逃げてはならない、逃げない







 こちらが何も言わない内に、訪問を告げた者が下がり、王太子本人が現れた。


「取り込み中か?」

「……いいえ」


 シルビアは立ち上がり、侍女はさっとシルビアの後方に下がった。

 突然とは思えないくらい、王太子は自然に部屋の中に入ってくる。


「しばらく二人にしてくれ」

「承知致しました」


 即座に答えたのは、王太子についてきた者だった。王太子に一礼し、その者は、シルビアの方を見る。──侍女の方、だ。

 シルビアの侍女は、王太子のお付きの視線を受け、ちらりとシルビア見た。


「お嬢様」

「案じなくとも、何もしない」


 シルビアではなく、王太子が答えた。

 王太子は笑い、手のひらを見せるなどという動作をしたから、侍女は恐縮した様子になる。


「い、いえ──失礼を致しました」

「良い。異変を感じれば、中に入って来て構わん」


 侍女が深く礼をして、もう一人いた侍女と出ていった。王太子についてきた者が最後に出ていき、扉を閉める。


 部屋の中には、シルビアと王太子のみとなった。

 二人になったのは……以前、アルバートの隊長室でなった以来か。

 一体、何の用だろう。王妃と同じく、用という用があるわけではない、とは思えなかった。なぜか、この王太子には。

 シルビアが見つめる先で、王太子は向い側の椅子に座った。王妃が座っていた位置だ。

 彼は座ったところで、立ち上がっていたシルビアに無言で座るよう示したあと、残っているお茶一式を一瞥した。


「母が来たと聞いたが」

「はい。……王妃様は、先ほど」

「見れば分かる。母に何か言われたか」

「何か、とは」

「『何か』だ。心当たりがないならそれで良いが」


 王太子は、シルビアを見るが答えないと分かり、付け加えることにしたようだ。


「母は、お前と私との結婚を積極的に推している人間だ」


 その付け加えを付け加えだとシルビアが理解するには、些か難しかったが。


「あれほど『伝説』を狂信するとは思いもよらなかった。相当私と私の将来に期待し、お前により強烈な『夢』を見始めたようでな。……『伝説』はもちろん知っているだろうな」

「……はい」

「そうでなくてはさすがに困る。まったく、信じがたくも、信じさせられるような者がいるのだから仕方ない。──それで、母はその類いのことは口にしなかったか」


 ここまできて、心当たりが出てきたが、シルビアはやはり答えはしなかった。しかし、王太子は目を細めた。


「話半分に流しておけばいい。……母は少し、精神的な部分が安定しない時がある。普段はそうではないのだがな、何のプレッシャーからか不安定になったとき、私より余程私の将来を案じる節がある。私がまだ小さな子どもであるかのように」


