第18話 第五章 目的のためならば

 闇の中でウィチアは誰かに背中から抱きしめられていた。

 ウィチアと同じ、黒いローブの袖がウィチアの首元で揺れる。


『たどり着けるかしら? あたくしのところまで』

「……分からないよ」


 ウィチアは手をゆっくり届ける。


「何度も沈んで、無理だと打ちのめされて……けどね。やっと、少しだけ自信がついたよ」

『いつもの虚勢でなくて?』

「かもしれないね。でも、やっと少しだけ前進できた気がする」


 彼女は、ゆっくりとウィチアから離れていった。

 その温もりが恋しくて、悲しくて。

 それでも腕を掴もうとはしない。掴んではいけない。

 ウィチアが無理矢理引き寄せるのではなく、ウィチアから彼女がいる場所にたどり着かなければいけないのだから。


 朝、目が覚めるとウィチアは女性らしく飾られた部屋が視界に入る。

 ウィチアの下宿先みたいな質素さも、ミルトの屋敷みたいな豪華なものもないが、女性らしく飾られた小さな部屋だった。


「ああ、セレスの部屋か」


 なれない部屋で目が覚めると、働いていない脳が一瞬だけ、ここはどこだと混乱させる。

 だが、朝の日差しで脳が働き出してくると、すぐに鮮明に思い出す。

 そして、自身が置かれている危機的状況にも。


「って、おい。首に抱きつくなよ、セレス」


 彼女の腕が、自身の首に回されている。

 普段から彼女はどういう寝方をしているのか知らないが、ウィチアは狭いベッドの上を二人で活用しているのが気に入らなかった。

 寝る場所に困るのは分かるのだが、これではあらぬ誤解を受けてしまう上に、寝ている間も落とされそうになるのが気に入らない。

 だが、彼女がどうしてもと言って聞かず、仕方なくウィチアは一緒に就寝しているわけだが……。


「ッ!? 絞……ッ!?」


 そして、寝ぼけた彼女がウィチアの首を絞めてきた。

 呼吸のできないために、ベッドの上でジタバタと暴れて、


「あれ? ウィチア?」


 ようやく、拘束から解放された。

 殺す気かとウィチアはベッドから飛び出すと、セレスは悪びれた様子もなく、上半身を起こす。


「おはようウィチア。どうしたの?」

「殺されかけたんだよ、こっちとら! お前が一番怖いんだよ!」


 何を言っているのかさっぱり分からないとセレスは首を傾げた。

 彼女は起きるとすぐに珍しい緑髪を櫛でときながら、悪気もなく言う。

 結局、ウィチアは強く言い返すことができずに、ローブをシャツの上に羽織った。


「さて、ウィチア。今日もお仕事頑張ってちょうだいね?」

「おい! このウィチア様をまた、闇商人扱いするつもりか!?」

「いつまでも養ってあげないわよ? 今だけ特別に部屋と食事を提供してあげてるんだから」

「そんなことして検察騎士の……なんたらに捕まりたくねえんだよ! 偉大なる魔女が軽犯罪でしょっ引かれたら……情けないだろ。私はダンジョンへと行くぞ!」


 セレスは髪をとかすのを中断すると、ウィチアに顔を向けた。


「なにバカなこと言ってるの!? 右手を怪我している上に、ロクに戦えないあなたが一人でダンジョンに行ってどうするつもり!?」

「なぁーに! 偉大なる魔女である私のアンロックがあれば、シャドーなんざ怖くねえ! そして、私のアンロックは誰もが見たことのない魔法に進化する!」

「なにが進化するよ。あんた一人でダンジョンへ行ったら、間違いなくやられるのがオチでしょ! 怪我して生死の境を彷徨って帰ってきたくせに」

「……へいへい。一人では行動しませんよ」


 ウィチアがとんがり帽をしっかりと被り、黒縁メガネをかけるとセレスは不安げな表情でウィチアを見つめ続けている。

 ウィチアは、彼女が言いたいことなど分かっていた。


「そんなに不安か?」

「不安に決まってるじゃない! 帰ってきたら、女の子がボロボロになって、生気のない瞳で『偉大なる魔女』を連呼して!」

「……ギルドがダンジョンの近くにあって、良かったな」

「他人事みたいに」


 それっきり、セレスは黙り込んでしまった。

 ウィチアとしては、闇商人として鍵開けを続けるよりも、ギルドの正式な仕事であるダンジョンで金稼ぎをした方がいい。

 だが、一人でダンジョンに行くのは賢明ではないというのは分かってはいるが、どうしても抑えきれない衝動がウィチアの中にあった。

 金のためだけではない、ウィチアの中で息吹く、ダンジョンを踏破したいという欲求が。


 ウィチアとセレスはすぐに着替えてギルドへと足を運ぶ。

