第21話


 地下の中で落ちる中、ウィチアはすぐさまアンロックでバインドを解除した。

 ウィチアの反応速度を超えた封印術にはアンロックをかけようがないなと呑気に考えていたが、口を塞がれている二人の抗議の目線で、すぐに二人のバインドを解除する。


「早く解除しなさい、よっとッ!!!」


 セレスは一人、風の抵抗を受けないために身体を垂直にすると、真っ先に落ちていった。

 そして、拳を握りしめ、大きく肘を引かせる。


「せぇーの! ウィンドッッッ!!!」


 セレスが地面を殴り、ウィチアたちの内臓が潰れるかと錯覚を起こすほどの風……もとい衝撃波が襲いかかり、ゆっくりとウィチアたちは降り立つ。

 ……というよりもウィチアは頭から地面に落ちて、一人、弓を引いたような情けない格好になってしまった。


「なーにがウィンドだ! ただのすごいパンチの間違いだろうが! この偉大なる魔女をぞんざいな扱いしやがって!」

「なら、自分の魔法で下りなさいよ偉大なる魔女さん」

「うるせー! 丁寧に下ろすこともできねえのか! 下手くそ!」

「じゃあ、もう一度落としてあげるわね。そーれ高い高い!」

「生、言ってすんませんした! 下ろせ下ろせ!」


 ウィチアは風の魔法で情けない姿のまま、地面から離れていき、そのまま再びずっこけた。

 落ちる時も彼女の風魔法で衝撃を和らげられ、大したほど痛みはないが、彼女には逆らえない。


「僕としては言い争ってる暇はないと思うよ」


 ミルトの声で周囲を見る。

 周囲には観客席、そして、大勢の人々がウィチアたちを注目している。


「ダンジョンなのか? それにしては魔物が人間に見えるが」

「見たところ百人は軽く収容できそうね。ダンジョンにはこんな一室が創造されたという報告はないわ」


 それにとセレスに続いてミルトも口を挟んできた。


「魔物は魔物でも、高貴な血を持った魔物たちだ。ほら、観客席の四列目にいるヒゲがうるさい男は僕の兄だよ」


 ミルトは指さすが、ウィチアはどこにいるか分からない。

 ともかく、ここには貴族たちがいて、ウィチアたちを一斉に見ているというわけだ。


「遮断の結界術で守ってやがる。どれ、この偉大なる魔女、ウィチア・バルファムートが解除してやろうか!」


 観客席に張られた遮断の結界術は音も物理的な衝撃も、魔法すら通さない魔法。

 ウィチアの解除経験が少ない封印術の一種だったが、大抵の場合は公共の場所に張られており、見かける度に解除しては怒られた経験がある。

 大したほど難しいものではないということだ。


「やめておいた方がいいよ。この場においての神はブルーナ検察騎士。ほら、上を見なよ。受付の彼女が使った魔法よりも高度な風だ」


 ミルトはウィチアたちが落ちてきた場所を見上げる。

 ウィチアたちも見上げれば、ゆっくりと落ちる……というよりも下りると表現した方が良い速度で、一人の女性が地面に立った。


「あいつが……検察騎士のなんたら! あいつが私たちをここに引きずり込んだのか!?」

「ブルーナ・エスカリオス検察騎士だよ。これだから頭の悪い魔女は」

「よーし、良い度胸だ。お前の脳みそをアンロックしてやる!」


 ケンカする二人の前に一本のナイフが横切る。

 ブルーナという女が投げた刃は風の魔法がかけられているのか、地面をも穿つ。


「ここは我にとっての神を祀る祭壇。ゆえに醜悪な争いはやめてもらおう」


 ブルーナは冷たい眼差しをウィチアたちに向けた後、高い場所に設置している女性の絵画に向けてゆっくりと頭を下げる。

 その絵画の中にいる人物はブルーナと顔は良く似ているが、幼く、そして隠しきれない田舎くささがにじみ出ていた。

 とてもではないが、絵画のモデルとしては不似合いな人物。


「おお、我の神よ。供物たちの見苦しき姿を許し給え」

「この偉大なる魔女、ウィチア・バルファムート様を見苦しいだと!」

「うっさいわ! 少し黙っとれ!」


 突然、方言で叫びだすブルーナ。

 ウィチアもセレスも彼女の言葉通り黙ってしまう中、ミルトだけ口を開いた。


「ブルーナ・エスカリオス検察騎士。ご無沙汰しております。こうして再び顔を合わせるのは、貴殿の検察騎士、就任の発表以来ですね」

「エルフェンド元公爵子息か。まさか、貴公がウィチア・バルファムートと一緒になって遊戯に夢中とは」

「それは、どのような意味でしょうか?」

「真偽はともかく、貴公が重傷を負わせたウィチア・バルファムートと行動しているのが不思議でならぬ、という意味だ。いや、そこにいるウィチア・バルファムートが、と述べた方が正しい表現か」


