第17話
「いったい、なんだってんだ! 追いかけ回されるしよ……!?」
ウィチアは薄暗い建物の中で杖を構えていた。
空間湾曲の封印術を瞬時に解き、追いかけてきた相手に気づいて、撒いたまでは良かったが、肝心の相手顔を見ることはできなかった。
「空飛ぶおっぱいしか思い出せん……!」
ウィチアは記憶を探るが、細長い氷が目の前を横切り、すぐその後に大きな胸が飛んできたところまでは思い出せるが、残念ながら、それ以外が全く思い出せない。
あまりにも、その出来事が強烈だった。
強烈であるがゆえに、他が思い出せない。
「お嬢! お帰りなさいっす!」
「おう。……誰だっけ?」
「グスタムっすよ! いい加減、名前と顔を覚えてくださいっす」
「お前らみたいな犯罪者、覚える価値もない」
「相変わらずひでえっす」
石でできた床に天井。
薄汚れた石に、魔導器の灯りが弱いせいか、全体的に薄暗い。
さらにはウィチアが歩いていると鉄格子を見つけ……さながらそれは囚人を捕らえる牢獄だった。
「私の実家は相変わらず趣味悪いな」
「ビジネスの拡大っすよ。俺たちのオフィスは幅広い取り引きを行ってるっすからね」
「泥棒のクセに、使う言葉だけは綺麗だな? ああ?」
「俺たちは、常に時代のニューウェーブを歩む盗賊団っすからね」
ニカっと笑うグスタム。
ウィチアは黙って彼の後ろを歩いた。
ここに来るのは何年ぶりだったか、偉大なる父親は、どんな顔つきをしているのだろうか。
盗賊という存在を見下しつつも、ウィチアは父親だけは見下さない。
一見、矛盾しているように見える事実も、巨大な犯罪組織を作った偉大性と、カリスマ性の上澄みだけ掬えば、尊敬の対象になる。
残った濁った水を見下しながら捨てれば、不思議と「盗賊をゴミのように扱う」、「父親は偉大な人物」と切り分けることができていた。
しばらく階段を下りていくと、一番地下深い階に到着する。
この盗賊団は相変わらず、もぐらのような生活を好み、一番立場の偉い人間は一番深い場所にいる、バカと煙は高いところが好きと真逆をいくスタイルを貫いている。
「応接間に案内するっすよ」
「盗賊のクセに、一流のギルドごっこが本格的だな」
「恐縮っす」
ウィチアは貶しているつもりだったが、残念なことに相手は笑顔で対応していた。
いや、これがビジネススマイルというやつか。
あくまで最先端のギルドを自称する組織の管理部門だったか、営業部門の男は、そそくさと魔導器に対して声をかける。
しばらくすると魔導器から音声が流れて、グスタムは笑顔で手招きしてきた。
「こっちっす。案内するっす」
ウィチアはミルトの屋敷での一件を思い出す。
彼の屋敷もそうだったが、この実家も中々、客のもてなし方が上手い。
ただ、一点残念な点は、ミルトの屋敷は隅々まで純白で、全てが美しく彩られているのに対し、盗賊団のオフィスは――努力はしているようだが――汚れや薄暗さが、およそ高級感というものを感じさせなかった。
盗賊という汚い行為を感じさせないように躍起になっているが、どうしても隠しきれない不正の存在がにじみ出るのか。
ウィチアはそのまま応接間とやらに案内される。
大きなソファーが二つ、大きな机を挟んで向かい合っており、ウィチアがどかっと座ると、グスタムは反対側のソファーに立っていた。
「お飲み物をお持ちするっす」
「酒か?」
「紅茶っす。十グラム三百リアスもする高級茶葉で、黄金の葉とも呼ばれている代物っす」
「どこまで本格的にギルドごっこすれば気が済むんだ」
どうせ、そんなものしか出せないだろうと高を括っていたが、意外なものに面食らう。
グスタムはしばらく部屋から出て行くと、すぐにソーサーの上に紅茶のカップを持ってくる。
漂う豊かな香りはたしかに高級品らしく、ミルトの屋敷にあったアロマの魔導器に負けず劣らずの香りが薄暗い部屋だというのにリラックスさせる。
しばらくすると木製の扉が開き、もさっとしたヒゲと金銀財宝を備え付けられたマントを着た男が部屋に入ってきた。
ウィチアはすぐに立ち上がる。
「パパ!」
「おう。久しぶりだな、ウィチア」
ウィチアの父、ガルム・バルファムート。
