怪我は当たり前
今日もアルバートと帰路を共にした。
彼とシルビアは地位が異なり、仕事内容が異なるため、仕事が終わる時間が完全に重なることは中々ない。
すでに別々に帰宅した日もあったし、時間が少しでもずれる場合に共に帰る必要性があるかと言えばないと言える。
今日は、何と時間がぴったりだったのだ。ぴったりと言うと若干正確ではないか。シルビアが城を出たところで、後からアルバートが追い付いたのだ。
帰り道を一緒に歩いていると、不思議とふと、仄かに嬉しくなってくる。
これまで見送ることや、出迎えること、休みの日に共に歩いたこともあるけれど、こういうのは初めてだからかもしれない。不思議な心地から来ているのかも。
「一応釘は刺しておいたから、今後見かけることはあってもあそこまではあいつはしないはずだ」
「あいつ……?」
「グレイルだ」
グレイル。
聞き慣れない名前を誰だと思い出すのに、少し時間がかかった。王太子の名前だ。普通なら、呼び捨てることは出来ない人。
「今日は、とりあえず『初対面』は作っておきたかったんだとでも思っておけ。……初対面なんて作らなくても、誰も疑わなかっただろうがな」
会ったことがあるのに、「初めまして」とシルビアと握手した王太子。
今後見かけることはあっても、今日のように話しかけられることがないといいと思う。
「傷はどうだった」
「浅かったので、それほど血は出ませんでした」
「そうか」
「いっそ顔も覆ってしまうべきでしょうか」
「やめておけ。顔以外はもう覆ってるんだ、十分すぎる。顔は邪魔になるだろ。怪我をしないようになればいい」
「はい」
それはそうだ。
「で」
で。
「俺は手合わせは見ていない。傷がつけられた要因は何だか分かってるのか」
その隙を作った、自分の身のこなしの原因は何かと問われた。
灰色の目が、厳しくシルビアを見る。
「その、髪が」
「髪?」
髪が視界を遮ったのだと、シルビアは明かした。とてもどうしようもない理由であるだろうけれど、事実なのだ。
案の定、アルバートは「髪か」と予想外だったようだ。
「切るべきでしょうか」
「馬鹿言え。……母上も同じくらいの長さだから、盲点だった。今後は起こらないようにまとめ方を変えれば十分だ」
髪は、前に流れて来ないようにくくり方を変えることになった。
「相手は強かったか」
「はい」
「確か、今年使い手になったのは後一人だな。名前は──」
「イオ・セトラ」
訓練前以降、彼とは話す時間はなかった。
何か言いたそうにしていた気がしたけれど、今思い出すと曖昧だ。気のせいの可能性がある。
「セトラ家か」
「知っているのですか?」
シルビアが首を傾げると、アルバートが「そこら辺のことは全く教えてなかったな」と呟いた。
「セトラ家は、代々神剣の使い手を排出している名家で、名門貴族だ。ジルベルスタイン家ほどじゃないがな」
ジルベルスタイン家と比べると、他の家は全てそれほどではないという評価になるのではなかろうか。
シルビアも、騎士団に入り、周りの評価とこれまでの情報から判断できるようになった。
ジルベルスタイン家はそもそも王族の系譜に連なる家で、それも現在かなり近い血筋だ。
おまけに騎士団内での地位も、アルバートも相当だが、アルバートの父が最たるものだから……。
「イオ・セトラ、な。次男か三男かそこら辺だろうな。確か、嫡男は本職の神官をしているはずだ」
元々、ジルベルスタイン家のように当主になる者が騎士団に入るのは珍しいことらしい。
大抵、貴族の主な家の当主は加えて職に就く場合、大臣職や神官職になるそうだ。騎士団に入るのは、ほとんどが跡継ぎではない次男以下。
帰宅すると、自室へ戻った。
今日は、昨日までより疲れた。本格的に訓練が始まったからだろう。
マントを脱ぎ、制服を上から順に脱いでいく。制服が少し汚れてしまった。洗濯してもらわなければ。
動きやすい服に着替え、シルビアは剣を掴んで部屋を出た。
「シルビア、お帰りなさい」
「お母様。ただいま帰りました」
廊下を歩いていると、養母に会った。
彼女は笑顔でお帰りの言葉をくれたが、直後のことだ。
「まあまあまあまあ、その頬の傷はどうしたの!?」
「あ」
さっき、もう血は出ないだろうし浅いしいいかとぺりっと手当てを剥がしたのだ。
細い傷を、養母は見つけたらしい。シルビアにずいっと近づき、両手をわなわなと震わせた。
「他に、怪我は」
養母の手が、シルビアの腕を取り、袖を捲った。
経験からだろうか、特別な勘か。
正解と言うべきか。彼女が一番に見た腕には、薄く青に変わったあざがあった。
「まあ……!」
彼女は悲鳴のごとき声を出した。
今日あれからの神剣の扱い以外の一連の訓練で出来たものだった。体術で地面にぶつかるはめにもなったり、防護した結果のものだ。
でも、数ヶ所だけだ。腕と、脚。
