アルテ(2)

 アセンブラを正面から睨みつけ、そして、湧磨は地面を蹴って突進する。





「ッがハッ……!」





 アセンブラの腹部に、湧磨の右前蹴りがめり込む。





 アセンブラは身体をくの字に降りながら吹き飛びながらも、倒れ込むことなく着地してすぐに顔を上げる。が、湧磨は既にその視界から姿を消している。アセンブラの背後から、その後頭部へと回し蹴りを放つ。





 アセンブラは素早く前転してそれを躱し、唖然とした様子でこちらを向く。





「バカな……!? Gランカーごときが、こんな……!?」


「ああ、俺は確かに初心者のGランカーだ。だが、それがなんだ。無限の欲望があれば、技術が敵わなくても戦いようがある」





 メニューウィンドウを表示させ、普通のゲームとなんら変わりないそれを操作して『スキル』を表示、そこにあった『アイアンナックル』を『Active』にする。





と、湧磨の右手が青く燃える炎のような光に包まれる。それを腰だめに構え、LPゲージをかなり消費したためか、それとも動揺のためか動くことができずにいるアセンブラへ、





「喰らえ! アイアンナックル!」





 一直線に跳び、その顔面に――赤いマスクに拳を叩き込んだ。





 グッ、という声にならない声を上げながら、アセンブラは屋上から落下するほとんど間際まで吹き飛び、倒れ伏す。と、





『You win!』





 という表示が視界中央に現れ、ランクポイントが加算されたらしいことを表すウィンドウも表示された。だが、まだランクは変わりなくGのままである。





――Aランクはまだまだ遥か先か……。





そう改めてアリシアの凄さを再確認していると、倒れていたアセンブラが地面に肘をついて起き上がろうとし始めた。しかし、腕に力が入らないのか、ガクッと再び地面に横たわる。様子が心配になり、湧磨は駆け寄って声をかける。





「お、おい、俺がやっといてなんだけど……大丈夫か?」





 ああ、とアセンブラは呻くように返事をしながら、血が滲み出している左頬を押さえ、それから微笑んでいるような声で言った。





「負けたよ……。君の女子高生への欲望……敵ながら感服だ。気合いの入った、いいパンチだった……」


「ああ、ありがとう」


「この突き抜ける欲望……久しぶりに思い出させられた気がするよ。雑誌の袋とじごときに胸を高鳴らせたように、私もかつては全力でエロに向き合っていた……。なのに、私はいつの間にか……!」


「ああ……」





 言えない。キスをできる相手がアリシアという金髪美少女であると知っていたなどとは口が裂けても言えない。良心の呵責を感じつつ湧磨が相槌を打つと、アセンブラは、少年時代に帰りたいと訴えているようなそのマスクの奥からこちらを見つめ、





「ありがとう、ユーマ……。君と戦えて、本当によかった……」


「あ、ああ、俺もだ」





 頷くと、アセンブラは眠るように身体から力を抜き、そしてシャボン玉が弾けたように白い光の粒となって、空へと上り、消えていった……。





『……何をいい話のようにしていますの? 言っておきますけれど、あなた方はお二人共、とんでもない最低の変態同士なんですのよ?』


「とんでもない最低の変態とはなんだ。キスの権利を売りに出したのも、俺をここに入札エントリーさせたのもお前なんだ。お前が一番の変態だろ」





誰が! と声を荒げるアリシアは無視して、湧磨はゆりりんに尋ねる。





「それより、知らなかった。戦闘中の会話もできるのか?」


『うん。でも、できるのは、戦ってる両方が仲間との通信を許可してる時だけだみゅん。ところで、身体は大丈夫みゅん? 次のバトルも行けそうみゅん?』


「問題ない。俺のLPは常に回復し続けている。あと十数秒もすれば、またエネルギーマックスだ」


『あなた、本当に最低の変態ですわ……』


「俺に勝ってほしいのか負けてほしいのか、どっちなんだ、お前は」





そう湧磨が呟いた直後、まるで空間全体をスキャンするように、地面から青い光の面が現れ、瞬く間にサァッと空へ上っていった。そして、その光が通った後からは今までの高層ビル屋上の景色が消え、代わりに――戦場となった都市のような、荒廃した景色が現れた。





 瓦礫と割れた窓ガラスの散る足元。道の所々に積み上げられた砂袋。横転した軍用車。ヨーロッパ風の立派な石造りの、しかしひと気のない暗い家々。幾筋も立ち上る黒煙と、鈍重な鉛色の空……。





 冷たく乾いた風が、砂埃を軽く巻き上げながら通りを吹き抜ける。





 それが連れてきた濃い火薬の臭いに湧磨は思わず目を眇め、鼻を手で覆ったが、道の先、二十メートルほどの所にあった家の扉を開けて一人の少女が現れたのを見て、その目を大きく見張った。





毛先に明るい緑色を灯した真っ青な長い髪の毛が、鈍色に支配された景色の中で眩いほどの色彩を放つ。正面に立ってこちらを捉えるその瞳が、エメラルドのように輝きながら湧磨の視線を鷲掴みにする。