国内最大規模の盗賊団、バルファムート盗賊団を率いるカリスマであり……世界で唯一、ダンジョンの百階に到達したとされる男にして……ウィチアの偉大なる父親。
「お前が無事で俺も安心した」
「私は偉大なる魔女、ウィチア・バルファムート。これくらい平気だ」
ガルムはソファーにどかっと座ると。机の上に両足を載せた。
「さすが、俺の娘だ。確実に俺の血を引いてやがるぜ!」
「もちろん。私に暴力を振るった奴は返り討ちにした!」
「さすがだ! お前の力はいずれは世界への脅威となるだろうな! 俺の見立ては間違いねえ!」
「ハッ! 今に見とけ! すぐにパパとママを追い抜かしてやるからな!」
「がははッ! 言いよった! 聞いたか、グスタム!」
「もちっす!」
ガルムはひとしきり大きな笑い声を響かせ続けると、ウィチアと紅茶を交互に見る。
「どうしたどうした!? 飲まねえのかい!?」
「そりゃー盗品なんて飲めるわけねえ」
ウィチアは犯罪者の娘であろうと、クリーンなイメージで売っている……つもりだ。
だから、盗品に手を触れるわけにはいかなかった。
「グスタム!」
「はいっす! 司法部によると、『盗品と知らずに購入したもの、手に触れたものに関しては強盗の処罰に入らない』っす」
「というわけだ。安心して飲めや」
ウィチアはしばらく考えた後、結局、紅茶には手を触れなかった。
一度、この盗賊団と離れると決めたからには、飲むわけにはいかなった。
今のこの時間は、例外としても、力を借りないと決めたからには、一切触れる気はない。
「そういや、司法部なんて作ったんだな」
「おうとも。検察騎士と肩を張るほど法の知識に秀でた集団だ」
「……検察騎士?」
「騎士っつーのは、犯罪者の取り締まり以外にも、取り調べを行い、犯罪を立件しなきゃーならねえ。そこで、隊とは別に法の知識を持つ集団こそが――」
「検察騎士か。つっても、法の知識があっても仕方がないだろう」
ウィチアが主語をつけ忘れ、父親に指を向ける。
「俺たちに法か? がはは! おうだとも! 犯罪者が法の知識を持っていても仕方ないもんな!」
「盗賊集団がなぜ、法の武装をしている?」
「別に深い理由はねえ。俺たちのビジネスは常に、流動的に、そして、新たな分野を開拓しているだけだ」
ガルムは紅茶をガブ飲みし始めた。
超高級茶葉も豪快な父親の前では、ただのお湯と変わりない。
「……お前はビジネス上のライバルだが、腹ぁ割って話そうじゃないか」
ガルムは一転して、真剣な顔つきになる。
腕を組みながら、蓄えられた豊かな顎髭を触り、一段階ほど声音を低くする。
「ブルーナ・エスカリオスへの対策だ」
「ブルーナ? 誰だ、そいつは」
「若くして検察騎士になったおっぱいの大きな姉ちゃんだ」
「あ? そいつの胸がどうした?」
「そいつのおっぱいは、俺たちへの執念で膨らんでるらしいぜ」
ガルムはウィチアを指さしながら言った。
“俺たち”とは、ウィチアとバルファムート盗賊団、全員を指しているということか。
「どうしてそいつは私たちを狙う?」
「知らん。俺は興味ないからなぁー」
だが、ガルムは“理由”よりも“存在”こそ脅威だと考えているようにウィチアは思えた。
そうでなければ、顔と体つきと信頼できる人間と信頼できない人間の名前しか覚えていないガルムが、人の名前を覚えていられるハズがなかった。
「いいか!? ブルーナ・エスカリオスは、なんらかの理由で俺たちを愛している! いい女からの告白は断らない主義だ!」
「……だからこそ、ブルーナを見張る司法部が必要だった?」
「おうとも! こっちからもスパイを送り込んでいる。奴らがどんな動きをしようと把握しようという寸法よ!」
ガルムの話はそこまでで途切れてしまった。
件の、ブルーナ・エスカリオスの動向や、今後の対策、これから起きうること。
それらを教えてくれそうにない。
「…………」
「…………」
二人の間に長い沈黙が訪れる。
ガルムにとって、ウィチアはビジネス上のライバル。
ウィチアにとって、ガルムは越えるべき父親であり、庇護下から卒業したいわけだ。