そこから養母は、シルビアの全身を調べはじめた。
「待ってちょうだい。髪が……」
「?」
「不揃いになっている箇所があるわ……!」
身に覚えがなくて、首を巡らせてみる。
養母は、シルビアが一つにまとめた髪を手に持ち、片方の手で一部を摘まみあげていた。
「本当、ですね」
確かに。彼女が浮かせている第一関節分くらいの範囲の髪が、明らかにすっぱりと毛先が綺麗にまっすぐ揃っている。
「この髪は、どうしたの?」
「どうしたのでしょう。……あ」
思い至ったことがあった。もしや、髪が視界を遮ったときだろうか。
あのとき、髪越しに刃がこちらに通った。神通力を帯びた神剣の切れ味は、普通の剣より良い。それで、切れてしまったのだろうか。
「訓練のときに切れてしまったのかもしれません。でも、目立つほどではなさそうなので問題ありません」
「問題はあるわよ」
「え」
「と、とりあえず頬の傷ね」
「あ」
「『イントラス神に乞う。──癒しの力を』」
頬に翳されたたおやかな手から、淡く白い光が生じた。
自分では見えないけれど、おそらく頬にあった一筋の傷は消えたはずだ。養母が神通力を用いて治してくれた。
「お母様、ありがとうございます」
「どういたしまして。これくらいいいのよ」
「こんなところで何をしているんだ」
養母の後ろから、アルバートが現れた。彼もまた制服からは着替えて、動きやすい普段着に変わっていた。
「今シルビアの傷を治したところよ。今からあざを治そうと思っているのよ」
母親の言葉を聞き、アルバートは「あざ?」と眉を上げた。
「あざなんて一々治してたらきりがなくなるだろう。放っておけば治る」
「治せるなら治すに越したことはないでしょう」
「母上、放っておけば治る。神通力で治すことに慣れてしまうと、治せないときに対処出来ない。常に万全の状態で仕事に当たれるわけじゃない。そのときのことを考えるべきだ。シルビアは、もう騎士団に入ったんだからな」
「それは……そうね」
「それに、シルビアも青あざなんてこれまで数えきれないほど作っている。今さらだろう」
と、母親に正論を述べたアルバートだったが、「まぁ、傷に関しては治してもいいだろうとは思っていた」と言った。
「あざのことは、そうね、その通りにしましょう。私も、シルビアが騎士団に入ったばかりだから少し敏感になってしまったのかもしれないわ。でもね」
養母はとても真剣な顔で、指を一本立て、アルバートに言う。ここまでの話を経ても、これは重要なことだと言いたげだ。
「髪が、切れてしまっているのよ」
「髪?」
アルバートは、予想していた何にも当てはまらない言葉を聞いたような反応をした。
養母は、会話に入らず黙しているシルビアの髪をさっと手に取った。そして、的確に例の箇所を見つけ出す。
「こんなに、ばっさり切れてしまっているのよ! 誰? こんなことをしたのは!」
「この量はばっさりっていうほどでもないだろう」
「髪は女の命よ! 大事に伸ばしていたならなおさら!」
「いえ……」
大事に伸ばしていたかと言うと、特別大事にはしていない気がする。と思って声を上げかけると、養母の手元の髪を自分の手に取り見ていたアルバートがこちらを見た。
「いつ切れたんだ」
「訓練中かと」
「あぁ、神剣だと簡単に切れるからな……」
アルバートはどの訓練かは言っていない状態で、正確に、聞いていた訓練の話と繋げてみせた。
彼は、手に取った髪を見下ろし、指先で撫でた。ばっさりというほどでもないと言ったはずなのに、惜しむような手つきで。
「お母様、髪はまた伸びます」
「そうだけれど……」
「切れてしまったものは切れてしまったものです。これも怪我と同じで、騎士団に入ったのであれば、髪が長い限りあり得ることだと思います」
シルビアは、同意を求めるべくアルバートを見た。
「……そうだな」
アルバートは髪を離し、シルビアの言い分を認める言葉を返した。
「シルビア、そろそろやるぞ」
「はい」
「待ちなさい」
「母上、今度は何だ」
「これから何をすると言うの?」
「剣の稽古だ」
アルバートは、シルビアの持つ剣を示した。
そう。今からアルバートが剣の稽古をつけてくれるのだ。それで二人、共に動きやすい格好をしていた。
「騎士団でも訓練をしているのだから、帰って来たら休むことは大切ではない? それこそシルビアは今日頑張ってきたようじゃない」
「騎士団に入ったなら、腕が上がるに越したことはない。今の騎士団訓練内容だと、剣の稽古は俺とした方が経験が詰める」
今までのように、母親の意見に理由を返していたアルバートだったが、今、改めて母親に向き合った。
母上、と諭すように呼びかける。
「母上だって、元騎士だ。騎士として訓練をしてきた経験があって、シルビアの状態は当然だと分かっているはずだ。そして、腕を身につけさせることはシルビアのためだとも分かっているだろう」
