お見合い……?
今日も、帰ってからアルバートに稽古をつけてもらった。
終えて、地下から出て、自室に戻ろうとしていたとき。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「一日ぶりの我が家だ」
声だけ聞こえて、廊下の先を急いでみると、執事を伴い悠々と歩いてくる男性がいた。
黒い髪に、灰色の目。アルバートと同じ色合いを持ったこの人こそ、ルーカス・ジルベルスタイン。ジルベルスタイン公爵であり、騎士団で高い地位にある人だ。
そして、シルビアの養父に当たる。
「お父様、お帰りなさい」
「おお、シルビア。ただいま」
シルビアを見つけて、目元がくしゃりと和らいだ。
養父の顔立ちは、アルバートは総合的に彼に似たのだろうと分かる作りだ。
上着を執事に預け、養父はシルビアの頭を撫でる。少々強めの手つきだ。アルバートもこうして撫でられたことがあったのだろうか。
「稽古か」
養父は、シルビアが手に持つ剣に目を留めた。
「はい。アルバートさんも、一緒で……」
「父上、帰ったのか」
シルビアが後ろを見たちょうどのタイミングで、後からゆっくりと来たアルバートが合流した。
息子の登場──と言うよりその反応に、養父は渋い表情になる。
「帰ったのか、ではない。帰ってきた者には『お帰りなさい』だ、アルバート」
「『お帰りなさい』」
「可愛げがない」
アルバートは言われた通りをしっかり言い直したのだが、要求した方の養父はばっさりとそう批評した。
「俺が可愛かった試しがあるのか」
「……ないな」
「だろうよ」
こういう類いのやり取りは、日常だった。
彼らのやり取りを見ていると、これが「親子」かと、染々と思う。
「そうだ、アルバート、今度の見合いのことなのだがな」
──見合い?
ふと聞こえてきた言葉に、養父を注視する。
とっさに分からない言葉だったが、引っかかる心地がした。そして疑問は、声になっていたらしい。
養父が「そうか、シルビアには言っていなかったか」と教えてくれる。
「今度、アルバートが見合いをすることになった。そのまま決めてしまうことも出来たには出来たのだが、やはり互いに本能的に合わない相手では敵わんだろう。顔合わせと話をする機会を設けたのだ。上手くいけば、トントン拍子に結婚だ」
見合い、結婚。
日常では聞き慣れない言葉の内容と、意味を、ようやく理解した。
結婚、とは男女が夫婦となり家族となることだ。そしてこの場合の男女とは、片方がアルバートで、もう片方は。
「アルバートさん、結婚、するのですか……?」
瞬きを忘れて、養父を見つめていた目を、横にいるアルバートに向ける。
「もうそこそこの歳だから、さすがにそろそろな」
アルバートはシルビアを見ずに、すんなり肯定した。
「ちゃんと見極めた相手だから、シルビアは心配しなくていいよ」
アルバートを見つめているシルビアに言ったのは、養父だ。
固まっていたシルビアは、遅れて、養父に首を振る。
「──いえ」
そう、「いいえ」だ。首を真横に振る。自分のことをそこまで考える必要はないのだ。
「私のことは別に……アルバートさんのことなので……」
アルバートのことなのだから、アルバートが好きな人と結婚することが一番だ。
自分のことで支障をきたしていたのであれば、申し訳ない。
言われてみると、確かに、結婚していてもおかしくない年齢なのだと気がついた。結婚して、アルバートの隣に、養父にとっての結婚相手である養母のような人がいてもおかしくはないのだ。
そうか。アルバートが、結婚するのか。
誰か、少なくともシルビアが知らない女性と夫婦になり、その人がこの邸に来るのだろう。
遠くない未来に来ると分かった事実なのに、上手く想像出来なかった。
相手に当然心当たりがなく、どんな人が分からないからだろうか。
そうか……。
シルビアの思考は、なぜか鈍っていた。
アルバートが結婚していてもおかしくなくて、これからそのときが来るようだというだけなのに。