少女は女性としてはごく平均位の身長で、スラリと華奢な体つきをしている。首までを覆う銀色のスクール水着のような不思議な服を着ているために、その真っ直ぐな細い足は露わに晒され、しなやかに引き締まったウエスト、適度にふくらんだバストもくっきりと輪郭を描き出されている。





 透明感のある青い髪と、宝石のような緑色の瞳、ミルクのように白い肌。まるでそこだけに色彩が凝縮されたかのように、少女はくすんだ背景から浮き立つようにしてそこに佇んでいる。





「え……?」





 掠れたような声が、湧磨の口から漏れる。幻を目にしたように思考が止まり、少女をただ見つめることしかできない。しかしいくら見つめようが、見間違いではなかった。湧磨は慄然としながら、呟いた。





「泉……?」





自分の『彼女』が、そこに立っている。『オレカノ』のゲーム内でデザインした自分だけの大切な『彼女』が、いま確かに目の前に立っているのだった。





 幻などではない。青い、スケート靴のようなデザインのブーツを履いた足がしっかりとあるのだから、もちろん幽霊でもない。





 ――本当にいた……。エクスマキナの中に泉が、本当に……!





 先日、自分のパソコンに届いた謎のメール。それに添付されていた画像には、泉らしき人物の姿が映っていた。あのメールと画像はなぜか消えてなくなっていたが、やはり夢や勘違いではなかった。泉は本当に、この世界にいたのだった。





 だが、どうして? 湧磨は呆然と立ち尽くし、そしてそんな湧磨を泉は人形のように無感情な瞳で見つめている。思わず声を震えさせてしまいながら、尋ねる。





「泉……なのか? いや、それとも、誰かが勝手に泉を――」


「私の名前は『Alte』です。泉、という名称ではありません」





 それは確かに泉の声である。だが、まるで電子音のように抑揚のない、感情のない声と話し方だった。





 直後、『Ready Fight!』の文字が少女に重なるようにして空中に現れるが、それどころではない。湧磨は足元の瓦礫に爪先を突っかけながら少女へと歩み寄る。





「アルテ……? どういうことだ? どうして――」





 見えなかった。





 なぜ自分がそれを躱すことができたのかも解らない。アルテがこちらへ向けた掌の前に紫色の魔方陣が展開されたと思った直後、目の前で光が炸裂した。咄嗟に湧磨が横へと跳ぶと、稲妻らしき閃光がすぐ傍を貫いていった。





 その稲妻は背後にあった瓦礫の山に直撃し、轟音と共に砂塵を巻き上げる。思わず湧磨は背後を振り返ってその様をポカンと眺めるが、少女――アルテのほうからジャギッという重い金属音が聞こえた瞬間、





「っ!」





 本能的に、ショーウィンドウのガラスを突き破り、すぐ傍の建物内へ飛び込んだ。





 ドドドドドッと空気が震えるような連続した炸裂音に息を呑みながら、建物の奥、荒らし回られたように乱雑に散らかっているリビングへと駆け込む。





 定かではないが、今のはおそらくマシンガンの音だろう。そしてゆりりんは確か、エクスマキナ内でのダメージは現実でのダメージと変わりないと言っていた。ということはつまり、銃で撃たれれば現実で撃たれたのと同じ痛覚が身体に走るということだ。





 ――おい、ゆりりん! これは訓練がてらの戦い(オークシヨン)なんじゃなかったのか!





ゆりりんへの八つ当たりが思わず口から漏れそうになるが、アルテに声を聞きつけられてはどうなるか解らない。恐怖で動転しかけている頭を深呼吸でどうにか落ち着けてから、恐る恐るドアからショーウィンドウのほうを覗き込んでみる。





 するとそこは、しんと誰の気配もなく静まり返っている。まるで爆撃機が去っていった後のような静寂があるのみである。ホッと、とりあえず肩から力を抜くと、





「……え?」





 唐突、パンッ、と弾かれたように、壁に当てていた右手が跳ね上がった。





 何かグニャグニャとしたような細長い物が空中に舞い上がり、それは高速で回転しながら床へと落ちる。重たげな音を立てて落ちたそれの一方の端から、赤黒い液体がドクドクと流れ出し、そこに水溜まりを作った。それは人間の腕だった。





 なぜか、右腕が妙に熱い。慄然としながら見下ろすと、装甲に守られていた肘から下の右腕が綺麗にスッパリと消え失せ、壁からは剣のように鋭い氷が突き出していた。





「なっ……!?」





 熱さが痛みへと変わって、湧磨は右腕を押さえながら壁を離れ、割れた窓から裏路地へと飛び出る。すると、逃げようとした細い路地の先に、まるで待ち構えたようにアルテが立っている。





 愕然と足を止めた湧磨を無機質な瞳で見つめながら、アルテは無言のまま両手をこちらへ伸ばし、その掌の前に紫色に輝く魔方陣を展開させた。

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