いた時の香ばしい匂いも、湯が沸くのにかかる時間も、全てがいつも通りである。湧磨は熟練の中華料理人のように素早くその料理を作り上げ、





「お待たせ」





 と、興味がないと言った割には、蝶々を見つめる幼児のような真剣な目でこちらを見つめていたアルテの前に、湯気だつ丼をドンと置く。親父直伝の湧磨の得意料理、『豚ネギうどん卵かけ』、別名『これさえ食っときゃ死なないうどん』である。





「これはなんでしょうか」


「俺の得意料理のうどんだ」





 と、湧磨はアルテに箸を手渡し、





「食べてみてくれ」


「できません」


「どうして」


「マスターから、食料の摂取をする許可を得ていません」


「じゃあ、ここに来る許可は? というか、アイツに黙ってホームから出てる時点で、もう許可なんて得てなかったんじゃないのか?」


「…………」





 背筋を凛と正して座るその姿勢は保ちながら、しかしアルテはその目をスッと逸らす。真横の窓に広がる真っ青な海へと視線を向けながら、





「……マスターは現在、ログアウト中です。加えて、現在の私はウィルス感染による誤作動をしている最中と思われます。したがって、私に責任はありません」


「ぜんぶ俺たちのせいってことか」


「はい、そうです」


「いい返事だな」





と思わず褒めてから、





「けど、まあいい。そういうことでいいから、食べてみてくれ」





 解りました、と機械的に頷いて、アルテは箸を一本ずつ両手に持ち、奇妙な踊りを踊るようにして麺を口へ運ぼうとし始める。まるで二歳児か何かのようだが、初めて食事をするのだからしょうがないだろう。湧磨は「悪い」と謝ってフォークを渡す。





 それでどうにかうどんを食べ始めたアルテに、湧磨は尋ねる。





「どうだ? 美味いか?」


「『ウマイ』とは、どのように判断するのでしょうか?」


「それはやっぱり……『いい味がするな』と思ったらじゃないか?」


「私に味を識別する機能はありません」


「……そうか」





 手を止めていたアルテは、再びうどんを口へ運び始める。だが、どうやらアルテは味を全く感じていないようである。作戦失敗。無意味だったか。と、湧磨は思ったが、





「しかし……」





 丼を持ち上げてつゆを飲んでいたアルテが、それをカウンタへ置きながら口を開いた。そしてそれきり、時を止められたように『停止』した。





「お、おい、アルテ……? どうかしたか?」


「理解不能。ウィルスの侵蝕が加速している可能性があります」





 パチリと瞬きしてから独り言のように呟き、再び黙々とうどんを食べ進める。そして、あっという間につゆまで全て平らげてしまった。





「別に美味かったわけじゃないのかもしれないが……ぜんぶ食べてもらえて何よりだ」


「そうですか」


「ああ。でも、アルテ。料理を食べたら、『ごちそうさま』と言うんだ。それが料理を作ってくれた人と、食材になってくれた命たちへの礼儀というものだ」


「理解不能。エクスマキナにおける食材は現実の動植物とは無関係です」


「でも、作った俺はここにいる」


「はい。では、あなたに対して、ごちそうさまでした」





 ぺこりと頭を下げる。お粗末様でしたと丼とフォークを受け取って、使い済みの食器の扱いが解らないので、とりあえず流しで洗っておく。洗いながら考える。これから何をしようか?





 だが、解るはずもない。人生で一度もデートなどしたことがないのだから、頭に浮かんだものをダメ元で試してみるしかないのだった。





「ちなみに訊くが、アルテ、何か用事がある所はないか?」


「はい、あります」





 意外な返事だった。てっきり、『理解不能』もしくはただ一言、『ありません』という返事が来るばかりと思っていた湧磨は驚いて、





「どこだ? ちなみに、アリーナに行って戦う、なんてのはなしだぞ」


「違います。私が行きたいのはこの場所です」





と、アルテは自らのメニューウィンドウを何やら操作をして、それを回転させてこちらへ向けた。見ると、それはポータルの脇に現れる移動先選択のモニタである。なぜそんなものを自由に出せるのか疑問だが、それをアルテに訊いても仕方がない。





「カサブランカ……?」





 『Casablanca』。それが、アルテがドラッグ状態にして示している移動先である。その語感からは、何やらヨーロッパかその辺りの雰囲気が感じられなくもない。地中海風料理屋か何かだろうか? 湧磨には解らなかったが、ともかく、





「ああ、いいぞ。じゃあ、ここに行こう」


「はい。では、私は一足先に行ってお待ちしています」





 解った、と湧磨が頷いているうちに、アルテは緑色の光と共にその場から忽然と消え去る。全く便利なものだと思いつつ、アルテを待たせてはいけないと湧磨は急いで玄関へ向かい、ポータルのモニタで検索をかけ、出て来た『Casablanca』を選択して扉をくぐる。