だからこそ、ウィチアは聞くことはできないし、ガルムも口をつぐんでしまうのだろう。
「……ただ、一つだけ言えるなら」
ガルムは沈黙を破るように口を開いた。
「奴ら、ダンジョンを目指している」
「ダンジョンを? あいつら、騎士だからダンジョンには入れないんだろう?」
「そんなルールはない。グスタム!」
部屋の片隅で置物のように立っているグスタムは頷く。
「はいっす! ダンジョンでは治外法権が適用されてるっす。理由は司法に詳しい人間に聞かないと分からないっすが、あそこは証拠が二十四時にはピッタリ消えるっすからねー」
「で、理由はともかく、あいつらが干渉できないのは司法のみだ。入ることも、あまつさえ悪さもできるってわけだ」
「入る必要がないってのが正しい知識っすね。管轄外っすから」
笑うガルムとグスタムだったが、犯罪者が悪事について語ると全く冗談には聞こえない。
「で、ダンジョンを目指して犯罪ができるから、どういうことだ? パパ」
「あー、んー、どこまで話すとするかー……」
ガルムはしばらく考えた後に、ウィチアをジロジロ見ている。
「また怪我されたら適わんしなぁー。商売敵と言えども、こればかしは」
「私は、魔女だ。犯罪者じゃねえ。パパの邪魔にはならない」
「そうはいかねえ。世界がお前を落ちこぼれと見なそうと、お前は俺たちの脅威になり得る。お前のアンロックはそういう魔法だ」
ガルムはしばらく考える素振りを見せた後、指を一本ずつ折り曲げていく。
さながら、話す内容を選んでいるようだった。
「俺たちの伝説を利用しようとしている」
「伝説? ダンジョンの百階に到達した話か?」
「ああ。伝説と言えば聞こえはいいが、実はアレには裏があってだな!」
そこまで言って、ガルムは黙った。
いつまで経っても、続きがない。
「おい。言えないってわけか? かわいい娘が聞いているんだぞ?」
「話は終わりだ。後は、ダンジョンの百階にあった最高の宝の話くらいかぁ?」
「パパ! 私、ダンジョン踏破までの話が聞きたいなー?」
「がはは! 俺に答えを言わせようとしてもダメだぜ」
ウィチアはなんとしても答えを言わせようと考えてみるが、この男は、ことビジネスにおいては口が堅いし、言葉を選ぶ。
犯罪者のクセに随分と慎重派で、利益と将来性を重視している。
「グスタム!」
「はいっす! それでは最後にヒントだけ教えるっす。ダンジョンには首領しか知らない秘密があるんっす。そのおかげで今の伝説があるっす。ところがダンジョンの裏をかけば、あっさり突破できるっすよ」
「ダンジョンの……裏?」
「グスタム!」
「すんませんっす! 口が過ぎましたっす! お嬢、お帰りはこちらっす」
グスタムはそのまま、応接室の扉に両手をかざしてから開ける。
扉の向こう側から、夕陽が指してきた。
「地下に陽の光……空間湾曲か」
「そうっすよ。俺たちの場所は秘密っす。お嬢と言えども、教えるわけにはいかないっすからね」
地下と地上が繋がるというのは不思議な感覚だった。
そもそも空間湾曲の魔法自体が封印術で、用途としては、扉の向こう側に侵入させないためのダンジョントラップを人類用に改造したのが空間湾曲という魔法らしい。
「話は終わってない! 私の下宿先の部屋を返してもらおうか?」
父親は首を振った。
「取り上げてなどいない。荷物を置かせてもらっているだけだぜ?」
「詭弁だ。今回の事件はパパが取り上げたりしなければ……起きなかった」
「責任転嫁か。俺の耳には『お前が勝手に出て行った』、『勝手に元子息の屋敷に泊まった上にパーティーに加入した』、『家賃をロクに払ってなかった』と聞いているが?」
「うぐ……うん。そのとおりだ」
結局、下宿先に関しては一旦、セレスの寮に泊めてもらう形で生活をしている。
以前の賃料も全く払えない状態から、立て替えてもらったと考えれば、結局、父親の頼りになってしまっている。
「いいか!? 私の邪魔をするのはいいが、力を貸すのはこれっきりにしてもらおうか!?」
ウィチアは大きな声で吠える。
ガルムはソファーに深く腰をかけた。
「ああ。今後も邪魔させてもらうぜ? 偉大なる魔女さんよぉ」
