アルテ(3)
「やっぱり……間違いないよ」
ソファの後ろに立ったままモニタを見つめながら、ゆりりんが言った。両手を硬く組み合わせて息を詰めていたアリシアは、
「間違いないって、何がですの!?」
砂塵が立ちこめて何も見えない細い路地裏を映すモニタを見つめながら、アリシアは思わず怒鳴るように尋ねる。
今、敵が放ったのはギガボルト――射程距離八メートル、射角二十度の範囲に、直撃すれば人が即死するレベルの雷撃を放つ高威力の攻撃魔法である。しかし、なんだろう、あの無鉄砲な魔法の使い方は? あのような狭所で広範囲に影響を与える魔法を使うなど、まるで後先考えない子供のような戦い方である。
この『Alte』という名前も聞いたことがないし、ランクも『D』でおそらくは大したことがない。差し詰め、少しエクスマキナに慣れてきた中級者が、調子に乗って高レベルの魔法に手を出して、遊び半分でそれを使っているのだろう。
そう思いながら画面端に表示されている敵のLPゲージを見て、「えっ」とアリシアは我が目を疑う。すると、ゆりりんもまた愕然とした様子で言った。
「全然、LPが減ってない……。この入札エントリー者……たぶん、チーターだよ」
「チ、チーターですって!?」
そんな存在がいるだなんて、聞いたことがない。アリシアは思わず反論しかけたが、そこに確かに表示されている、あれだけ強力な魔法とスキルを立て続けに放ちながら、全くと言っていいほど減っていないLPゲージへ目を戻して絶句する。
「そんな……! でも、これがチーターなら、運営は一体、何をしていますの?」
困惑しながら呟いて、だがそれどころではないと気づき、湧磨にコールをかける。と、それはすぐに通じた。
「湧磨! 湧磨、聞こえる!? まだ生きているなら、とっとと返事をしなさい!」
『ああ……まだ生きてるよ。かろうじて、だがな……』
そう返事が返ってきて、濛々と砂塵に包まれている裏路地から別の路地へと、民家の壁に寄りかかりながらヨロヨロと湧磨が姿を見せた。
その右肘ほどから先はなく、濃藍の上着の所々には焼け焦げたように穴が空き、そこからは赤くただれたような皮膚が見えている。
湧磨をここに引き入れたのは自分である。だから、彼が負傷をした時の責任が自分にもあるということは既に覚悟している。その痛みから、決して目を逸らしはしない。
だが、今の自分にはそれ以外の何もできない。いたぶられながら、激しい痛みに耐え続けているその姿を見守ることしかできない。こんなの、自分自身が戦っているよりも辛い。アリシアが痛む胸を押さえていると、
「大丈夫だみゅん、アリシア。こういう事態が起きた時のために……にひひ、とっておきアイテムをちゃんと用意してあるんだみゅん」
ゆりりんがニヤリと口の端を吊り上げ、どこか楽しげですらあるような様子でパソコンの前に腰かけた。
○ ○ ○
「か、可愛いっ……!」
寒気がする。吐き気がする。目眩がする。
おそらくは現在進行形で血を失いすぎているために押し寄せてきているそれらの悪寒と戦いながら湧磨が呟いた言葉が、それであった。
裏路地のさらに裏路地、家と家の間を通り抜けるカビ臭い隘路に身を潜めつつ、湧磨はそっと顔を出してアルテの気配を探っている。
雷のような電撃魔法をすんでの所で躱して、完全にアルテの視界から外れた後にここへ身を隠したはずなのに、なぜ解るのだろうか、アルテはゆっくりとした足音を立てて明らかにこちらへと近づいてきて――ほどなく、その姿を現した。
その雰囲気はまるで儚い妖精のようで、理知的で凛とした雰囲気である普段の泉とはかなり異なるが、これはこれでとても魅力的だった。今にも空気の中へ溶けていってしまいそうな透明感と儚さがその青い髪、白い肌を包み込んでいて、まるでそこだけ淡く輝いているようである。
だが、見とれてばかりもいられない。湧磨は物陰に身を潜めてから、アルテのいる裏路地に向かって怒鳴る。
「おい、お前は何者だ! 答えろ!」
「私はアルテです」
ピタリと足音が止まると共に、アルテが言う。湧磨は慌てて、
「い、いや、違う、君じゃなくて……! 君だけど、君じゃないというか……そう、君の中にいる奴に向かって言ってるんだ!」
「理解不能。私は私です」
「っ……! お前、俺をバカにしてるのか!」
俺が泉の『彼氏』であることを知っていて、それで俺を弄んでいるのか。デザインを剽窃したことを悪びれもしないその様子に思わずカッとして怒鳴ると、残りわずかまで減少している湧磨のLPゲージの上にコールの通知が表示された。
ゆりりんからであるそのコールに『応答』すると、
『清里くん、これを使うんだみゅん!』
「これって……?」
『もうメールからアイテムを送っておいたみゅん。メールに添付したアイテムを受け取って、それからアイテムウィンドウで確認してみて?』
指示に従って、確かに着信していたゆりりんからのメールを開き、それに添付されていたアイテムを受け取る。
