奇妙な心地
嬉しい、楽しいということは、昔から少しは感じることがあった。
嫌だということ、悩むことは、少し遅れてから覚えたものだ。
養父、養母、アルバートは、シルビアにたくさんのことを教え、実際の「もの」ではないものを与えてくれた。
アルバートが結婚するということを思うと、シルビアの胸は締め付けられたようになった。
その初めての不可思議な感覚は、アルバートの見合い話を聞いた日だけでは収まらなかった。
ぼんやりとすることも増えてきていた。
もう数日も経って、驚きはないはずで、理解もしたはずなのに。
ぱきん、と脆い音がした。
模造剣がぶつかり合い、強度が足りず、割れたのだ。しまったと思い、剣に意識をもっていかれた瞬間、足をひっかけられ倒れ込んだ。
「ジルベルスタイン、神通力が甘い」
「──はい」
模造剣の切っ先をこちらに突きつけた教官に、一言、明らかな原因を指摘された。
一度休憩だと、その間に剣を変えてくるように言われて、休憩に入った。
新たな模造剣を取りに行き、戻り、隅の方の壁にもたれる。
「最近、調子悪いな」
横の方から、話しかけられた。
イオだ。横の、少し離れたところにいる彼はシルビアの方は見ていない。
「そうですか? ……そうですね」
壁にもたれさせた、傍らの模造剣を見やる。
模造剣と呼ばれるものは、二種類ある。一つが、普通の剣の訓練のときに使う、模造剣。一つが、神剣を模した模造剣。
イオといるということは、現在シルビアは神剣の訓練中で、後者の模造剣を使っていることになる。
この、神剣の模造剣とは、元々は遺跡から発掘されるもののみではなく、もっと神通力を扱える者全員が使える特別な剣が出来ないかと開発されたものだそうだ。
けれど、神剣に似たものなど人間につくれるはずはない。
今も開発は続けられているとは言うが、作られた模造剣は強度や他の問題から、実践では使えないものの、こうして訓練には使用できるものではあった。
そうして、剣を振るいながら神通力を込める練習には最適な模造剣として、使用されている。
神通力を通すだけで、真剣よりも倍切れ味が増す神剣は、未熟な者が練習に使うには危険すぎる側面を持つためこれで慣らしていくことになっているそうだ。
昔は、神剣をそのまま使っていたから、大怪我が絶えなかったという。
普通の真剣さえ、普段の訓練では控えているのだ。その倍の切れ味となると、いくら本物を使わなければ使いこなせないと言っても最初は模造剣にするのが賢いだろう。
「神通力だけじゃなくて、剣の振りも鈍い気がするけど……」
イオが横目で、視線をシルビアに向けた。
「体調とか、大丈夫か?」
「体調は悪くないです」
「それならいいんだが。さっさと調子を戻せよ。おれは、簡単におまえに勝てるのが釈然としない」
イオは、負けず嫌いで、自分に厳しく、他人に少しつっけんどんな言い方をする青年のようだった。大抵は。
しかし、以前の怪我のときといい、今といい、口調の土台は変わらないが、人を思いやる面も持つ青年だった。
シルビアは神剣の訓練のたびに彼と戦う。彼はいつも真っ直ぐ、手を抜かずシルビアと戦う。初回の手合わせでシルビアに負けたことも影響しているのだろう。
もちろんシルビアもそうする。
けれど、イオの言う最近、調子が下がり気味だということは自覚していた。
──どうしたの、私。
このままでは駄目だ。
イオにも失礼だし、何よりこんな風な姿を思い描いて騎士団に入ったのではない。強くなるために騎士団に入ったのだ。
「よし。──イオ、休憩後から私頑張ります」
「お、おお」
シルビアは模造剣をしっかりと握り、訓練場を見据えた。
しかし、肝心の得たいの知れない感覚はなくならなかった。
帰り道、アルバートと歩く。
「ここ数日、調子が下がり気味だって聞いたが」
シルビアははっと顔を上げた。
アルバートの耳に入るという可能性を失念していた。シルビアは第五騎士隊所属で、隊長はアルバートなのだから、訓練の経過について耳に入るのも当然だ。
「すみません」
「謝るな。どうしたのかと思っただけだ」
「いいえ、不都合なことは何も起こっていないので……」
手を抜いている意識はない。
けれど調子は落ちている。何かによって出来ない状態にあるのなら未だしも、外的要因などはないから、一重にシルビアのせいだ。
「焦るな」
下方に向きかけていた視線を上げると、アルバートはこちらを見ていた。
「お前が強くなりたいと思っていることは知っているし、早くなれればいいに決まってはいるだろう。俺も出来る限りのことはする。だが、気が逸りすぎると上手くいかなくなることもある」
「……はい」
「今日は帰ってからの稽古は休みにするか」
「え。でも」
「騎士団での訓練は休めないからな。休めるならそっちだ。たまには母上の言うとおりにしよう」
休むことは大切だと、養母は確かに先日言った。
そう、なのだろうか。自分は焦っているのだろうか。
シルビアは「はい」と返事した。
それからまた、静寂が満ちた。
時間が時間であり、歩く場所は元より閑静な区域だ。静かな空気は、日中より温度が低い。
沈黙自体は珍しいものではない。シルビアは話す方ではなくて、元々聞き手に回ることが多いし、アルバートもお喋りの類いではない。
共に住んでいれば、沈黙が多い時間もある。
ゆえに、普段なら気にしたことのないシルビアだったが、ちらりとアルバートの方を見る。
「アルバートさん」
「何だ」
「お見合いは、いつするのですか?」
聞きたいことがある気がして、何が聞きたいのか、気になっているのかと考えた。その結果、アルバートの結婚のことしかなかった。
だから、意を決して聞いてみた。口を出すのではなくて、気になったから。
問いに、ほんの少しだけ、間が挟まった。
「来月に入った頃だな」
彼は前を見たまま、簡潔に答えた。
それから、付け加える。
「そろそろ貴族が首都に集まる時期だ。相手も領地から出てくるから、そのくらいになる」
貴族たちが、首都に集まる時期が目前だ。
普段とは異なる会議が城で開かれ、また、貴族たちの交流が盛んに行われる。その関係で、共に領地から出て来ている貴族の令息、令嬢の結婚相手探しもこの時期に行われるのだとか。
どのような人なのだろう。
アルバートと結婚するかもしれない女性は、どういう名前で、どういう人なのだろうか。
それは聞けないまま、黙って帰路を歩いて行った。
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