 ウィチアに鋭い目つきで睨んでくるブルーナ。


「検察騎士がいったい、なんの目的で――」

「うっさいわ! お前には何も言ってへんやろ!?」

「人の話聞かない人、怖い」


 セレスはポツリと耳元で「あんたも同じでしょ?」と呟く。

 ウィチアは人が話そうとしたらいきなり田舎訛りのヒステリックな叫びをした覚えはないのだが。


「ブルーナ検察騎士。これは以前、僕に話が来ていたDA計画でしょうか?」

「ウム。今日は計画のテストだ。こうして実際に有力貴族の方々を招待し、試験的に賭け金を支払っていただいている」

「魅力的な話ですが、人命を弄んだゲームは違法では?」

「ここはダンジョン内部だ。ゆえに無法」

「あからさまな人工建造物をダンジョンの隣に建設してもですか?」

「ダンジョンと繋がっているのであれば、ここはダンジョン内部である」


 ウィチアは聞いているだけで話がきな臭く感じてきた。

 だが、ウィチアが口を挟めば、この胸の大きな女は訛り口調で話を遮り、とてもではないが会話が成立しない。

 ウィチアがセレスに視線を送ると、彼女は分かったからと言って代わりに口を開く。


「ここにわたしたちを招待していただけたのは、どのような意図を持ってでしょう?」

「我にとってウィチア・バルファムートとガルム・バルファムートの命を奪うことは、グロウディア・ソーサレスに対する復讐となる」

「ウィチアを殺そうって言うの?」

「ムロン。ガルム・バルファムートと共に命を奪うつもりだが、奴は尻尾を掴ませぬ。ならば、ウィチア・バルファムートをガルムロード内部で、さらし首にする。奴は娘の首を前に姿を現すだろう」


