真剣勝負






 さらさらの茶色の髪に、目の下に黒子ほくろがある青年──その青年から一拍遅れ、シルビアも「あ」と言った。

 初日、転んだときに声をかけてくれた青年ではないだろうか。


「その節は、ありがとうございました」


 気遣ってくれたことへのお礼を、数日越しに述べた。

 シルビアの丁寧な礼に、先日気遣ってくれた人物に間違いなかったらしい青年は首を横に振る。


「別に、そんなにお礼を言われることはしてない。近くで盛大に転んだ奴を放っておく方がおかしい」


 だからお礼なんていい、と。

 そんなに盛大に転んだだろうか。転んだか。何しろ額も打ったのだ。

 青年の批評に、痛みもなくアザもできなかった額を何となく擦りたくなる。

 そんなシルビアの前に堂々と立った青年だったが、不意に、「あ」とまた声を出した。何だろう。


「『シルビア・ジルベルスタイン』」

「どうして」


 名前を?

 言っていないはずの名前を言われ、思わず尋ね返すと、青年は口を押さえた。けれど、シルビアの視線に耐えかねたように渋々話しはじめる。


「先輩から、一緒に訓練する人がもう一人いるって聞いていたんだ。名前は『シルビア・ジルベルスタイン』だって。……もう一人の剣の使い手を知ってたのに、なんで繋げられていなかったんだ」


 青年は何かぶつぶつと呟いた。

 一方のシルビアは、一緒に訓練と聞き取って、レイラを見る。


「所属は違うと思うけど、神剣の訓練は新人一緒にするのよ。今年は剣の使い手が二人出たから、二人で。言ってなかったね」


 そうだったのか。

 訓練仲間だと知り、シルビアは改めて青年方に向き直ると、再び青年と目が合う。

 しばらくそのままだったが、にわかに、青年が話しはじめる。


「こっちだけ名前知ってるのも何だから、名乗っておく。おれはイオ・セトラ。近衛隊所属だ」

「シルビア・ジルベルスタインです。第一騎士団第五騎士隊所属です」


 近衛隊とは、王族の身辺警護を行う隊のことだ。王族の側ということもあり、実力のみならず貴族の身分も必要なことから、騎士団の中でもエリートの中のエリートと言われているのだとか。

 青年イオは、シルビアの自己紹介に、知っていると言った。


「その口調、どうせ同じ新人なんだからおれに敬語なんて使わなくていい」

「いえ、これは元がこれなので……」

「元が?」


 シルビアは頷く。誰にでもこうなので。

 するとイオは黙した。

 その間に、


「揃っているな」


 シルビアとイオは同時にそちらを見た。近くで「おいでになったわ」とレイラの声が聞こえた。

 場に、厳しい顔つきをした男性が現れていた。


「イオ・セトラとシルビア・ジルベルスタインだな」


 はい、とシルビアとイオは返事をし、それぞれ騎士団の敬礼を取った。


「よろしい。では、これより訓練を始める」


 神剣の訓練専任教官がシルビアの横の方に視線を向けると、そちらにいたレイラの気配が遠ざかった。

 これで、広く開けた場所にいるのは、三名のみになった。シルビア、イオ、教官。

 教官は睨むような目付きで、シルビアとイオを捉える。


「君達が持っている『剣』とは、神の武器である」


 誰かが小声で始まった、と言った気がした。


「我が国の遺跡より発掘されたそれらは、当然イントラス神の力を受けた剣だ」


 この国のみならず、周辺国含め、それぞれ異なる神を信仰している。そしてこの国に所縁のある神の名こそが『イントラス』。この国の民の信仰は全て、イントラス神に向けられている。

 ゆえに教官の言葉通り、当然この地から発掘された『神剣』の神は、イントラス神を示す。

 シルビアが持つものも、当然。

 そして、隣のイオが腰に帯びているものも。教官が今、腰から外し、シルビアたちの眼前に突き出したものも。


「この剣の真価を発揮するためには、神通力が必要だ。神通力を通さなければ、ただの剣とほぼ変わらない」


 神通力──神に通ずる力。

 一般に、神への信仰が力になると説明されるが、それは実際に使う場合の話で、それ以前の段階で神通力が持てる者は限られている。

 一般の、特別な身分を持たない平民にも神通力を生まれ持つ者がいるが、圧倒的に貴族に多いそうだ。神の血を引くとされる王族に近ければ近いほど、多い。そんな風な傾向があるらしい。

