アリーローズ(3)
「もちろん、そうですわよ」
「…………」
正気か? 湧磨は言葉を失うが、アリシアは悠然と笑みを浮かべたまま、
「何かしら? まさか、『勘弁してくれ』などとは思っていませんわよね? 折角、このわたくしがあなたの貧しさを憐れんで手を差し伸べてさし上げているんですもの。断る理由などあるはずがありませんわ」
「いや、その理由なら山ほどもある。というか、そもそも、俺はお前に憐れんでくれなんて頼んだ覚えはないぞ」
「それでも、あなたは毎日毎日、うどんばかりしか食べられずにいるような、高貴なわたくしには見るに耐えないほど苦しい生活をしていらっしゃるのですもの。わたくしのノブレス・オブリージュの精神が、あなたを放っておくことを許してくれませんの」
「余計なお世話だ。うどんは俺の好物なんだ。だから、毎日食べようが辛くもなんともない」
「でも、他の色んなものを食べて過ごせることに越したことはないでしょう? もしあなたがここのオークションに入札エントリーして戦い、勝利すれば――」
「ファイトマネーがどういうふうに貰えるかっていうことは、さっきゆりりんが説明しておいたみゅん。あ、だけど、チーム内での取り分けについてはまだ話してないみゅ」
そう、とアリシアは肩をすくめて、
「では、勝ち取ったファイトマネーをどうするかということですけれど……ちなみに今、わたくしとゆりりんは七対三の割合でそれを分け合っていますけれど、もしあなたがチームに入ってくださったならば、戦った人間とそれ以外の人間で、六対二対二で分け合おうということになっていますわ」
「それはつまり、俺が入ったら二人の取り分が減るっていうことじゃないのか?」
「そうだみゅん」
と、ゆりりん。
「でも、入札エントリーできるオークションが増えれば、その分は充分カバーできるはずだみゅん」
「……なるほど」
でも、それは俺がしっかりと勝つことができればの話だろう。湧磨は眉間に皺を作るが、アリシアはそんなことなどまるで心配していないかのように得意げに言う。
「あなた、とんでもない変態でしょう? そんなあなたがお好きな商品は戦い(オークシヨン)の注目度がとても高くって、その分ファイトマネーも格段に高いんですの。つまり、あなたの活躍によっては、わたくしたちのチームが得る利益は大幅に増えるということですわ」
「それは解ったが、やっぱり解らない。そこで、どうして『俺』なんだ? 俺は格闘技なんて、ゲームの中と柔道の授業でしかやったことがないんだぞ。俺なんかが戦ったところで勝てるわけがない」
「いいえ、勝てますわ」
「なぜだ」
「今ここにいるわたくしやゆりりんの肉体、これは現実のものかしら?」
何が言いたい? 沈黙を返すと、アリシアはその引き締まった腰に両手を当てて、
「わたくしたちだけではない、ここにいる人は皆、本当の肉体ではない肉体を使ってここにいますわ。ですから、基礎体力という面では皆、条件はフラットということ……。それに、格闘の経験や感覚を持っていないというのは、むしろよいことなんですのよ」
「よいこと……?」
湧磨が怪訝に首を傾げると、ゆりりんがソファから立ち上がり、キッチンのほうへ歩いていきながら尋ねてくる。
「清里くん。さっきのアリシアの戦いぶりを見てて、あんなのが現実でできると思ったみゅん?」
「まさか。あんなのができるのはゲームの中だけだ」
「そうだみゅ。だから、現実での格闘技経験なんてちょっとも役に立たないし、むしろそれがこの世界への対応を邪魔しちゃうんだみゅん。実際に、Aランクまで上り詰めたアリシアは格闘技なんて全然やったことないみゅん」
なるほど、一理ある……かもしれない。冷蔵庫から『グレープサンダー』というらしい缶ジュースを取り出して、ご機嫌に笑うゆりりんに何も言い返せず湧磨が黙り込むと、アリシアが話を継ぐ。
