『兄』






 神剣と適合したからには、剣の使い手にならなければならない。間違いでした、別のものにしたいです、とはいかない。

 だが迂闊だった。と、シルビアは剣を見て思った。

 白い剣は、シルビアの背丈に対すると少々長めだった。


「……使えるのなら、問題はないでしょう」


 使えないものではない。振るえそうだと何となく分かる。使うしかない。

 自分で納得し、剣を手に、シルビアは来た道を戻る。他の人たちに混ざり、階段を登り、扉を出て……。

 地下から出ると、自然光が入る通路に戻った。


 シルビアはきょろきょろと控えめに辺りを見ながら、歩き続ける。

 周りには、地下から共に出てきた青年たちがいる。全員男子で、制服は着慣れない様子に見える。シルビアと同じく、今日正式に騎士団に配属となる新人なのだろう。


 さて、人波の中にいては立ち止まるわけにはいかないからとりあえず歩いているけれど、このまま歩き過ぎてもいけない。次に行く場所も分からないのだ。

 抜け出して、レイラか、来ていた様子だったアルバートを探──足が、何かに引っかかった。

 あっ、と思ったときには景色が傾き、ゴチンッと額を打ち付ける音を耳にした。それから、カシャン、という音も。


「──」


 額の痛みへの苦悶は、声にならなかった。


「うわ。大丈夫か」


 さすがに顔をしかめそうになりながら体を起こしていると、誰かが近くにきた。

 額を擦りつつ見上げる。

 一人の青年が、シルビアの前にしゃがみこんでいた。

 緑色の目と、目が合った。気の強そうなつり目だったけれど、シルビアを覗き込んだ今は丸くなっていた。


「……大丈夫か」


 首を傾げると、さらさらの茶色の髪が揺れる。目の下の黒子ほくろが特徴的な青年だった。


「大丈夫、です」


 転んだ自分を気遣ってくれたらしい青年に、大丈夫だと立ち上がってみせる。額は痛いが、問題ない。痛い。


「あれ?」

「?」

「剣が……」


 手に持っていた剣がない。

 持っていたはずの長い剣の消失に気がつき、シルビアはきょろきょろする。周りの靴が見える床に視線を向ける。

 一体どこに。無くすなんて、冗談にならない。


「剣? あ、おまえ、もしかしてさっきの」


 あった!

