原因と解決策
自分の様子がいまいち掴めない内に、アルバートの見合いの日が近づく。今度はそわそわと、胸の辺りが落ち着かない心地が挟まりはじめた。
ほぼお手上げ状態だが、降参しても改善はしなかった。
訓練も何とかやってはいるものの、進歩はなく持ちこたえ、停滞している状態だ。
──「何かあれば俺に言え」
何か困ったことがあれば、何か思うところがあれば何でも言え。
出会った当初から、アルバートに言われていた言葉が甦る。
その言葉通り、彼は最初はおずおずとしていたシルビアの言葉に耳を傾け、言葉を返してくれた。
何かの使い方が分からないなど、些細なことであれば、根本から解決してくれた。
でも、今、アルバートに言おうとは思えなかった。
「!」
歩いていると、何かにぶつかって、意識が急激に引き戻された。
いや、意識が引き戻されたと感じて初めて意識が物思いに沈んでいたと知り、ぶつかって初めて、歩いていたと気がついた。
「シルビア」
「──イオ」
ぶつかった『何か』は人の背で、不幸中の幸いか、見知った人と言える人物だった。
イオ・セトラ。もう何度となく剣を交わせ、それなりに会話もするようになった青年。
彼が、ぶつかったシルビアに驚いた表情で振り向いていた。
場所は、廊下だった。
正確にどこの廊下とは分からない。少なくとも第五騎士隊の執務室は見当たらない筋の廊下だった。
イオとの訓練をしたことは覚えているから──その後、彼に無意識についてきてしまったとでも言うのだろうか。
自分いる場所を把握したシルビアは、次に廊下でイオにぶつかった理由を見つけた。イオの前に、誰かが立っている。だから、イオが廊下で立ち止まり、シルビアがぶつかった。
「すみません、イオ」
「いや、いいけど……」
ぶつかったことを一番に、邪魔をしてしまったこと含め、謝った。
「女の子、かな? イオ、知り合いか?」
「隊長。はい、彼女は神剣の訓練を共にしている、剣の使い手です」
前からの問いに、イオが前の人に向き直り、シルビアについて説明した。
シルビアはここがどこだか分からないが、とりあえずどうするべきで、次は何の予定が入っていたかと頭を大急ぎで回転させようとしていた。
一度、止める。
イオがずれたことで明らかになった人がいたので、イオより背の高い人を見上げる。
「失礼致しました。第一騎士団第五騎士隊所属、シルビア・ジルベルスタインです」
顔を合わせた男性は──目を瞠った。
十数秒ほど男性は動かず、やがて、ぎこちなく唇を動かした。
「──これは、驚いた。えぇっと、第一騎士団、第五騎士隊……確かアルバートの隊じゃ……ジルベルスタイン?」
驚いた表情が消えた。訝しげに、眉を寄せる。
「噂のアルバートの妹か!」
ぽんと手を打つと共にの言葉は、けっこう大きめの声だった。
廊下を歩いていた他の人の視線が、集まる。
それに構わず、男性はすっきりしたように、次は表情を笑顔に変えた。
「はは。想像出来ないほど美少女だっていう噂は聞いていたが、そんな類いの噂が噂以上だったのは初めてだ」
「はあ」
シルビアはころころと変わる表情と反応についていけず、曖昧な声を出す。
その反応にも構わず、シルビアを見た男性は「こんなに突然会えるとは」と笑う。
「王太子殿下の近衛騎士隊隊長、分かりやすく言うと、イオ・セトラの上司だ」
最後に名乗った男性は、にやりとした笑みを浮かべた。
人に親近感を持たせる雰囲気を纏っているのに、顔の造りは端整でありながら、人の悪そうな笑いかたが似合いそうな造りをしていた。
「ついでに言えば、アルバート・ジルベルスタインの学院からの付き合いだ。ここで会ったのも何かの縁。今も後輩であり我が隊の新人であるイオを誘っていたんだがな、一緒に昼食でもどうだ?」
そんな誘いに慣れていそうな様子で、自然に誘われ、シルビアは。
今日はこの後はそのまま昼食に行っていいと言われていたと、予定をようやく思い出した。
