入学初日

チュンチュン…

部屋の窓越しに鳥の囀りがきこえる。重い瞼を開くと眩い光がカーテンの隙間から薄暗い部屋の中を照らしていた。

光の筋が薄暗い部屋の地面を照らしている光景はまさにこの混沌たる大地と天井の楽園を繋ぐ輝く梯子のようで、今にもラッパを手に天使達が迎えに来て…もう疲れたよパトラッーーって、いかん!!軽く現実逃避してしまった。

一つ深呼吸をして天井を見上げる。


「ふぅ…やってしまった…」


昨夜いつも通り午後十一時にベッドに着いた迄は良かった。目を瞑って眠りにつこうとしたときにふと明日から高校生活が、いやこの超絶主人公たる北条明の偉大で壮大な物語の幕があがるのだ…と感慨に浸ってしまった。それからというもの変なスイッチが入ってしまい脳内で一人主人公談義やら一人回想やらをしているうちに今に至る。…つまり一睡も出来なかった。

平均睡眠時間七時間、勿論徹夜の経験など一度もない俺にとってこれはかなりしんどい。


「…とは言え入学初日に休むわけにはいかないな」


時計を見ると時刻は八時。入学式が九時からなのでまだ時間には余裕がありそうだ。

寝不足で正常に働かない脳と重たい体を無理矢理に動かし緩慢な動作でベッドから出て身支度をする。洗面所で顔を洗い歯を磨く。洗濯機にいま着ている服を入れついでに洗濯の予約を入れる。帰って来るころに洗い終わるようにしておく。


着替えは慣れないブレザータイプの制服を着るのに苦戦。特にネクタイ。何でこんな不便なものが存在するのか全く理解できん。


なんとか制服に着替え終えて、あとは朝食を食べれば準備完了だな。

とはいえ流石に料理する時間はない。というか材料もない。

ふと、部屋の真ん中に設置した小さなガラステーブルの上にコンビニの袋が目にはいる。昨日コンビニで晩御飯にと買った弁当とソーセージパンが入っていたものだ。


「たしか弁当だけで腹一杯になってソーセージパンは手をつけず残していたな」


記憶の通りコンビニの袋の中にはソーセージパンが未開封のまま入っていた。ソーセージパンを取り出すとベッドの上に腰を下ろす。


三日前に引っ越してきたばかりで新居に持ってきた荷物の八割がまだ開けてもいない段ボールの箱に収まったままだ。そのせいかもともと広くもない部屋がより一層狭く、引っ越し後すぐに設置したテレビとテーブルとベッドもあるため二、三人座るのがやっとのスペース分しか床が顔を出していない。荷物持ってきすぎたな…。


「帰ったら片付けねばな」


ソーセージパンの最後の一欠片を口に放り込み袋を捨てる。そろそろゴミが溜まってきたな。


さてそろそろちょうどいい時間になっただろうなと時計に目をやる。時刻は八時半を少し過ぎていた。


「もうこんな時間か。少しのんびりとしすぎてしまったな」


学校までは歩いて十分ほどであるため焦るほどではないが多少の余裕は欲しい。

筆記具くらいしか入っていない鞄を持ちキッチンで蛇口から直接水を少し飲み、玄関へ向かう。

靴を履き玄関のドアを開ける。

まだ少し冷たい空気と柔らかな日の光が心地よい。

ドアの鍵を閉めてからあらためて雲一つない空を仰ぎ見て日の光と空気を全身で感じる。だが

そんなことよりもいま一番感じていることが一つある。

それは、思ったよりも…


「一人暮らしとは面倒なものだな」


そう沁々と感じたのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ちょうどいい時間だな」


これから、おそらく3年間お世話になる学舎ーー私立英俊高等学校の校門前にたどり着いた。

事前に学校までの道順は確認しておいたので迷うことはなかった。

入学式までまだ十分程はある。周りには俺と同じ真新しい制服を身につけて歩く生徒達ちらほら保護者らしき大人もいる。皆一様に少し緊張した面持ちである。


俺もあんな表情なのだろうか?


