選択肢






 手合わせを終わらせ、アルバートは王太子と訓練場を後にした。

 二度目三度目とごねる可能性のあった王太子は、今回は一度で引き下がった。歩く姿は心なしかすっきりとしており、用事でも済ませたようだ。


「それで、弁解は」

「弁解?」


 アルバートは元の目付きの悪さで、自国の王太子を睨んだ。


「無理矢理握手しやがって」

「いやいやこんな機会、これからいくらでもあるだろうからと思って。善意だとも」

「馬鹿言え。シルビアがお前のことを苦手に思っているのを分かってるだろ」

「それは心外だ」


 言葉の通り、王太子は心外そうにした。嘘臭い。

 血縁上、不本意ながら幼い頃から知っているが、いつからこんなに嘘臭い人間になったのか。

 横目で黙視していると、王太子はふっと目を逸らした。わざとだと認めたようなものだ。


「学院に通わせず、そのまま入団とはな」

ジルベルスタイン家うちが教えた。何の不足がある」

「そのジルベルスタイン家の嫡男であるおまえでさえ、学校に通ったはずだが?」


 騎士団に入るには、大きく分けて二つの道がある。

 一つは、学院経由。

 主に国の中央、城に勤務する騎士団に入ろうとする者が、入学試験を受け、勉学や剣術などに励む。騎士団に入る準備だ。

 もう一つの道は、騎士団の入団試験を受け、そのまま騎士団に入るやり方だ。騎士団に所属しながら、学んでいく。

 ただ、こちらの方法は地方の騎士団に限り、中央から地方に行く者はいるが、彼らが中央に来ることはまずない。


 城の騎士団に入る者の内、学院を経由しない者は、まず稀である。稀ということからも分かるように、いないわけではない。

 口利きの出来る貴族が所謂コネで子息を入団させることは、まだある。お飾りの騎士団員としてだが、とりあえず入らせるのだ。

 しかし、まさか「ジルベルスタイン家」がコネを使う事態など、例を見ない。

 それでも、シルビアに関してはそうすることが最善だった。学院に通わせるには、リスクが高すぎる。

 この王太子も、その事情を分かっているだろうに。

 アルバートはわざとの言を黙殺してやろうとしたが、いい性格になった王太子が言う。


「何だ? 過保護か?」

「悪いか」

「え」


 にやにやとしていた王太子は、呆気に取られた顔をした。

 またわざと見当違いなことを言おうとしたのだろうが、アルバートはピクリとも表情を動かさなかった。真顔そのもの、大真面目。

 王太子はぽかんとして、立ち止まった。

 立ち止まるな、歩け。アルバートが言おうとしたが、その前に、王太子が呟くように言う方が早かった。


「……過保護のわりには、第五騎士隊にそのまま入れるのはちょっと矛盾じゃあないか?」


 アルバート直属の部隊、第一騎士団第五騎士隊。

 この部隊は、他の騎士隊とは異なる部分があった。構成員に神剣の使い手の大部分が含まれることもあるが……。

 普通戦や内乱でも起きない限り、首都から出ない他の騎士隊と異なり、魔物の出没に応じて、地方に遠征することで知られる隊であった。

 また、国境で他国とのいざこざがあれば、砦まで駆けつけることもある。この辺りは、元々前の第五騎士隊を率いていた人間の意志が反映され、継がれていることも影響している。