 いつもと変わらぬギルドの朝。

 まだ、誰もがダンジョンへ出発の準備に勤しむ中、異変は突如として現れた。

 その男は豪華な装飾品を身につけながらも、どこか薄汚れており、瞳の下にはヒドイ隈で真っ黒に染まっている。

 男の来訪に、ウィチアとセレスは身構えた。


「ミルト……! どの面、下げて来やがった……!?」


 ウィチアは、ダンジョンで起きた彼の暴行を鮮明に思い出す。

 一ヶ月前の出来事とはいえ、眠っていたウィチアからすれば、つい昨日のように思い出せる。

 撃たれた肩や壊された右手がズキズキと痛み、あの時に受けた、あの痛みと恐怖が蘇ってきた。


「ウィチア・バルファムート……! 目が覚めたんだ?」


 その顔に、今まで見せていた優しげな彼の面影はない。

 それどころかやつれたような顔は、とてもではないが、公爵子息だった彼とはかけ離れていた。


「ミルト・エル・エルフェンド公爵子息。いえ、エルフェンド元子息。本日はいかがいたしましたか?」


 セレスは涼しげな表情と、貼り付けたかのような笑顔を見せる。

 彼女が一番怖いのは笑顔を見せている時。ウィチアは余計に震えた。


「仕事探しだよ、受付のお嬢さん」

「ああ、無力なお坊ちゃまには、ギルドも冒険者の皆様も全面的に拒否をしてきましたか」

「言ってくれるね……!」


 ウィチアはセレスの背中に隠れながら、彼女に耳打ちする。

 虚勢も張ることができずに情けない姿だったが、暴力とはここまで恐ろしいものなのかと恐怖を捨てられないウィチアには、彼女の背中に隠れるのが精一杯だった。


「あいつ、家を追い出されたのか?」

「ええ。あの傲慢な元子息はエルフェンド公爵の死後、遺書に『公爵の地位を渡さない』と書かれていたの。本当なら、爵位はともかく、遺産だけでも分配されたハズだったの。でも、ウィチアの事件があったでしょ?」

「ああ、あれな。知れ渡ったのか」

「わたしが流したもの」


 ウィチアは、笑顔で言った彼女から離れた。

 今では彼女の笑顔が冷徹な本性を隠すための仮面に見えて仕方がない。


「生前のエルフェンド公爵の耳に入ったが運の尽き。遺書の中身をすり替えようとして、爵位も遺産も屋敷も別荘も全部ぜーんぶお兄さんに取り上げられたそうよ。欲に眩んだ末路ね」


 セレスは煽るように両手を広げてみせると、ミルトは言い返す素振りを全く見せなかった。

 彼女に乗じて、ウィチアも元公爵子息を煽る。


「そんで、ギルドを転々とする浮浪者に成り下がったってわけか。ははは」

「笑いたければ笑え。爵位も金も手に入れるためだったら、僕はなんだってする」


 ミルトの言葉に腹を立てたのか、セレスは笑顔のまま拳を握りしめる。

 腹が立つのは分かる。ウィチアだって、暴力を振るわれたからには、腹が立つ。

 腹は立つが……ウィチアだって、もし公爵子息の命を奪って……力を得られるのなら、その命を奪うなど、やったかもしれない。

 目的のためならば手段を選ばない狂気は、ウィチアだって持っているのだ。


「お帰りください。ここにはあなたに協力してくれる人などいません。力のない小僧は一人でダンジョンに入って、勝手に死んでくださいな」

「……随分と辛辣だね。まあ、どうせ無駄だと分かっていたさ」


 ミルトは戦闘で、魔導石を利用した筒の武器しかない。

 その上、女性に暴力を働いたという話が広まっては、彼を信用して一緒にダンジョンに潜ろうと考える者はいないだろう。

 同族の、目的のためならば手段を選ばない者を除いては。


「おい。ダンジョンで金を稼ぎたいなら私と行動しろ」

「ウィチア! あなた、何を言っているのか分かっているの!?」


 ウィチアはセレスの背中に隠れながら、暴力を振るってきた男に問いかける。

 未だに刻まれた痛みが身体に残り、利き手を不自由にさせられた相手に恐怖を抱かないわけがない。

 しかし、ウィチアにとって、ダンジョンに潜るためならば手段を選んでいられなかった。


「そんなに怯えた表情で何を言い出すかと思えば。今度はもっとヒドイ傷つけ方をするよ。ダンジョンは文字通り無法地帯だからね」


 また傷つけられる。また傷つけてくる。

 だが、それは利益を求めたミルトが行った行動だ。

 なによりも、ウィチアはあの時と今ではまるで違う。


「できるものならやってみな。私は偉大なる魔女、ウィチア・バルファムートだぞ! お前が何度も私に暴力を振るおうとしても、私はその度にお前を倒す! なにせ、お前は私が初めて敵を倒した第一号だからな!」


