憧れを抱く






 思わずピタリと止まっていた体の動きは、数秒で取り戻せた。この、声は。

 かなり大きな声がした方向は、訓練場の入り口の方だ。振り向くと、騎士団員たちが左右に避け、一本の道が出来ていた。そこから堂々と入って来る人がいた。

 あれは──


「お前たちが今年の新人か?」


 輝く金髪に、清々しい青い瞳をした若い男性だった。アルバートよりも年下で、シルビアより年上だと大まかなことは知っている。

 その人は、この場で唯一騎士団の制服を身につけていなかった。

 飾りのついた白いシャツに、ズボン、ベストという服装で、腰に手を当て、シルビアたちの前に立ちはだかった。

 青い瞳の視線が、ちらりとシルビアを掠めた。


「そうでございます、殿下」


 応じたのは、新人と問いかけられたシルビアやイオではなく、教官だった。

 教官は、視線を受けると、「殿下」に礼をする。


「先日入隊したばかりの新人で、本日神剣の訓練を始めたばかりの、新たな剣の使い手でもあります」

「ほう、そうか」


 二十代前半の若者が、騎士団でも地位を持つ教官に敬う言葉をかけられる。

 その若者こそは、この国の王太子だった。王族、王の第一子にして唯一の子、次期王位継承者。

 快活な笑顔を浮かべる王太子は、再び新人であるシルビアたちの方を見たかと思えば。


「初めまして。私はグレイル。第一王子だ」


 イオに対して、手を差し出し、自己紹介をしたのだった。

 自己紹介と手を向けられた側のイオは、呆気に取られた様子で手を見て、王太子を見つめたが、我に返ったのだろう。瞬時に表情を引き締めた。


「イオ・セトラと申します、殿下」

「ほう、セトラ家の者か。おっ、そのタイ、お前は私の近衛隊所属だな」

「はい。これより殿下にお仕えして参ります」

「そうか、そうか。よろしく頼む」


 王太子は、イオの手を掴み、勢いよくぶんぶんと上下に振った。王太子と握手することになったイオは、戸惑いを隠せていなかった。無理もないだろう。

 側でその様子を見ていたら、イオの手をパッと離した王太子が次はシルビアに視線を移した。



 変わらぬ笑顔を浮かべた顔が、ゆっくりと傾く。

 イオにそうされたように、王太子の手が、前に出される。


「……初めまして」


 シルビアは同じ言葉を返しただけで、それとなく手を隠した。視線は微妙に目から離している。けれど、目が合っているように見える位置だと知っているから……。


「あっ」


 手を引き出された。

 声を上げ、思わず視線を真っ直ぐにすると、先ほどからと同じ笑顔が待っていた。

 手は、王太子にがっしり捕まれている。紛うことなき、握手。

 この人は、やっぱり苦手だ。そう感じるのは、雰囲気のせいだろうか。数度の対面で、明確に分析できた試しはない。


「お前は第一騎士団の……うおっ?」


 王太子が虚を突かれた顔をした。

 シルビアの手を掴む、王太子の手の手首辺りを的確に狙い、払った手があったのだ。その様子を捉えたシルビアの視界の片側に、続けて、騎士団の制服姿が割って入る。


「何をする、アルバート」


 王太子も、シルビアも見たその人は、アルバートだった。

 彼の素の鋭い目付きは、王太子を見据えている。


「新人見物しに来たわけじゃないだろう」


 王太子の手を払い、問いを受けたアルバートは飾りも何もない口調で返した。


「いやいや新人がいると聞いてここまで来たのだ」

「勝手に途中で目的変更をするな」

「新人を見るのも私の仕事の一つと言えるだろう──ああ待て待て、目的地はどうせ同じだったのだ。それほど目くじらを立てずともいいだろう。よし! 始めようではないか!」