「私はウィチア・バルファムート。偉大なる両親から産まれた娘。私は、私の力で世界に名前を轟かせる!」
「そうだ、それでいい。お前はビジネス上のライバルだ。だから、邪魔させてもらうぜ」
ウィチアも、ガルムも目を合わせない。
そんな間に挟まれているグスタムは口を挟んできた。
「なんっすか? 邪魔したりだとか、助けたりだとか。なんでハッキリと屑っぽく邪魔したり親っぽく助けたりとか、娘らしく頼るとかしないんっすか?」
グスタムには分からないのだろう。
この複雑な親子を、理解するには各々が抱いている複雑な考えと心情があるからに他ならない。
「私が教えてやるぞ、グスタム。私のパパはすごいけど、そのせいで傷つけられた。でも功績はすごい。だから盗賊であるガルムではなく、ダンジョンを突破した伝説の男、ガルムを尊敬している」
ウィチアにとって、盗賊王の娘というだけであらぬ疑いや攻撃的な言葉を投げかけられた。だが、功績だけは本物だ。
そして……ガルムの本心。
そんなもの、ウィチアが盗賊である父親と伝説を残した偉大な父親を切り分けて考えているのと同じ。
「私は、力のある魔女、グロウディア・ソーサレスの血を引き継いだ存在。だから、アンロックしか使えない落ちこぼれのダメ娘だが、きっと何かあると思っている。だから、ビジネスのトップ争いか、ダンジョン踏破の伝説を打ち破られる前に可能な限り邪魔をしたい。けれど、ガルム・バルファムートの血を引いている。だから、娘を守りたい」
ウィチアは答えを口にして、人間の心は複雑怪奇だと感じていた。
素直に、父親が大好き、娘が大好きでは行動できず、がんじがらめになった複雑な感情の上で、行動を決定する。
人間というのは、どうにも複雑な考え方しかできない困った心と行動理念の持ち主だと自虐した。
ウィチアが犯罪者である父の盗賊団を貶しながら、父を尊敬しているように。
「ま、そうかもしれねえな」
ガルムは一言だけ口にした後、ウィチアと顔を合わせることなく、ソファーに座り込んでいた。
なんて面倒な親子だと、傍から見ればウィチア自身もそう言葉にするに違いない。
グスタムが現に口を挟んでいる。
「じゃあな。次に会う時は、このウィチア・バルファムート。世界に偉大なる魔女だと知らしめた時だ」
ガルムは一言も発しない。
代わりに答えたのはグスタムだった。
「それじゃあ、お嬢。力を貸して欲しい時は首領じゃなくて俺たちをこき使ってほしいっす。今から俺、首領に屑っぽくとか言っちまったんで半殺しにされるっすから、ここまでっす」
ウィチアは扉から外に出て、扉を閉めてアンロックで封印術を解除する。
夕暮れ時の街は朱色に輝き、ウィチアのよく知る街を照らしている。
「私の下宿先の前、か」
全く異なる場所にある建物の、大きさも形も違う扉と地下にある扉を繋いでしまう魔法の高度さも、並大抵の組織ではないことを裏付けている。
「……私が、バルファムート盗賊団にとって、驚異になり得るか」
その言葉自体は、裏を返せば、『まだ実力が備わっていないが、いずれはバルファムート盗賊団が誇る世界最大の地位を脅かす』と褒められているようにも聞こえる。
だから、ウィチアは自然と笑みがこぼれた。
少しだが、偉大な父親に認められた気がする。
「へへへ、驚異か。最大最強の魔女になれるってわけだな」
ウィチアは小さくガッツポーズをしながら、借りていた下宿先を後にした。
今の下宿先には、誰も住んでいないため、勝手に入れば不法侵入になる。
「私は最強ぉー。私は偉大なる魔女ー」
ウィチアはスキップしながらセレスの寮に向かう。
今日ほど、嬉しいことはない。なにせ、ダンジョンを踏破した男から認められた。
それは、ウィチアにとって、能力を認められたことになる。
それこそが、ウィチア・バルファムートがいたという存在の証明だった。
ここから、どんどん人々に自分の力を認めさせ、最後には必ず偉大なる魔女としての名前を人々に、そして歴史に名を残す。
ウィチアの偉大な人生の一ページ目に、焼き付けられた瞬間だった。
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