正義の鉄槌(2)

 唐突に現れたアルテに、湧磨だけでなく、この場にいる全員が呆気に取られる。皆の視線を一身に浴びながら、アルテはつとその視線を湧磨へ向ける。と、アリシアがガタンと立ち上がり、





「なんのつもりですの? アリーナ以外での戦闘行為は退会処分ですわよ」





鋭い声で言う。が、アルテは機械的に平坦な調子で、





「私は戦闘をする目的でここへ来たのではありません。また、マスターの指示を受けている最中でもありません」


「では、なんの目的ですの?」


「私はあの格闘技について、ユーマに教えてもらうためにここへ来ました」


「格闘技? 格闘技って……?」





 あ。数秒キョトンとしてから、湧磨は息を呑む。まさか、あのウィルス動画もといエロ動画のことか?





「ユーマ」


「うおっ!?」





 テーブルに載せていた湧磨の手にその青い髪をさらりと垂らしながら、アルテが間近から湧磨の顔を覗き込んでくる。





「やはり、私はどうしてもあの格闘技のデータが欲しいです。お願いします、どうか名称だけでも教えてください」


「だ、だから、俺は何も知らないって言ってるだろ!」


「ですが、あなたは明らかに嘘をついている人間特有の兆候を示しています」


「し、示してない! っていうか、近い! それだけ近寄られたら誰だって動揺するだろ!」





 明るい緑色の瞳、その微妙なグラデーションさえ見えるほどアルテが顔を近づけてきて、湧磨はガタッとイスから立ち上がりながら身を仰け反らせる。すると、アリシアが湧磨の身体の前にバッと左腕を突き出して、アルテを睨みつける。





「あなた、どうやってここへ入ってきましたの? 今、ここはわたくしたちのプライベートルームの設定になっているはずですわよ」


「……アリーローズ。魔法を使用した戦い方を得意とするAランカー」





 湧磨を守ろうとするようにアリシアが出した腕をちらと見下ろしつつ、アルテは言う。





「私はあなたを知っています。あなたは私よりも弱いです。あなたが私に勝つことができる確率は0,001パーセント以下。したがって私は、あなたがエクスマキナに存在する価値はないと判断します」


「なんですって……?」





予想だにしない言葉だったのだろう、アリシアは湧磨の前へ出していた手を力なく下ろしながら、ただパチパチと瞬きする。アルテだけが時計の秒針のように淡々と、





「つまり、私はあなたに用はありません。私はユーマに用があります。ユーマと話をさせてください」


「そんなに、あの『格闘技』が気になるみゅん?」





どこか楽しんでいるように薄笑いを浮かべながら、ゆりりんが尋ねる。





「はい。私にはあらゆる格闘技のデータを集める性質がありますから」


「本当にそれだけみゅん?」


「理解不能。どういう意味でしょうか」


「別に。ただなんとなく訊いてみただけみゅん」


「…………」





 ゆりりんに視線を逸らされ、アルテはじっと黙り込む。どことなく、弄ばれて怒っているように見えるのは気のせいだろうか? そう思いつつアルテの横顔を見上げていると、その視線がこちらへ戻ってきて、目が合った。





 瞬間、アルテは心なしかハッとしたように目を見開き、慌てたように湧磨から視線を逸らした――ような気がした。





 ――え?





 アルテの妙に人間くさいその様子に、湧磨は驚く。しかし、アルテの表情に『隙』のようなものを見た気がしたのは、そのほんの一瞬だけだった。またすぐにいつもの無機質な表情に戻りながら湧磨を見据え、





「あなたがあの格闘技についてどうしても教えてくれないのであれば、私がここにいる理由はありません。私はホームへ帰還します。失礼いたしました」


「ちょ、ちょっと待て、アルテ!」





どうやらテレポートでこの場を去ろうとしているらしいアルテを、湧磨は呼び止めた。アルテはこちらを振り返り、





「なんでしょうか?」


「あ、いや、えーと……」





 特になんの考えもなく、反射的にアルテを呼び止めてしまった。こちらを向くアルテの真っ直ぐな視線に湧磨は戸惑うが、やっと会うことができたこの機会を逃してはいけない。そう決意して、ゆりりんに尋ねる。