校門を通り抜けると新入生歓迎の文字と矢印の書かれた看板が立っていた。

矢印の案内に従って歩いて行くと体育館に着いた。

体育館前にクラス分けの表が掲示されていた。

俺の名前は…あった。B組か。

知り合いもいないしどの組でも関係無いな。


体育館に入り席について時計を見ると式までまだ五分程ある。


「少し寝るか。」


寝不足のせいか程無くして意識は薄れていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ーーミシミシッ!


唐突に不快な音と共に頭部に痛みがはしる。

反射的に顔を上げ痛みの発生源へと手を伸ばす。

目の前には端麗な顔立ちの女性が少し頭をつき出せば頭突きが出来そうな距離にいる。手には細く筋ばったものの感触。


「おーおはよう。よく眠れたか?」


「…?」

あまりに唐突で状況が理解できん。


「いや聞くまでもなかったな。新入生退場の号令も聴こえんくらいだからなぁ。大層よく寝れたことだろう」


なるほど。どうやら俺は入学式の間ずっと眠っていたらしい。それで式のプログラムを終えて新入生退場の号令がかかったにも関わらず俺が寝ていたのでこの女性(おそらく教師)が注意にきたというわけか。

言われてみれば確かに視界の端にクスクスと笑いながら出入口の方へ向かっていく生徒が見える。

では、この頭の痛みは…


「これはもしかして体ば」「あぁこれか?なにきさまがずっと俯いて頭を重そうにしていたのでな支えてやってるんだ。感謝しろ」


「ミシミシというほど手に力が入っているのは?」


「力加減が下手なもんでな…それよりも目が覚めたのならさっさと教室に行け」


頭を圧迫していた手が離れた。あの細い腕のどこにあんな力があったんだろうか。


「手があったから動けなかったのだが…」

「…なにかいったか?」

「…いえ」


他の人の迷惑になるし早く教室へ行くべきだな。

決して禍々しいオーラを迸らせこちらを威圧している女教師がこわくて逃げ出すわけではない。

というかあの女教師の握っているパイプ椅子の背の部分が明らかに変形しているぞ。


俺の頭大丈夫だよな?



私立英俊高等学校の敷地は広い。


敷地内には建物が五つある。各学年の教室や職員室のある西棟、被服室やコンピューター室等がある東棟。どちらも四階建ての建物だ。あとは体育館と剣道場と柔道場がある。西棟、東棟と体育館は二階に渡り廊下があり繋がっている。

建物だけでも結構大きいのだが、それに正式なサイズの陸上トラックが丸々一つの収まるサイズのグラウンドとテニスコートが二面。それにプールまである。

進学校にもかかわらず部活動にも力をいれている為施設も充実しているのだろう。実際多くの部活動がそれなりに功績を挙げてるらしい。

まぁ部活動はしない予定の俺には関係のない話だが。


「やっとついたか…」


一年B組教室前。

体育館からここまで時間にすると二、三分程だが、一年の教室は西棟の四階にある。運動不足の俺には結構つらい。


呼吸を整え教室に入ると意外にも教室の中は騒がしかった。

たまたま同じ中学校から進学してきた人が多かったのかそれともコミュニケーション能力が高い人が多いのか…とにかく既にいくつかのグループが出来つつあるようだ。


これはマズいかもしれんな…。


とは言え俺はコミュ症ではないが中学のはじめにやらかして以来、血縁者以外の人とまともにコミュニケーションをとったことがない。つまり、コミュニケーションを取るという行動に約三年間ものブランクがあるのだ。