「隊長がよろしければ」
予定は空いているから、断る理由がない。
承諾の返事をすれば、イオが上司に見えない位置で止めておけばいいのにという顔をした。
騎士団用の食堂がある。
多くの人数が所属しているから専用だというのもあるが、そもそも騎士団の団員は宿舎で過ごしている者が多い。宿舎では食事も世話されるため、勤務中である昼食時も騎士団専属の料理人が世話をする。
それ以外の騎士団所属の人間も利用できるようになっているのが、この食堂。
天井が高く、広い部屋には、長いテーブルと長い椅子が並べられていて、昼食時は満員になる。
役職が高い人たちは、混雑を好まなかったり、仕事が忙しかったりするため、部屋に運んでもらう場合が多いようだ。
何事にも例外はあるようだが。王太子の近衛隊の隊長と、イオと食堂に来ると、食堂はそれなりに賑わっていた。
食事は自分で取りに行く式なので、取りに行き、席につく。
シルビアとイオが隣に並び、前に近衛隊隊長がいる。
「しかし、一瞬、てっきりイオの恋人かと思ったのにな」
「こいび──そんなわけないでしょう!」
会話──ほぼ近衛隊隊長が喋っている──が一区切りしての上司の言葉に、必要なときだけ必要なだけ返答していたイオががちゃんとフォークを置いた。
「あっはっは、動揺するな動揺するな」
近衛隊隊長はにやにやと、失態にわずかに頬に朱を走らせた部下を宥めた。
近衛隊も少数精鋭だろうが、それなりの人数がいるだろうに、距離が近いなとシルビアは思った。
そういえば、イオの様子では食事に誘われたのは初めてではなかったのだろう。
「からかうのはよしてください、隊長」
「普段動揺しない人間が動揺するところを見るのは愉快だから、つい、な」
にやにや笑いは収まらない。
イオはそんな顔もするのだ、とシルビアはぼんやり見る。
ふと、近衛隊隊長の目が、イオから横のシルビアに移る。
「食べないのか?」
彼が示したのは、シルビアの皿だった。
シルビアの手は、いつの間にか止まっていたのだ。
「少食か? 女の子だもんな。いや、女の子とか関係ないか。大食いを一人知っている」
少食かと言いながらも、近衛隊隊長は「でも」と続ける。
「食べた方がいいぞ。神剣の訓練の後だろう? 神通力を使いっぱなしだったと思うが、神通力は体力とも繋がっているからな」
そう言う近衛隊隊長も、なるほど、思い出せば神剣を腰に下げていた。役職からしても、相当な資質と実力を持っているのだろう。
「おまえ、この前からずっとそうだな」
はい、と返事をして手を動かしはじめたところで、横から声が飛んで来た。従って近衛隊隊長ではない。彼はシルビアの横を見て、面白そうな表情をした。
シルビアも口を動かしながら横を見ると、イオが横目でシルビアを見ていた。
「隙があればぼーっとしている。剣も手応えっていうものがない」
剣筋は、剣を振るう者を語る。
剣とは人の意思で振るわれているからだ。迷いが出る。躊躇が出る。──何か停滞しているとは、毎日のように刃を合わせれば、優れた者には分かる。
だが、分からないのだ。
シルビアにも分からない。分かっている部分はあるが、それ以上は「なぜ」か分からない。
指摘され、彼が分かるのならばアルバートにも分かっていることではないかと思い至る。そんなに言われないということは、騎士団に入って間もないから調子が狂っているのだと思われているのだろうか。そうだといい。
今、アルバートに指摘されても、シルビアは何でもないのだと言うことしかできないだろう。
「イオ、言葉を包むのも大切なことだぞ」
「──はい、隊長」
「返事はすごくよろしい」
シルビアが何とも言えない間に、近衛隊隊長がイオをさらっと嗜めた。
イオはシルビアに「ごめん」と謝るが、シルビアは首を振る。何とかやっていられていると思ったけれど、イオに違和感を感じさせていたのだ。シルビアに非がある。