「この世界では、現実の体力や経験など役に立たない……けれど、あなたは気がついたかしら? 先ほどのオークションで、わたくしの相手が酷く疲労をしていたことに」
「ん? ああ、まあ……」
アリシアの強大な力に押し潰されて疲労どころでないようにも見えたが、実際、その様子はあった。湧磨が頷くと、
「でも、おかしくはなくって? この世界には肉体など存在しない。つまり体力など考える必要もないはずなのに、どうして彼は疲れていたのかしら」
「確かに……。ということは、つまり……この世界には、現実での体力と同じように扱われる何かがあるっていうことか?」
「察しがよろしいですわね。ええ、そうですわ。この世界には体力として扱われる、『あるもの』がある。それは……欲望、ですわ」
欲望? 湧磨が反芻すると、全て段取りが決まっていたかのように、今度はゆりりんが説明役として口を開く。ソファの背もたれ部分にこちらを向いて腰かけながら、
「欲望は『LP(Libido-point)』として数値的に扱われて、その残り数値が多いほど動きは速く、攻撃は強力になるんだみゅ。つまり、LPはまさしく、この世界での体力を意味するんだみゅん」
「よく解らないな。それなら、誰でもずっと疲れることなく戦い続けられるはずだ。欲望なんて、目的を果たせるまでは強くなったままだろう」
「そうかしらね? 案外、人は簡単に欲望を捨ててしまうものですわよ。恐怖や不安、痛み……そんなストレスから逃れるためなら、前へと向かおうとする欲望はすぐに二の次になる……。それが人間というもののようですわ」
「つまり、それらに負けないような強い欲望の持ち主こそが勝者となる、ってことだみゅん。そう考えれば、ゆりりんたちがキミを選んだのは別におかしいことじゃないはずだみゅ。ゆりりんたちは、朝まで一睡もせずにエロMODを落札したキミの欲望と闘争心を高く買ってるんだみゅん」
「なっ、なんでゆりりんがそんなこと……! って、まさか、あれを作ったのって……!?」
「うん、そうだみゅ。むふふ……出来はどうだったみゅん? お楽しみできたかな?」
「いや、俺はまだ何も――」
「そんなことはどうだってよろしいのですわ」
と、アリシアが頬を染めながら、
「それで、どういたしますの? 先ほども言いましたように、もしあなたがわたくしたちと共に戦ってくださるのであれば、わたくしが勝った時に貰うファイトマネーを無論、あなたにも分けてさし上げますわ。ついでに、不要になったわたくしの家の家具などもさし上げたってよろしくてよ」
「それは願ってもない話だが、そうは言っても……」
やはり、自分が戦うなんて想像もできない。思わず躊躇うと、アリシアは呆れたように嘆息して、
「どうせ迷うと思いましたわ。けれど、どんなに迷ったって結局は欲望に負けるのですから、そんなのは時間の無駄以外のなんでもありませんわ。――ゆりりん、さあ、アレを出品して」
アリシアはパソコンを指差し、ゆりりんを見下ろす。すると、ゆりりんは戸惑ったように、
「本当に……いいんだみゅ?」
「あなたのほうから提案をしたのに、何を今さら躊躇していますの?」
「いや、ゆりりんは、その……ただの冗談で……」
「あなたにとっては冗談だったとしても、わたくしはもう決めましたの。さあ、早くやって頂戴。わたくしはやると言ったら必ずやる女。それはよくご存じでしょう?」
「……解ったみゅ」
ゆりりんはソファの背もたれから下り、パソコンデスクの前のイスに座って、何やらパソコンを操作し始めた。
アリシアと共にその背後まで行き、上に三枚、下に三枚、計六枚並べられているモニタを見てみると、下段中央のモニタにはオークションの出品手続き画面らしきものが映っている。そして、その出品される商品の説明欄には、
『現実でアリーローズ(現役・美少女女子高生)とキスをする権利。』
と書かれてある。
「……は?」