 内密でな、と王太子は軽く話を流したが、あまり聞きたい類いでない話を聞いた気がする。


「心配しなくとも、ジルベルスタイン家の夫妻は知っていることだ。お前の環境で言えば、それほど重大な秘密というわけでもない」


 改めて話を流した王太子は、椅子の背にもたれ、手を体の前で組んだ。


「さて、母がお前の身を預かっている様子が気になったこともあるが、私がここに来たのは別に用があるからだ」

「……何でしょうか」

「私に何か聞きたいことか、言いたいことはあるか」


 そんなことを言われても、漠然としすぎていて、シルビアは首を傾げたくなる。


「なに、問答無用でここに連れて来られただろうからな。そのくせ、お前の近くで直接関わる者は現状を説明していく暇なくこの地を後にした」

「……殿下が、教えてくださると言うのですか」

「教えよう」


 王太子は、寛容に頷いた。「お前にはその権利があり、単に伝えるべき人がいなかっただけだ」と。


「ふむ、まず何から教えるか。……ああ、お前の現状だが、お前は今頃、隊ではテレスティア側の隊に移ったことにされている。アルバートが隊長だからな、その偽装は容易い」


 シルビアは本来、アウグラウンド側の戦線に連なる隊に配属されていた。

 ここに連れてこられるに当たり、その隊から姿を消す理由を、もう一方のテレスティア側の隊に移ったことにしたのだ。

 つまり、表面上はシルビアは戦に行っていることにはなっている。


「……テレスティアの方とも、戦にはなるのですか」

「高い確率でなるだろう」

「高い確率で、と言うことはやはり確定はしていないのですか?」

「テレスティア次第だ。こちらからは攻めないが、テレスティアが敵に転ぶ可能性の方が高い」


 それも教えておこう、と王太子は次の話題にテレスティアを選んだ。


「テレスティアの使者たちがこの国を去る前のやり取りは、さすがに耳に入っていないだろう」

「はい」

「前提として、テレスティアの使者たちの『誓い』は破れた」


 『誓い』が弱まっていたゆえだという。『誓い』を行わせていた対象が捕らえている者で、封じたからだろう、と。


 その上で、テレスティアが帰る前、この国との交渉の結果、彼らが、この国へ明かしたことは以下の通り。

 テレスティア自体には、この国に危害を加える考えはなく、全てアウグラウンドによる指示に従ったこと。テレスティアとアウグラウンドの戦は、少し前に決着が着いておりテレスティアが負け、城はアウグラウンドに制圧された。

 令嬢は、元々王子の婚約者で、彼女を含め王族に盾にする人質が取られている。

 アウグラウンドに従うと決まり、唯一戻ってきた彼女は邪神信仰者になっていた。

 アウグラウンドはどうやら邪神信仰者と繋がりがあるようで、海戦では海賊がテレスティアに攻めいったそうだ。


「海賊が……」

「そうだ。魔物が出る可能性を考えられたために、今回の戦力の派遣でも神剣使いが必須だというわけだ」


 果たしてアウグラウンドが王子の婚約者に何をし、邪神信仰者としたかは分からない。

 彼女の輿入れを示唆したのは、アウグラウンドとの関係を悟らせないためで、同時に人質として連れてくるためだろう。

 と、アウグラウンドの意図はテレスティアの人間には不明瞭のようだ。


「邪神の影響を受けた婚約者を、上手くやれば戻してやると言われて、バゼル殿下は従う旨を固めたそうだ。私にしてみれば、人質など切り捨てろと言いたいところなのだが」

「……」

「彼らは私たちと戦をしたくないと言った。アウグラウンドには従いたくはないとな。国に戻り出来るだけのことをし、粘るとは言い帰っていったため、確定ではない。返事が返って来ず、宣戦布告もないのは粘っているからかもしれない」


 彼らもそう簡単に反抗出来ないだろう。すでに負けた身でもある。

 各方面が揺れている。

 テレスティアの粘りが終われば、テレスティアの方面でも戦が起こる。この国は二国を相手にし、邪神信仰者も相手にし、魔物も相手にしなければならないかも。戦力は当然分散され、不利。

 それでも、勝って終わらせる、と言い切り、シルビアには待っていろと言った人がいた。


「……殿下」


 シルビアは、静かに切り出した。

 誰に言うべきか。この人だ。おそらく、この状況を打破できる可能性を持つ人。


「私は、私がここにいるべきではないと、思います」

「ほう。では、どこにいるべきだと?」

「……戦場に」


 テーブルを挟んで向かい側。王太子を見つめ、シルビアはとうとう言った。

 王太子は、黙ってシルビアを見返した。黙って、黙って──息を吐いた。


「お前を渡すわけにはいかないのだ、シルビア」


 シルビアを戦場に行かせるわけにはいかない理由。似たようなことを、アルバートから聞いた。お前は狙われているから、と。


「この言い分は聞いたか。そうか。事実だ」


 王太子はおもむろにカップを一つとり、ティーポットからお茶を注ぎはじめた。

 少々雑な注ぎ方だった。王族に注ぎ方を求める方がおかしいかもしれないが、何しろお茶が微かに飛ぶという、雑と言う他ない注ぎようだった。

 だが、飛ぶお茶が見えないように、王太子はまったく気にする様子がない。


「お前を奪われれば、かの国アウグラウンドは、あっという間に我が国を侵略してくるだろう。お前を利用することも充分に考えられる。最悪、この国は滅びる。伝説の一つの再来だ。そのまま暗黒の時代が幕を開けそうだな」


 ティーポットが定位置に戻される。

 ティーカップを手にした王太子は、椅子に深く座り直した。


「その理解は出来ているか」

「……はい」

「そうか」


 王太子は、ハーブティーを飲んだ。「冷めているな」と「ハーブティーか」とハーブティーはあまり好みでない反応をし、彼はティーカップを受け皿に戻す。

 カチャリと大きめの音がした。


「何が出来る」


 王太子の顔から、一切の笑みが消えた。場を決して固くしすぎない雰囲気の一切も。


「雰囲気か何かは知らないが、元凶ではない私を避けたがっているお前が、本当に恐れるものを前にしたとすれば、どうなる。何が出来ると言う。戦場に行って、どうする。戦えるのか。『彼ら』はおそらく出てくるだろうと私は考えている」


 矢継ぎ早に言われ、シルビアは少し遅れて口を開こうとする。


「まあ、その点はお前のせいだけにするのは気の毒かと先日思ったが」


 気の毒?