 そしてその力の源もまた、この国の民おいては、無論、イントラス神。


「だが単に神通力を込めればいいというわけでもない。使う内に慣れてもらう他ないが、自らの神通力をどれほど掌握出来ているかがものを言う面がある。戦闘に使うとなれば、効率よく込めて扱えるかも重要だ。また、言うまでもなく剣の技術もなければならない」


 そこで教官は手を下げ、剣を下げ、シルビアとイオの両方を見ていた視線を、イオの方へずらした。


「神通力の扱いは、学院で習ったな」

「はい」


 イオのしっかりとした返事を聞き、教官は、次いでシルビアに視線をずらす。


「ジルベルスタインの方も、扱いは充分だと総帥から聞いている」


 シルビアには尋ねることはなく、教官は再び視線を両方に戻した。


「神剣の使い手には、一人で常人何十人相当もの敵を払える腕前になってもらう。魔物も同様だ。魔物を容易に切ることが出来るのは、神剣のみだからな」


 アルバートならば、どれほどの人数を一払いで薙いでしまうのだろう、と思った。

 しかしすぐに内心、首を振る。そもそもアルバートと、自分や隣に立つ彼を比べる方がおかしいか。剣の『質』が違う。


「これからまず一本、試合をしてもらう。剣を扱ってみせなさい」


 試合?

 浅く思考を沈ませていたシルビアは数度瞬き、教官を見つめる。


「どちらかの剣が手から離れれば終了、急所に剣を突きつけた時点でも終了。どちらかになるまで、続けるように」


 教官は変わらずシルビアとイオを見て、淡々と促した。

 試合。

 彼と?