「おい、ここは」

「良いではないか。私は新人の見本になれるくらいの力量はある。しばしここを借りるぞ!」


 教官は「はい」と言うしかないだろう。王太子なのだ。

 瞬時に許可を奪った王太子は、意気揚々と歩いていく。


「あの王太子は……」


 おそらく、この場で唯一王太子を止めようとすることが出来るアルバートは、最近も見たような顔をした。母親を止めることを諦めた顔だ。


「申し訳ないが、この場を少し借ります」


 教官が頷き、端に歩き始める。イオもそれに習う。

 そして、シルビアは。

 何気なく傍らを見上げると、アルバートも同じタイミングで見下ろしたようで、シルビアを見た灰色の目が何かに目を留めた。


「その傷」


 頬に出来たらしい傷を見つけたアルバートは途中で言葉を切り、さっと親指でシルビアの頬を一撫でした。

 手袋が黒いため、血がついたかどうかは分かりにくい。


「手当てはしておけ」

「……はい」

「それから、しっかり離れていろよ」

「はい」


 しばし遅れて、シルビアも端の方へ寄っていく。道中、未だ収めていなかった剣を鞘に仕舞った。

 壁際に止まり、振り返ったときには、さっきシルビアとイオが最初に向き合っていた場所にはアルバートと王太子がいた。

 背は、アルバートの方が高く、体格もアルバートの方が良い。体格は職を思えば当たり前か。


 ここで、先ほどのシルビアとイオとの決定的な違いは、二人とも剣を持っていないことだった。腰に帯びていなければ、背負ってもいない。


 周りには、多くの騎士団員が集まっていた。王太子が来ると聞いたのかもしれない。もしくはアルバートか、両方か。

 全ての視線を集め、中央にいる二人が口を動かす。


「『我が剣よ、イントラス神の信仰の元に顕現せよ』」

「『我が剣よ、イントラス神の信仰の元に顕現せよ』」


 声が一言一句違わず、重なった。

 直後、空っぽだった彼らの手に、剣が現れた。白くも、銀色の光を散らす見事な剣である。


 あれはシルビアの持つ『剣』と同じ役割を果たすものではあるが、決して同質のものではない。

 彼らの剣は、シルビアたちが持つものとは、一戦を画す代物だ。

 実際、見た目だけでなく、発揮する力も段違いであると知っている。

 シルビアが持つ剣を含め、地下に保管されている剣を、遺跡から発掘された、言わば『既製品』だとすれば、あれは『自前』だ。

 剣に神通力を満ちさせているのとは異なり、自らの神通力が剣という形をとっている。


 神の血を引くとされる、王族にしか出来ないことだった。『普通の民』とは質の異なる神通力を持つがゆえ。

 王太子はもちろん、アルバートもそうできるのは、現ジルベルスタイン家には王家の血が流れているからだ。現在も、現王とジルベルスタイン家当主夫人が兄妹であり、王太子とアルバートは従兄弟同士となる。

 アルバートの身にも、その血と力が受け継がれている。


 従兄弟と、かなり近い血を持つ二人は、合図も無しに同時に動いた。

 刃がぶつかる。

 途端に、風が起こり、周りに吹き付けた。先ほどのシルビアとイオの手合わせでは起こらなかったことだ。一瞬、目をぎゅっと閉じざるを得なくなった。髪が、後ろに激しく煽られた。


 そして、綺麗な音が鳴る。

 シルビアたちのときよりも速く、激しく刃がぶつかっているはずなのに、美しい音が鳴る。

 剣の見目もさることながら、この音に、まさに神の武器であると誰もが思うだろう。

 激しい戦いなのに、どこか優美さが漂わずにはいられない。


 シルビアは二人の手合わせを見るのは初めてで、特に王太子の剣を振る姿は見たことがなかったが、視線はアルバートに引き付けられていた。

 アルバートの剣筋は、とても卓越したものだ。荒々しさがあるが、とにかく美しくもある。その腕ゆえだ。見とれてしまう強さが宿っている。


 ──アルバートのようになりたい


 彼と剣を交えるたび、その強さを感じるたびに思う。アルバートに憧れている。彼のような強さがほしい。彼のようになれたなら、為せることが増える気がした。


 当初は互角に思えた勝負は、途中から完全にアルバート優勢が目に見えて分かった。やはり彼は強い。

 最後は、アルバートの一振りで、刃が触れていないのに、王太子が吹き飛んだ。

 壁に激突するという衝撃の光景に、息を飲む気配があちこちからした。シルビアも少し驚いた。

 さすがに壁は破壊されなかったものの、沈黙が広がり全員が制止していたところ、注目の的の王太子が身動ぐ。


「まったく、敵わん敵わん」


 吹き飛ばされたとは思えない笑顔だった。

 はっはっは、と笑う王太子の前に、アルバートが剣を消し、立つ。


「当たり前だ。昔ちょこまかついて来たどこぞの王太子殿下の剣の相手してやったのは、誰だと思ってる」

「ふむ」

「それに現職が負けて堪るか。剣をへし折られなかっただけましと思えよ」

「ふっはは、相変わらずだなアルバート」


 王太子は心底愉快そうに笑い、「久しぶりにいい運動が出来た」と、満足そうに訓練場を後にした。









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