 青年の声を側に、一生懸命周りの床に目を走らせていたところ、斜め前方に転がっている剣があった。

 滑っていったらしい。

 見つかって良かった。希少で貴重なものであるとは知っているため、ほっとする。……飛ばしたこと自体が問題だろうか。


「あ」


 目だけで見つけたばかりの剣を、拾う手があった。

 見つけたところだったシルビアは、一歩も動けないでいたまま、持ち上げられる剣を目で追う。

 服装は、シルビアと同じデザインのもの。誰が拾ってくれたのかと、剣、手、と上へ視線を移していく。


「あ」


 再度、同じ音が口から漏れた。

 剣を拾ってくれた人は、周りと比べて背が高かった。彼が歩くと、周りは道を開ける。そのお陰で、シルビアから彼まで完全に一本の道が作られていく。

 彼が、こちらに歩いてくるからだ。

 髪は純然たる黒、灰色の目がすごみのある鋭さを持つ。堂々たる様子に、黒い制服がよく似合っていた。


「シルビア」


 呼ばれ、アルバートさん、とシルビアは口を動かした。

 アルバートはすぐにそこまでやって来て、ちらりと視線を外した。


「新人だな」

「──はい」

「配属先に向かえ。──他の新人もだ。話す暇があるならさっさと配属先に向かえ」


 灰色の目が周囲を見ると、さっと視線が散り、周りの動きが忙しくなった。

 シルビアを気遣ってくれた青年も一礼し、去っていった。

 お礼を言い損ねた、と、背中を見て思ったが遅い。


「何ぼけっとしてる」


 目を戻し、見上げると、見慣れた灰色の目がこちらを見下ろしていた。

 色彩のせいか、それとも雰囲気なのか、冷たさを帯びずにはいられない目が、和らいだ。

 しかし、すぐに表情と一緒に怪訝そうな様子を宿した。

 アルバートが指で、シルビアの前髪軽く避ける。


「額、赤くなってるぞ」

「あ。転んだときに、打ったのだと思います」

「転んだ?」


 アルバートは不思議そうにした。軽く首を傾げる。


「お腹でも減ってるのか?」

「む。いいえ、朝食はしっかり食べてきました」


 転んだ原因を空腹だと推理されてしまって、否定する。おそらくマントに引っかかったのだと、裾を持ち上げる。


「そうか」


 どこからともなく、お菓子を取り出そうとしていたらしい。

 胸ポケットから、鮮やかな包装紙に包まれた飴らしきものが見えて、じっと見てしまう。あの飴、美味しいのだ。


「まあいい。やる」

「わあ、ありがとうございます」


 飴が手のひらに、ポトリと落ちる。

 思わず、嬉しさの声が出ると、ふっと空気を掠めるような音が降ってきた。

 見上げると、アルバートが笑っていた。


「お前は、本当に甘いものが好きだな」


 シルビアは飴とアルバートを見比べて、ちょっと顔を伏せ気味にした。もぞもぞとした心地だ。


「しまっておけよ」

「はい」


 今食べるわけにはいかないから、時間があれば後から食べよう。どこにしまっておこうか。

 着慣れない服のポケットの具合を見ていると、アルバートが、シルビアの身につけるマントを持ち上げた。

 地面すれすれの長さを目にし、「裾をもう少し上げてもらうか」と呟き、手を離す。


「帰ってからだな。──転んだとはいえ、武器を簡単に手放すなよ」

「はい」


 言葉と共に、剣が差し出される。

 シルビアはしっかり頷き、拾ってもらったお礼を口にし、剣を受けとる。両手でぎゅっと握る。


「それにしても」


 アルバートは剣を見ていたようで、シルビアが見上げると、シルビアに目を合わせた。

 それにしても、何だろう?


「お前はまた、扱い難そうなものを選んだな」

「……触ってしまいました」

「だろうな、見て分かった。別でやれば良かったか」


 長めの剣は、女子にしても身長が低めのシルビアが持つとさらに長く見え、扱うにはアンバランスに見えるだろう。

 シルビア自身、しまったと思った所以はそこであった。

 長さや刃渡り、色々異なるから、まずはきちんと見るように言われていたのに……。

 何物にも、個々人に適切な大きさであったりというものがある。この剣の大きさが、シルビアに最も相応しいかと言われると、そうではないと誰もが言うだろう。


「でも、大丈夫だと思います」


 先ほど、自分でも納得したことを証明するように、鞘にいれたまま剣を軽く振る。

 体の周りをくるくる、空気を切る。


「ここで振るな」

「すみません」


 人が少なくなったとはいえ、場所は相応しくなかった。

 剣をピタリと止め、素直に謝る。


「それになったからには、慣れればいい。訓練だな」

「はい」

「お前のそれは長いから、腰に下げるより背負う形にした方が良さそうだな。後から専用の器具をやる」

「はい」


 そう言うアルバートは、腰にもどこにも剣を帯びていない。


「俺達もさっさと行くか」

「あ、はい」


 配属先へ。

 シルビアを促し、アルバートは背を向け歩きはじめた。

 見慣れない場所で見る背中は、見慣れたもの。いつも通り広くて、大きな背中を追う。

 歩幅の違いで置いて行かれないように、ついていく。


「あ」

「何だ」


 声に反応して、アルバートがちょこちょこと後ろをついていくシルビアを振り返った。

 そのアルバートに、シルビアは思い出したことを言う。


「アルバートさん、お帰りなさい」


 彼は何度か瞬き、それから唇を笑みの形にした。


「ただいま」


 大きな手が、フード越しにシルビアの頭を、自然な動作で撫でた。


 彼こそが、アルバート・ジルベルスタイン。シルビアが養子となったジルベルスタイン家の嫡男であり、シルビアの『兄』。

 そして、騎士団の一つの隊の隊長をしている。








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