「でも……心配なのよ」
分かっているが、という様子で、養母は手を頬に当てる。ため息をついた。
養母は騎士だったことがある。彼女にも剣の稽古をつけてもらったことがあり、知っていた。
それならば、彼女は経験上シルビアのこの体の状態はあって当たり前だと捉えられるはずだった。
けれど、その上で。
「お母様」
シルビアは、養母に呼びかけた。
養母がこちらを見る。明るい笑顔が似合う顔は、今、憂いを帯びていた。
その、感情によって色味の深みが変わる気がする青い瞳を見つめ、シルビアは言う。
「私は大丈夫です。私がそうしたいと思い、望んだ道です。私は、もっと強くなりたいと思います。アルバートさんのように」
きっと、自分の守りたいと思うものが守ることのできる実力がある彼のように。
「お母様に心配させないためにも」
「……シルビア……」
養母は深い青の瞳をうるうるとさせた。
「……世話がかかる親だ……」
「アルバート? 何か言った?」
「話がついたみたいだな、とだけ。シルビア、行くぞ」
「はい」
「食事の時間になったら呼びに行くわね!」
「いや、普通に使用人に任せてくれ」
養母の声を背に、シルビアはアルバートと邸の地下に向かった。
ジルベルスタイン家の地下には、訓練するための大きな部屋がある。何もない、ただ広い空間だ。
十分に剣を振るえる庭もあるが、こういう用途の地下があるのは家柄ゆえだろう。
早速、持ち帰ってきている神剣を手にアルバートと手合わせを始めた。
アルバートは既製品とも言える、遺跡から発掘された剣は持っていない。そのため、さすがに神剣を相手にするには普通の剣では無理なので、彼自身の神通力のみで形作られた例の剣を手にしている。
剣が発揮する力の強さは、アルバートの技量では自由自在のため、彼は絶妙に加減をした剣でシルビアの相手をしている……のだが。
シルビアは、刃に押された勢いに踏ん張りきれず、尻もちをつく。
相手を見据え直す暇もなく、すかさず眼前に切っ先が突きつけられた。
「……参りました」
切っ先が下がる。
「もっと、考えなくても体が動くくらいにならないとな」
息が上がっているので、「……はい」と合間に何とか返事をした。
剣の威力は抑えられていても、そもそも身のこなしや剣を振るう技術に大きな差がある。
息が上がっているのは、シルビアの方だけだった。
まだまだだ。積み重ねてきた年数を思えば、当たり前。けれど、こうして負けるたびに覚える感覚は、薄まらない。当たり前とは思えない。
剣に神通力を宿すことに意識が行きすぎているのだろう。とは思っても、まだ自然には出来ない。
座ったままのシルビアの前に、アルバートがしゃがみ込む。
彼は剣を消していた。空いた手で、シルビアの服の袖を捲った。
「……?」
「確かに、真新しいあざが出来ているな」
シルビアは首を捻る。
廊下で、養母を含め話したことだ。どうしたのだろう。
疑問に思っている間に、アルバートは袖を戻した。そして、なぜか彼もその場に座った。
「アルバートさん?」
座っていることで、立っているより目線が近い。灰色の目がシルビアを映した。
「騎士団に入った今、今後はどうしても怪我をする可能性のある場が出てくる」
「はい」
「それでも、いいのか」
どうしたのだろう、と思った。さっき、彼は養母に怪我をするのは当然の可能性だといった主旨のことを言ったのだ。
「さっきアルバートさん、お母様に……」
「確かにそうだ。騎士団に入ったなら、怪我は覚悟すべきだ。だが、お前が頓着しないのは問題だ。怪我をしたりすること自体は気にしろ」
「気にして、いますよ? 怪我をすることはまだまだ未熟な証だと思いますから」
「そういう面じゃなくてな。自分の体に傷が入っている事実をもっと気にしろって……あぁ難しいな」
アルバートが眉を寄せた。元の顔つきがより厳しそうなものになる。
そんな彼を見て、シルビアは少し考えてみる。最初された質問についてだ。
──「騎士団に入った今、今後はどうしても怪我をする可能性のある場が出てくる」
──「それでも、いいのか」
「それでも、いいです」
率直に、言葉を返した。
アルバートが視線を上げる。その視線を見返し、シルビアは続ける。
「私がその場に立つことが許されるなら。許されたのなら。私は許されることを精一杯したいと思います」
そして。
「可能な限り自由な道を選んでいいと言ったのは、アルバートさんです」
「……そうだったな」
そうだったな、と二度目呟いたアルバートは、ゆっくりと立ち上がった。
シルビアを見下ろし、手を差し出す。
「今さらのことだったな」
彼は、手を取ったシルビアを引き上げた。
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