「先日捕まった男、一応繋がりとしては『兄』だそうだな」

「……」

「お前のあの兄は、控えめに言って『狂っている』な」


 仄かな笑みが過った。嘲笑だ。


「お前を狙っているのなら、早い話お前を人質にすればいいと私は考えた。しかし、いざお前を人質に取る発言をしてみると、彼は、女神を殺せるはずがないとか、人質に取るなら奪い返すまでだ、奪い返した暁にはこの国は滅ぼしてやると言う。どのみち戦になる残念な思考回路だった」


 やれやれ、と大げさに首を振ると、椅子の肘掛けに肘をつき、どことなくぞんざいにシルビアを見やる。


「自覚があるか」


 問いかけだった。


「今回起こる戦は、どちらもお前が発端となっているのだという自覚は」


 という、問いかけだった。

 真正面から、現実をシルビアに突きつけるものでもあった。

 シルビアは、膝の上にある手をぎゅうと握りしめた。──知っている。分かっていた。


「自覚はあったらしい」


 表情にも出ていたのか、声にして答えないうちに、王太子は答えを得た。


「それなら、せめて自重して大人しくしているのが筋だろう」


 聞いたことのない、この上なく冷え冷えとした声が言った。

 王太子の声だった。顔を見ていて、口が動いたのも見ていたから間違いない。

 だが、声音が別人のように酷薄。

 目も、青い目は、いつからか気がついたときには冷え冷えとしていた。

 養母と同じのはずの瞳の色は、王家の色。清々しい青。

 その色、王太子の色は、今、凍えていた。


 彼の言うことは、全て正論だ。

 シルビアを渡すわけにはいかない、アウグラウンドはシルビアを狙っていると先日の侵入者からして分かり、それならこの戦はシルビアが発端で起こっていること。では、シルビアはせめて、おとなしくしているべきだ。

 これは正論で、シルビアも理解できた。

 でも、違う。正しいが、一点のみ、異なる面があるはずだ。

 ここで大人しくしているべきだと、この点だけは。


「──そうだからこそ」


 シルビアは、声を出した。

 違わないが、そうだからこそ、言わなければならない。こうでもあるのだと。


「私は、逃げてはいけないし、逃げません」


 戦の空気一つ、ここにはなかった。それどころか、穏やかな雰囲気さえ漂わせることができる。

 それが、耐え難かった。

 自分のせいなら、なぜ、自分がここにいることが許されるというのだ。ここで安穏としていることが。

 大半が、本当の理由を知らない人たちばかり。そんな人々に戦わせ、血を流させ、命を落とさせ。そんなことがあってもいいのか。


「そして、これは私の勝手ですが。殿下、私には一つ、望みがあります」


 どうしても叶えたい望みがある。

 自分のせいで起こる戦から、自分だけ遠ざかっていいはずがない。戦場を望む理由はそれもあるが、もっと前から望んでいることがある。

 ──メリットじゃない。

 そうだ。そうなのだ。ただ、自分がそうしたい。


「その望みのためにも、私はこの戦から逃げたくはありません。私も戦うことを望みます」


 制服も、神剣は手元になく、許可がなければ戦場には行けない。

 シルビアは、ここで戦場に行かせても良いと思わせなければならない。戦場に行かせてはならない理由を消すくらいの何かを示さなければならない。

 シルビアが立つと、王太子が無言で視線で追う。

 その視線を真っ直ぐに見つめ返し、殿下、と呼びかける。


「私には、武器があります。あの剣が隠されていようとも、私の手には戦うための『剣』があります」


 強い意思を込め、言い切り、手を上に掲げた。


 私には信仰がない。必要ない。私は神の民ではないからだ。生まれつき、信仰する神を持たない。


 王太子が目を見張る。


 ──私が『私』である所以を示そう。


「『剣よ、顕現せよ』」


 体を、熱と共に力が駆け巡る。

 虹色の閃光が弾け、王太子が目を瞑った。









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