 ウィチアは高らかに笑うと、ミルトは顔を歪ませた。

 そうだ、この男にとって、ウィチアもまた、全てを奪った憎き相手なのだ。


「今度はもっとえげつない真似をするよ? 男の本性を全てさらけ出してね」

「やれるものならやってみな! ちょうど私には私の安全を守るための肉盾が必要だったからなー」

「さて。今度も僕を倒せるかな? 犯罪者の娘」


 自信のついたウィチアはミルトを睨み、反対に彼は笑顔で返しているが、内に秘めた復讐心が伝わり、互いに火花をぶつけ合うようだった。

 二人の間に、黙っていられないとでも言いたげにセレスが割り込む。


「ちょっと、ウィチア! あなたは何を言っているのか分かっているの!?」

「一人でダンジョンに潜るよりも、盾を持って行った方が生存率が上がるだろ?」

「そうじゃないでしょ!? 相手はミルトよ!? あなたを傷つけた相手ってこと、忘れたの!?」

「お前こそ忘れたか? 私は認められるためならば手段を選ばない魔女だってことを」

「目的のためならば、あなたに暴力を振るった男にすら仲間にすると言うの?」

「……私一人だと、リスクが高いからな」


 セレスは何をバカなことを言っているのだ、と真剣な表情で瞳をのぞき込んできた。


「いい!? あなたは実力がないの!? まだダンジョンは危険なのよ!? おまけに街中なら一発で重罪になる犯罪者を仲間にするですって!? どうかしてるわよ!」

「どうかしてるのは元からだ! 私は偉大なる魔女だ! 力が欲しいんだよ!」

「……そんなに認められたいの!? 力が欲しいの!? 命をかけてまで欲しいものなの!?」

「命をかけてまで欲しいものだ! それに私のアンロックは、ミルトとの戦いの中で進化した! ならば、ダンジョンに潜り続ければ、アンロックだけで世界を目指せるかもしれない!」

「アンロックだけしか使えない癖に、正気なの!? ちゃんと魔法を覚えて、ちゃんと戦えるようになってから――」

「そんな魔法は存在しねえ。私には……アンロックを究めることしかできない」


 口論の末にセレスは黙り込んだ。

 もう、ウィチアを止めることはできない。

 食い下がったところで、いつまでも押し問答が終わらないことを分かっているのだ。

 どんな言葉を並べたところで、ウィチアはダンジョンを潜ることをやめないだろうと。


「認められるなら、ダンジョンに潜る以外にも方法はあるじゃない」

「それじゃあダメだ。どいつもこいつも私の魔法を認めようとしねえ。なら、実績で認めさせるしか方法はねえんだよ」


 それしか、方法がなかった。

 ウィチアを、アンロックをバカにした連中に認めさせるには、実績しかないのだ。

 それも……伝説を塗り替えるほどの実績が。

 セレスはついに観念したのか、ため息を吐いたまま、黙ってしまった。


「というわけだ。お前を盾として持って行くことにする。ミルト」

「ああ、よろしく頼むよ。シャドーたちの餌にするまでの短い間だが」


 ウィチアとミルトの睨み合いが再び始まる。

 仲良くできないが、利害の一致があるから、二人とも選択肢としてやむを得ずパートナーに選んでいるに過ぎない。

 名声と金が目的のウィチアに、同じく金が目的のミルト。

 互いに目的が、“いないよりはマシ”というコンビの間にセレスは割って入った。


「分かったわ。あんたが止まらないと言うのなら、わたしがしばらくの間、見守ります」


 セレスは登録の魔導器を二人の前にある机の上に置くと、そのまま魔導石に触れる。


「なんだ。セレスがパーティーに入ってくれるなら、私はこの野郎とパーティーを組む必要がないんだがな」

「僕も同じくだ。君の実力は知らないが、こんな使い物にならない魔女よりは頼りになる」


 二人が煽り合い、今にもケンカが始まりそうな中、セレスは机をドンッと拳で殴った。


「今回は例外中の例外よ! このバカ男と組んでいる間、あなたを守るのがわたしの目的です!」

「おい、なら私と組めばそれで万事解決じゃねえか」

「それに僕をバカ男だなんて。君も口が悪いな」


 セレスは再び机の上を殴り、二人は黙った。


「本来はッ! ギルドの受付がッ! ダンジョンに潜るのは例外中の例外ッ!」


 その勢いに、ウィチアとミルトの理屈は押しつぶされた。


「そこのバカな男と組むならば、ギルドはトラブルの再発生を起こさないため監視の目を光らせます! 組まないならトラブルは起きないと判断して監視はしません!」


 理屈でも論破されてしまった。

 わざわざ理由をつけなければギルドというのは手を貸してくれないというわけだ。

 仕事というのはなんとも大変で、私情一つ挟ませるのにも、理由がいるらしい。

 こうして、ウィチアとミルトとセレスという、それぞれが歪な考えを持ったパーティーが構成されることになった。

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