訓練は順調に
朝、起きて、制服に着替える。上着とマントはあとからだ。タイは結べるようになった。
鏡の前に行き、髪を解かし、一つにまとめる。さらに、昨日の失態を犯さないため養母により考案された髪型にする。
慣れないため時間がかかった。しかし誰かにしてもらうわけにはいかない。髪が崩れたとき、シルビアが自分で直せないと意味がないからだ。
仕上げに鏡に映る顔と顔を合わせ、一度目を閉じ、開く。
朝食を食べると、部屋に戻って上着とマントを身につけ、剣を背負って邸を出る。
訓練場に向かうと、イオがいた。今日はもうレイラの案内は必要ないため、一人できた。彼も同様のようだ。
教官の姿もなく、その訓練場にはぽつんと二人だけだった。
挨拶をすると、沈黙が落ちた。
しばらくして、シルビアは横からの視線に気がついた。
見てみると、少し離れたところにいるイオが横目でこちらを見ていた。目が合って、イオは一瞬目を逸らしたけれど、即座に戻した。
「何か」
何だろうかと思って、聞いてみると、勘違いではなかったようだ。イオは口を開──きかけて、閉じてから、やっと開いた。
「……傷は」
「傷?」
「昨日、おれが頬を切った傷」
そこまで言われて、思い出した。
治してもらって消えて、鏡を見ても思い出すことがなかったのだ。すっかり忘れていた。
「治りました」
「治った……? 神通力か」
「はい」
イオはそうか、と小さく呟いた。
「傷、ごめん」
いきなりの謝罪だった。少なくとも、シルビアにはいきなりに思えた。シルビアは目を丸くする。
「どうして私に謝るのですか?」
「傷」
「あぁ……。怪我くらい日常茶飯事になることなので、大丈夫ですよ。あれは傷に入らないくらいです」
「まあ、そうなんだけど……」
イオちらりとシルビアを見て、「そうだな」と認めた。
「でも真剣での手合わせでは、一歩間違えればもっと深い傷になっていてもおかしくなかった。だからごめん」
彼はまた謝った。
律儀な青年だ。そういう「間違い」も多くはないかもしれないが、起こるは起こることだろうに。
「いいですよ」
謝られたからには、何か言葉を返さなければと考えた結果、そう返した。
いい。大丈夫だ。と。
「気にしてくれて、ありがとうございます。イオさん」
お礼を言えば、イオは虚を突かれた顔をした。それは数秒のことで、表情を誤魔化すように彼は空咳をした。
「……おれのことは、『イオ』でいい」
「そう、ですか? イオ、がいいのなら。私のこともそのまま『シルビア』と」
「うん。たぶん、所属は違ってもこうして会うことはあるだろうし、これからよろしく、シルビア」
「はい。よろしくお願いします、イオ」
イオが差し出した手に、手を伸ばす。昨日は途中で途切れてしまった挨拶をしっかりし、シルビアは新人仲間と握手を交わした。
それぞれの訓練の時間は、日によって異なることがある。事務的な作業があれば、その量によっても変わる。
今日は、神剣の訓練のあと、第五騎士隊に戻り訓練に励む。
「シルビア、強いね」
「ありがとうございます……?」
レイラの拳を腕で防いだところで、おそらく褒められたのだが、とっさの返答が何とも微妙なものになった。
こういうときは、どう答えるべきなのだろう。
内心首を捻っていると、続けざまに拳が放たれて、今度は避ける。
集中しなければ。レイラ相手に油断していると、気がつけば地面に転がされている。
レイラは強かった。現在体術の訓練中で、レイラが相手をしてくれていた。彼女の身のこなしは素早く、加えて拳は予想以上に重かった。
シルビアも負けじと隙を縫って拳を真っ直ぐ突き出したが、軽いと分かった。全く手応えがない。上手く払われた。
足りない。
シルビアとて、アルバートと体術も手合わせしてきたが、だからと言って勝てる相手ではない。
そもそもアルバートに勝てたことは一度もなく、レイラはアルバートとは異なる戦い方だ。男性と女性と差なのかもしれない。
その戦い方は、経験が積み重ねられている。幼馴染だと聞いた。アルバートと同じ年数は積み重ねられているのやもしれない。
シルビアが勝てる見込みは、なさそうに思えた。
けれど、このまま予想通りに終わるわけにはいかない。食らいつかなければ。
シルビアは拳を再び打ち込む一瞬、ふっと息を吐いた。息を吐くと共に、腕に力が巡る。
腕でガードしたレイラが、わずかに目を丸くした。
「神通力使った?」
「はい」
肯定に、レイラの唇がにっと綺麗に弧を描く。
「シルビア、予想以上にいいね」
これも、ありがとうございます、だろうか。
結果的には、シルビアの惨敗である。
経験を積んだ人に最初から勝てるほど甘くはない。今日も、自身の未熟を感じる。
訓練を終え、第五騎士隊の執務室に戻るべく移動する。
「体術のときにも、神通力を使うように教わっているの?」
「時によっては、そうでもしなければ力が足りないので、使えるようにはしています」
拳の重み、打撃、攻撃力がどうしても足りないのだ。補うための最終手段であり、出来れば使わないにこしたことはない。