 先ほどからDA計画やらガルムロードやら、あるいは身に覚えのない復讐やら知らない情報ばかり出てくるが、ウィチアには口を挟む機会すら与えてくれそうにない。

 仕方なく、ウィチアは杖を振る。


「我は貴様の首をとる。覚悟し――ひゃあ!? ボタンが!?」


 アンロックの魔法で胸の大きな検察騎士のボタンを外すと、観客席からどよめきが聞こえた……ような気がした。実際には結界術で何も聞こえていないので、ただの空耳だろう。

 ウィチアは何もしていないと口笛を吹くが、検察騎士は今にも掴みかかりそうな勢いでウィチアに迫ってきた。


「なにすんねん! 人が話している最中に魔法かけたらあかんっておかんに言われたやろ!?」

「知らん。私のママは生まれてすぐに死んだ」

「はいー!? 自分なに言ってるのか分かってるん!? 我の妹、ミストルが生贄にされたのは十年前のことや! そん時は存命やろ!?」

「おい! それは初耳だぞ!? どういうことだ!?」

「はっ! 知らぬ存ぜぬで押し通せると思うなよ!? 我かて復讐に燃える心は止められんのや! 猛牛のように!」

「おっぱいデカいもんな! 自慢かよ、クソが!」

「はぁ!? 貧相というか壁にも等しい身体つきしてて羨ましいわ! 肩も凝らへんし下もよく見えるし、えらい便利な生活できると思うわー」

「お前の方が便利だろ。そのデカい乳で誘惑してるんだろうが。お前の方が魔女じゃねえのか? ああん?」

「おっさんみたいなこと言うなや!」


 ウィチアはブルーナの襟首を掴み、反対に彼女も掴み返し、言い争いになる。


「話がどんどんスケールダウンしていくわね……」

「僕たちは関係なさそうなんで帰っていいかい?」


 ブルーナはウィチアから手を離すと胸のボタンを再びつける。

 そして、平静を取り戻したのか、大層な動作でウィチアたちを指さす。


「すでに賭け金は支払われている。客席の方々も貴様らの戦いを見たいと申している。ゆえに、参加者となってもらうぞ。恨むなら、魔女と行動したことを恨むのだな」


 ブルーナは手を上げると、風の魔法でゆっくりと足が地面から離れていく。

 彼女は上空から見下ろしながら、観客席にいる騎士の男たちにジェスチャーを送っている。


「マズいな。僕だけは助けてくださいって言っても聞いてくれなさそうだ」

「我が身の方が大事かクズ野郎。私も大事だから、お前が盾になれ」

「標的はどう考えても君じゃないか。僕は関係ないんでね。安心して散れ」

「ああ!? だったらお前も道連れじゃあ!」


 いがみ合う二人にセレスは笑顔のまま、拳を向けた。

 しかも、完全に隠しきれないイライラが表情に出ている。


「あんたたち!? こんな時にまでケンカするの!?」

「なに勘違いしてやがる。ミルトは敵だ。仲間じゃねえ」

「右に同じくだね」


 セレスはついに我慢できなくなったのか、ウィチアのとんがり帽子を持ち上げると、ウィチアとミルトの頭に鉄拳を制裁してきた。


「仲間は大事! 私たち、超仲良し!」

「ああ。レディーを守るのが男の勤めだ!」


 二人が涙目になりながら抱擁をしてみせて、ようやくセレスは拳を引っ込めた。

 それで、とセレスは話を戻す。


「DA計画ってのはなによ。賭け金やら人命を弄ぶだとか」

「うん。DA計画……ダンジョン・アリーナ計画って言ってね。無法地帯で闘技場を作ろうって計画さ」

「法で禁じられたゲームの剣闘士がわたしたちというわけ……ね」


 闘技場の上方からゆっくりと檻が風の魔法で運ばれてくる。


「シャドーを闘技場から捕まえて、有力貴族たちでどっちが勝つか賭けようっていう健全な遊びだよ」

「おいっ! このウィチア・バルファムート様を闘技場にぶち込んで何が健全な遊びだ! 私は貴族たちのおもちゃじゃないぞ! クズ共め! 滅べ!」

「もっと危ないものをぶち込んで、もっとヤバい内容の遊びで、おもちゃにすることを考えれば健全だよ」

「貴族ってロクな奴いないのな!」


 シャドーたちが入った檻が地面に着地し、どこからともなくウィチア以外の誰かからアンロックをかけられる。

 シャドーたちは、かなり下の階層のものを無理矢理、連れてこられたようで、持っている武器は巨大で、厳つい筋骨隆々の影ばかりだった。


「さあ! 本日は我の招待に来ていただき感謝する! 本日の催し、魔女一行とダンジョン深層に潜む魔物たちとの対決である! オッズは魔女一行がおよそ二倍にシャドーがおよそ三倍である!」