 つまりは、戦でも起こらない限りは国の中枢から離れない部隊が多くある中で、危険な場所に赴く頻度が高い部隊。


「うるさい」


 アルバートはやはり、遠慮の欠片もない口調で言い捨てた。


「元々、騎士団に入るとなれば俺の隊に入ることが最も望ましいはずだ」

「そうだな。アルバートがそうしなければ、こちらからそうするように言っていた可能性が高い。しかし、普通に令嬢として過ごさせる道もあっただろうに」

「シルビアが選んだ。その道を叶えられる余地があるのなら、他が邪魔するのは筋違いだ」


 きっぱりと言いながらも、アルバートは浅く息を吐いた。


「そのわりには不服そうだ」

「不服じゃない。『そうしたい』と思うことが決まったならいいことだ。だがな……」


 危なっかすぎる。

 アルバートは声には出さなかった。しかし、王太子がじっと見てくるのに気がつき、別の言葉に変えた。


「それに、だ。騎士団に入れば、結婚しなくても気にされない部分がある」

「んー、まあ、前例を知っているから確かにその節はあると言えるな」

「俺は、シルビアに出来る限りの選択肢をやりたい」

「私という『当人』を前にしてそれを言うか?」


 言うわりに、王太子はちっとも気分を害した様子なく、笑った。


「苦手に思われているのは事実だろ」

「そこは本当に心外だ。私は何もしていないというのに」


 やれやれという仕草をする王太子に、アルバートはそれに関しては何とも言えなかった。さっきのわざとは置いておけば、事実ではある。


「それにしても選択肢、な」

「何か言いたいなら言え」

「いいや。たった一つの選択肢から二つに増えるとは、大きいことだろう。普通の貴族の令嬢だって、結婚は結婚でも多少は融通が効く選択肢具合だろうから」


 王太子はふっと笑みを収めた。王妃そっくりの顔は真顔になると、麗しさが際立つ。


「彼女は、どちらの選択肢を選んでも在り方は変わらない。──私の隣に立つか、騎士団にいるか」


 彼女が持つ意味は変わらない、と小さな声で付け加え、アルバートの方を見た。試すような視線だった。

 アルバートは視線を受け、しばらく黙って見返した上で、少しだけ視線を余所にやった。

 そして目を戻し、「グレイル」と王太子の名を呼んだ。従兄弟だからこそ、私的な場では許されることだった。


「俺との手合わせはただの表の理由だな?」


 本題はシルビアだったのだろう。とは無言で問えば、王太子はにっこり笑う。


「俺を仕事から連れ出しておいて……。見に行くなら一人で勝手に見に行け」

「勝手に見に行っていいのか?」

「王太子の仕事とも言えるんだろう? 見るくらい勝手にすればいい。俺の仕事の邪魔をするな。そしてお前も王太子としての仕事をしろ」


 アルバートがそう言ったときだった。


「殿下!」


 王太子の背後から、第三者の声が王太子を呼んだ。瞬時に王太子が振り向き、ぎょっとする。


「うわ、なぜここが分か──側にいるのは」


 王太子を呼び、廊下の向こうからやって来たのは侍従だった。そして、その斜め後方にいるのは、騎士団の制服を着た者だった。

 騎士団の者に目を留めた王太子は、全てを察知し、勢いよくアルバートに向き直った。


「アルバート、裏切ったな!」


 麗しい顔立ちをしているとは思えない形相だった。

 アルバートとしては、裏切ったと言われるとはそれこそ心外だ。

 裏切ったも何も、突然一人で現れ、手合わせの相手をしろと我が儘を言われた身にもなってほしい。

 おまけに、一人で現れたこの王太子は十中八九侍従や近衛隊の目を掻い潜りこっそり出てきたに違いなかった。

 ということで、執務室を出るときにはこっそり王太子の侍従に知らせをやらせていたアルバートは、呆れた目を向ける。


「人聞きの悪いことを言うな。王太子のくせに、遊び回りすぎなんだ」

「遊び回っているわけではない。自主休憩……」

「節度ある自主休憩をしていただきたいな。こんな王太子を戴く国民の身にもなれ。とりあえず──執務をなさってはどうですか、殿下」

「くそっ」


 とどめに丁寧に言ってやった直後、何と王太子が逃亡を図ろうとした。

 アルバートはすかさず自らの横を通り抜けようとする王太子を捕まえた。遠慮も何もなく襟を掴んで、だ。


「『くそっ』て……それでも王太子か。勘弁しろよ」

「離せアルバート!」


 ──いくら侍従から逃げる達人の王太子でも、騎士団随一の隙の無さを持つ騎士隊長の手からは逃れられなかったという。


「殿下! 執務に戻っていただきますよ!」


 まあ、いつものことである。


 屈強な侍従に半ば引きずられていく王太子の姿を最後まで見送らず、アルバートは背を向けた。仕事に戻るのだ。

 歩きながら、窓の外を見た。外は庭だ。訓練場が見える場所ではない。

 窓からはすぐに視線を外し、ちらと手を見下ろした。手も長くは見ず、前方に目を戻す。

 手元では黒い革手袋を外しはじめていた。









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