神通力も気楽に使えるものではないのだ。集中力など、余計にかかる。
「そこまで細かく神通力が操作出来るなんて大したものだね」
「そうでしょうか」
「そうだよ。あと、その分じゃ神通力も相当大きい?」
「……相当かどうかは分かりませんが、大きい方だとは思います」
神通力を扱える者の中にも、それぞれ容量というものがある。
容量が大きければ大きいほど、現場で多岐に渡る運用が可能だと言える。小さければ、例えば神剣を使う者ならば神剣にだけ使う方が良い。
「体術はフローディア様仕込み?」
「
アルバートは、たくさんのことをシルビアに教えてくれた。
騎士団に入るために必要な技能もそのうちに入る。彼は、嫌な様子一つせず、シルビアに必要なことを授けた。
今思えば、仕事から帰って来てそれから教えてくれた日々の方が多かった。彼はすごいと思う。
そして、本当に感謝が絶えない。
「うーわあ、本当? そこまでの腕になるわけだわ」
レイラの反応に引っ掛かり、どういうことだろうと彼女を見つめると、レイラは微妙な笑顔になった。
「第五騎士隊名物でね、隊長指導の訓練があるの。相当厳しくて、新人も直接相手しては軽く投げ飛ばすっていう。そのお陰で、色んな意味で丈夫な隊員に育ってるかもだけど。だから、同じくらいのしごき方されたら、シルビアがそれだけ強いのに納得っていうこと」
「そうなのですか」
そんな名物が。
「その内、体験するときが来る……かな。でも、シルビアがアルバート仕込みなら、普通って思うのかな? ……いや、あれが普通って……」
「いえ、投げ飛ばされたことはないので、少し心配です」
アルバートが手加減してくれている証拠なのだろう。
これから来る訓練についていけるだろうか。
「大丈夫大丈夫、死にはしないから。そういえば、神剣の方の訓練はどう?」
物騒な言葉が挟まれた気がするが、レイラは明るく笑っているので気にしないことにする。
「セトラ家の子はやっつけられそう?」
「やっつけ……られそうかどうかは」
と言うより、やっつけるという発想がなかった。
やっぱりレイラは何かと闘争心が強いと思う。
「『やっつける』目標は外の害悪にしてもらいたいな」
「──アルバートさん」
前から声が挟まれたかと思えば、前方にアルバートがいた。
どうやら、気がつかない内に第五騎士隊の部屋の近くに来ていて、同じ廊下をアルバートが歩いていたらしい。
「訓練は終わったのか」
レイラが「終わりました」と答える。
アルバートが、シルビアに目を向ける。
「レイラに勝てたか?」
「いいえ」
「そうか」
「私が新人に早々負けたら、先輩としての面目が立たないんですけど」
「まあな」
アルバートに対し、軽く苦言を述べたレイラだったが、「でも」とシルビアを一瞬見た。
「シルビア、相当ですね。……本人にはそんなに自覚はないようですけど」
「学院に通っていなかったからな。比較対照が俺以外にはろくにいなかったせいだろう」
「学院に通っていたら上位に食い込んでいたでしょうね。今さらですけど、どうして通わせなかったんですか?」
アルバートが学院に通っていた頃に迎えたのであれば、養子であっても通わせる時間はあっただろう。
たとえその時期が嘘であっても、確かにシルビアは、学院に通うことが出来る年数は前に、養子になってはいる。
シルビアは、レイラの純粋な疑問に少しはらはらする。ゆっくりとアルバートを見上げる。
「その頃は、まだ騎士団に入る予定はなかった」
「そうなんですか?」
「ああ」
アルバートは事実を言った。
「神剣が使える素質があるかもしれなくても、さすがに騎士団に無理強いはしない。おまけに養子になってからしばらくなんて、右も左も分からない状態だからな。シルビアが決めたときには学院に通うより、家で教えた方が年齢通りに騎士団に入れる時期だった」
「シルビアが決めたんですか」
「何だ。
「だって、隊長が初日にそう捉えられそうな言い方をしたからです」
剣を示して、まるでそのためだけにジルベルスタイン家が引き取ったかのような様子をした。
「そう誤解されるとはな」
少しは意図的にしていたアルバートは、レイラの指摘を煙に巻いた。
「どうあれ結果的には、外に出した以上、シルビアはジルベルスタイン家に相応しい強さを身につけたってことだ」
手のひらが見え、見失うと、シルビアの頭に重みが乗った。
アルバートを見上げ直すと、彼は、ふっと笑みを溢した。
「うわぁ、重圧」
「重圧? そんなものあってもなくても、シルビアが精進してより上を目指すことに変わりはない」
何を言っているんだという感じでアルバートが言えば、レイラがあなたは重圧なんて感じたことはないのだろうけど、というようなことを言い返した。
「時間が時間だから、もう昼に行っていい」
最後はそう言い残して、アルバートはシルビアから離した手を後ろ手に振って自分は執務室の方に去っていった。
「やった。早い昼休みよ、シルビア」
「はい」
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