 影の魔物たちは武器を構えて――いる間にセレスが拳を握りしめて地面に振り下ろす。


「ファイアー!」


 拳が石の地面を穿ち、地面が影の魔物たちの足下まで地割れが広がり……地割れから炎が噴出。影の魔物たちは炎に灼かれて消失する。

 阿鼻叫喚の地獄絵図が広がる中、ウィチアはセレスから離れた。


「なあ、普通のファイアって対象を燃やすだけだよな……?」

「そうよ」

「なんで地面が割れてるんだ……?」

「わたしの拳に砕けないものはないからよ」

「説明になってねえ!」


 少なくともウィチアの知るファイアーは、炎を浮かび上がらせて、対象にぶつける魔法。

 彼女のそれは火山からマグマが噴火しているようで、とてもではないがウィチアの知るファイアーとはかけ離れていた。


「なんでや! シャドーたちが消えてもうた! ウィチアだけ連れてきたら良かった!」


 上方ではブルーナが頭を抱えていた。

 せっかく、ウィチアを捕まえた上に、魔物たちを用意したのに、全く関係のないセレスに全てを倒されてしまった。

 そのセレスはかかってこいよと言わんばかりにくいくいっと手を曲げて挑発した。


「次のラウンドはないのかしら? 検察騎士様」

「うぐぐ……! 目的のためなら……復讐のためならば手段を選ばへん!」


 今までウィチアにしか田舎訛りをぶつけていなかったブルーナが、大層な口ぶりを忘れたように叫び続ける。


「騎士団連中! 次や! 魔女と正義の検察騎士、世紀の魔法対決や!」


 声は届かないのか、ブルーナは身振り手振りでジェスチャーを行い、指示を出す。


「そんなに外と会話したいなら、その結界術、アンロックしてやんよ」


 ウィチアが観客席に向けてアンロックを行うと、喧噪が聞こえてくる。

 どうやら、ウィチアたちが勝つのは予想外だったようで、勝ったことに対する嘆きの声が聞こえてきた。

 それ以上にブルーナは観客席の結界術がなくなったことに慌てていた。


「ああッ!? なにをするんや! そんなことしたら観客席が危ないやろ!」

「って、言われてもなー。もう危害を加えてるから」


 ウィチアは観客席の隅を指さす。

 観客の一人の胸ぐらを掴み、ウィチアを傷つけた筒の武器で金を脅し取っているミルトを。


「貴公も何しとるんや! 騎士の目の前で犯罪するなー!」

「やー。貴殿も人が悪いなー。君が犯罪を許されるなら、僕も犯罪が許されるのが世の摂理だろ?」

「お前、ほんまに堕ちるところまで堕ちたな、エルフェンド元子息!」

「それはこっちのセリフだよ、エスカリオス検察騎士様」


 ブルーナは歯がみしたまま、上空で動こうとしない。

 観客が人質にとられれば、彼女も下手には出られないというわけか。


「受付のお嬢さん。こいつは王族のノラ息子だ。こいつがいる限り、その女は簡単には手を出せない。お上の身内になにかあれば、彼女の地位に響く」


 それを聞いたウィチアとセレスは笑顔をブルーナに向けた。


「へえー。なら、この偉大なる魔女を見世物にした奴らを痛い目に遭わせられるなー」

「ついでに、あなたも倒すことができるわね。検察騎士様?」


 ひょっとしたら、一番の悪はウィチアたちで、順調に父親のような犯罪者の道へ踏み出している気がしたウィチアだったが、相手が手段を選ばないのであれば、こちらもやりたい放題する。