無策に突っ込んでも良いことはないだろう。


それにまだ寝不足でいまいち頭が働かんしな。


取り敢えず黒板に座席表が書かれた紙が貼ってあったので確認してから自分の席へ向かう。教室中央の列の一番後ろの席。悪くない席だ。


鞄を机の横にかけ席につく。

座るとより眠気が増してくる。

また寝るかどうかを迷っていると

「おい。席につけ。HRをはじめる」


どうやら教師がきたようだ。なにやら聞き覚えのある声に嫌な予感がする。

教壇へと移動している声の主へと視線を向ければ先程の女教師がいた。

やはりか…。


「…とその前に私の自己紹介をしておく。私の名前は御縁葉子みえにしようこだ。今日からこのクラスの担任になった。担当科目は古典だ」


「めっちゃ美人じゃね?」「キツイ話し方もいいな」「葉子ちゃんまじタイプだわぁ」「糞豚野郎と罵って欲しい」


ひそひそと男子生徒の話し声が聞こえる。確かに美人ではあるし男子生徒に人気がありそうだ。


「あぁそうだ。前もって言っておくが御縁先生以外の呼び方で呼ぶことは許さん。どう許さんかは公言しないが…」


そこまでいうと御縁先生は教卓の中からおもむろに掌サイズのゴムボールを取り出した。


何故あんなとこにゴムボールが?


首をかしげる生徒達に全員に見せつけるようにゴムボールを持った手を前につき出した次の瞬間ーーーパンッッッ!!!!!


まさか…ゴムボールが破裂した…だと?


「おい…マジかよ…」「きっとマジックとか…よね?」「どんな握力してんだ?」「その握力でこの豚めをつねりあげてくだされぇ!!はぁはぁ」


ざわつく教室。流石にあれはやばいだろ。というかさっきはスルーしたが違う意味でやばい奴もこの教室にいるなっ!!


「では今度こそHRをはじめる。と言っても今日は配布物と簡単な説明が終われば解散だ」


何事もなかったかのように配布物が配られていく。よくよく考えてみればさっきあれに頭を掴まれていたんだよな…?

あんな教師がいていいのだろうか…。

それよりも配布物と説明を終えれば解散ということは今日は自己紹介はやらないのだな。

それとも高校生なのだから自己紹介の時間などなくとも自らコミュニケーションをとって交流を深めろと言うことなのだろうか?

この教師だしその線も充分にあり得るな。


いくつか配布物が配られると時間割の説明や今後の予定等の説明が開始された。


俺はほとんど説明が頭に入ってこなかった。脳が睡眠による休息を欲しがっている。

元々寝不足で眠かったがさっきの急激な恐怖と緊張のせいでより疲れて睡魔が押し寄せてくる。


まぁどうせ配布されたプリントに書いてあることを口頭で説明しているだけだ。少しだけでも仮眠するとしよう。




「ーーーです。趣味は読書です。これから一年間宜しくお願いします」


…ん?何だ?

窓際の席の女生徒が立って何かを言った後に着席する。するとその後ろの席の男子生徒が立ち上がり「青木清二です。趣味は映画鑑賞です。宜しくお願いします」と一言言って着席した。


なるほど自己紹介か。いやしかし今日は自己紹介はないはずでは?

ふと窓の外に目を向けると雨が降っていた。

さっきまであんなに晴れていたのに?


あぁこれは夢だな。

それにしても自己紹介の場面を夢で見るとは思っていたよりもよっぽど中学の自己紹介での失敗が心に残っていて次こそはという気持ちが強かったのだろうか。

まぁ確かにあんな失敗は二度と御免ではあるな。


流石に俺の夢クオリティといったところか皆一様に名前と一言で自己紹介を終えているためあっという間に俺の番がきた。


まぁどうせ夢だしな。言いたいことを適当に言って気持ちよく目覚めるとしよう。


「北条 明だ。俺は生まれながらして主人公になることを運命づけられた人間だ!!俺の物語は後世語り継がれていくことになるだろう…ここにいるモブキャラ諸君はせいぜい俺の物語を盛り上げるために頑張ってくれたまえ!!」


よし。気持ちよく自己紹介できたな。これで中学の失敗によるわだかまりも払拭出来たかもしれんな。などと思い目をつぶって感慨に浸っていると

「おい。貴様ーー」


聞き覚えのある声がきこえた。

声の方を見るとこちらへゆっくりと近づいてくる女教師御縁葉子がいた。

まだ出会ったばかりだというのにもう夢に登場するとは余程印象深かったのだろう。


「貴様ーーふざけているのか?」


御縁先生の手がゆっくりと俺の頭部へとのびてくる。

まぁ夢だしな。

ーーがしっ!!

頭部をホールドされるリアルな感触。

「へ?」

ミシミシミシミシミシミシーーーー

「がぁー!!!!!!!」

嫌な音と共に頭部に強烈な痛みがはしる。


ちょっとまて!何故だ?何故痛みを感じる!?