アルバートの幸せを邪魔しては申し訳ないから、シルビアのことは必要以上に気にかけてほしくないと思って、別に、相手に不安を覚えているわけでもないのに。
「シルビアという娘を迎えてから、常々、こんな可愛い子を嫁にもらってくれると嬉しいんだがなあ! ……と思ってきたことがようやく現実になりそうだ」
「親孝行出来そうで何よりだ」
「棒読みは止めなさい。まったく、うちの息子ときたらなぜか私と違って、好いた女性がいるとも言わないし、素振りがないし。危うく独身の道を行かせるところだった。思い出して良かった」
「そうだな」
「そうすんなり受けるかどうかは不明だったが、拍子抜けにも同意してきたときにはちょっと調子を疑ったが」
「失礼な親だな」
「しかし、少し心配でもあるぞ」
「……何が」
「もう少し欲と言うかな、一緒になりたいと思う女性を見つけて欲しかったというか。単なる義務で淡々と結婚はしてほしくないな、と私は思ってな」
「そんなところに拘ってどうする」
アルバートはいつも通りの様子で、冷静に親をあしらった。
息子の対応に、親はやれやれとため息をつく。
「この様子では相手のことが心配になってくるな。そう思わないか、シルビア」
「──え」
会話を聞いているようで、ぼうっとしていたシルビアは、急に話題を振られた気がした。
一度、二度、大きく瞬くと、ぼんやりと認識していた視界が明瞭になる。
次にこちらを見ている養父を認識し、うっすらと聞いていた会話の断片を、頭の中で手繰り寄せる。
アルバートの結婚相手。
「アルバートさんと結婚する方は、きっと幸せになれますね」
「おお、意外な流れになった。どうしてそう思う?」
「父上、無駄に話を広げようとするな」
どうしてだと聞かれたシルビアは、素直に考える。
どうして?
それは。
「アルバートさんは、優しくて、頼りがいがあって、かっこいいですから」
考えたことは、そのまま口から出ていった。
かっこいい、とはあらゆる意味を込めて言った。
優しいばかりではないけれど、確かに優しくて。
騎士団に入ってから、周りからの彼への様子も含めて頼りがいがあって、頼もしくて。
剣を振る姿、大きな背中、堂々とした姿はかっこよくて──憧れる。
シルビアがどんなに無知で、騎士団に入りたいなど唐突なことを言っても、彼はいつでも真摯に受け止めてくれた。
アルバートの良いところなんて、シルビアにはとても語り尽くせない。
日常接している中で、その人柄の良さは日に日によく分かってくる。
そう、知っているから。
不意に、胸の辺りに不可思議な痛みが生じた。
刃があたったらような明確な痛さではない。刃物が当たるどころか、どこにもぶつけてはいないのだから、当たり前だ。
「良かったな、アルバート。べた褒めだぞ」
「うるさい」
アルバートの声に彼の方を見ると、一瞬だけ目が合った。アルバートの方が、親の方を見て、合わなくなる。
「これで今度の見合いも見込みがあるというものだな」
養父が満足そうに頷き、笑う。
「まあ、うちの家柄上整ったも同然だが」
近いうち、アルバートが見合いをする。
その後、これはどれくらいの期間を開けるかは知らないけれど、結婚する。
シルビアがまたぼんやりする側で、親子の会話が繰り広げられる。
「いいかアルバート、結婚したら相手を常に思いやることだ。私のようにな」
「……」
「それから祝い事は絶対に共に祝うこと」
「……はいはい」
「祝い事でない日にも、花やプレゼントを贈ること」
「それは個人の自由だろ。誰もが父上や母上のようだとは限らない」
「どういう意味だ」
いつの間にか、視界には床が映っていた。
近くの会話は、もう意味のある言葉として耳にも頭にも入ってきていなかった。
シルビアの手は、剣を握り締めた。
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