 このパーティーに一番足りていないのは、正義やら、罪を犯さない道徳心だろうが、目的のためならば仕方がない犠牲だった。


「犯罪者の娘らしいやり方やな……! なら、我の妹……ミストルが受けた痛みを身体に刻み込んでやるわ!」


 ブルーナは空中でナイフを数本、指の間で構える。


「ブルーナ検察騎士様。彼の安否はいかがでしょう? 彼を死なせたくなければ動かない方が身のためですよー?」


 ミルトが歌うように、笑いながら筒をこめかみに押しつけているが、ブルーナは鼻で笑った。


「知らぬ。我はそこにいる魔女へ復讐する。目的のための必要な犠牲だ」

「正気かい? 君の検察騎士の地位が危うくなるよ?」

「我にとって大事なのは、復讐である」


 ミルトは筒を押しつけたまま、本気で言っているのかと呆れたように言う。

 ウィチアからすれば、共感しかないが。


「おいおい。目的のためならば何でもするだって。どこのパーティーの行動理念だ! わはは!」

「わははじゃないでしょ! あなたを倒すことに躍起になってるのよ!」

「分かってるって。この敵は私に任せてもらおうか」

「はぁ? あんたも何を言ってるのか分かってるの!? あなたは戦えないのよ!」

「指名は私らしいからな。それに――」

「それに?」

「聞きたいことは山ほどある。あいつをコテンパンにして、ウィチア・バルファムート様の伝説の一部にしてやる!」


 ブルーナは再び結界術で隔離する。

 今度の結界術はウィチアとブルーナのみを取り囲むものだ。

 ドーム状に作られた結界の闘技場(アリーナ)。


「我と貴様。一対一の決闘に邪魔立てはさせぬ」

「ちょうどいい。うっさい奴らが間に入らない。私の魔女伝説の獲物は横取りはさせないからな」


 結界術の外でセレスが必死になって術を殴っているが、術は解けることはない。

 この高度な結界術はウィチアならともかく、アンロックを相当量勉強しなければ解除できないものだからだ。


「始めよう」

「その前に聞きたい。てめえと私。オッズは何倍だ?」

「我は一倍。貴様は百倍だ。貴様が負けるのが確定だからな」

「なら、私の持ってる全財産、私に賭ければ大金持ちだ! わははは!」

「……我は貴様を倒すために力も地位も得た。魔法も、司法の知識も、全ては貴様を倒し、グロウディア・ソーサレスへ復讐するため。貴様に負けはせぬ」


 ナイフを持って、ゆっくりと宙から地面に降り立つブルーナに対し、ウィチアは枝のような杖を構える。

 いまさら杖を構えたところで、これといって魔法の精度が高まるわけではなかったが、見栄えを良くするためとブラフのためだった。

 戦いが、始まる。


「力を得る目的のためならば手段を選ばない。私そっくりだな」

「貴様のような犯罪者の娘になにが分かる!」


 ウィチアに風が纏う。


「ッ!?」


 風はウィチアを持ち上げると、地面へと激突させた。

 セレスの時とは違い、乱暴な一撃に、痛む身体をさする。


「痛ぇ……セレスよりも繊細な魔法しやがるクセに、攻撃的だな、おい」

「我の魔法は芸術の域にまで達している。すぐに堪能させてやろう」


 ウィチアの足下から氷が精製されていく。

 フリーズの魔法だが、ただただ鋭利な氷を精製する魔法とはかけ離れていた。

 精製された氷には蓋と箱ができあがっており、鋭利な氷の棘が内側についている。


「これは貴様の首から下を埋葬するための棺」


 ウィチアを捕らえるように箱は閉じていく。

 だが、狼狽えない。

 このくらいであればアンロックの範疇だった。


「ほれ、アンロック」


 ウィチアのアンロックによって、氷の棺は力なく倒れてしまった。

 だが、ブルーナは止まらない、慣れていない構え方でナイフを握り、胸を揺らしながら緩やかに走ってくる。


「ほら、お前にもアンロックしてやるよ」


 ウィチアはブルーナの……足下にある石の地面にアンロックをかけると、ガクッという音とともに、石が沈んだ。

 ブルーナは突然のことに対応できずに、段差に足を引っかける。


「ふぎゃあ!?」


 転んだブルーナは屈辱にまみれた顔ですぐに起き上がった。

 顔から転んだように見えたが、砂埃で汚れているのは胸の辺りのみだ。

 胸のクッションで助かったようだが、ウィチアはそのデカさが余計に気に入らなくなった。


「ウィチア……ウィチア・バルファムートぉ……! お前の血族はどんだけ、我らを傷つければ気が済むんや!」


 ウィチアは黙って彼女を見下ろす。

 ゆっくりと、ゆっくりと憎しみのこもったうめき声を上げながら、彼女は立ち上がった。


「我の妹は……うちの目の前で血の塊になって飲みもんみたいに飲まれてもうた……! そんな惨くて恐ろしいことをしたお前の母親を許さへん……! お前にも、お前の父親にも、同じ痛みを味あわせる! うちの復讐や!」


 ブルーナはナイフを再び構える。

 だが、ウィチアはどんどん同情ができなくなってきた。


「お前、私に復讐とかなんとか言ってるけど。私は関係ないだろ」

「理屈ではそうや! けど、復讐の相手を失った以上、うちはお前を倒すしか方法はないんや! それしか、報いる方法が。あの魔女に復讐する方法が……!」

「まあ、お前の妹とやらがひっでえ殺され方したって分かるし、目的のためならば力を得るってのは私も共感する。むしろ、お前は本当に力を得て、今の地位があるって言うんだから、羨ましいくらいだ」


 ブルーナは黙り、ウィチアは続ける。

 ようやくまともに話ができる状態になり、ウィチアはどことなく安堵した。


「ブルーナ。もし私がお前の立場なら、私もお前と同じように力を得ようとするんだろうな。お前も私も、目的のためならば、力を得ようとする」

「……お前なんかに同情されとうない」

「私はお前みたいに地位を得られなかった。認められたい、力が欲しいと願い続けても、私にはアンロック以外まるでなかった。認められるには、アンロックのみで上り詰めるしか方法が……。でもお前は、アンロック以外にも力がある。世間にも認められている。だから、私はお前になれたら良かった」