 横を見ると、イオもこちらを見ていた。


「準備をしなさい」


 教官に言葉で促され、急で上手く飲み込めなかった事態が肯定されたと感じた。

 それはイオも同じらしい。彼は一歩、二歩と離れながら、腰の剣に手をかけた。

 つり目本来の鋭さが際立つ目付きになった。勝負の顔つきだ。


 シルビアも習い、距離を開け、背の剣に手を伸ばしかけて、止めた。

 最初は肝心だ。念のため、マントを脱ぐことにした。

 マントを脱ぎ、一旦外した剣を背負い直す。

 そうして、距離を隔てて、イオの正面に立つ。


 少し、ぴりぴりとした空気を感じた。

 隣の場所での手合わせの音は聞こえ続けているが、この場にいる者は静まり返っている。

 不思議と、何か膜を一つ隔てたような、奇妙な静けさが満ちているようにも感じられた。

 間に立っている教官が、「剣を」と言った声が思ったより響いたほどだ。

 剣を抜けということだろうと、シルビアとイオはそれぞれ剣を抜く。

 柄を握り、背の鞘から抜いた剣を前に持ってくると、美しい刃が見えた。白い刃。


「神通力を」


 次なる指示に、シルビアは白い刃を見つめる。

 刃に神通力を込める。そうすることによって初めてこの剣は真価を発揮する。

 神剣を扱うのは、初めてだけれど。


 扱い方は、本能が知っている確信があった。


 力を、刃に宿す。流し込むように、込める。息を吸い、吐いた流れで、シルビアの手にする剣の刃が根元から光を帯びた。白く、淡く。白い光が零れ落ちるような剣に変貌した。

 刃から目を離し、前方を見ると、イオの剣も同じようになっていた。

 教官が両方を確認し、頷いた。手を前に真っ直ぐ差し出し、イオとシルビアとを隔てる。あの手が上がれば、勝負は始まる。

 ──手が、あがった。


 シルビアは俊敏に飛び出した。風のごとく、イオとの距離を詰め、引いた剣を振る。

 刃がぶつかり、歪な音がした。

 割れそうな、壊れそうな、ひび割れそうな、不快な音だ。

 おそらく、まだまだ使いこなせていない証拠なのだろう。彼も、自分も。

 さすがに、使い難い。


 ──力を、意識を研ぎ澄ませる。刃の先まで、力を満ちさせる。満たし続ける。


 神通力を剣に流し、剣を振るう。シルビアが持つには長めの剣を、シルビアは重さを感じさせない様子で素早く振るう。

 実際、見た目ほどの重さは感じていなかった。

 そのため、相手により素早く、打ち付ける。防ぐ暇がなくなるように、突く隙を作るために。

 相手の手から、剣が弾かれそうなった。が、彼は堪えた。

 視線が交差した。緑の目は見開かれていたように見えたが、どうか。すぐに刃で遮られた。


 いかに神通力を操り、剣に纏わせ、使いこなすか。それにより刃が宿す力は変わり、威力は変わる。

 そこに互いの間に大きな差が出れば、男女の力の差など容易にひっくり返す。

 極端な例では、剣同士が触れ合った途端に未熟な方の剣が吹き飛ぶこともある。また、出来る者は限られるが、地を割り、振った圧のみで敵を斬ることも可能になると聞く。


 これが、剣の真価の一端である。


 彼は、強くないとは言わない。

 事実、精練された剣筋だった。

 けれど、シルビアからすると、総じて『未熟』に見えた。自分自身と比べてではない。自分と比べると、どうかはシルビアには自信がない。

 だが、少なくとも、相手はアルバートより劣る。

 だからシルビアには、遅く見えたり、攻めの隙が見えた。

 その感覚に驚いたほどだ。アルバートには隙がなく、いつもシルビアには余裕がないからだろうか。


 刃を受けるのではなく、くるりと半回転し体で避けると、おお、と周りから声が上がった。

 そのとき、体の動きにより、長い髪がシルビアの視界を遮ってしまった。

 その一瞬と、相手が再びシルビアを攻めようとする一撃の一瞬が、重なった。

 真っ暗な視界により、見えなくなった刃が突如現れたようになった。

 白い刃は髪を通り、反射的に回避行動として動いたシルビアの右頬を擦った。わずかな痛みに、シルビアはビクリと震えたが、とっさに途切れそうになった神通力を刃に宿し直す。

 切っ先まで、満ちさせる。いっぱいに。

 刃の内側に籠る白さが増す。いや、澄む。

 シルビアは剣を左手に持ちかえ、自らの顔の前を平行に通す形で、刃を突いた。

 一際大きな音が響いた。


 相手はその衝撃に、腕を弾かれた。ただ、剣は離さない。

 だが、それは大きな隙だった。シルビアは見逃さない。

 相手の刃を突き弾いた剣を振り、胸元寸前で、止めた。


「止め」


 声がかかった。

 乱れた息をしながら、声の方を見ると、教官が歩みより「勝負有り」と言った。

 終わった。

 手合わせに集中していた思考で、とりあえずその事実を受け取り、剣を引く。

 すぐには思考にゆとりは生まれなかった。そういえば、初めてだった。ジルベルスタイン家以外の人とこうして手合わせするのは、初めてだった。

 興奮に似た感覚と、それ以外の感覚が混ざりつつ、息を整える。


「……たまげたな。やっぱり、ジルベルスタイン隊長の妹ということか」

「さすが、ジルベルスタイン家」


 やっと見物人となっていた周りの声を捉えられるようになって、相手の方を見る。

 イオは彼自身の手元を見下ろしていたけれど、顔を上げると、顔が合った。

 そして、シルビアを見て、はっとした顔になった。


「それ」


 彼の指が、シルビアを示す。

 シルビアは首を傾げる。


「頬の傷」


 これだと教えるように、イオがシルビアに近づく。指が近づく。

 それに合わせ、シルビアは半ば無意識に下がっていた。

 大丈夫です、とシルビアはこれもまた半ば無意識に言おうとする。手合わせによる汗か、それとも血だというのか、顔を流れる感覚がして。


「たーのもーう!!」


 非常に元気のよい声が、その場全員の動きを一旦止めてしまうくらいの威力をもって、響き渡った。








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