「なあ、まだ時間に余裕はあるんだよな?」


「うん、あるみゅん。まだ、っていうか、割とまだまだ」


「じゃあ、ちょっとアルテと、その……話、してきていいか?」


「話……?」





アリシアは目を丸くして、





「そのチートプログラムと一体、何を話すことがあるんですの?」


「それは、まあ……せ、戦闘についての話とか」


「はあ? あなたは何をおバカさんなことを……?」


「も、もしかして、清里くん……『戦闘』って、あの『格闘技』のことみゅん?」


「だ、断じて違う!」





 冗談なのか本気なのか、深刻に尋ねてくるゆりりんにはっきりと否定して、





「とにかく、俺はちょっとアルテと話がしたい。だから、アリーローズ、悪いが、案内してもらうのはまた今度でいいか?」


「それは構いませんけれど……。でもやはり、そのプログラムと二人きりになるなんていけませんわ。何を企んでいるかも解りませんのに……」


「大丈夫だ。あの男の気配がしたら、すぐに逃げるよう心構えはしておく。――ってわけなんだけど、いいか、アルテ? これから、俺と少し話をしてもらっても」


「当然、構いません。むしろ願ってもない提案です」


「そうか。じゃあ……ゆりりん、アリーローズ、それに師匠、時間までには戻るから、ちょっと行ってくる」





 と、唖然としたように目を丸くする三人を残して、湧磨はアルテと共に個室を後にした。





「ユーマ、やっとあの『格闘技』について教えてくださるのですね」





 ポータルへと向かって薄暗い廊下を歩く湧磨の後についてきながら、アリシアが言う。





「だから、それは違うって言ってるだろ」


「では、話とは?」 


「いや……別に、話さなきゃいけないことがあるっていうわけじゃないんだが」


「理解不能。話がしたいのに話さねばならないことがないというのは、どういうことでしょうか」


「そ、それは……いや、何もおかしいことじゃない。人間っていうのはだな、特に話す必要もないのに色々話をしたりするものなんだ。一緒にいて楽しい人となら、特にな」


「あなたは私と一緒にいることが楽しいのですか?」


「ああ……まあ、楽しいかな」





本当は『まあ楽しい』どころではない。最高に楽しい。何せ、君は俺の『彼女』なんだ。泉とは全く性格も雰囲気も違うが、でもやっぱり最高に可愛い。だから、話をしていて楽しくないはずがない。





 それに、湧磨の目に今も焼きついているのは、このデジタルの世界の狭間にある真っ暗な空間……そこにポツンと一人きりでいるアルテの姿だった。





 アルテを、あんな寂しい場所で一人ぼっちにはさせたくない。寂しさなど感じないのかもしれないが、アルテのあの姿を想像すると、むしろこっちが寂しくなる。





「いや、でも、無理につき合ってくれなんて言わない。もし俺とはあまりいたくないんだったら……気にせず帰っても構わない」


「私はプログラムです。したがって、そのようなことを感じることはありません」


「そ、そうか。じゃあ、少し俺と話をしよう」





 喜べる返答ではなかったがともかく安堵しながら、湧磨は階段を上りポータルの前に立って、左右に立っている用心棒二人の視線に軽くオドオドしてしまいながらモニタを操作、行く先を考える。





「適当に歩ける場所でもあればいいんだが……ああ、どこかアルテの好きな場所とかはないのか?」


「私に好き嫌いという感情はありません」





階段を上ってすぐの場所に佇みながら、アルテは言う。





「あ、ああ、そうだったな。じゃあ……よくいる場所は?」


「通常、私は私のホームで待機をしています」





 まるで壁打ちのように、ボールがそのまま返ってくる。ならば、行き先は自分で選ぶしかないのだが……湧磨はまだ自分たちのホームとアリーナ、そして現在いる『ディラン』以外の場所へ行ったことがなかった。





これを機に色々な場所へ足を伸ばしてみるのも手だが、行ってみたら予約が必要で入れなかった、などという下手を一発目から打ちたくはない。となると、選ぶべき行き先はただ一つ、自分のホームだけである。





 アルテをホームへ連れていったら、きっとアリシアは怒るに違いない。が、見られるとマズそうなものを見せるわけでもないし、大丈夫だろう。と、モニタで自らのホームを行き先に指定、パスワードを入力して、自らのホームに繋がったポータルのノブを掴む。





「特に行きたい場所はないみたいだから勝手に行き先は選ばせてもらったが、それでもよかったか?」


「はい」





 とアルテは頷くが、なぜかやや離れた場所に立ったまま一歩も動こうとしない。





「どうした、来ないのか?」


「私はポータルの半径一メートル以内に入ることを禁じられています」


「禁じられている……? どうして」


「ポータルが誤作動して、外部のネットと繋がってしまう可能性があるためです」





 つまり、アルテはエクスマキナの外へ出ることが固く禁じられているということか。おそらくはNPCなのだろうが、念のため用心棒二人の前で余計なことを言わないように湧磨は気をつけつつ、





「なるほど。じゃあ、俺は先に行って待ってるぞ」





 と、おそらくはテレポートで追ってくる気なのであろうアルテに言って、ポータルをくぐった。その直前、肩越しに見たアルテの顔がどこか寂しげに見えた気がしたが、それは単なる願望かもしれなかった。アルテにはきっと心がある、そんな願望である。





 俺はアルテに願望を押しつけている。そう自覚しつつも、一秒ごとにアルテへと傾いていっている心を止めることはできなかった。アルテに見え隠れしている気がする感情の芽を、勘違いだと捨て去ることはできなかった。

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