「ウィチア・バルファムート……」


 ウィチアが自分の思ったこと、感じたことを吐露すれば、どことなくブルーナも納得しつつある。

 なので、ウィチアは引き続き、彼女に自分が感じたことを口にした。


「でもお前の妹が死んだことと私は関係ねえ! 復讐の対象を私にしやがって! 責任転嫁にもほどがあるだろうが! 死んだのはお前が弱いせいじゃねえのか? ああん!?」

「ウィチア・バルファムートッッッ!!!」


 なぜだか余計に怒らせたような気がした。


「黙って聞いとけば、人を分かったような口でッ! しかも、最後には我と我の妹が弱いせいやと! ええ加減にせんかボケッ!」

「うるせえ! その大層な口調と方便を混ぜるくらいならどっちかで統一しろボケッ!」


 ウィチアとブルーナはいがみ合い、取っ組み合いを始める。

 だが、右手が使えないウィチアは簡単に押し倒されてしまう。


「見ろ! 弱いのは貴様やんか! 我に勝てるわけあらへんやろ!」

「いいや。私の方が強い」

「なんやて……! なら見せてやるわ!」


 ブルーナはウィチアに馬乗りすると、右手を掲げる。


「我は狩りの中で使う魔法しか知らんかった。ナイフも魔法も狩りで使うもんやった。けど……あの魔女に出会ってから我の魔法はそこら辺のものとちゃうもんになったんや!」


 見ろ! と叫ぶブルーナの手には、黒い球体が浮いていた。

 それは純然たる深黒で、風の魔法なのか、結界内を強風が逆巻いていた。


「見たことないやろ、この魔法! これがお前の母親が我の妹から命を奪った魔法、マイクロブラックホールや! なんでも宇宙(そら)にある光すらも飲み込む重力場を小型化した魔法らしい。これで我の妹は……血の塊になったんや……!」


