鉄の首輪

 翌日の昼休み。





 腹を空かした生徒たちで賑わう購買の前で、湧磨は掌の三百二十円、全財産である資金を見つめて思わず溜息をつく。





 こんな状況では百円のパンさえ贅沢品で、簡単には手を出せない。だが、空腹を我慢するのには限界がある。今朝、うどんは食べて出て来たが、うどん一杯だけでは男子高校生の腹を三時間ともたせられず、湧磨は既に空腹の極地にいた。





 貴重な三百円だが……仕方がない。明日の心配よりも、とりあえず今をどうにかしなければならぬ。そう苦渋の決断をして、湧磨は購買のテーブルに並べられたカレーパンに手を伸ばす。





 と、横から不意に伸びてきた手が、そこに残っていた二つのカレーパンをさっと摘み上げていき、





「カレーパン二つ、くださいな」





 と購買のオバちゃんに言って、代金を支払った。そして、





「はい、どうぞ。これはあなたに恵んでさし上げますわ」





 買ったばかりの物の一つを、突きつけるようにして湧磨に手渡した。





 湧磨は突然のことに呆然とするが、アリシアはなんということもないように、セミロングの髪から漂う花のような香りを残して購買の前を去っていく。湧磨が慌ててそれを追うと、アリシアが前を向いたまま言った。





「別に、感謝の言葉などいりませんわよ。貧しい者に施しを与えるのは富者の義務ですもの」


「誰が貧しい……いや、ありがとう。正直、助かった。このカネと恩はいつか必ず返す」





 思わずムカッとして言い返しかけたが、事実は事実だと受け入れるしかない。そう湧磨が礼をすると、アリシアはひと気のない廊下の一角で足を止め、こちらを振り向く。





「ええ、そういう思いでいてもらわねば困りますわ。そして、そう思うのなら尚のこと、あなたにはもっと他にお金を使うべきものがありますわ」


「他に……?」


「十分後、図書室に来なさい」





 そうとだけ言って、アリシアは足早に教室のほうへと先に歩いて行った。





 なんだろう? 怪訝に思いつつ湧磨も教室へと戻って、友人らの輪に交ざってカレーパンを平らげると、彼らには散歩に行くと言って少し早めに図書室へと向かった。





 行ってみると、既にアリシアがそこで待ち構えていた。カウンターの図書委員以外は誰もいない図書室の一番奥、北向きの窓際にある、梅雨空のせいもあっていつも以上に暗い席から、定食屋で一時間待たされた客のような顔でじっとこちらを見ている。





「遅いですわ。レディーを待たせるなんて、男として失格ですわよ」


「俺は時間通りに来たぞ。っていうか、ほっぺたにカレーつけて待ち合わせに来るような女はレディーなんかじゃない」


「そ、そんなことより、あなた、携帯端末はお持ちかしら?」





 アリシアはティッシュで素早く頬についていたカレーを拭き、正面の席に腰かけた湧磨に尋ねる。





「ああ、持ってるけど?」


「じゃあ、それでこのページに行ってみてちょうだい」





 と、アリシアは小さなノートの切れ端を湧磨の前に差し出す。見てみると、それには何やらホームページアドレスらしき、英字と数字の入り交じった文字列が書かれてある。似たようなものを見た憶えがある。湧磨は小声で尋ねる。





「エクスマキナ関連のページか?」


「そうですわ。ですから早く準備を。そのページに入ることができるのはおよそ二分後、十二時四十分からの三十秒間だけですわよ。ちなみに、学校のサーバーに履歴が残らないように、接続はモバイルネットワークを使うんですのよ」





 解ったと頷いて、湧磨は十二時四十分ちょうどを待ってから、指示に従ってページに接続する。





 と、真っ黒な背景のページが表示された。それは手作り感満載の簡素な販売サイトのようだったが、そこで売られている商品の画像とその名称、簡単な説明から、これがエクスマキナのサイトであることはすぐに納得できた。が、





「STR十パーセント上昇、AGI十パーセント上昇、ストームブリンガー、ヴァジュラ、カンタレラ……よく解らないのもあるけど、これ、いわゆる『課金要素』っていうやつか?」


「ええ、そうですわよ。わたくしは主に魔法系のスキルやアイテムを購入していますわ」


「欲望が強いほどバトルも強いんじゃなかったのか。結局はやっぱりカネか」


「全く否定はできませんけれど、違いますわ。エクスマキナのスキルや能力値は、強い欲望があってこそ初めて使用できたり真価を発するものばかり。いくらお金を注ぎ込もうとも、所詮は身の丈に合っていなければなんの役にも立ちませんわ。


 で、率直に訊かせていただきますけれど、あなたは今、自分の口座にいくらくらいお持ちでいらっしゃいますの?」


「口座? 口座にあるのは……二十円くらいだ」


「……あなた、わたくしがエクスマキナに誘わなかったら、どうやって生きていくつもりでしたの?」


「いや、まあ、親を頼ればどうにかなると思って……。ああ、そうだ。でも、昨日お前がエクスマキナで手に入れたファイトマネーが俺にも配分されるなら――」


「ファイトマネーが振り込まれるのは大体、早くて一週間後ですわ。全く……しょうがありませんわね。今回はわたくしが立て替えてさし上げますから、ちゃんと後で稼いで返すんですのよ」