湧磨は唖然とするが、ゆりりんは出品の手続きを淡々と進める。そして、あっという間に出品完了。
「……え? なんだ? 今の?」
状況が把握できない。困惑してアリシアを見ると、アリシアはその巨大な胸のふくらみの下で腕組みしながら、
「見たままのことですわよ。わたくしのファーストキスを、戦い(オークシヨン)に出品いたしましたの」
「はぁ!? お前、正気か!? なんでそんなことを……!?」
「なんで、ですって? そんなことは解っているでしょう。あなたをさっさとエクスマキナに引き入れて、そしてわたくしたちのチームに引き入れるためですわ」
「さっさと引き入れるためって……そんなことのために……」
「何が不服ですの? あなたがこのオークションに入札エントリーして勝てば、絶世の美少女女子高生であるこのわたくしがあなたにキスをしてさし上げますのよ。
でも……そうですわね、もしあなたが負けてしまったり、あろうことか逃げてしまったりすれば、わたくしはどこかのエロ親父にファーストキスを奪われてしまうことになりますわ。
いえ、もしかしたら、それだけじゃ済まないかも……」
「当たり前だ! こんな出品はさっさと取り下げろ! っていうか、お前はいいのか。俺みたいな、本当に役に立つかどうかも解らない人間を引き込むためだけに、こんな……!」
「何度も同じことを訊かないで。よいと言ったらよいのですわ」
「ど、どうして……? どうして、俺をそんなに信用できる?」
「わたくしはあなたという人を中学時代から知っていますわ」
「そんなの、なんの根拠にも――」
「いいから黙って入札エントリーしなさいな。あなたにはもう選択肢なんてありませんのよ。これで『無理』などと言って逃げるなら、あなたはとんでもないヒトデナシとして、これからの一生を惨めに過ごしていくことになるんですからね」
まるでこちらが無茶な条件を要求しているかのように、アリシアは不機嫌な顔で横を向く。
もう、やるしかないじゃないか。湧磨は途方に暮れながら、
「……戦うのはいつだ」
「入札エントリーの締め切りは明日の夜九時、その後、すぐに戦い(オークシヨン)開始だみゅん」
明日の二十一時。それが俺の寿命というわけか。いや、どうやら本当に死ぬというわけではないようだし、そもそも俺が負けることなど絶対に許されないのだが……。
一体、俺が何をしたというのだ。これはなんの刑罰だ。疲れた。もう帰って寝よう。全ては夢だ。そのはずだ。重い頭を押さえながら、湧磨がポータルへと足を向けると、
「清里くん、もう寝ちゃうんだみゅ?」
「ああ、悪いが、もう限界だ。今日はもうさっさと帰って休みたい」
「待ちなさい、清里――いいえ、湧磨。ログアウトする前に、あなたにはまだやっておくべきことがありますわ」
アリシアに引き止められ、踏み出していたプラスチック棒のような足を止めて振り返る。
「やっておくべきこと?」
「ええ、その身体、今のままではあまりにもスマートではありませんわ。さっさとわたくしたちのようにアバターを決めてしまいなさいな」
「そだね、それがいいみゅん。キミが来るのは解ってたから、もういくつかよさそうなの用意してあるし」
頭と心は疲労の極地だが、それは気になる。湧磨が引き返して、アリシアと共にゆりりんの背後に立つと、
「とりあえず、こんな感じだみゅ。もちろん、気に入らなければ微調整もできるし、自分で作り直しもできるみゅん」
そう言って、上段中央のモニタに選択肢を表示する。見ると、それには屈強な男から幼い美少女まで、十以上ものアバターが並べられている。まるで格闘ゲームのキャラクター選択画面のようなその表示を感心して眺めながら、なんの気なしに呟いた。
「へえ、美少女にもなれるのか……」
「もちろん。美少女でもお婆ちゃんでもムキムキマッチョマンでも、なんでもオールオッケーだみゅん」
「なんですの? ひょっとして、あなたも女の子になりたいんですの?」