「シルビアちゃんは、何か悩み事でもあるのかな」
シルビアのことを「シルビアちゃん」と呼び方を固定した近衛隊隊長が、首を傾げる。
「女の子の悩みを聞くのは、けっこう得意なんだけど。新人の悩みを吹っ飛ばすのも」
「……いえ、悩みというほどのものでは」
ないとは言えない。
シルビアは思案する。どうにか、この状態を打破したい。かと言って、打破する方法は……。
と、思い付いたことがあった。
「イオ」
「イオの方かー」
イオを真っ直ぐ見つめると、彼は「な、何だよ」と応じた。
「聞きたいことがあるのですが……いいでしょうか」
「中身に、よる」
急でか、戸惑った様子の返事に、シルビアは頷く。
「イオにはお兄さんがいますよね」
「いるけど」
アルバートが言っていたことを思い出した。
イオはおそらく次男か三男で、セトラ家の嫡男──つまりイオの兄は神官をしているはずだ、と。
肯定を受け、シルビアは一つ息を吸う。
「お兄さんは結婚はされていますか?」
「している。……何でそんなこと聞くんだ?」
「イオは、お兄さんが結婚されるとき、妙な心地になりましたか」
「妙な心地?」
イオはそれこそ、妙な表情をした。
このところシルビアが不調にある要因は、アルバートの見合いだ。考えると、何とも言い表せない心地になる。けれど、それは分かっていても、「なぜ」そうなるかは分からない。
でも、この状態を何とかしなければならない。
シルビアが思い付いたことは、同じ状態の人から、解決策を探そうというものだった。そんなことを考え付いたのは、誰であろう、イオのことを思い出したからだった。
妙な心地とは何だ、と暗に問い返され、シルビアは困る。困りつつ、何とか表現しようと、懸命に言葉を絞り出す。
「胸が苦しくなったり、気分が落ち込んだり……」
ゴフッという音がした。
びっくりして見ると、前で、近衛隊隊長がむせていた。手にカップを持っているところから推測するに、水が変なところに入ったのか。
「大丈夫ですか?」
近衛隊隊長はごほごほと咳をし、仕草で大丈夫だと示す。
「これ、使ってください」
「わ、悪いね」
水が零れていたので、ハンカチを差し出すと、何とか声を出せるようになったらしい近衛隊隊長が受けとる。
結局、彼が落ち着く過程を見守ったのち、イオから返ってきた反応は「ない」で、解決策は得られなかった。
食事は全て詰め込み、残さなかった。
食堂の出入口で、シルビアはイオと近衛隊隊長と別れた……のだが。
「シルビアちゃん」
シルビアを呼び止めたのは、別れたはずの近衛隊隊長だった。
どうしたのだろう。心当たりのないシルビアは、振り返ったものの、首を傾げる。
「さっきのこと」
「さっきのこと?」
「『お兄さんが結婚されるとき』云々っていうやつ」
ああ、それか。
「もしもそれがアルバートが結婚するときのことを考えて言ったことなら」
言ったことなら?
「その相手の人がまだ見ぬ人なら……いやそんな話聞かないからたぶんそうなんだろうけど……まあ、相手の人と会って、過ごしていくにつれ落ち着いてくるものかもしれない」
「なぜ、ですか?」
「アルバートが結婚すると決めた人なら、あらゆる意味で大丈夫だろうって、たかが同級生の僕も思うから」
近衛隊隊長──アルバートと学院からの付き合いだという彼は、微笑んだ。
シルビアは、その言葉を頭の中で吟味する。
──まだ見ぬ人だから
そうなのか。人に言われると、どことなく納得できる理由に思えた。
どのような人か分からないから、こんな心地になっているのだろうか。
「そんな気がしてきました。──ありがとうございます」
「いえいえ。役に立てたなら幸いです。……いやあ、あのアルバートがこんなに慕われているとは……僕も妹欲しいなぁ」
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