そして、そのアイテム――『ゆりりんのとっておき・その1』の表示をアイテムウィンドウでタッチし、『使用する』を選ぶ。すると、湧磨の目の前に、ミステリーサークルのような幾何学模様がびっしりと描かれた一枚のカードが現れた。
「これは……?」
『まあ簡単に言うと、プログラムを強制的にシャットダウンさせるウィルスの一種だみゅん』
「ウィルス……? そんな物、ここで使っていいのか」
『今は緊急事態だみゅん。清里くん、落ち着いて聞いてほしいんだけど、いま清里くんが戦ってる相手は人間じゃなくて、おそらく疑似人格を搭載した戦闘用チートプログラムだみゅん』
「チート? 疑似人格……?」
『そうだみゅん。だから、普通ならこんなアイテム使っちゃいけないけど、今はそれどころじゃないみゅん。一刻も早く戦い(オークシヨン)を終わらせるべきだみゅん』
「そうか……なるほどな、疑似人格か。ああ、了解だ。で、これはどうやって使えばいいんだ」
『それを彼女の身体に貼るだけだみゅ。だけ、って言われても難しいと思うけど……そこは頑張ってとしか言えないみゅん』
「……了解」
仕方がない。湧磨は左手にそのカードを持ち、アルテのいる裏路地を再び覗き込む。
アルテ――どうやら湧磨がネットに投稿した泉の画像や動画から、その容貌をパクって作られたらしい少女は、何かを警戒しているようにその場にじっと佇んでいる。
カメラのレンズのように感情のないその目と視線が合った。湧磨が再び物陰に身を隠すと、
「あなたは、どうして戦わないのですか」
と、不意にアルテが尋ねてきた。
どうやら、逃げてばかりのこちらを不思議がっているようである。機械音のように平坦だが、困惑しているのがどことなく解るその声に湧磨は回答する。
「それは……正直に言うが、戦わないんじゃない、戦えないんだ」
「なぜですか」
「単純に、俺はとても弱い。それに、君は……」
疑似人格を搭載した戦闘用チートプログラム。きっとゆりりんの言う通り、彼女はそうなのだろう。会話をしている感触から湧磨自身もそう思うが、だからと言って、簡単に割り切って殴りかかれるはずもないのだった。何せ、中身は違えど、その容貌や声は湧磨の『彼女』である泉そのものなのだ。殴ることなど、できるはずもない。
「やはり、あなたは弱いのですね。ならば、早く消去デリートされるべきです」
アルテがさらりと言った。
「弱い者に生きている価値などありません。価値のないものは邪魔なだけです。即刻、排除する必要があります」
「え……?」
『早く消去デリートされるべき』
泉の声で、こんな言葉を言われる日が来ようとは思いもしなかった。泉ではないと解っていても、その姿と声で言われると、思わず動揺せずにはいられない。
しかし、動揺してしまったからこそ、それに負けまいとする反発として、湧磨の胸に怒りの炎が宿った。
俺の泉に、こんなことを言わせやがって。こんな場所で戦わせやがって。怒りは相乗的に膨れ上がり、混乱と恐怖で満ちていた湧磨の頭をむしろクリアにさせた。
こんな戦い(オークシヨン)から、泉をすぐに解放させてやる。そしてアリシアのファーストキスを手に入れてやる。失いかけていた欲望が鮮明に心を満たし、それと共に今にもゼロになりかけていたLPゲージが急速に回復し始めた。
だが、LPが回復しても痛みはなくならず、吐き気や目眩も消えない。当然の話だが、いくら体力が回復しようとも、肉体に受けたダメージ自体は変わらないようである。となると、うだうだしている暇はない。
「そうだな……逃げるのはここまでだ。待ってろよ、泉。俺が、今すぐに助けてやる!」
叫んで、湧磨はひと思いに物陰から飛び出す。膝に力が入らず思わずよろめいたが、それが僥倖だった。湧磨の頭のすぐ上をゴウッと音を立てながら火炎が過ぎ去っていく。アルテが冷淡な声で言う。
「理解不能。『泉』とは誰でしょうか。『助ける』とは、どういう意味でしょうか」
棒立ちしているアルテに、湧磨はふらつく足で突っ込む。
と、このように無謀な攻撃をしてくる相手と対戦したことがなかったためだろうか、それともただ単に、躱す必要もない虫けらのようなものだとこちらを判断したのだろうか。湧磨はいとも簡単にアルテへ接近することに成功し、そのほっそりした肩にカードを――ウィルスを貼りつけたのだった。
瞬間、アルテの瞳から光が消えたような気がした。
「これ……は……?」
ゆっくりと顔を上げ、アルテは空中を見つめる。
どうやらウィルスが無事効いたらしい、アルテから距離を取りながら湧磨はそう思うが、「ん?」と眉を顰める。
アルテの様子が、何かおかしい。ウィルスに感染させられたのだからおかしくなるのは当然だが、プログラムがシャットダウンされる様子がないし、それにアルテはいま何かを必死に目で追っているようだった。
「お、おい」
ウィルスを流し込んだ本人だからこそ心配になって、湧磨はアルテの肩に手を置いた。すると、突然、アルテの全身にザザッとノイズが走り、そう思うと、なぜか湧磨の視界は暗転していた。
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