「ああ、悪い……。でも、何を買えばいいんだ?」


「あなたはおそらくLP――つまりは体力を活かした肉体派の戦い方になっていくような気がいたしますわ。ゆくゆくは解りませんけれど、とりあえずは近接戦闘を補助するようなステータス上昇と、それから防御系の装備品に絞っていくべきでしょうね」





 アリシアは湧磨の手から携帯電話を取って、代わりに操作し、





「例えば……このジャケット、『サンダー・ガード』はいかが? これには、電撃系魔法の威力を二割軽減する効果がありますのよ」





 と、それを湧磨に返す。





「んー……なんか、デザインが好みじゃないな」





 それはライダースジャケットのような、黒い革製ジャケットである。それだけのシンプルなデザインならよかったのだが、なぜかその両肩から胸へかけて、黄色い稲妻模様がデカデカと描かれている。その、男子小学生でさえ敬遠しそうなデザインに湧磨が思わず顔をしかめると、





「初心者が何を小生意気に……と言いたいところですけれど、その気持ちはよく解りますわ。


 正直に申し上げて、エクスマキナは装備品のデザインがあまりよくありませんの。そのクセ、女性アバター限定の装備品は妙な方向に力が入っていますのよ。わたくし、きっといつか運営に文句を言ってさし上げようと思っていますわ」





 いや、運営の気持ちはとてもよく解る。そう内心思いつつ、画面をスクロールしていると、





「んっ? これは……?」





 とある物が目に留まった。





「何?」


「え? ああ、いや、なんでも――」


「見せなさい」





 再びスクロールをして誤魔化そうとしたが、素早く携帯電話を奪い取られ、付近のアイテムをチェックされる。





『透視メガネ 装備アイテムを一枚、透過して見ることができる。』





 そのあからさまなアイテム名と説明文は、すぐにアリシアの目にも留まったらしい。その眉間にピクリと力が入ったのを見て湧磨はそれを察し、





「ち、違う。それがあれば、隠し武器を見抜けたり、戦略的に役に立つんじゃないかと思っただけで……」


「それならどうして誤魔化そうとしましたの? 全く、あなたという人は……」





 育児に頭を痛める母親のようにアリシアは重く嘆息して、





「なら、とりあえず、あなたはこれにしておきなさい」





 と、手早く操作をしてから、こちらへその画面を向ける。





『アイアンナックル LPの五割を消費して、そのエネルギーを拳に載せて放つ。』





「アイアンナックル……つまり鉄拳か。ふむ、男らしくて嫌いじゃないな」


「そう。じゃあ、とりあえず、後は最低限のステータス上昇をして……」





 と、こちらへ画面を向けていた携帯電話を持ち直し、準備を整えていってくれているらしいアリシアに全て任せつつ、湧磨は尋ねる。





「ところで、さっきちょっと色々と目に入ったんだが……『STR』って、つまり『力』のことだよな?」


「ええ」


「じゃあ、『AGI』が『速さ』、『DEF』が『防御』で……『SER』と『MAD』ってなんなんだ?」


「『SER』は『Status Effect Resistance』、ステータス異常耐性。『MAD』は『Magic Attack Defence』、魔法防御のことですわ」


「へえ、なるほど……」





 空腹が紛れたせいか、急に眠気がやってきた。アクビをしつつ湧磨は相槌を打ち、





「で、それだけ色々買って、結局いくらになるんだ?」





 頬杖を突いて尋ねる。異次元的に進んだ技術で作られた世界とは言え、所詮はゲーム世界である。かかっても、数千円が関の山だろう。





「ええと……合計で二千三百七十万、ですわね」


「そうか。まあ、やっぱりそれくらいは……え? まん? にせん……『万』っ!?」





 ここが図書室であるということも忘れて、湧磨は思わず叫ぶ。





「せめて一ヶ月以内にはこのお金は返していただきますから、どうぞそのつもりで頑張ってくださいまし」





 アリシアはこともなげに言いながら席を立ち、図書室をスタスタと去っていく。湧磨は慌ててその隣についていきながら、どうにか抑えた声で、





「ちょっと待て。二千三百『万』だと? じょ、冗談だろ?」


「これくらいは普通……というかむしろ、今日の戦い(オークシヨン)に備えるという意味では少なすぎるくらいですわ。ちなみに、一週間経つごとに一割、利息が増えていきますから、どうぞお早い完済をお勧めいたしますわ」


「俺は奴隷かっ!」





 暗く静かな廊下に、心からの叫びが響き渡った。





 もういよいよ逃げられない。自分の首に鉄の首輪がガッチリとはめられたその音を、湧磨はいま確かに聞いた気がしたのだった……。

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