 ウィチアはその黒い魔法を見たことがなかった。

 風の系統魔法ですらない、光でも闇などでもない。

 それこそ、まさに魔法の開祖とも言うべきグロウディア・ソーサレスのみが使えた魔法。

 彼女がウィチアの母親に出会ったという証明だった。


「それが……ママの魔法か」


 風が強くなっていく。

 いや、光すら飲み込む重力場ということは、重力が発生しているということなのだろう。

 ウィチアは、馬乗りしてきているブルーナに左手を向けた。

 空の彼方で輝き、届かない太陽に手を伸ばすように。


「ママの魔法が使えて羨ましいよ……私には何も教えてくれなかったのに」


 ゆっくりと、ゆっくりと黒い塊は近づいてくる。

 だが、ウィチアは暴れはしなかった。


「なんでや? 逃げ出そうという気概くらいみせーや」

「お前とは違うからな……! お前みたいに弱くはない」


 ブルーナは、地面にめり込ませようとしているほど鬼気迫る勢いでウィチアを押さえつける。

 怒りと復讐の炎に燃え上がった彼女を前にしてウィチアは逃げ出そうとしない。


「お前は……逃げ出したんだろーが! お前の妹が殺された時、ママから逃げ出したからここにいるんだろう!」

「我はそんときただの村娘やったんや! 逃げ出すしかなかったんや!」

「今の私も同じだ。その時のお前と同じで、私にはアンロックしか使えない。だがお前と私では決定的に違うことがある。もし私がお前なら――」


 ウィチアは自らに迫る危機の中、頭を全力で動かす。

 鍵開けしかできない魔女には……危機的な状況でしか、強くなれないのなら、ウィチアは喜んで自らを死に近づける。

 それがウィチアの抱く覚悟。

 ウィチアの目指す伝説のためなら身を滅ぼすことすら辞さない、魔女の生き方だった。


「もし私がお前なら、妹が死んだ時に逃げ出さなかったッ!」


 ウィチアはアンロックを唱える。

 アンロックが結合状態を解除する魔法であるならば、究極まで極めたアンロックで解除できぬものはない。

 母親が使ったとされる魔法ですらも。


「嘘や……マイクロブラックホールが消えていく……!」

「重力の核となるコア部分をアンロックして霧散させた」

「なんやって……! 魔法を解除って、それはディスペルやろ」

「これだ。私が求めていたアンロックの究極の形。それがアンロックによる魔法の強制解除」

「そんな……そんなの解錠やあらへん!」

「結合も封印も解除できて、どうして魔法が解除できるとおかしいんだ?」


 ブルーナは動揺しつつもナイフを取り出す……が、彼女は宙に飛ばされた。

 飛んだのではなく、凄まじい拳で吹き飛ばされたのだ。


「宇宙(そら)の果てまで、飛んで行きなさい」


 セレスの強烈なアッパーカットで、空を舞い、ブルーナは後頭部から地面に落ちた。

 相当な滞空時間だったようで、地面に墜落した時、ぐしゃりという音と共に骨が折れたような痛ましい音もする。

 かなり危険な落ち方をしているが、うめき声を上げている辺り、まだ生きているのだろう。


「おい、セレス。私は一騎打ちをするって言ったつもりだが?」

「知らないわよ、あなたがどうするかなんて」

「ってか、結界術はどうやって解いたんだ?」

「あなたがあの黒い塊の魔法にアンロックをかけた時に一緒に解けたわよ」

「邪魔しやがって」

「邪魔するわよ。もうあなたをヒドイ怪我させないって決めたから。力もないのに、女の子なのに、刹那的で自傷的な生き方しかできないあなたを怪我させないって」

「お節介って言うんだよ、それは」


 アンロックが飛び火したようだった。

 マイクロブラックホールを消そうとアンロックをぶつけ続けたのが原因だろう。

 だが、ウィチアはセレスの介入には納得がいかない。


「おい、おっぱいの姉ちゃん。お前には聞きたいことも言いたいこともある。続きをやるぞ、起きろ」


 ウィチアはブルーナに歩いて行く。

 ウィチアの知らぬ間に観客たちは全て避難誘導が終わっているのか、残っている面子は騎士と剣闘士のウィチアたちのみだった。


「なんでや……なんでうちが負けたんや……妹の仇討ちしようと努力してきたのに」

「私はお前との一騎打ちで倒すって決めたんだよ。私はお前よりも強い。私はお前のように逃げ出したりしないって、証明できないだろーが! 続きをやるぞ」

「それや。うちは目の前で死んだミストルを前に逃げ出したんや。でもお前は逃げださへんかった。あん時、お前がうちだったら、お前は悪い魔女に向かって行くやろし、うちみたいに復讐相手がおらへんって嘆きつつも、勝てない相手がいなくなって、安心せえへんかったやろうなー」

「お前が私なら、お前はアンロック以外にも魔法を究めただろう。そんで、ママの作った魔法をどっかでマスターして、偉大なる魔女を本格的に目指せたハズだ。地位と名声を得て、力もある本物の魔女に」


 空を見上げるブルーナはヒドく疲れた顔をしながら、横たわっていた。


「ほんま、羨ましいわ」

「私もだよ。おっぱいもデカいしな」

「言い返す気力あらへん……」


 ウィチアはしばらく、言うか言わないか少し考えた後、口にすることにした。


「お前が憎んでいる私のママは――生きている」

「なんやて……!? どういうことや!」

「いいか。私のママは私を産んだ時に亡くなったと聞いていた。けど、十年前にお前の妹の血を吸ったってことは、その当時に生きていたことと寿命を延ばす気があったという二つの証明になる」

「グロウディア・ソーサレスは……世界のどこかに今も生きとる?」

「どこかじゃねえ。私はママの居場所を感じ取っている」


 ウィチアはアリーナの石をゆっくりと撫でる。

 冷たい石で、この場所には懐かしいニオイはないが、ダンジョン内部ではたしかに懐かしい気持ちにさせられたのだ。

 そして、ウィチアの父、ガルムは言った。

 百階には最高の宝があったと。


「ダンジョンの百階に、私のママはいる」


 その衝撃の発言は、残された者たちを驚かせるのに充分すぎる内容だった。


「グロウディア・ソーサレスが地下に……!? それはほんまの話なんか!?」

「いる。私には分かる」

「……でも、うちには無理やった」


 ブルーナは倒れたまま空を見続ける。

 彼女はそのまま起き上がろうという気配すら見せない。


「魔女の娘に負けてもうた。魔女に、一度ならず二度までも。次の三度目も間違いなく負けるわ」

「私は勝ってない。セレスが勝手に介入しただけだ」

「介入されたかて、負けは負けや。身体が動かへん。本当は妹が死んだ時に逃げ出した言い訳をあんたにぶつけたかっただけなんや。それも見抜かれてもうた」

「……私は勝ってないって言っただろうが! 勝手に終わった気になってんじゃねえ!」


 ウィチアは左手で彼女を無理矢理起こした。

 そして何度も胸ぐらを何度も揺する。


「なんでだよ! なんでお前は私とは違って魔法が使えるのに、諦めちまってるんだよ!」

「本当はうちなんて死んだも同然やったんや。あの魔女に会ったせいで、うちも魔女になってもうた。復讐のためと言い聞かせて自分に嘘ばっかついて。法も破り、魔女の力までも手に入れた。こんな姿、妹に嫌われてまうわ」