と、アリシアが冷めた目でこちらを見てくるが、
「いや、別にそういうわけではないけど……ん?『あなたも』って?」
「え? あ、いえ……」
「…………」
アリシアが口を滑らせたというような顔で口元を押さえ、ゆりりんはどことなく息を潜めるように黙り込む。
――まさか。
嫌な予感に慄然としながら、湧磨はゆりりんの白いうなじを見下ろす。すると、その気配に気づいたように「ん?」とゆりりんはこちらを向き、
「な、なんだみゅん? そんなにゆりりんのこと見て……あ、もしかして、ゆりりんの可愛さに見とれちゃったんだみゅ?」
と、イスを回転させてこちらを向き、からかうような笑みを浮かべながら、タンクトップの胸元にむにゅんと胸の谷間を作る。
あはは……。湧磨は苦笑を返しつつ、アリシアに耳打ちする。
「な、なあ、もしかして、ゆりりんの『中の人』って……」
「わたくしは何も知りませんわ。というか……何か嫌な予感がするから、あまりそのことには触れないようにしていますの」
アリシアの目は闇に覆われたように暗かった。まるで世界の深淵を見てしまったように暗いその瞳の色から、湧磨も静かに全てを察した。
「ど、どうしたんだみゅ、二人とも? 急に暗い雰囲気になっちゃって……も、もっと楽しく行こうだみゅん。レッツイケイケのアゲアゲだみゅん! ヒューヒュー! なんちゃって!」
「…………」
「…………そ、それで、あなたはどのアバターがよろしいんですの?」
数秒の重い静寂を挟んで、アリシアが明るく笑顔で尋ねてくる。
「あ、ああ、そうだな。じゃあ、俺は……このRPGに出て来そうな金髪の騎士に――」
「そんなのはやめて。あなたはこれでよろしいのですわ」
あっ! と湧磨が驚いているうちに、アリシアはパソコンのマウスを勝手に操作して、とあるアバターを選択、決定してしまった。するとその直後、青い棒人形だった湧磨の身体が瞬く間に変化した。
が、これを『変化』と呼べるのだろうか。何せ、現れたのは十五年と数ヶ月間、慣れ親しんできた自分の身体である。おまけに、これは皆一様の初期装備なのだろうが、真っ白なシャツに青いトランクス一丁というのも、自宅にいる時の定番の格好である。
湧磨は思わず股間を隠しながら、
「お、おい、お前! これ、ほとんど――っていうか、全くもって完全に現実の俺と同じじゃねえか!」
「何か問題でも? 別によいでしょう?」
「よいわけがあるか! ネットに個人情報を流すのがどれだけ危険か、お前なら知ってるだろ! 下手したら普通に生きてくこともできなくなるんだぞ!」
「そんな心配はご無用ですわ。もし万が一そうなったとしても、わたくしが全ての責任をもってあなたの面倒をみてさし上げますもの」
「責任って……。まさかお前、俺を使用人か何かして扱き使うつもりじゃ……」
「さて、やるべきことはやりましたし、今日はもう寝ることにいたしますわ。湧磨、あなたも帰るのでしょう? 一応、ここの出て行き方を実際に見せてさし上げますから、わたくしについてきなさい」
アリシアはそう言って、腰のパレオから覗く白い桃を瑞々しく揺らしながら玄関のほうへ向かっていく。その魅惑に思わず引きずられるようについていくと、ゆりりんがにこにこ笑ってこちらへ手を振る。
「おやすみ~、また明日だみゅ~」
「ええ、おやすみなさい。あなたもあまり夜更かしはするんじゃありませんわよ」
そう言ってリビングを後にするアリシアの微笑を見て、もう本当に疲れ切ってぼんやりとしていたせいもあるが、湧磨はふと肩から力が抜けたような気分になった。
決して本気で疑っていたわけではないが、どうやら自分を騙してどこか海外に売り飛ばそうとしているということはなさそうだ。二人の何気ない会話からそう安心しながら、湧磨はリビングの扉を閉めたのだった。
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