と、そこは『ディラン』よりもさらに薄暗い、怪しい雰囲気の店内である。





 壁は毒々しいまでにきつい紫色で、足元には深紅の分厚い絨毯が敷かれている。無人のカウンタの奥には『ヴィーナス誕生』の大きな絵が飾られてあり、それがひっそりした空気の中でやや暖色の間接照明に照らされている。





美術館だろうか? そう思いながらカウンタの前へ行くと、そこにふと小さなモニタが浮かび上がった。そのモニタに、





『Welcome to Casablanca,Mr.Yuma』





 という文字が現れたと思うと、それからさらに、





『Your room is 202』





 という文字が表示された。





 どうやら先にここへ来たアルテが、こちらが店に入る準備も整えておいてくれたらしい。感謝してその場を離れ、ポータルとは反対の壁にあった一枚の木製の扉を、その扉脇のモニタで『202号室』を選択してから開き、その中へと足を踏み入れた。





「…………」





 そこは、教室を少し縦に伸ばしたくらいもあるような広い部屋だった。





 部屋を照らしているのはピンクがかった薄暗い照明で、部屋の右のほうには白いシーツの上に真っ赤な花びらが散らされたダブルベッドがある。左のほうには、全面ガラス張りで中が丸見えの浴室がある。実際に行ったことがなくても解った。すぐに解った。





「おい! ラブホテルだろ、ここっ!」


「はい」





 胸元が深々と切れ込んだシルクのネグリジェ姿のアルテは、カカシのように部屋の真ん中で棒立ちしながら、





「ウィルスに添付されていたあの動画において、あの『格闘技』はベッドの上で行われていました。なので、私は実際にベッドの上であの『格闘技』を教えていただくことを希望します」


「だっ、だから、俺は何も知らないって!」


「嘘です。あなたは知っています。お願いします。私にあの『格闘技』を教えてください」


「何度言えば解るんだ。俺は何も教えられない。た、確かに俺だって、ちょっとした知識くらいなら持っていなくもないが……!」


「やはりそうですか。ならば――」


「ダメだ。絶対に、君には教えられない」


「なぜでしょうか」





と、アルテはこちらへと踏み出して尋ねてくる。短めのその丈から、白い膝がちらりと覗く。思わずそれを見てしまいつつ湧磨は壁際まで退き、





「そっ、それは……決まってるだろ。あれがかなり危険な『格闘技』だからだ。ちょっと遊びのつもりで手を出して、そのせいで人生が狂ってしまった連中も大勢いるんだぞ」


「高い危険を伴う格闘技ほど、実用性が高いと言えます。したがって、やはり私はそのデータを収集させていただくことを希望します。……お願いします、ユーマ」





 アルテがその手を伸ばし、湧磨の胸にそっと指を這わせた。瞬間、湧磨は飛び跳ねるようにベッドまで逃げて、





「ダメだ! どれだけ頼まれようと、俺は絶対に何も教えないぞ! っていうか、アルテ! なんて服着てるんだよ! 人前でそんな格好はするんじゃない!」


「……? これは、この部屋のクローゼットに入れられていたものです。したがって、これはこの部屋における正式な装備であると思われます」


「そんなわけない――か、どうかは俺は知らない。でも、とにかく君はそんなふしだらな格好をしちゃダメだ」


「理解不能。なぜでしょうか」


「なぜも何もない。ダメなものはダメだからだ」


「しかし、アリーローズは普段、もっと肌の露出面積が大きい装備をよく着用しています」


「あ、あれは……戦闘オークシヨンに勝つための合理的な装備だ。だから、しょうがない」


「理解しました。この装備を解除します」


「なっ!? ちょっと待て!」





 と、湧磨は慌てて止めようとしたが、その暇もなく白い光がアルテを包み込んだ。





 まさか、この光のカーテンの中でアルテは一糸まとわぬ姿に……? そう思って湧磨はアルテから目を逸らし、しかし抗えない力に引かれてちらりとそのほうを見てみると、収束した光の中からは通常装備の――銀色のスクール水着のような装備を装着したアルテが現れた。





「……この世界は本当に便利だな。いや、でも、その服装もちょっと露出が多すぎないか?」


「これは戦闘オークシヨンに勝つための合理的な装備です」


「いや、でも今は戦闘オークシヨン中じゃない。だから、もっとちゃんとした服を着ないとダメだ。そうだ、服屋に行こう」





 アルテに有無を言わさず、湧磨はそう決めたのだった。

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