これは夢ーーじゃあない!?

自己紹介があるなんて言って無かったじゃないか。というか寝てた数分の間にタイミングよく雨なんか降るなよ!


ちょっと待て…てことは主人公だのモブキャラだの全部実際に言ってしまったのか…?


終わった。


それどころか面と向かってここにいる全員にお前らはモブキャラだと宣言したのだから袋叩きにあっても文句は言えない。


…そうか。それを見越してこの先生は俺の頭部をミシミシさせているのか。皆の怒りを鎮めるために。


御縁先生がゆっくりと口を開いた…


「なぁふざけているのかと聞いているのだ。私ははっきりと言ったよなーーー自己紹介を一人二十秒以内で済ませろと」


…は?


「いやいや、ちょっとまて!そうじゃないだろう!俺が言うのも変な話だが先生が怒るべきところはそこではないだろう!」


「…なにが間違っているというのだ?」


「いや、だから!協調性のない態度とか人をモブキャラだと貶した言い方をしたことを注意するべきだろう!」


「お前分かってて言ったのかよ!!」「ふざけんなよ!」

俺に向かってクラス中から罵詈雑言が浴びせられる。いやまぁ当然だろうな。


「黙れ!」

御縁先生が声を上げ制止する。

まさか俺をかばって…


「うるさいぞ。そんなものは知るか。貴様らの自己紹介の内容など全くもって興味はない。時間が余っていたからやらせてみただけだ」


「えぇーーー!!!!!」


見事にクラスの全員の声が揃った。


キーンコーンカーンコーン♪

授業の終了をつげるチャイムの音が響く。

チャイムがなり終わると頭の拘束がとかれた。


「これくらいにしといてやる。だが次はないぞ」

俺にしか聞こえない小さな声で御縁先生がそう告げてくる。…完全に悪役のセリフじゃないか。


「今日は解散だ。全員さっさと帰れ!」

そう言い残すと御縁先生はさっさと教室から出ていった。

まだ自己紹介してない生徒が半分近くいるんだがいいのか?…まぁ二十秒の自己紹介なんて殆んど意味はないが。


それよりも…

あぁまたやってしまったのだな。

これでまた高校生活もなにも起こらず終わりを迎えてしまうのだろうか。


こちらに視線を向けひそひそと話しをしながら教室を出ていくクラスメイト達。


…ここにいても仕方ないな。帰るか。

配布されたプリント等を鞄へしまっていく。


「やぁ。北条君」


突然小柄な男子生徒がニコニコしながら話しかけてきた。誰だこいつ?


「えーと…奏 悠真だよ。一応さっき自己紹介したんだけど…あんな短い自己紹介じゃ覚えられないよね。改めてこれから一年間宜しくね」


握手を求めるように手を差し出してきた。

あまりに俺が痛々しいから憐れんで声をかけてきたんだろうな。

余計なお世話だ。

だが、ここで拒絶するような対応をすればより一層、憐れに思われるかもしれん。


「あぁ…宜しく…」

言葉だけ返しておく。何となくムカつくから握手はしない。


「おーい!奏!一緒に帰ろーぜ!」

三人の男子生徒が教室の外から顔だけのぞかせて奏を呼んでいる。


「うん!ちょっと待ってて!」

奏は振り返り手をあげて返事を返したあとこちらに向き直り「じゃあまた明日」と一言残して去っていった。


「俺もさっさと帰るか」


何ともやるせない気持ちのまま帰路についた。



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監視対象【北条明】

対象は予定通り、私立英俊高等学校へ無事入学を果たす。

協調性に欠け、性格・思想共に問題あり。対象の個人データは報告通りのようだ。

初日にして軽度の問題発生。自己紹介にて問題発言。これにより対象が孤立したようだ。だが、特異体αが対象に興味を持った様で頻繁に接触しているのを確認した。ひとまず現状では介入する必要は無さそうだ。このまま監視を続ける。


以上で初回の報告とする。尚、面倒なので今後は大きな変化がない限りは報告はしないことにする。



 

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