「なんで、諦めちまってるんだって聞いてるんだ! また諦めて逃げ出すのかよッ!」


 ウィチアは叫ぶ。

 喉が嗄れようが、いっそのこと潰れようが構わない。


「お前はな! 私ができない魔女の魔法を手に入れた! そんで、司法の知識を得て検察騎士になった! 世間様に認められて……どれもこれも私にできなかったことだぞ!」

「それもただの自分が満足するためのものやっただけや。嘘つきなうちの嘘つきな言い訳や」

「お前の目的は、そのくらいで満足するのかよッ!? 復讐のためなら手段を選ばないんだろ!? 諦めちまったら、全ては終わるんだ! 生きた証しも、バカにした連中を見返したいって気持ちも、世界に名前を轟かせたいって考えたことも、全部消えちまうんだぞ!」

「でも、負けて逃げ出したうちに……」

「負けたなら、何度でも立ち上がればいいだろうが! 逃げ出したんならもう一度挑みにいけばいいだろうが! ……お前のような魔法使いが諦めてしまったら、私はどうすればいいんだ。どうすれば認められるほどに強くなれるんだよ。教えてよ……お願いだから」


 ウィチアは、自身の言葉がどんどん弱くなっていくのを自分で分かっていた。

 ブルーナは、ウィチアが手に入れられなかった、力を持ったもう一人の自分。

 それが諦める姿は、ウィチアにとって耐えがたいものだった。


「でも、相手はグロウディア・ソーサレスやで……? あんな怪物に勝たれへん」

「けど、私は逃げ出さずにお前に挑んだら、ちゃんと戦えたよ? 諦めなかったら、夢は叶えられるよ……どんな内容でも」

「復讐に夢なんて言葉を使ってもええんやろか?」

「諦めなければ、絶対に達成できるって。それを、夢って言うんじゃないかな?」


 ウィチアは自分でも分かるくらいに優しい口調を向ける。

 もはや、自分の心に潜む、もう一人の自分と相対している気持ちになっていた。

 それはブルーナも同じようで、彼女も憑きものが落ちたような表情になった。


「――なら、グロウディア・ソーサレスに復讐せなあかんな。あいつ、みたいな悪を倒して、ミストルに自慢しないと」

「うん――だから、もう一戦といこうじゃないか! 私はお前を倒して、偉大なる魔女として君臨してやる!」


 だが、空気はすでに様変わりしていた。

 ウィチアがブルーナに杖を向けても笑顔のままで、ミルトは気持ち悪いものでも見たかのように嗚咽を漏らし、セレスはひたすら手を擦りあわせ、「悪霊退散悪霊退散……」と呪文を唱え続けていた。どこのおまじないなのだろうか。


「おい。やる気はどうした! 私はお前を倒して魔女としての名声を上げる!」

「悪かったって。八つ当たりして、申し訳ないわぁ」

「おい、それはねえだろ!? 敵なんだろ、私たちは!?」


 ウィチアが騒ぐ中、セレスはウィチアの襟首を掴んで引っ張った。

 ただ、彼女は力の加減が利かないのか、馬による引っ張り回しの刑が如くの勢いで引きずられる。


「な、何しやがる!」

「あなたのドM根性は認めるけど、これ以上挑発しないで」

「ドMじゃねえ! 偉大なる魔女の私は、強い敵と戦うことで本領を――」

「言うことを聞かないなら、私が息の根を止めてあげるけど?」

「この口が好き勝手言ってすんませんっした!」


 ウィチアは額を地面にぶつける勢いで土下座した。


「そう。だったら脱出するわ。ブルーナ検察騎士様、ご案内をお願いします」


 自身に治癒魔法をかけていたブルーナが頷くと、すぐに立ち上がる。

 この騒動は……仇の存在が生きていることを知ったブルーナが、真に復讐すべき相手を見つけたことで終わりを迎えた。


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